憧れの人
 


写輪眼のカカシが長期任務を終え帰還する、里はその噂でもちきりだった。

暗部時代も、暗部を抜けてからも、その勇名は国内外に轟いている。カカシはまさに里を代表する忍だった。なかば生きた伝説と化しているカカシを見ることが出来るとあって、受付所周辺は忍達でごったがえしている。その中にうみのイルカの姿もあった。

イルカは二十五歳、アカデミーの教員になっている。前線でいくつも困難な任務を果たし、能力、人物、ともにバランスのとれた忍としての評価を受けたイルカは、二十二歳で教員試験の受験資格を取ることができ、その狭き門を見事突破した。ここまで必死にイルカが教員を目指したのは、十六歳の時、カカシに助けられた体験が大きく影響を与えていた。

死ぬ瞬間まで生きることを諦めるな。

この言葉は、忍としての潔さだの里のために命を投げ出すだのといった、イルカの価値観を根底からひっくり返したのだ。生き残ることによって里の情報が漏れるかもしれない、不利益を与えるかもしれない、それでも自ら死を選んではならないというのだろうか、イルカは任務をこなしながらずっと忍としてのあり方を模索し続けた。そして、いまだ明確な答えは出ていないものの、はじめから自決をよしとする思い込みだけはやってはならないと考えたのだ。ならば、幼い忍の卵達にそのことを伝えたい、それが助けてくれたカカシへの恩返しだ、そしてイルカは教員になった。

教員になる前も、なった後でも、カカシの武勇は聞こえてきた。イルカはそのたびに、感慨に胸震わせ、己もがんばろうと誓いを新たにする日々を送ってきた。
そして今日、カカシを再び目にすることが出来る、憧れの人の姿をもう一度見たい、
イルカはわくわくしながらアカデミーの教室の窓に張り付いていた。

「まだかな、写輪眼のカカシ。」

同じく窓に張り付いていたアカデミーの同僚が言った。梅雨明けの太陽が窓越しに照りつけている。じっとりと浮かんだ汗をぬぐい、その同僚は声にいささか焦りを滲ませている。

「はやく来ねぇと、オレ、授業はじまっちまうよ。」

まったくだ、とまた別な同僚が相槌を打つ。その教室の窓には、今が空き時間の職員たちが全員揃っていた。任務受付所はアカデミーの奥にある。一般の依頼者入り口とは別に忍専用の通路があるのだが、イルカ達がいる教室の窓からその通路の渡り廊下がよく見えた。午後の一時、今も任務を終えた忍の姿がちらほら見える。

「なぁ、でも、写輪眼のカカシってどんなんだ?」

同僚の一人が言った。

「通ってもわかんなかったらしょうがねぇだろ。」
「覆面してるって聞いたけどな。」
「額あてを斜めにかけてるって話も聞いたぞ。」
「イルカは会ったことあんだろ。」

別の同僚に言われ、イルカはへへん、と胸をはる。

「ただ会ったんじゃねぇよ。あの人は命の恩人なんだ。」

なっ、と横にいる二人の友人に言うと、ぶんぶんと友人たちも首を振った。カカシに命を助けられた時、一緒にいた仲間だ。あの任務以来、すっかり意気投合した三人は、それ以降も任務を共にし、イルカが教員になってからも親しくつきあっている。アカデミー職員ではない二人だが、イルカの計らいで教室にいるのだ。

「タニシなんか、怪我の手当てしてもらったんだぜ。」

タニシと呼ばれた友人は、にへへ、と笑った。

「で、どんな顔なんだよ、はたけカカシ。」

イルカともう一人の友人、ゲンゴロウは顔を見合わせた。

「暗部の面をしてた。」
「かっこよかった。」
「それじゃ説明になってねぇだろっ。」

イルカ達が頭をはたかれていると、誰かが小さく叫んだ。

「おい、あれじゃないかっ。」

全員が窓に張り付いた。渡り廊下を一人の背の高い若い忍が歩いてくる。

「あれが写輪眼のカカシ…」

長旅だったのだろう、くたびれた背嚢を背負い、忍服も埃や泥で汚れていた。灰色にくすんだ髪のその忍は、鼻まで口布で覆い、片目を額あてで隠している。噂が本当なら、写輪眼のカカシに間違いない。

「おお、あれが…」
「すげぇ…」

冷静に見ると猫背でひょこひょこ歩いている姿は任務を終えた他の忍達となんら変わりはない。だが、伝説の凄腕忍者なのだというフィルターが全員にかかっていた。

「かっけ〜。」
「顔かくしてるとこがまた凄腕って感じだよな。」
「能ある鷹は爪を隠す、って雰囲気じゃねぇ?」
「うっうぅ…」
「わかる、わかるぞ、イルカぁ。」

感動のあまり、ぼろぼろと涙を零すイルカの肩を戦友が叩く。

「今のオレ達があるのはあの人のおかげだ。」
「そうだよ、イルカ、そうなんだよっ。」

イルカと二人の友人は感涙に咽んだ。だが、そのせいでせっかくのはたけカカシがぼやけて見えなかった、ということまでには気が回らない。そうこうするうちに、写輪眼のカカシは廊下を曲がって行ってしまった。

「うわ〜、俺ら、見ちまったんだなぁ。」
「感動した、オレ。」
「なんか、しばらく里にいるって話だぜ。」
「オレ、受付任務に志願しよっかなぁ、そしたら、写輪眼のカカシの報告書、処理できるかも。」
「今日の受付当番、うらやまし〜。」
「うっうっうっ。」
「泣くなよ、イルカァ。」

口々にそういいながら、職員たちは教室を出ていく。イルカも友人二人に肩を抱かれて外へ出た。

「そういや、知ってっか?教頭んちに孫生まれたんだけどさ、男の子、カカシって名前にしたんだと。」

今度は噂話に花がさきはじめる。

「名前負けすんじゃねーの、アレだろ、写輪眼にあやかって、ってやつ。」
「最近、多いよな。男の子にカカシって名前、つける親。」
「オレの向かいんちのガキなんて、『やまのカカシ』ってんだぜぇ、だせぇよなぁ。」
「いや、オレ、もし子供できたら、絶対カカシって名前にする。うみのカカシだ。」

ずずっと鼻をすすりながら、イルカがきっぱり言った。

「…まぁ、好き好きだけどよ。」
「嫁さん探しが先だろ、イルカはさ。」
「うるせぇ、オレは今、感動に浸ってんだ。邪魔すんな。」

友人や同僚たちと軽口を叩きながらも、イルカは感慨を新たにしていた。

写輪眼のカカシも激務をこなしてがんばっているんだ、初心をオレは忘れていた。

去年から受付任務とアカデミーの両方を担当させられ、ついでとばかりに火影の雑用係のようなことまでやるはめになっていたイルカはいささかふてくされ気味だったのだが、写輪眼のカカシの姿を見て己を深く反省した。

よし、オレだってがんばるぞ。

今にして思えば、よくぞ受付任務にまわしてくれた、と火影に感謝するばかりだ。

火影様に頼んで写輪眼のカカシが報告書持ってくるような時間帯にシフトいれてもらおうっかな〜、などとちゃっかり考えつつ、イルカは職員室に戻っていった。
 

気楽で案外ミーハーです、イルカ先生とその仲間達…