薄暗い部屋の中で不二はぼんやりと思いに沈んでいた。不二の部屋のほとんどに板戸がたてられている。部屋から出るなと言い捨てた国光は、すぐに郎党に命じて不二の部屋を閉め切らせた。駆けつけた秀次と忠興のとりなしで、なんとか数箇所、戸が開けられたが、薄暗いことに変わりはない。

人払いをされ、不二は一人きりだった。円座に座り、戸の開けられた場所から空を眺めている。よく晴れわたった青い空だ。板戸に切り取られた眺めは、くっきりと鮮やかだった。時折吹き込んできて頬をなでる海風は暖かい。

ここへ来た時は、まだ風、冷たかったっけ。

不二はふと、さっきの騒ぎを思い返した。いきなり不二を閉じ込めようとする国光に、忠興と秀次が激しく抗議したのだ。

「御渡り様がおかわいそうじゃ。馬の稽古を庭でするくらいよいではないか。」
「戸を閉め切るなど、それがしには承服いたしかねまする。」

必死で二人は国光をいさめようとした。だが、国光は何も言わない。業を煮やした忠興が声を荒げた。

「帰られてからの殿はおかしいぞ。雅兼殿の文はただの戯れであろうに、それとも他に考えあっての所業でござるか。」
「口出し無用。」

ビシリ、と国光の怒気が空気を震わせた。

「叔父貴といえど、これ以上は許さぬ。それぞれの本分を尽くされよ。」

当主の一喝に二人とも引き下がらざるをえなかった。人払いを告げる国光に、忠興と秀次は渋々「承知」と答え、去り際、戸口からひょいと顔を覗かせた。不二を気遣い、強面がおろおろと不安な色を浮かべている。忠興の後ろから顔を出した秀次も、心配そうに眉を寄せていた。その顔を思い出し、不二は微かに笑った。

…ホント、僕の心配ばっかりするんだ…

忠興も秀次も、情が深くてお人よしで、いつも不二を気遣ってくれる。

ここへきてまだほんの半月あまりだというのに、彼らは不二にとってかけがえのないものになっていた。不二はこの館の人々のことを思い浮かべる。忠興、秀次、国忠、そしていつも自分を見ると嬉しそうに笑ってくれる人々。だが、所詮ここは不二の世界ではない。この世界でずっと生きていくなど考えられない。

手塚…

あの時、確かに手塚の体温を感じた。帰る度に感覚が鮮明になっていくということは、もうすぐ完全に帰れるということなのだろうか。病室で眠る手塚を思い出す。点滴の針を刺し、静かに眠っていた手塚。

「手塚…」

不二は想い人の名を呟いた。

帰りたい、手塚のいる世界へ。帰ってまたテニスをするのだ。青学の仲間たちや裕太、そして手塚と。ふっと手塚の顔に国光の顔が重なった。ずきん、と胸が痛んだ。

「なっなんだよ、あんなやつっ。」

不二は国光の顔を払うように頭を振る。

「あんな、いきなり…」

唇がチリッとした。指で触ると、口の端が切れている。

「あ…」

国光にキスされたのだ。

キス…

かーっ、と不二の頭に血が上った。心臓が破れそうに脈打ちはじめる。

キス、よりによってキス、まだ誰ともしたことがないのに、手塚とだってしたことないのにっ。

僕のファーストキスがーーっ。

胃の中から怒りがせりあがってくる。
だいたい、あの男はいつも突然なのだ。あの満月の夜にしたって、今朝のキスにしたって、唐突で激しくてわけがわからない。

だいたい、乱暴なんだよ、国光は。

不二は傷を指で押さえた。乱暴で、怒りの渦にのみこまれそうなキスだった。ふいに国光の声が浮かぶ。

『手塚がいいのか。』

あたりまえじゃない。僕は手塚が好きなんだ。

『そんなに手塚がいいのか。』

そうだよ、手塚がいいよ。いくら同じ顔をしていたって、君は手塚じゃない。

ジリッと焼けるような痛みが胸に走った。

『手塚には渡さぬ。』

黒い瞳が燃えるようだった。焼き尽くされそうな国光の炎、不二は唇を噛み締める。傷がひらいて血が滲んだ。

なんだよ、いったい…

胸が苦しい。

僕は帰るんだ、帰りたいんだ。

国光の眼差しが頭から離れない。

「君は手塚じゃないっ。」

なのに心が乱れる。自分に言い聞かすように不二は繰り返した。

「手塚じゃない…」

鉄錆の味が口の中に広がる。混乱した心のやり場はなく、答えも見えない。途方に暮れて不二はただ、薄暗い部屋の中で座り込んでいた。
切り取られた空はますます青く鮮やかだった。


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監禁プレイ?(アホ)まだまだこじれたまま続く…