憧れの人
 


「こんにちは。」
「あ、こんにちは。今日は何が。」
「冷凍食品全品五割引きですよ〜。」

それからスーパーで青年に合うと、こんな会話がかわされるようになった。目的が特売品なので、回る売り場も当然同じだ。青年とたわいないことをあれこれしゃべりながら買い物をするのは楽しかった。
会話から、これほどの美青年であるにもかかわらず彼女いない暦がイルカと同じだとか、和食好きで天ぷらが嫌いだとか、様々なことを知った。それがまた、イルカは嬉しい。

スーパーで会うだけの人なんだがな…

イルカが青年にスーパーで会うのはだいたい六時頃だが、仕事が込んで時間がずれる日もあれば、青年がいない時もある。そんな時はひどくがっかりした気分になった。イルカは自分でも意外なほど、青年と会うのを楽しみにしていたのだと今更ながらに気づく。

そういや、まだ名前も知らないんだった…

惣菜コーナーの特売が天ぷらだった時、顔を顰めて「オレ、嫌いなのに今日の特売これ〜?」と悲鳴をあげていたことや、秋刀魚の生姜煮が安くなっていたらホクホク顔でカゴに入れていたことから、食べ物の好みは知っていても、名前やどこに住んでいるのか、全く知らないままだ。青年と言葉を交わすようになって半月、青年をイルカが気に留め始めてから一ヶ月は経つ。

名前、聞いてみようかな。

イルカはスーパーへの道を急ぎながらそう考えていた。今日は夏休み後半の職員会議があり、その後、様々な雑事が多くて遅くなってしまった。もう六時半を過ぎている。

「今日も会えないか…」

ここ数日、イルカは青年に会っていない。残念に思う気持ちをイルカは切り替えた。早く行かないとナイトセールが終わってしまう。イルカは瞬身を使うことにした。
忍の里とはいえ、里に暮らす大半は一般人だ。日常生活における忍術は慎むよう指導されている。特に中忍以上の忍達が便利なのでつい使ってしまいがちな瞬身は、大いに迷惑だということで自粛要請があったばかりだ。突然現れたり消えたりされたら心臓に悪いらしい。もっとも、直接の原因は、瞬身でバーゲンの割り込みをした忍者がいたせいなのだが。

オレの夕飯がかかっている非常時なんですっ。

イルカは親代わりの三代目に心の中で手を合わせ、印を切った。




時刻は六時四十分、イルカはスーパーの正面入り口に降り立った。

「楽勝っ。」

こんなに便利な術なのに、マナー悪いやつがいるからっ、とぶつぶつ言いながらイルカがスーパーのカゴを取ったとき、嬉しげな声がした。

「よかった〜、会えた〜。」

入り口の先に青年がいた。白いTシャツにくたびれたジーンズといつもの恰好の青年はにこにこと手を振っている。

「あ…」
「はやく、こっちこっち。」

イルカが何か言う前に、青年はイルカを魚コーナーに引っ張っていった。

「ほら、これなんだけど。」

見ると、丸々と脂ののった秋刀魚に本日の特売・五尾三十両の札がついている。

「旨そうですね。」
「冷凍物じゃなくて生サンマ、初物ですよ初物。」

青年は嬉しそうだ。そういえば、サンマの焼いたのが食べたいと前に言っていた。

「それにしても中途半端な…」
「そ〜なんだよね〜。」

青年が眉を下げる。

「でも、やっぱり食べたいなぁ、なんて思って。」

青年のカゴにはすでに大根が入っていた。特売品ではない、この時期は少々値のはる大根。イルカはぷっと吹き出した。サンマに対するこの気合い、よっぽど好物なのだろう。

可愛いとこあるんだなぁ…

そう思ったら自然と言葉が口をついて出た。

「よかったらオレんちでサンマ定食といきませんか?」
「えっ。」

青年が驚いて目を見開く。イルカが自分の言葉を、少し馴れ馴れしすぎたかな、と後悔しかけたとき、青年がうれしそうにぱぁっと笑った。

「いいの?迷惑じゃない?」
「まさか。迷惑なら誘いませんよ。」

ほっとしてイルカも笑う。

「そうと決まれば急ぎましょう。セール終わっちゃいますよ。」

イルカは青年とサンマを選び、やはり特売の手揚げ風薄揚げを味噌汁用にカゴにいれてレジへ並んだ。

「大根はオレの奢りです。」

青年はイルカに、自分の分のサンマと揚げの代金を渡しながらえへん、と胸をはった。イルカはまた吹き出す。

「じゃあ、うちにあるビールをオレは奢りましょうか。」
「あれ、かえって得しちゃった?オレ。」

二人はまた笑った。

「あ、オレ、イルカっていいます。うみのイルカ。」
「イルカさん、ですか。イルカさん、忍だったんですねぇ。」

忍服を指され、イルカはハタと気がつく。アカデミーが夏休みだったせいで、買い物はいつも私服だったのだ。

「あ、今日は仕事場から直行したんで…オレ、忍者アカデミーの教師なんです。」
「先生なんだ。じゃあ、イルカ先生ですね。いや、うみの先生なのかな。海の、イルカ、確かにイルカって海ですよ、うん。」

青年は変なところに感じ入っている。面白い人だ、と思いつつ、イルカは青年が名乗るのを待った。青年はイルカの視線を感じたらしい。がしがしと銀髪をかき、イルカに向き直る。

「えっとね、オレは…」

それから青年はすこしためらった。名乗るのに何か差し障りがあるのだろうか、イルカが訝しく思っていると、青年は秀麗な面を上げた。

「オレはカカシって言います。」

あぁ、とイルカは得心した。この人も写輪眼のカカシにあやかって名前をつけられたクチなのだ。同じくらいの年齢だから、木の葉の白い牙の息子にあやかって、と親が名づけたに違いない。だが、里一番の忍と同じ名前で、しかも銀髪まで一緒なのだから、色々と不自由があったのだろう。

名乗るのをためらうはずだよな。

同じような『カカシ』を数人知っているから、その話をしてやろうとイルカは思う。気楽に名乗れないというのはやはり辛かろう。イルカはにこやかに言った。

「カカシさん、ですか。いや、オレの知り合いの息子さんもカカシなんですよ。やまのカカシっていうんですけど、えっと…どちらのカカシさん?」
「あ、オレ、山じゃなくてはたけのカカシですよ。」
「畑野さん、っておっしゃるんですか。」

あのはたけカカシと一文字違いなんて…

イルカはますます同情した。

「あ、はたけの、じゃなくてですね…」
「カカシさん、とおよびしていいですか?」

青年が何か言いにくそうにしているのが気の毒で、イルカはにっこりそう言った。感じのいいこの青年を名前のことであまり煩わせたくない。

「オレはイルカ、って呼んでください。」

青年は一瞬、目を見開いてイルカを見つめたが、すぐに嬉しそうな表情を浮かべる。

「よろしく、イルカ先生。」
「嫌だなぁ、先生はよしてくださいよ。」

イルカが焦って両手を振ると、青年は楽しそうに繰り返した。

「イルカ先生、がいいな。なんだかすごくしっくりきます。」

ね、と無邪気に言われて、イルカは苦笑する。

「まぁ、カカシさんがそう呼びたいならいいですけど、なんか恥ずかしいなぁ。」

二人は食材を袋に詰めて、外へ出た。流石にもう日が暮れて薄暗い。ひぐらしの声が夏の終わりを惜しむように響いている。夏休みのはじめにこの青年を見かけたときにはまだミンミンゼミがうるさかった。そして夏休みの終わる頃、自分はこうして青年と一緒に歩いている。今日、はじめて名前を聞いた青年と。なんとなく不思議な気分だ。ぽつぽつと灯りのともりはじめた道を、イルカはどことなくくすぐったい思いで歩いた。
 

木の葉の里で男の子につけたい名前ナンバー1に輝いてます、「カカシ」
『畑野カカシ』さんと仲良くなれそうな予感のイルカせんせ、青春してるなっ。