歴史資料館は駅からそう遠くない場所にあった。町おこしの目玉なのか、バス停周辺の歩道は整備され、グレイの敷石が続く先には『歴史記念公園』と彫られた黒灰色の御影石がある。
「この先が資料館だ。」
芝生と季節の花々が植えられた花壇の先に、白い塗り壁に瓦屋根の小さな建物があった。「入館無料」と書かれた木の板がかかっている。入り口をくぐると、中は薄暗くしんとしていた。受付テーブルの後に中年の女性職員が眠そうな顔で座っている他は誰もいなかった。
「この辺りは江戸時代の生活用品や農耕具が置いてあるんだ。」
ペラペラのパンフレットを不二に渡しながら手塚が言った。楽しそうに説明する手塚に不二は苦笑を漏らす。
「君が歴史好きだったなんて、知らなかったよ。」
「祖母が結構ここを気に入っていて、よく連れてきてもらった。そのせいかもしれんが、なんとなくここへ足が向くんだ。」
照れくさそうに手塚がメガネを押し上げた。その仕草を不二はぼんやりとした気分で眺める。
国光はこんな仕草はしなかった。メガネをかけていないから当然なのだが、改めて手塚は手塚なのだと不二は感じた。
農機具のコーナーを過ぎ、ガラスケースの中の瀬戸物だの掛け軸だのの前を漫然と通り過ぎる。手塚はこの資料館のものには精通しているらしく、あれこれ説明した。不二はその声をどこか遠くに聞いていた。国光と同じだが、同じではない声は意味をなさずにただ耳を通り過ぎていく。ガラスケースの中身に目をやりながら、不二の瞳は何も見てはいなかった。心は榎本の館へ、国光のいた場所へ飛んでいる。機械的に足を進め、資料館の一番奥の部屋にはいった時、手塚がいきなり不二の腕を引いた。
「え、何?」
「こっちだ。」
手塚はどこか嬉しそうだ。我に帰った不二は引っ張られるまま部屋の正面奥のガラスケースの前へ連れて行かれた。
「結局、これを見にここへ来ているようなものかな。」
促されるまま目をやった不二は、そのまま愕然と立ち竦んだ。息を詰めたまま、ガラスケースの中を食い入るように見つめる。
これ…
不二の周囲から音が、景色が消えた。一瞬、館の喧噪が耳に響く。ざぁっと海風の吹きすぎる音が聞こえた。
そこにあったのは、館で使っていた不二の塗り椀だった。
白い布の上に固定された黒塗りの吸い物椀は、艶がなくなり煤けていた。所々欠けてもいる。が、テニスボールのような模様の螺鈿細工はまだ光を失っていなかった。国光の声がする。
『不二の一番好きな物を選べ。』
黒い瞳が真っ直ぐに不二を見ている。
『不二がよいと思ったのだろう?ならばおれもそれがよい』
それ、テニスボールみたいって思ったんだ…
「あ…」
伸ばした手が冷たいガラスに遮られ、不二は我に帰った。鎌倉時代前期と書かれたプラスチックのプレートが照明をはじき、不二は目を眇める。
何故これが…
両手をガラスについたまま、不二はひたすら椀を見つめる。ケースの中は無機質な光で白々としていた。
立ち止まって展示物に見入る不二を後から眺めていた手塚は、この時代に興味を持ったと思ったのだろう、あれこれ出土品の説明を始めた。
「ここは鎌倉時代前期の館跡発掘で出土したものが展示してある。この塗り椀はかなり高価なものらしい。神事に使われてたもので、実際の生活用品ではなかったそうだ。」
日用品は隣にあるもっと素朴なもので、と手塚は熱心に説明を続ける。だが、手塚の声はただの音となって不二の上を通り過ぎていくばかりだ。心が麻痺したように不二はただ立ちつくす。その時、不二の耳に、ふと、言葉が飛び込んできた。
「面白い模様だろう?テニスボールのようだと思わないか。」
「えっ。」
思わず手塚へ振り向いた。手塚は目を細めて塗り椀を眺めている。
「子供の頃、はじめてこれを見たとき、テニスボールだと思った。そのせいか、なんとなくこの椀を気に入っている。」
視線を感じたのか、不二を見て照れくさそうな表情になり、それからまたガラスケースの中を指さした。
「あと、あの青磁のかけら、いい色だろう?」
示された物を見て、不二は今度こそ動けなくなった。青磁のかけら、それは国光が不二にくれた、母の形見だという青磁の陶片だった。見間違えようもない色と形、八百年たった今でもその色合いは褪せていなかった。
「ここの展示物の中でオレは一番好きだ。ただのかけらなんだがな。」
何のかけらなのかはわからないそうだ、とか、中国からの渡来物だ、とか手塚が説明している。だが、不二の耳にはもう入らない。
国光…
あれは不二の宝物だ。国光が不二にくれたのだ。
あの時、そうだ、あの時は半分だけ現代に帰った僕が泣いて、母さんを呼んで泣いて…
次々と蘇る光景。不二は凍り付いたようにガラスケースの中を見つめる。
国光が僕を抱きしめてキスしてくれた。その夜、国光があの陶片をくれた。お母さんの思い出を話してくれたんだ。
板戸を開け放した廊下で、月が出ていた。抱きしめてくれた国光の腕の感触を不二はまだ覚えている。
あれは僕のものだ。
気が違いそうだ。ガラスケースを叩き割って、あれは僕の物だと叫びそうになる。
返せ、それは僕が国光から貰ったんだ、僕の物だ…
「オレがこの茶碗を割った。」
国光の声がした。不二はぎくりとする。国光ではない、手塚だ。
「子供の頃、茶碗を割った。」
何だ、何の話だ。手塚は何を言っている?
「いや、これにはただの陶片としか書いてないから、茶碗のかけらなのかどうかははっきりしないんだが、夢の中のオレは茶碗を割って、それがこのかけらなんだ。」
話しているのは誰だ、手塚なのか?
「それからオレはこのかけらをお前にやったんだ。」
変な夢だった、と背中の男が言う。不二は振り向くことができない。国光の声で、国光の話を何故手塚がする。
「子供の頃から通っていたから、そんな夢を見たんだろうな。お前は青学のジャージを着ていたり時代劇のような格好をしていたりで、オレはオレでやはり武士のような格好をしていた。他にも色々たくさんいたような気がする。」
不二は小刻みに震え始めた。何だ、いったい誰なんだ、ここにいるのは誰だ…
「…手塚…?」
「ん?なんだ。」
喉の奥がカラカラだ。声が緊張で掠れる。
「茶碗…割ったの…?」
「いや、だから夢だと言ってるだろう。ここの展示物は鎌倉時代前期のものだぞ。実際にオレが割れるわけがない。」
それから手塚は、夢の話は終わりとばかりに中国との貿易の話だの渡来物の話だのを始める。ぐらぐらと目眩がしそうになるのを不二は堪え、もう一度手塚、と呼んだ。
「なんだ。」
すぐに返事がある。ここにいるのは手塚国光だ。
「手塚…その夢の話…」
「あぁ、つまらんことだ。気にするな。」
手塚は背後で気まずそうに言葉を濁す。不二はそれでも畳みかけるように聞いた。
「夢で僕にあのかけら、くれたの…?」
「まぁな…」
がくり、と不二の膝から力が抜けた。慌てて手塚が抱きとめる。
「ふっ不二っ。」
不二が顔を上げると、黒い瞳にぶつかった。心配そうに不二を見つめている。
「不二、顔が青い。外へ出よう。」
「手塚…」
これは手塚だ。他の誰でもない手塚国光だ。だけど、いったい今、この男は何を言った。
よろけそうになるのを手塚に支えられ外へ出る。五月の陽光がまぶしく目を射た。花壇の側のベンチに腰掛ける。
「待ってろ、なにか飲み物を…」
立ち上がろうとする手塚の腕に思わず不二は縋った。手塚が驚いた顔をして不二を見つめる。
「あ…ごめ…」
ハッと手を離した不二の隣に手塚はまた腰を下ろした。不二はうつむき、拳を握りしめた。
そんなはずはない。
グラグラと目の前が揺れる。
国光は死んだんだ。僕の目の前で。
ふっと、黒灰色の空の下を吹き抜けた風の匂いがした。蒸し暑く湿った風、不二は体を震わせた。鎧の朱、鈍い銀色、黒い瞳、国光の朱、国光の…
振り払うように不二は頭を振った。目の前には青々とした芝生が広がり、ピンクのペチュニアや白いマーガレットが咲き誇っている。降り注ぐ五月の陽光は明るい。だが、不二の五感は麻痺したように何の刺激もとらえていなかった。血が下がって指先が冷たい。それなのにこめかみはひどく脈打っている。心臓の音がやけに耳障りだ。不二はカタカタと震える体を自分の両腕で押さえつける。その時、手塚の心配そうな声が降ってきた。
「真っ青だぞ。少し横になれ。」
ガンガンと動悸がうるさい。手塚は何を言っているんだろう。言葉の意味をとらえられない。音だけが耳に響く。国光の声と同じ音、不二は首を振った。
「そこの受付でタクシーを呼んでもらう。座っていろ。」
再び立ち上がろうとした手塚の腕を咄嗟に不二は掴んでいた。顔を上げられない。心臓は激しく打っているのに体の芯は冷え冷えと凍り付くようだ。グラグラと崩れそうになる世界の中で、手塚の夢の話を聞きたい、その思いだけがはっきりと意味をなした。それ以外、頭に浮かばない。
「その…夢の話…聞かせて…」
絞り出すように不二は言った。ガチガチに強ばった指が手塚の腕を強く握る。手塚の戸惑う気配がした。
「不二?」
困惑する手塚にただ不二は俯いたままその腕を掴むばかりだ。
「どうしたんだ、不二。」
「聞きたい…手塚…」
声が掠れる。早く聞かせて。何かが壊れてしまいそうだ。手塚の腕を強く握った手は傍目にもわかるほど震えている。しばらくの間、手塚は途方に暮れたように不二を見ていた。だが、不二の様子があまりに尋常でないと思ったのだろう。手塚はぽつぽつと話し始めた。
「たくさん人がいたな。そのくらいしか覚えていない。」
うーん、と唸る。
「全部曖昧だから、話すことはほとんどないんだが…」
手塚は難しい顔で空を睨んだ。
「不二だけが青学のジャージというのが変だろう?」
空を睨んでいた国光が、ふと表情を緩めた。
「オレや周りが時代劇のような格好といっても、着物じゃないんだ。この資料館の影響だろう、鎌倉時代の武士の服装とか展示してあるから。」
手塚は肩をすくめた。
「直垂、とかいうやつか、あれだ。」
雷に撃たれたような衝撃が不二を貫いた。思わず顔を上げる。愕然と不二は隣に座る男の横顔を見つめた。
ここにいるのは誰…
耳鳴りがひどい。足下が揺れる。
「はっきり覚えているのは、そうだな、オレが子供の頃、青磁の茶碗を割ったことと…」
誰なんだ…
息ができない。ぐるぐると世界が回る。はっきり見えるのは目の前の男だけ。
「割った茶碗のかけらをお前にやったことくらいだから…」
君は誰なの…
「すまん、本当に覚えてないんだ。」
手塚は困ったように笑った。不二は呆然と目を見開いたまま瞬きもしない。
「どうした?不二。」
神様…
手塚が首を傾げる。不二はひたすら手塚を凝視した。
「どうかしたか?」
「は…八百年…」
ぽろりと震える声が漏れた。手塚が目を瞬かせる。
「八百年たとうと、千年過ぎようと…」
不二は言葉を続けられなかった。息が詰まる。手塚を見つめることしかできない。手塚はじっと不二の目を見つめ返した。黒い瞳にふと、何かが浮かぶ。呟くように手塚が口を開いた。
「おれの魂はおぬしを求め、そして見つけだす…」
…あぁ…神様…
不二と国光しか知らない言葉。
「これからどんなに時を経ようと…」
二人だけの睦言。
「…おぬしはおれのものだ。」
海風が吹いた。館を吹きすぎる風だ。
国光
不二は目を閉じてその風を受けた。潮騒が聞こえる。馬のしわぶき、武具の音、館の人々の声、そして自分を呼ぶ声。
見つけた、国光…
とうの手塚は、自分が呟いた言葉に驚き目を見開いている。
「…何…」
手塚は口を押さえて黙り込んだ。不二は目をあけてどこか呆然としている男を見る。胸に熱いものがせり上がってきた。
また君に会えた。
目の前がぼやけた。手塚の、国光の顔がぼやけてくる。
「ふっ不二っ。」
我に帰った手塚が顔を覗き込んできた。
「不二っ。」
ひどく慌てている。
「どうしたんだっ。」
どうしたって、あぁ、僕、泣いているんだ。
「不二、どこか痛いのか、大丈夫か、不二。」
ぽろぽろと涙をこぼす不二に手塚は狼狽えた。
「おっおい、不二、本当にどうしたんだ。」
名前を呼びながら不二の頬の涙を指で一生懸命拭う。
あぁ、相変わらず…
涙を拭ってくれる手が温かい。
八百年たっても相変わらず心配性だよ、君は。
「国光…」
不二はもう堪えきれなかった。堰を切ったように涙が溢れ出す。
「国光、国光…」
不二は手塚にしがみついた。
「ふふ不二?」
「くにみつっ…」
不二は激しく嗚咽を漏らした。
「…不二…」
手塚がそっと腕を回してくる。泣きじゃくる不二の背を優しく撫でた。
中学校の入学式、桜並木の下に立つ手塚に、何故あんなにも惹かれたのか今ならわかる。ちらちらと舞い散る桜の花びらの中で濃緑色の直垂が黒い学生服に姿を変えた。本当はあの時、互いを見つけていたのだ。
君はとっくに僕を見つけていたんでしょう?国光。
そして僕は生まれる前から君に恋していた…
頬に当たる感触は固い直垂から柔らかい綿シャツに変わったが、背を撫でる手の温もりは変わらない。不二は手塚の胸にしがみついたまま、声を上げて泣いた。今度こそ離れない。ずっと一緒にいる、一緒に生きる。
「国光の…側にいる…いるから…ずっと…」
途切れ途切れに不二は言った。
「見…見つけてくれて…ありがと…くにみつ…」
後は声にならず、ただ泣いた。
一方、不二の切れ切れの言葉を聞いた手塚は、耳まで真っ赤になって固まっていた。だが、不二の背を抱いた手には力が込められる。海から吹いてくる五月の風が優しく二人を撫でていった。
ようやく泣きやんだ不二は、今までと打って変わって明るい表情だった。大泣きして目元が赤くなっていたが、本人は全く気にしていない。にこにこと身を寄せてくるので、手塚はあたふたと焦っていた。
「さっき泣いたカラスがもう笑ったか。」
気恥ずかしさを誤魔化すようにそう言って、手塚は自販機で買ってきたお茶をベンチの不二に渡す。
「ありがと、手塚。」
お茶の缶を受け取りながら不二は感慨深げに呟いた。
「君が自販機使えるようになるなんてねぇ。」
「…は?」
ぽかんとする手塚に、不二はにこにこする。
「何でもないよ、国光。」
ぼん、とまた手塚が赤くなった。国光と呼ばれるのが恥ずかしいらしい。
「ええっと…だな、不二、お前、オレの名前を…」
「ん?何?国光。」
上目遣いに見上げて名前を呼べば、手塚は何も言えなくなる。赤い顔のまま慌てて目をそらす手塚の横顔を見つめながら、不二は心の中で小さく言った。
いつか話してあげるよ、八百年前の僕達のこと…
まだお互いの気持ちを告げてもいない。だが、今はそれでもよかった。一緒にいられるだけで今はいい。これからゆっくり気持ちを通わせあおう。
でも、もう君はとっくに僕のこと、好きだよね。
くす、と不二は笑みを零した。心地よい海風が不二の髪をサラサラと散らす。榎本の館に吹いていた風を思い出し、不二は遙か彼方を見つめた。公園から緩い下り坂になった先には、初夏の海が広がっている。沖の方では波が白く光をはじいていた。
「ええっと…だな、不二…」
「ここ、気持ちいいね。」
もぞもぞと居心地悪げに話しかけようとした手塚に不二は微笑みかけた。
「あっあぁ、そうだな。」
手塚はまた慌てて顔を海の方へ向ける。くすっと不二は笑みを漏らした。
「波も静かで、いい眺め。」
「この時期は凪いでいる日が多いんだ。」
地元だ、と言わんばかりに手塚が答えた。
「だが、この辺りの海は秋がいいぞ。」
不二は目を見開いた。手塚は海風にふかれ、気持ちよさそうに言う。
「秋の海は格別の風情がある。おれは秋の海が好きだ。」
この男は…
不二は泣きたいような、笑いたいような気分で胸が一杯になった。手塚は、榎本国光だったことを忘れているくせ、あの頃と同じことを言う。桜若葉の丘で交わした言葉を今、手塚は再び口にする。不二は頷いた。
「うん…知ってるよ…」
「話したことがあったか?」
きょとん、と手塚が不二を見る。不二は目を伏せ、胸に迫るものを堪えた。
「うん、そう…」
しっかりと目を上げ手塚に答える。
「ずっと、ずっと昔に…ね。」
不二はにっこり笑った。手塚は釈然としない顔つきだ。記憶をたどるように首を捻っている。
「ね、手塚。」
不二はふと思いついて辺りを見回した。
「どうした。」
「この辺りって、すっかり変わっちゃって昔の面影ないけど。」
手塚はまたぽかんとした。
「…昔?」
「そう、昔。」
「…そっそうか?まぁ、確かにこの辺りの公園や道路はここ十年でずいぶん整備されたな。」
わけがわからん、といった表情の手塚は、それでも律儀に己を納得させている。
「うん、それでね。」
不二はにこにこと笑った。
「古い桜の木とかない?近くの丘みたいなところに山桜の並木があったはずなんだ。」
ますますぽかん、とした顔になりながら、それでも手塚は公園の向こうを指さした。
「あっちに遊歩道と展望所がある。山桜の名所だ。なんでも一番古い木は鎌倉時代からのものだと説明書きにあったな。」
「そこへ行きたい。」
不二はベンチからすっと立ち上がった。
「行こう、国光。」
ごく自然に不二は手塚の名前を呼ぶ。しばらく呆気にとられていた手塚はふっと苦笑を漏らした。
「そうだな。」
手塚もベンチから立ち上がる。
「花の季節ではないが、行ってみるか。」
若葉緑の中、初夏の陽光を受けて、黒髪の青年は不二に向かって手を差し出した。
「不二。」
直垂姿の若武者の姿がそこに重なった。
不二は悟った。あの不思議な一ヶ月は、今、この時のために存在したのかもしれない。臆病ではじめから恋を諦めていた自分に、何を捨てても失えないものがあると知らしめた。己の存在をかけて人を愛することを知った。もう揺るがない。伸ばされた手を不二は取った。
ねぇ、手塚。
心の中で不二は語りかける。
君に話したいことがたくさんあるよ。
どんなに君が立派な当主だったか、君の一族のこと、忠興のこと、秀次のこと。
不二は思う。八百年の時を経て国光に出会うことができたのだ。もしかしたら、忠興や秀次、国忠や祐則達も側にいるのかもしれない。姿形は変わっても、きっとそうだ。あの大切な人達もきっと不二の側にいる。
「どうした、不二。」
並んで歩きながら手塚が顔を覗き込む。不二が首をかしげると、手塚が優しい笑みを浮かべた。
「さっきから笑っている。」
ふふ、と不二は手塚に微笑み返す。手塚が繋いだ手にきゅっと力を込めた。
「不二は笑っている方がいいぞ。」
不二もしっかりと手塚の手を握る。
「うん、君はいつもそう言ってたね。」
目をぱちくりさせる手塚に、不二はまた笑いかけ、それからまっすぐ丘へ続く道を見上げた。青空に桜若葉が眩しい。手を繋いで二人は歩く。
薫風がざぁっと若葉を揺らした。まるで八百年の時を吹き抜けてきたように。
最後の葉っぱを揺らした風は、またいずこともなく吹きすぎていった。
後日、不二は形見と思い定めた携帯の電源を入れてみた。だがファイルの中に、榎本の館で取った画像は存在していなかった。録音されていたはずの国光の声も消えている。
これでいいんだ。
不思議と納得できた。
国光を見つけられたんだ。だからこれでいい。
不二は再び携帯の電源を落とす。やはりこれは形見だ。もう使うことはない。階下で裕太の声がする。
アニキ、手塚さんだぞーっ。あ、手塚さん、入っててください。すぐアニキ、呼んでくるんで。
今日は手塚と一緒に新しい携帯を買いに行く。手塚の携帯も壊れたというから、またお揃いにするのだ。不二は大事に、その古い携帯を引き出しに仕舞った。弟がドアをノックする。
「アニキ、手塚さん、待ってるぜ。」
「今行くよ。」
不二はパタパタと階段を下りた。玄関に手塚が立っている。不二はにこっと手塚に笑った。
「お待たせ。行こう、国光。」
「あぁ。」
現代での二人の恋ははじまったばかりだ。
どんなに時がたとうと、僕達はきっと繰り返し恋をする。姿形が変わっても、きっと互いを見つけだす。
『これからどんなに時を経ようと、おぬしはおれのものだ。おれもおぬしだけのものだ…』
人は人と思いをつなげ、広がっていく。愛おしい人達、大切な仲間達、八百年、千年、どれだけ時が過ぎてゆこうと、人の営みが続く限り、思いもまたつながっていくだろう。
慈しみ合う人の想いが永遠の真実となった、これは一つの物語。
☆☆☆☆☆☆☆
おっ終わりました。長かった…連載始めたときはこんなに長くなるとは思わんかった〜〜っ。よくぞ終わらせたぞ(自分で言うなっ。)
ってことで、榎本国光は手塚君だったんですね〜、途中、塚不二じゃねぇ、とご心配おかけしました〜。しかも殺しまくったし…秀次や忠興も誰かに生まれ変わっていることでしょうっ。国忠さんは手塚のおじいさんの国一さんのつもりで書いてました。
本当は、国光視点の話をいれる予定だったのですが、あんまり長くなるのでやめました。こう、初めて祠でぽかんと立っている不二君を見つけたときの国光の話、とかね。気を失った不二君を抱き上げたとき、花の香りがする、とヤツは思ったんですね、ほら、シャンプー使ってるから、現代の子は。一目惚れしたんです、その時。
それとか、不二君に悪さした夜、その前、三浦で何があったか、とかね。プレッシャーかけられてたのよ、色々と。
まぁ、機会があったら書くってことで。
この後の、手塚君と不二君のお話はぼちぼちアップしていきます。なんたって記憶のない国光としっかり色々覚えている不二ですから。初夜はもめることでしょう…何度も経験有りの不二君と、現世でははじめての国光だからねぇ。八百年前にまさか自分が不二のはじめてを頂いたのだってこと、手塚はわすれてますからねぇ。ってことで、もすこしサイドストーリーが続きます。ぼちぼち更新ってことで。や、ちょっと忙しいし…
こんな長いお話なのに、最後までお付き合いくださって本当にありがとうございました。
この二人が二十歳すぎたら「バー桜」の二人になってたりして…わぁぁっ、言いませんっ、そんなこと、言いませんからっ、ぎゃあああ(踏みつけ)