結局、クラピカはレオリオの部屋の近くに宿をとった。
我ながら未練がましいと思ったが、この際、徹底的に失恋しようと決めたのだ。

まさか、またこれを使うことになろうとはな…

クラピカはベッドを眺めた。そこには、長い髪のウィッグと黒の上下のパンツスーツ、大きな丸いサングラスに帽子が広げてあった。

前回は旅団と闘うために使った。そして今回は…

情けなくて情けなくて、クラピカは自分自身に目眩がした。ゴンやキルアには、いや、誰であろうと死んでも知られたくない自分の姿だ。だが、もうここまできたからには後には引けない。

レオリオの相手が本当にポンズなのか、確かめてやる。

クラピカは己自身にこんな執拗な一面があるのを意外に思った。

嫌なやつだな、私は…

クラピカは変装一式をコーヒーテーブルにおくと、ベッドに横になった。今夜は外へでたくなかった。レオリオと鉢合わせするのが恐かったのかもしれない。

もし、レオリオがポンズと一緒だったら…

知りたいと思う心と、顔をあわせる恐怖。どうせあさってにはレオリオが好きな女性を紹介してくるのだ。こっそり確かめなくてもいずれは会うことになる。だが、見苦しい姿だけはさらしたくない。一応明日確かめて心の準備をして、あさっては笑って別れるんだ。今までありがとう、そうレオリオに言って…

することもなく寝転がっていると、つまらないことばかり頭に浮かんでくる。

本当は実習ではなくて、ポンズとの約束があったんじゃないか?あの電話はポンズから?あの絵に描いたような新婚さん食器セットもポンズの趣味で、だから私には触らせたくなかったのか?

そういえば、いつかバショウが言っていた。男ってな妙なこだわりがあるんだ、とかなんとか。
本当に好きな相手にしか与えない場所があって、それは人それぞれで。バショウの場合はバイクだと言っていたな。バイクの後ろには惚れた相手しか乗せないのだと豪語していた。そのくせ、仕事で移動するときには私を乗せてくれたな、変な男だ、あいつも…


開け放した窓から、オレンジの花が香ってきた。甘い香り、ポンズの顔が浮かんだ。

ほんとはポンズと会っていたのか?ずっと…知らなかったのは私だけか…?

がばっとクラピカは起き上がった。

やめよう、不毛だ。

食欲がなかったので、フロントにジュースを頼んだ。メニューをみながら、目についた名前を言う。

クランベリージュースを。

真っ赤な透き通った飲み物が運ばれてきた。甘酸っぱい味、クラピカは昼間の男の子を思い出して微笑んだ。

真っ赤は元気の色、そうだったな、坊や。

カラカラとストローで氷をかき回し、コーヒーテーブルに頬づえついて、クラピカは海風の入ってくる窓をいつまでもながめていた。



☆☆☆☆☆☆



黒の上下に長い髪のウィッグをつけ、帽子を目深にかぶってクラピカは建物の影に身を潜めていた。サングラスはポケットにしまってある。たしかに、この界隈でサングラスまでするとちょっと怪しい。今のところ、人の出入りはなかった。

嫌な夢をみた…

長い夜だった。眠れぬまま横になっていたクラピカは、それでも明け方とろとろとした。レオリオがいた。他の誰かを見つめている。白い手がレオリオにからんだ。揺れる栗色の髪、サーモンピンクのブラウス、オレンジの花の香りで息が詰まる。レオリオが女に微笑んだ。

そんな顔をするな、レオリオッ

悲鳴のような自分の声でクラピカは目覚めた。シーツが汗で湿っていた。

クラピカは頭を振った。

どうせ別れるんだ。相手が誰だっていいじゃないか。夢のことなんか忘れよう。
ならば何故レオリオの後をつけようとする。
気持ちよく別れるの為の情報収集だ…

クラピカはそれがていのいい言い訳だと自覚していた。要するに、まだ未練たらたらなのだ。


鼻歌まじりに淡いラベンダー色のシャツを着たレオリオが出てきた。さすがにこの季節、上着こそきていないが、それでもしっかりネクタイをしめている。

人の気も知らないで…

レオリオの呑気な顔をみるとムカっ腹が立ってきた。が、ここは気をおさめ、絶を使って後を追う。

ポケットに手をつっこみ、のんびりとレオリオは歩いていく。坂の途中のバールにはいった。
カウンターにもたれ、だされたコーヒー、レオリオいうところの喉が灼けるようなエスプレッソ、を飲みながら、店の女の子に話しかけている。なにか冗談でも言ったのだろう、若いウェトレスは豊かな胸を揺すって笑った。

まったく、鼻のした伸ばして、見てられんな。

またムカムカ腹が立ってきた。

携帯が鳴ったのだろう。店を出たレオリオはポケットから出して歩きながらしゃべっている。そして、急に嬉しそうな顔をすると、携帯を切って角の花屋に入った。クラピカがオレンジの花を買った店だ。花屋の娘とまたへらへらしゃべっている。年の頃は十六、七だろうか、まだ幼い顔だちをしているが 体は立派に成熟していた。娘がなにやら愛想を言ったのか、レオリオはにやけきっている。しばらくして、赤いバラの花束を抱えレオリオは店を出た。クラピカの胸がぎりっと痛んだ。

もしかして、これからポンズに会いに行くのか。

足が震えた。

レオリオは浮き浮きした様子で坂を登る。坂の終わりの広場につくと、カフェのひとつにレオリオは急いだ。表に出ているテーブルで本を読んでいる女性をみつけ、手をあげて近付いた。
栗色の巻き毛の女が顔をあげる。サーモンピンクのブラウス。ポンズだった。
クラピカはその場に凍り付いた。予想はしていたが、相手がポンズだとわかって、改めて自分が手酷いショックをうけているのに気づいた。ポンズはなにやらむくれてレオリオに文句をいっている。その仕種が愛らしい。レオリオはバラの花束を差し出した。ポンズが嬉しそうに微笑む。
クラピカは辛くて座り込みそうになった。足下が崩れそうな感覚に耐えていると、誰かにぽんと肩を叩かれた。ぎょっとしてふりむく。若い男がニコニコ笑ってたっていた。はっと警戒するクラピカに男は言った。

「ねぇ、君、かわいいなぁ。そこのカフェでコーヒーでもどう?」

次の瞬間、どごっと男は殴り倒されていた。クラピカは足下で目をまわす男を憤怒の形相で睨みおろす。それからはっと我にかえり、慌ててレオリオの姿をさがすと、もう広場を横切っていくところだった。ポンズは相変わらずカフェでくつろいでいる。

「…?いやにあっさりしているな…」

クラピカは拍子抜けした。あのレオリオのことだ。はた目でみても恥ずかしいような恋愛模様が繰り広げられると思っていたのに。不審に思いながらクラピカはレオリオの後を追った。

それにしても情けない…

クラピカは自己嫌悪で一杯だった。肩をたたかれるまで人の気配に気付かないとは。しかも相手は素人だ。ハンター失格もいいところである。

それもこれもお前のせいだぞ、ばかやろう。

クラピカは心の中で悪態をついた。レオリオはグラマー美人とすれちがう度、ちらちら目でそれを追い、 鼻歌まじりに歩いていく。それにしても、知り合いの多いこと。あっちで手をあげ、こっちで挨拶し、特に相手が女だと立ち話が長くなる。サンドイッチバーでは通りすがりの若い女性客にちょっかいかけていた。クラピカは頭を抱えたくなった。

あれが好きな人に花束贈ったあとにすることか。不誠実にもほどがある。私にも真っ赤なバラを贈ったくせに。そんなセンスだから、歯磨きのコップだって、青と赤などとお定まりのものを選んだりするんだ。なんだ、歯ブラシまで新しくすることないではないか。使えなくなるまで今のものを使え。もったいない。

なかば八つ当たり気味のクラピカを悩ますことがもうひとつあった。

さりげなく尾行しているつもりなのに、ナンパ男の多いことといったら。ただ道を歩くだけで声をかけてくる。断られてすぐ引くのはましなほうだ。あんまりしつこい手合いには、路地の奥で眠ってもらった。今さらながら、クラピカは長い髪のウィッグを後悔した。南の男はどうしてこう軽いんだ。ナンパ男に辟易しながら後をつけていると、レオリオは大学の構内に入ってしまった。



☆☆☆☆☆☆



結局、レオリオが大学から出てきたのは暗くなってからで、閉まる直前の市場であれこれ食料品を買うとそのまま部屋へ戻っていった。

クラピカは少々拍子抜けした。肝心なことは何もわからなかった。ただ、グラマー美人とあれば鼻の下をのばすレオリオに目眩がしただけだ。

道路からクラピカはレオリオの部屋をみあげた。灯りがともる。窓に影がうつった。背の高い影。台に乗ってカーテンをつっている。

食事くらいしてから働けばいいものを、相変わらずマメな男だ。

クラピカの口元に微笑がうかんだ。

そんなに慌ててカーテンを吊るな、レオリオ。お前の姿が隠れてしまうじゃないか。お前の広い肩が、長い腕が、見えなくなってしまう。

「レオリオ…」

クラピカは小さく名を呼んだ。

いきなり、窓が開いた。レオリオが顔を突き出す。慌ててクラピカは暗がりに身を潜めた。レオリオはしばらく外を眺めまわしていたが、がしがしと頭をかいて首をかしげると中に入った。窓が閉まる。クラピカはその音を悲しく聞いた。つりおわったカーテンの隙間から、暖かい光がもれている。

明日からは他の誰かの為の暖かい灯り。あの部屋はもうクラピカの帰るところではない。

帰るところ…

クラピカの頬を一筋、涙がつたった。

ああ、そうだ、私はいつもレオリオのところに帰っていたのだ。だのに、それを認めようとしなかった。いつも、虚勢をはって訪問者を気取っていた。

罰があたったのだな。

また涙がつたう。

甘えていた。傲慢だった。だから、帰るところを失った。

あとからあとから、涙が溢れる。

失ってはじめてわかった。レオリオ、お前をどんなに愛していたか。

ゆらゆらとカーテンにレオリオの影がうつっては消える。

明日はお前に負担をかけないよう、笑ってここを去ろう。私にできる、せめてもの恩返しだ。だから、だから…

クラピカは小さく嗚咽をもらした。

だから、もうしばらく、ここで眺めていてもいいだろう?お前の部屋を。明日が終わったら、二度とお前の前に現われないから…

夜風が甘くオレンジの花の香りを運んでくる。クラピカはただ、部屋の灯りを見つめる。 ひっそりとクラピカは心の底の願いを呟いた。

私を愛してくれ…レオリオ…

願いは花の香りにとともに虚しく中空に消えていった。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

また泣いてます、ポロポロ泣いてますクラピカさん。嗚咽がもれる程涙を流すクラピカさん、

『私を愛してくれ、レオリオ』ぶびーーっ(鼻かんだ)
『そこにいるのは誰だっ』バターン(窓が開く)
『よく私の気配がわかったな、伊達にお前もハンターではないということか。』(ふっと皮肉な笑みをうかべるクラピカさん)
『…いや、あんだけハナかむ音すりゃな…』


だから、やめろってばオレ達…