バ−「桜」へようこそ





重厚なオークの扉が開いて姿を現したのは手塚国光、25才、日本を代表するトッププロテニスプレーヤーだ。


「手塚。」
「やぁ、こっちだ。」


落ち着いたワインレッドのソファから手をあげたのは、中学時代からの悪友、大石秀一郎と乾貞治だった。艶のあるグレーのシャツをゆったりと着こなした手塚は、相変わらずの仏頂面で二人に合図をかえす。

ここはバー「桜」。落ち着いて酒を飲みたい面々に密かに人気の店だ。静かなジャズピアノの流れるなか、三人の男は旧交をあたためあう。


「久しぶりだな。」
「ああ。」
「今季の活躍も目覚ましいじゃないか。」


長年、トップランクに位置するのは容易なことではない。傍目には易々とやってのけているかに見える手塚も、それなりに苦難を乗り越えてきていた。一方の大石は医学部へ進み、新進気鋭の外科医として都内の病院に努めている。ゆくゆくは叔父の病院をつぎたい、というのが本人の希望だ。


「乾、会社のほうも順調らしいじゃないか。」
「まぁね。」


乾は大学卒業後、得意の情報分析能力をいかして会社をおこしていた。話題の青年実業家、という奴だ。世界的な有名テニスプレーヤーを交えた姿のいい青年三人はいやでも人目をひいた。


「手塚はいつものヤツでいいな。」


返事を聞くまでもなく、仕立てのいいダークスーツをカジュアルなハイネックシャツに合わせて着こなした乾が十五年もののスコッチのダブルを注文した。


「相変わらずお前はバーボン派か。」
「この独特の香りは癖になるからな。」
「乾らしいよ。」


そう笑って大石はブランデーグラスを片手に包み、ゆっくりと酒を温める。大石は淡いアイボリーのデザインシャツを身につけていた。デザイナーズブランドを着ても嫌味にならずかえって品位があるのは大石の人柄におうところが大きいだろう。


上質の酒の芳香を楽しみながらゆったりとくつろぐ三人の青年、日頃、酒を楽しむためにこのバーへやってくる、野次馬根性とは無縁の客達も、今宵ばかりはこの一際目立つ青年達に注目していた。

皆、彼らを眺めながらこう思った。その話題は政治、経済、文化、スポーツ、さぞかし多岐にわたるのだろう、密やかにかわされる会話にも熱がはいってきたようだ。分析家の青年が口を開くと、有名プロテニスプレーヤーは口元をひきしめ、若き外科医は重々しく頷く。その様子に皆見愡れるばかりだ。



「えっ、不二に頼んだって本当か、手塚。」


大石が真剣な面持ちで尋ねる。


「きっぱり断られた。」
「何?あの不二に頼んだのかい、裸エプロン。」


やるねぇ、手塚、と乾が眼鏡を押し上げて笑う。手塚がふっと自嘲気味に口元を上げた。


「おれもそこまでの勇気はない。ただ、フリルのエプロンを身につけてくれと言っただけだ。」


そうか…、と大石がため息をつく。


「そういうお前は菊丸に言えたのか?裸エプロンやってくれと。」
「そんな恐ろしいことができると思うか。あれは案外、気性が激しくて大変なんだ。」
「菊丸は怒るとひっかくらしいからね。」


くっくっと肩を震わせる乾に大石がしかめっ面をした。


「お前はいいよ。海堂はなんだかんだいってもテニス部の後輩だから、それなりに優位にたてるだろうけど…」

こっちはそういうわけにはいかないんだ、と大石はうなだれる。それには手塚も同感だった。

彼ら三人の恋人は奇しくも青学中等部時代からの部活仲間だ。彼らも、彼らの恋人達も、それぞれ良く知った仲で、特に手塚の恋人、不二周助と大石の恋人、菊丸英二は中学時代からの親友だった。自然、互いのことは筒抜けになる。


「手塚も大石も尻にしかれているからねぇ。」
「そういうお前はどうなんだ。」


にやにやしている乾に手塚が切り返した。


「海堂に裸エプロン、やらせたのか。」
「まぁ、おれのほうは時間の問題、ってとこだ。」


淡々と乾が答える。なんのことはない、三人は声を顰めて恋人達との夜の話をしているのだ。

実はこの三人の恋人達、妙なところで固かった。普通のセックスならばいくらでもokなのだが、少しでも違うことをしようとすると、ガンとして受け付けない。

もちろん、この三人、普通に愛しあうことに何の異論もない。満足もしている。しかし哀しいかな男の性、たまにはエッチなロマンを追ってみたい時もある。


「こういうことは良い酒と同じだよ。」


乾はバーボンのグラスをくゆらせた。


「じっくりと時間をかけて熟成してこそ味わいひとしおだからね。おれはそれを待っているのさ。」


乾は余裕の表情だ。残る二人は羨ましそうな顔をする。手塚がどこか遠くを見る目で呟いた。


「裸エプロンはやはり無理か…」
「初心者向けじゃなさそうだからな…」


大石がぽつりとこぼす。


「しかし、実に初々しいと思うぞ、おれは。」


諦めきれない、という風情で手塚が拳を握った。


目下、三人は新妻バージョンにはまっていた。

ただいま、と帰ると恋人がフリフリエプロンで出迎えてくれる。

『おかえりなさい、御飯とお風呂、どちらが先?そ・れ・と・も・僕?』

くるりと後ろをむいたそこには、かわいいお尻…


見果てぬ夢にほうっと手塚はため息をついた。大石も目を閉じて、なにやら不埒な映像を思い浮かべているようだ。
その時、店主が近付いてきてテーブルに小皿を置いた。

「桜の花の塩漬けなんですが、召し上がってみて下さい。」

結構よい香りがしますよ、と言う店主に三人は微笑みで感謝を伝えた。確かに、食べてみるとほんのり桜の香りがする。塩味なのでいい酒のつまみだ。

「結構いけるな。」

大石はピンクの花を口に放り込んだ。その時、乾の眼鏡が光った。

「これだ。」

手塚と大石がはっとする。乾がにやっと口元を上げた。

「君達はちょっとやり方を間違えているようだね。まぁ、おれ一人なら裸エプロンにもちこめる確率、99.9パーセントだから問題はないのだが。」
「教えてくれ、乾。」
「オレ達はどうすればいいっ。」

切羽詰まった二人は縋るように乾を見た。乾はバーボンのグラスを置くと、膝前で手を組んだ。手塚と大石が額を寄せる。

「要は、プレイだと悟られなければいいわけだ。あくまで自然に、日常の延長のように。何、慣れてくれば…」
「裸エプロン。」

ごくりと二人の喉が鳴った。

「そう、なし崩しに持ち込める。」

乾が傍らからノートパソコンをテーブルに置いてたちあげる。

「確か、大石の家の庭にも、手塚のところにも桜の木があったよね。」
「あ…ああ、大きいのが植わっているが…」
「今、丁度満開だよ。」

キーを打っていた乾がすっと眼鏡を押し上げた。

「名付けて『桜エプロンで桜H大作戦』」

略して「桜大戦」だ、とパソコンの画面を二人にみせる。

「初心者の成功率、90パーセント。」

手塚と大石が真剣な眼差しでそれを見つめた。

その日、青年達は夜が更けるまで語り合っていた。熱く友好を深める青年達を、店主や常連客が温かい笑みで見つめていた。






vvvvvvv






「不二。」
「あ、手塚、おかえり。」

満面の笑みで迎えてくれる恋人の頬に手塚はキスした。


不二は去年、突然プロテニス界を引退した。手塚と同じくトップランクに名を列ねていた不二の引退にテニス界は揺れた。手塚と恋人同士であることは周知のことだったので下衆な噂まで流れたが、本人は飄々としたもので、やりたいことがあるんだ、と笑っていた。

そして、ニューヨークでの個展で写真家として衝撃のデビューを飾る。やはりプロテニス界で名をはせている越前リョーマが個展会場で、「悔しいけど納得したっすよ、先輩。」と言ったとか。



その不二と暮らすため、手塚は東京近郊に小さな一軒家を購入していた。お互い世界を飛び回っている。オフのときくらい二人きりですごしたい、そう考えてのことだった。


手塚は畳じゃないとくつろげないでしょ、と和風造りの家に決めたのは不二で、庭に面した和室が居間になっている。その奥にはオ−ディオ室と、たまにはお洒落な気分を、という時の為のホームバーがある。もちろん、不二の為の暗室もあり、手塚の溺愛ぶりが伺えた。 以前遊びに来た越前と桃城が、「なんか、部長と不二先輩がくっついたらこんな感じ、ってのをモロ、表した家っすね」とわかったようなわからないような感想をもらしたものだ。


居間は純和室なのに、寝室は洋間でベッドだった。キングサイズのダブルベッドには濃紺のシーツとベッドカバーがかけてある。部長は布団派なのかと思ったッス、と首をかしげた二人に、手塚って案外我慢きかないんだ、とさらりと言ってのけた不二は、更に爆弾発言をして手塚を慌てさせた。

このシーツの色もね、夜の海に僕が漂ってる感じがいいんだって手塚が選んで。

にこにこ笑う不二の隣で普段表情のない手塚が赤くなったり青くなったりしているのを見て、今度試合の前にからかってやろうと越前が決めたのは秘密だ。ちなみに、洗濯の関係上、素材は綿100%だった。




さて、愛しい恋人の待つスィートホームに帰宅した手塚の手には、綺麗に包装された箱があった。

「不二。」

居間に座ると不二がお茶をいれてきたので箱を手渡す。不二がぱっと顔を輝かせた。

「え、お土産?」

嬉しいな、と箱をあける不二にぼうっと手塚は見愡れる。出てきたのはシンプルなデザインの桜色のエプロンだった。濃淡のある桜色が不思議な風合いを醸し出している。

「桜の樹液で染めたのだそうだ。綺麗だったので買った。」
「ホントに綺麗。嬉しい、ありがとう手塚。」

蕩けるような不二の笑みに、手塚の下半身も蕩けていく。しかしここはグッと我慢、今押し倒してはいつものセックスになってしまう。計画はまだ始まったばかりだ。

乾、大石…

今頃は同じように桜色のエプロンを恋人にプレゼントしているであろう同志に手塚は心でエールを送った。

ともに成功させよう。この壮大な計画、名付けて「桜エプロンで桜エッチ大作戦」略して「桜大戦」を。

今御飯にするね、という優しい恋人の声を聞きながら、手塚は不二を手伝うために台所に向かった。






食事中も食後も、手塚の希望で不二は桜のエプロンをつけていた。

「お前にその色はよく映えるな。」

三人で頭をひねっただけの事はある。この台詞は完璧だった。今頃は乾や大石の恋人達も桜色のエプロンを身につけているはずだ。手塚は食後のお茶を飲みながら、次のステップへのきっかけを探していた。

ここで酒をのませるのはマズいだろう。

作戦会議ではそういう結論に達している。酔わせていい雰囲気に持ち込む、という手は捨て難いが、大石の一言が決めてになった。

「でも、酒を飲むっていったら、エプロンはずすだろ?」

そりゃあそうだ。いくら綺麗な色とはいえ、エプロンは所詮エプロンだ。酒を飲んでいい雰囲気に、という時にまでエプロンをつける人間はいない。

だが、エプロンをはずされては意味がないのだ。これはあの「裸エプロン」への布石、壮大なロマンへの序章なのだから。




手塚はわざとらしくならないように庭へ目をやった。広い敷地の庭には、季節ごとの花が植えられており、今は桜や岩ツツジ、ズオウが満開の花を咲かせている。

「不二、桜が綺麗だな。」

これ以上ないくらいわざとらしい台詞だが、手塚国光にはこれが限界だ。幸い、不器用な恋人の言動に慣れ切っている不二はあまり気にしなかった。桜色のエプロンをしたまま、ちょこんと手塚の横にすわった不二も庭を眺める。

「満開だものね。今年は急に暖かくなったから。」

にこにこと笑う不二は凶悪なまでにかわいらしい。ぐらっと押し倒しそうになった自分を必死で手塚は押さえた。

「さっ桜が綺麗だなっ。」
「うん、さっきも聞いた。」
「そ…そうか。」

ずずっと手塚はお茶をすすった。どうもきっかけが難しい。庭の桜ははらはらと花びらを散らしている。暖かい春の宵だ。庭のあちこちにある灯りの淡い光に、花々が浮かび上がって不思議な風情だった。

「その…寝室に桜を活けてみるというのはどうだろうか。」

バ−「桜」で練習したとおりの台詞を言ってみる。雰囲気だの自然さだのと考えていたら先に進まない。内心、冷や汗をかきながら不二をうかがうと、びっくりした顔でこっちを見ていた。

「何?手塚もそんなこと、考えたりするの?」

くすくす笑いながら、それでも「僕、花鋏とってくるね。」と立ち上がる。満更でもなさそうだ。

乾、大石、おれは第一段階突破だ。

手塚は心の拳を握った。







不二が花鋏で枝を切る。ちらちらと花びらが舞った。夜桜の下の不二はなんと艶やかなことか。うす紅色の花びらが、絹糸のような不二の髪に、白い肌に散っている。桜色のエプロンを身につけ、桜の花びらを纏った不二は無心に枝を切っている。切った花の枝を受け取りながら、手塚の下半身が辛抱堪らんと訴えてきていた。

いやまて、おれ、青姦はまだ早すぎる…

ここで押し倒そうとしては、何もかもが水の泡だ。一度、広い庭だし誰もいないから、と手を出してこっぴどく拒絶されたのはまだ記憶に新しい。

あの時は一週間、触らせてもらえなかった…

同じ轍は踏むまい。夜の庭で花を切るのが存外楽しかったらしく、不二はにこにこ上機嫌だ。手塚は大人しく花をかかえて部屋へ戻った。




「ね、手塚、この壷に活けよう。」

新築祝い、と誰がくれたのだったか、黒い焼き物の大きな壷を不二が持ってきた。手塚はさりげなく、ベッドの傍にそれを置く。

「黒に桜って映えるねぇ。とても綺麗。」

不二はぺたりと床に座って、切ってきた枝を壷に活けている。手塚はその隣に座って不二を見つめた。枝を動かす度にちらちら花びらが散る。

「不二…」

手を伸ばし、そっと不二の髪を梳いた。顔を向けた不二がにこりと笑う。手塚は不二を髪を一すくい手にとると唇をよせた。

「桜の香りがする…」

そのまま口付けた。不二は素直に応えてくる。柔らかく唇をはみながら、手塚はまたしても心の中でガッツポーズだ。

伊達に深夜まで作戦会議をやったわけではない。三人でひねりだした口説き文句は完璧だ。だが、ここからが正念場だ。エプロンを意識させずに下だけ裸にむかなければ。

手塚は次第にくちづけを深くしていった。舌をさしいれかきまわし、お互いの舌がからんだところできつく吸い上げる。

「……ふっ…」

不二が甘く息を吐いた。

「…手塚…」

明るい色の瞳が潤んでいる。手塚は不二の首筋に顔を埋めながら、ベッドに体を引きずり上げた。紺色のシーツに桜色のエプロンが鮮やかだ。部屋の電気はつけたままだったので、不二がうっすらと頬を染めた。

「手塚…電気…消して…」

不二はいつも恥ずかしがる。だから、いつもは電気を消すのだが、今日はその願いを聞くわけにはいかなかった。

「ね、手塚…恥ずかし…」
「桜に染まったお前を見たい…」

手塚が桜の花を片手で千切って不二の髪に散らした。

「桜色に染めたいんだ…」

不二の瞳が一瞬揺れた。しかし、頬を染めたまま目を閉じる。


うぉぉぉぉーーーっしっ


乾、感謝だ。お前には分析能力だけではなく、文才もあるぞ。


手塚はごくりと喉をならすと再び不二の体に顔をうずめた。


vvvvvvvvvvv
…けっ警告…したもんね、かっこいい手塚が好きな人は読むなって。次は手塚、がんばってます。ちなみに、桜の樹液染めで有名な某染織家さんはいっさい関係ありませんってばよ。あはははは〜〜〜(大汗)