夕焼けが空を朱に染める頃、二つの馬影が館の門をくぐった。
「殿っ。」
秀次等郎党達が転がるように庭に飛び出す。
「殿のお帰りじゃっ。」
「殿っ、叔父殿っ。」
上がり口の前で大騒ぎがおこる。
不二はその時、部屋で一人、ぼんやり空を眺めていた。夕暮れの空には半分に欠けた月がかかり、天頂は深い藍色をしている。つらつらと不二は物思いにふけっていた。
国光のこと、砂浜で現代に帰りかけたこと、三浦が自分を欲しがっていること、そして何より、自分の無力さかげん。三浦の使いがきたときに、為す術もなくただ人任せになっていた己自身を思うと、悔しさや情けなさに身を切られるようだ。勉強においても、スポーツでも、周りから一目置かれていた不二は、それなりに自信も自負もあった。しかしここへ来て以来、思い知るのは誰かの庇護を受けなければ生きていけない己の脆弱さばかりだ。
これじゃあだめだ…
忸怩たる思いを振り払うように仰ぎ見ると、東の空にかかる半月の脇に、小さな銀の粒が光っている。小さな光、だが、己自身が光を放っているのだ。
海神伝説に乗っかっている僕とは大違いだな。
自嘲気味に呟いたとき、庭先の騒ぎが聞こえてきた。不二はハッとする。国光が、国光と忠興が帰ってきたのだ。はやる気持ちを抑えて、不二は上がり口へと向かった。
落ち着け。
不二は自身に言い聞かせる。何もできない身だが、せめて心配だけはかけたくない。ことさらゆったりとした足取りで上がり口の廊下に出ると、丁度忠興が入ってきたところだった。後ろには大荷物を抱えた郎党が数人続いている。上がり口に控えていた郎党や下人達が口々に騒ぎ立てはじめた。
「なんじゃあ、騒々しいわい。」
どかりっ、と腰をかけ、忠興は用意された盥で足を洗いながら騒ぐ郎党達を大声でたしなめた。
「いっぺんにわめくな。わけがわからん。」
剛胆な忠興はいるだけで安心感を生むのだろう、郎党や下人達の顔に安心したような笑いがおこった。不二もその声にほっと安堵の息をつく。昨日からやはり、相当緊張していたらしい。不二はすっと息を吸い、穏やかに呼びかけた。
「おかえりなさい、忠興。」
忠興は振り向き、不二の姿を認めると嬉しそうに破顔した。
「おお、御渡り様、ただいま戻りましたぞ。」
大急ぎで足を拭うと縁に上がった。
「おかわりござりませなんだか。おぉ、おぉ、これはまた、ようお似合いじゃ。」
不二は白地に銀糸をあしらった直衣姿だった。これも忠興の特注品だ。全開の笑顔に不二は涙が滲みそうになるが、ぐっと堪えた。そして忠興を労るようにほほえみかける。
「忠興が選んでくれるものはどれも好きだよ。それより忠興、疲れたでしょう?」
「なんの、一日馬を駆けさせたくらい、忠興には何でもござりませぬ。」
それから郎党達の抱える大荷物を指さしいっそう笑み崩れた。
「たんと土産を持って参りましたからな。ささ、部屋で開けてみて下されよ。」
不二は目を丸くした。いったい何を抱えてきたのか、随分な大荷物だ。そこへ国光が姿を現した。不二はハッと動きを止めた。国光の黒い瞳が真っ直ぐに不二を見る。
「…国光…」
思わず不二は国光の名を呟いていた。少し疲れた風だが、目の光は力強い。胸がぎゅっと詰まった。じっと見つめ返すと、国光が僅かに目を見開いた。国光の口が「不二」と名前をかたどろうとしたその時、秀次を筆頭とした郎党達が団子状になだれこんできた。
「とっ殿っ。」
「殿っ。」
その様子に国光が訝しげに眉を寄せる。
「何じゃ何じゃ、さっきから。」
不機嫌そうに唸ったのは忠興だ。早く不二に土産を披露したい忠興は、何か言いたげにつきまとう秀次達がうるさくてしかたがない。
「秀次、銭の心配ならいらぬぞ。土産代は全部、本家持ちじゃ。御渡り様の御ためと言うたなら、三浦の奴輩、一も二もなく銭を出したわ。」
呵々、と笑う忠興の前で秀次がきまり悪げに縮こまった。その秀次に国光は厳しい目を向けた。
「何があった、秀次。」
そして郎党達の上にも鋭い眼光が注がれる。
「館の警護をかくも固めるわけは何だ。話せ。」
当主の一喝に郎党達も縮み上がった。秀次ががばっと土間に平伏する。
「もっ申し訳ござりませぬ。実は…」
実に簡潔に、事実通りのことが秀次の口から語られた。そして、次の瞬間、館に響きわたったのは忠興の怒号だった。
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怒られるとわかっていても、正直者です、秀次君は。短いので続きはすぐにアップします〜。いや、ほんとだってば(信用ゼロ)