「ふんふんふ〜ん。」
「……おい。」
「ふふふんふ〜ん。」
「おい、カカシ。」
「ふふふふふ〜ん…あれ、呼んだ?」
「呼んだじゃねぇっ、さっきからそのキショイ鼻歌やめろっ。」
ごいん、とはたかれカカシは銀髪を押さえた。
「なによ髭〜、オレの幸せがそ〜んなに羨ましい?」
「はた迷惑な鼻歌やめろっつってんだ。ここはな、皆の憩いの場所、上忍待機所なんだよっ。」
「やだねぇ髭は、心狭いと幸せ逃げちゃうよ、ね〜みんな。」
くるり、とカカシが見回す周囲では、他の上忍達が固まっている。
「同意を強制すんじゃねぇ。びびってっじゃねーか。」
同じ上忍同士といっても、やはり写輪眼のカカシは別格だ。対等に口をきける者は限られている。そして、上機嫌な写輪眼の鼻歌を止められる者はもっと限られていた。だが、カカシは周囲の空気に頓着せずへらり、と笑み崩れる。
「んふふ〜、髭、オレの幸せのお裾分けしてあげようか〜。そしたら紅姐さんも振り向いてくれるかもよ〜。」
「なっ」
強面の髭面がぼん、と赤くなった。
「なに言ってやがるっ。」
「ほら、受け取って受け取って、オレのラブラブ幸せパワー。」
「やめろバカヤローッ。」
里を代表する上忍二人の低レベルすぎるやりとりに、他の上忍達は俯くしかない。そこへ天の助けのごとく、伝令の式が舞い降りカカシの肩にとまった。
「え、何の用よ、三代目〜。」
この後イルカせんせを迎えにいくのにぃ、とブツブツ言いながら銀髪の上忍は立ち上がる。
「腹立つから執務室行ったついでに紅にあることないこと吹き込んでこよう。」
「オイ、ちょっと待て、なんだそりゃ。」
「じゃね、アスマちゃん。」
「待てっつってっだろーがっ。」
わーわーと騒ぐ上忍二人が待機所を出ていって、ようやく皆、ほっと息をついた。やれやれ、とコーヒーに口をつけたりソファにもたれかかったりする。誰かがぽつり、と言った。
「しっかし、あの受付中忍が噂の『空蝉』だったなんてなぁ。」
「なんつーか、複雑っつーか…」
全員がうんうんと頷いた。写輪眼のカカシがずっと探し求めていた恋人『空蝉』の話は有名だ。源氏楼に空蝉ありとまで言われたと、なかば伝説となっている『空蝉』が、どちらかというともっさり系の熱血教師、うみのイルカ中忍だというのがまだ信じられない。だが、あの写輪眼の蕩けっぷりからいくと、本当なのだろう。
「まぁ、確かに受付での感じはいいけどな。」
「でもなぁ、ごっついよな、うみの中忍はさ。」
「背丈、カカシさんとあんま変わんなくね?」
「なんかオレ、空蝉ってすっげ美少年系って思い込んでたからさ。」
「そーそー、腰まである艶やかな黒髪を一つくくりにしてって奴だろ?空蝉に見送られると胸がきゅん、ってなるってさ。」
受付所での感動の再会から一月がたっていた。噂はあっという間に駆け巡り、里の忍びならば誰でもこの話は知っている。さすがに『空蝉』が木の葉の中忍だと言いふらされてはまずいと思った上層部がある程度話の広がるのを止めたらしいが、それでも写輪眼のカカシがついに恋人と巡り会えて一緒になったということだけは、国の内外に広がってしまった。空蝉探しのため、カカシが意図的に噂をばらまいたのが、今となっては仇になったようだ。ホムラ達古参組はカンカンになったが、三代目火影は、知られて悪い話でもなかろうよ、と笑ったとか。
「なんか結びつかねぇなぁ〜。」
「だよなぁ。」
「まだまだ甘いね、君達。」
うんうんと頷き合っている後ろから、ふいに声がかかった。
「青葉さん。」
眼鏡を押し上げながら、ソファの後ろから体を起こした男は、ぴらり、と一枚の写真をかざした。
「忍は裏の裏を読め、だよ。」
「なんスか、その写真…」
受け取った面々はその場で言葉を失った。
「これ…」
「うみの…中忍?」
それにはカカシを上目遣いに見上げるうみのイルカが写っていた。おそらくその場に二人きりだったのだろう。普段の熱血教師ぶりは影を潜め、イルカはどことなく甘えたような艶っぽい笑みを浮かべている。
「うっそ…」
「いっ色っぺぇ…」
「だろ〜?」
青葉は得意げにまた眼鏡を押し上げた。
「潜入班がイルカを欲しがっているって噂もあながち間違いじゃあないね。彼は相当優秀だよ。」
ま、カカシさんが許すわけないけどね、と青葉はにんまりとした。
「でねぇ、こういうのを撮るってのも相当命がけなわけよ。何たってカカシさんの想い人だからねぇ。ただ、やっぱお宝写真を一人隠し持ってるってのも無粋だよねぇ。タイムリーな写真だし、焼き増しってのもできるわけ。あ、もっちろん、お代はいただくよ、一枚100両でどう?安いもんでしょ、バレたらカカシさんに殺されかねないとこをがんばって撮ったんだからさ。あ、ご希望のショットあったらリク、受け付けるから。リク代はまぁ、難易度によってってことで。ホントはね〜、写真週刊誌に送りたかったんだけど、それやっちゃうとご意見番達から粛正されちゃいそうだから。あ、はいはい、毎度〜。希望枚数と名前、ここに書いてね。それとこっちに別なショット何枚かあるから、アルバムまわすよ。はい、そっちはアルバムの後ろに注文票貼ってあるし。リク?リク内容はこっちに書いてね〜。」
上忍待機所は一挙ににぎわい始めた。木の葉は様々な意味で優秀な忍を輩出している里だった。
鼻歌まじりに執務室へ向かうカカシは絶好調だった。世界から祝福されているような気分だ。空蝉、本名はうみのイルカだが、運命の恋人と思い定めたイルカと再会してからカカシはそのアパートに移り住んでいる。二人で仲良く家事をしたりじゃれあったり、まさしく新婚さん状態だ。もちろん、夜の方も絶好調で、『空蝉』から伝授された技を独自にアレンジしてイルカに喜んでもらっている。我が世の春を謳歌しつつスキップでもしそうな勢いで執務室のドアを開けた。
「おぉ、カカシ、来たか。」
三代目が書類から目をあげた。
「どうじゃ、新婚生活は。」
「やだなぁ、三代目。」
執務机の前で銀髪の上忍は照れまくる。
「新婚だなんてあの人が聞いたら照れちゃうじゃないですか〜、ま、ホントのことですけど〜。」
「しゃんとせんか、たわけ。」
「あだっ。」
キセルでぽかりとやられてカカシは頭を押さえた。
「まったく、他里の者に見られたらなんとする。どうもおぬしは里の顔じゃという自覚が足りん。」
それから三代目は机の上を目で示した。
「なんです、これは。」
「青磁の香炉じゃ。」
「なんか、上等っぽい…」
「年代物のよい品よ。まぁ、Sランク5つの報酬分くらいはするかの。」
「で、その高級品が何か?任務ですか?」
首を傾げるカカシの前に三代目は一通の封書を差し出した。透かし入りの和紙の封書には達筆で宛名が記されている。
『木の葉の里、はたけカカシ様方、空蝉様』
「………空蝉様?」
「まぁ、イルカ宛じゃな。」
ひら、と裏返すと『西海屋藤兵衛』とある。カカシは眉を寄せた。
「西海屋っつったら、都でも有数の商家じゃないですか。そんな金持ちがイルカ先生に何の用です。」
「イルカ、ではない。宛名は空蝉、となっておろうが。」
カカシの眉がますます寄った。
「空蝉宛なら尚更ですね。」
「知らん。とりあえずそれを持って帰れ。手紙の中身はイルカに聞けばよかろうて。」
しっしっ、と手を振られ、カカシは青磁の香炉を持って退散した。なんとなくムカムカしながら受付に向かう。
「イールカせんせ、帰りましょ。」
二人きりだと呼び捨てだが、一応公共の場では「先生」をつけていた。書類を片付けていたイルカがにこり、と笑う。
「カカシさん。」
事務方に頭を下げ、イルカはカウンターの中から出てきた。
「丁度終わったところです。」
イルカも外では丁寧語だ。こういうところは律儀だなぁ、とカカシは感心する。イルカはカカシの持っている箱に目をやった。
「これ、先生宛。」
どこかむっつりと言い、問答無用とばかりにイルカの手を取って家へ戻った。
「で、なんでお前、不機嫌なんだよ。」
二人きりになった途端、イルカの口調は昔のままぞんざいになる。内心カカシはそれが嬉しい。自分はイルカの特別なのだとしみじみ実感できる。だが、今はこの贈り主だ。
「はい、『空蝉』宛に手紙と贈り物。」
むすっとしたまま封筒を差し出す。怪訝な顔でイルカは封をきり、中を読み始めた。横目でその顔を伺っていると、イルカの口元がほころんできている。カカシはまたそれが気に入らない。額当てをとり、どっかと卓袱台の前であぐらをかいた。
「誰よ、その西海屋藤兵衛って。」
「あぁ。」
手紙から顔をあげたイルカは少しバツが悪そうに鼻の傷をかいた。
「えっと、『空蝉』が筆おろししてやったっていうかな。」
「なっ。」
カカシは目を剥いた。
「ちょっアンタッ、空蝉はタチ専門じゃなかったのっ。」
「あぁ、だから、オレが抱いたんだよ。はじめてなら女がいいだろうって言ったんだけど、なんか、オレがいいっつってな。」
「なっなっなっなぁにぃーーっ。」
カカシはがばり、と身を乗り出した。
「その手紙っ、貸しなさいよっ。」
イルカが肩をすくめて差し出した手紙をひったくる。流水の透かしがはいった便箋に、流れるような筆字が目に入った。手紙を読み進めるうち、思わず声が出る。
「空蝉様、あなた様の行方が知れないと聞き、随分と心配申し上げておりました、って、余計なお世話だっつーのっ。」
「お前が噂、ばらまくからだろうが。」
イルカは呆れ顔だ。カカシはまた文面に戻った。ムカつく事甚だしい。
「写輪眼のカカシ様と無事に添われたとか。心底安堵しております、って腹立つなーっ、オレと一緒なんだから大丈夫だってのっ、って、なっ何ぃぃっ。」
カカシは食い入るように文面を睨みつけた。
「あなた様のお情けを頂戴することで、わたくしは随分と慰められました。あなた様は生涯、忘れ得ぬ御方でございますって、ななななんだとぉぉっ。」
ぐぉっとカカシは火でも噴きそうな勢いだ。
「ぶっ殺す、コイツ、絶対始末してやるっ。」
イルカの盛大なため息が聞こえた。カカシはキッと顔を上げバンバンと便箋を叩いた。
「コイツ、『空蝉』に惚れてたんでしょっ。9年たったっつーのに、何、また口説く気なわけっ。」
「バーカ、ちげぇよ、よく読みやがれ。」
イルカがバコッとカカシをはたいた。手が早いところも9年前と変わらない。
「この藤兵衛さんはな、オレより一個下だったか、財閥の御曹司で、でもその重圧に悩んでたんだよ。んで、憂さ晴らしにって連れてこられた源氏楼でオレをみかけたらしくってさ、まぁ、なんつーか、世間知らずの坊ちゃんだからな、初恋ってやつもまだだったらしい。で、オレは相手しながら悩みってやつも聞いてやったってだけで。」
「だけ、じゃないでしょーが。初恋だよ、絶対コイツ、アンタが初恋だよっ。もーーーっ、初恋ってのは特別なんだからねっ、わかってんのアンタはーーっ。」
叫ぶと同時にまたはたかれた。
「一男二女もうけて今は幸せだって書いてあるだろーがよっ。写輪眼のカカシ様と末永くお幸せにって文字が目にはいんねぇのか、このトンチキっ。」
「にしたって、そのお高いプレゼントっ…」
「あぁ。」
ふるふると震えるカカシの目の前でイルカは箱をあけ青磁の香炉をとりだした。
「この滑らかな肌に上品な色合い、形もいいなぁ。さすが藤兵衛さん、趣味いいよ。」
ふわ、と嬉しそうに口元を綻ばせる。
「これ、2百年前の窯のもんだよ、こういう色と形のものってのは時代が限られててさ、時の皇帝の保護で栄えたんだけど、代替わりして廃れちまってな、数が少ないってんで貴重なんだよな。」
さらりと講釈しながらイルカはうっとりと香炉を眺める。
「こんな良いもの、貰っちゃっていいのかなぁ。でもまぁ、せっかくのご好意だし、なぁカカシ。」
そこには高級な贈り物を貰い慣れていた『空蝉』がいた。良いもの好みで派手好みな、あれはやっぱりイルカの地だったのだ。ふるふると震えるカカシをよそに、イルカは香炉の肌を撫でている。
「どこに飾ろうかなぁ、こんだけ良いもの、たまには使ってみてぇよな。香木でも求めてみるか。あ、そういや三代目が蔵にいいモン持ってたな。今度ねだってみよう。」
一人盛り上がってカカシの入り込む隙がない。憤懣やるかたないまま、カカシはむっつり黙り込んだ。
「んで、今度はどこの馬の骨ーーーっ。」
火影の執務室から里の誇る銀髪の上忍の怒鳴り声が響き渡った。
「馬の骨ではない。さる大名の立派な奥方様じゃ。そしてこちらは、由緒正しき寺院のご住職様、こっちがあの有名な備中グループのお内儀様じゃぞ。」
「妓楼遊びしていて何が立派ーーーっ。」
「たわけ、あの妓楼街は文化サロンでもあるんじゃ。出入りを許されるだけで箔がつくと言われておるに、普通の遊郭扱いするでない。」
「やってるこた一緒でしょーーっ。」
姿をくらましていた『空蝉』が写輪眼のカカシに添う事になったとの噂が広まるにつれ、木の葉の里宛に祝いの品々が届けられるようになった。今更ながら『空蝉』の顧客の多さとその身分の高さに驚かされる。9年たっても相変わらずの人気ぶりだ。怒りに震えるカカシの目の前で三代目は数々の贈り物をのんびり鑑賞しはじめた。
「ほぅ、こりゃ見事な黒楽じゃ。一度あれに茶をたてさせようの。見よ、カカシ、なんとも味わい深い肌ではないか、やはり信楽は面白いのぅ。ほぅ、またこの墨蹟は、先代醍徳寺和尚、白鴎老師のものじゃわい。」
届けられる品々はどれも名品ぞろいで、戦場育ちで文化に疎いカカシには面白くない事甚だしい。
「とにかくっ、あの人は空蝉じゃなくて、うみのイルカなんですからねっ。もーっ、突っ返してやる突っ返してやるこんなものーーっ。」
「よいではないか。おぬし達を祝福しての贈り物じゃ。これなどほれ、マイセンの茶器、あれの好みにぴったりではないか。」
「しっりませんよっ、そんなことーーっ。」
バン、と執務机に八つ当たりするカカシに、三代目はぽい、と一括りにした写真の束を投げてよこした。
「最近かようなものが出回っておる。」
「なんですか、写真なんて何のっ…」
みるみるカカシの顔色が変わった。写真をめくる手がぶるぶる震えている。ばさり、と写真が床に落ちて散らばった。そこにはカカシに甘えかかるイルカや上目遣いで艶っぽく笑うイルカ、要するに『イルカ先生』の時とは違う顔をした様々なイルカが写っている。ポン、と火影はキセルの灰を落とし、にんまりした。
「こんなところで油を売っていてよいのか、カカシよ。」
次の瞬間、写輪眼のカカシの姿は消えていた。遠くで「青葉ーっ。」と叫ぶ声だけが聞こえてくる。ふっふっと三代目火影は満足そうに笑い、椅子を回して窓の外を眺めた。
「しばらくまた賑やかじゃろうて。」
木々の若葉の向こうには、五月の青い空が広がっていた。
完
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