憧れの人
 
カカシを踏み付けている上忍に体をぶつけると、たまらずその上忍はたたらを踏んだ。三人の上忍達はどこかきょとんとイルカを見る。久しく自分達に逆らってくる人間がいなかったので驚いているのだ。イルカは地面に伏したままのカカシを抱き起こした。

「カカシさんっ。」
「イルカせんせ…?」

カカシも目を見開いてイルカを見た。乾いた道路に転がされたせいで白っぽい砂埃に全身まみれている。形のいい唇が切れて血が滲んでいた。その血を見た途端、言いしれぬ憤怒がイルカの体を貫いた。

「大丈夫ですか、カカシさん。」

そっとカカシの顔についた砂をはらうと、カカシがへにょっと笑う。

「うん、イルカ先生。」

立ち上がったカカシを背に庇うようにして、イルカはゆっくりと上忍達に向き直り、グッと三人を睨み据えた。

「木の葉の上忍ともあろう方々が里人に乱暴を働くとは言語道断ですね。このことは上へ報告いたしますので、そのおつもりで。」
「あぁ?お前、何言ってる?」

ようやく我に帰った上忍達は、いっせいにイルカを嘲笑した。

「誰が乱暴したってぇ?ここでなんかあったのかぁ?えぇ?」

頬に傷のある黒髪の上忍が巨体を揺らして辺りを見回すと、周囲にいた人々はサッと視線をそらした。目のぎょろりとしたやせぎすの上忍が面白そうに尖った肩を揺らした。

「そうだよなぁ、誰もまだ死にたくねぇだろ。」
「親兄弟、いつ何時、事故にあうかもしれねぇご時世だしな。」

陰気な笑いを浮かべて周りをじろりと見渡した忍がリーダー格なのだろう、中肉中背の、なんの変哲もない容姿だが、いくつもの死線をくぐってきた者のもつ凄みがある。息のつまりそうな殺気を浴びて、イルカの背に冷たい汗が流れた。だが、恐怖よりも怒りが先にたっていた。

ちくしょう、よくもカカシさんをっ。

腹の底から熱い塊がこみ上げてくる。イルカは上忍達を睨み付けたまま、きっぱりと言った。

「オレが証言します。あなた方が一般の里人に暴行を働くところをこの目で見ましたから。」

ずん、と周囲の空気が変わった。

「ほぉ…」

リーダー格の男が口元に笑みを貼り付けたまま顎をしゃくった。後の二人がスッと動き、イルカとカカシは建物の壁を背に逃げ道を塞がれる。

「見たことあるな、お前、受付にいる中忍だろう。」
「そうですよ。」

冷たい殺気を浴びながら、イルカは昂然と面を上げていた。

「アカデミーが本業ですけどね、名前はうみのイルカ。どうぞお見知り置きを、タジマ上忍、ササギ上忍、スギナ上忍。」

平然と名前を呼ばれ、三人の上忍達から笑みが消えた。

「おい、調子に乗るなよ、中忍。」

巨体の忍がじりっと間合いを詰めた。やせぎすの上忍がじろりとイルカを睨め付ける。

「どうやら、家族が不慮の事故にあってもいいらしいな、え?うみのイルカ中忍。」

だが、イルカはその言葉を鼻でせせら笑った。

「ご忠告いたみいりますが、あいにく天涯孤独の、恋人すらいない寂しい独り身でね。」
「後ろの綺麗な兄ちゃんはそうも言ってられねぇだろう?」

巨体を揺らし、ササギという名の上忍がカカシに目をやる。

「あ、オレも天涯孤独なのよ。ちなみに、ただいま恋人募集中ね。」

よろしく、とカカシはイルカの背後から呑気に顔を出した。動じないイルカとカカシに上忍二人の殺気がふくれあがる。だが、リーダー格の上忍が手で制した。

「私闘は御法度だろう、ササギ、スギナ。」

それからイルカに向かって、にやっとする。

「話をしようじゃあないか。うみの中忍。オレ達だけで、なぁ。」

イルカはギクリ、と体を強ばらせた。

コイツら、オレ達を消す気か。

相手は手練れの上忍、瞬身で人気のないところへ移動し、イルカ達を殺す気でいる。あしがつくようなヘマはしない自信があるのだろうし、実際、今までそれが可能だったからこそ里が手を焼いているのだ。イルカは必死で考えを巡らせた。このままでは二人ともやられる。こうなったらハッタリでもなんでも、切り抜けるしかない。イルカはグッと下腹に力を込め、にっこりと笑った。

「そりゃあ残念です。オレは今、火影様からの直々の達しで任務中なものですから、お話をうかがう暇がないんですよ。」

嘘はついてないぞ、嘘は。

だが、それだけでこの上忍達が引くとはイルカも思っていない。案の定、リーダーのタジマは本気にしなかった。

「わりぃなぁ。その任務とやらは中止だ。」

殺気のこもったタジマの視線をイルカは真っ向から受け止めた。ここが勝負どころだ。相手が上忍だろうがなんだろうが、イルカとて伊達に死線はくぐっていない。カカシを背後にしっかりと庇い、いつでも動けるよう身構えながら、腹の底から低く唸った。

「火影様直々の任務だと言っただろうが。上忍ごときにどうこう出来るもんじゃねぇんだよ。」
「なにぃ…?」

豹変したイルカの態度に、三人の上忍達は一瞬戸惑いを見せた。ここぞとばかりにイルカはドスのきいた笑みを浮かべる。

「受付をなんだと思ってやがる。里の中枢だぞ。たかが中忍でも里の機密に関わってんだ。任務となりゃ暗部がつくに決まってるだろうが。」

もちろん嘘だ。火影直々とはいえ、里内のおつかいに暗部がつくはずもない。だが、階級が上の忍になればなるほど、受付の重要性を知っている。そして腐っても上忍、三人の忍達は暗部、という言葉に反応した。イルカは目に力を込める。

「アンタらの話はよーく知ってるよ。案外上層部に取っちゃ都合がいいかもな。たまたま現場に出くわした中忍一人の命で現行犯逮捕が出来るんだ。」

やれるもんならやってみろ、と言わんばかりにイルカは身構えを解いた。そして傲然と言い放つ。

「こんな質だ。命取られてもオレは引かねぇ。オレの仇は森野イビキ特別上忍がとってくれるさ。くそったれめ。」

これでダメなら死力を尽くして里長の元に知らせを飛ばそう、とにかくカカシだけは助けるのだ。イルカは覚悟を決め、ぎりりと三人を睨み据えた。殺気に満ちた空気が重い。押しつぶされてたまるかと、イルカは足を踏ん張った。上忍達は微動だにせずイルカを睨み付けている。

カカシさんだけはオレが守る。

イルカは気力を振り絞った。どのくらい対峙していただろう、ふっと上忍達の気が逸れた。

「ちっ。」

リーダー格のタジマが忌々しげに舌打ちすると、踵を返した。後の二人もそれに続く。背を向けゆっくりと歩み去っていく上忍達の背中を見ながら、イルカは震えそうになる体を叱咤した。

まだだ…

まだ気を抜いてはいけない。性根は腐っていても腕の立つ連中だ。何をしかけてくるかわかったものではない。とにかく、火影のところへカカシを連れて行き保護を求めなければ。

「イルカせんせ…」

背後で小さくカカシが呼んだ。イルカは真っ直ぐ前を睨みながら右手で後ろのカカシの手首を掴んだ。

「大丈夫です。あなたのことはオレが守る。」

安心させるようにイルカは握る手に力を込めた。ふっと背後の気配が柔らかいものになる。

「うん、イルカ先生。」

イルカは歩み去っていく上忍達の姿を凝視しながら動ける瞬間を狙う。その時だ。複数の影が上忍達の周りに降り立った。反応する暇も与えず三人の上忍達を拘束する。呆然とイルカはそれを眺めやった。

「……あ…暗部…?」

面を付けた姿は確かに木の葉の精鋭、暗殺特殊部隊だ。

なんで暗部が…

イルカはぽかんと呆けたまま性悪上忍達が連行されていくのを見送った。もちろん、イルカに暗部がついているなどというのはハッタリだった。なのに何故こうタイミングよく暗部が現れるのだろう。ぼけっと突っ立っていると、目の前に暗部がスッと移動してきた。

「うみの中忍。」
「うぉわっ。」

イルカは思わずのけ反った。だが、暗部は淡々としている。表情の揺れを感じさせないのはさすが暗部というところか。

「その方と火影様のもとへ出頭せよとのお達しだ。うみの中忍の任務はこれより私が引き継ぐ。」

え、オレの任務ってただのお使いですよ、と言おうとしたが、一瞬後には暗部の姿はかき消えていた。すでに他の暗部も上忍達の姿もない。白く埃っぽい道にぎらぎらと午後の太陽が照りつけているだけだ。

「あぁ、助かった。」

どこかのんびりとした声がする。目を瞬かせて横を見ると、にこっと笑ったカカシの顔があった。

「イルカ先生、おかげで助かりました。ありがとうございます。」

助かっ…た…?

ふと、実感をともなって安堵の波が押し寄せてきた。あの上忍達が暗部に拘束されたということは、当面命を狙われる心配はなくなったということで…

「でも、上忍三人も相手に、イルカ先生カッコよかったなぁ。」

もう命の危険は…

「オレ、なんか惚れちゃいそう…ってイッイルカ先生っ。」

イルカはヘタヘタと地面に座り込んだ。今更ながら緊張で腰砕けになっていたのを実感する。立とうとしても足が震えてどうにもならない。

「だっ大丈夫ですか、イルカ先生っ。」

安堵と情けなさが同時に渦巻く。

オレってカッコわりぃ…

カカシのおろおろ狼狽える声を頭上に聞きながら、イルカは砂埃のたつ道にがくっと両手をついた。
 

暗部を呼んだのは誰かって、そらもう、ねぇ。イルカ先生、腰抜かしてる場合じゃないってばよ。次からはちょっとカカシさん視点で