ーーー青学ーっ、ファイッーーー





早朝のグランドに元気な声が響く。

いくつもの運動部がランニングをしている、普段と変わらぬ朝練風景だ。
いや、バレンタインデ−以降、一つだけ、些細な、しかし皆の関心を引く変化があった。

野球部、柔道部がバックネットの脇を走り過ぎた。青学テニス部も同じくグランドでランニングしている。



ーーー 青学ーっ、ファイッ、ファイッーーー



一年のかけ声に二年、三年の声が重なる。胴着に身を包んだ剣道部が向こうから走ってきた。テニス部とすれ違う。先頭を走っている剣道部部長、松平玄九郎がふっと笑って手をあげる。列の中程を走っていたテニス部二年、不二周助がにこっと笑ってそれに答えた。


ーーー ファイッ、ファイッ、青学ーっ、ファイッーーー


不二のすぐ後ろをはしっている手塚国光からゆらっと怒気がたちのぼった。その背中を眺めながら、乾と大石は顔を見合わせ苦笑する。


こりゃ大変。


大石の呟きは一年のかけ声にかき消されていた。





☆☆☆☆☆





バレンタインデーに剣道部主将、松平玄九郎は不二周助に愛を告げた。密かにテニス部副部長、手塚国光に想いを寄せている不二はもちろんその申し出を断ったが、玄九郎は諦めず、その日から熱心に不二を口説き始めている。口説くといっても、しつこい真似はしない。男らしい毅然とした態度に不二も好感を持ったらしく、今のところ受け入れはしないが嫌がりもしていなかった。


「不二、松平さんと最近親しいのか?」


ランニングが終わり、コートの脇での柔軟にはいったところで、乾が声をかけた。

「なに?」

不二が怪訝な顔をする。乾はにやっと意味ありげに笑うと周囲に聞こえる程度の声で言う。

「いや、ランニングの最中、いつも挨拶かわしてるだろ、お前。」
「あ…うん、挨拶されるから。」

開脚しながら不二は何でもないことのように答える。隣の河村が呑気に聞いた。

「松平って、あの剣道部の?」
「そうそう、ほら、立海大付属の真田弦一郎に似てるさ、三年のあいつあいつ。」

菊丸が面白そうにつけたした。
「たるんどるって口癖までいっしょなんだよにゃっ。」


団体戦ではそこそこの成績しか残していない青学剣道部だったが、この松平玄九郎だけは個人戦で華々しい戦果をあげているため都内でも有名だった。

「不二、最近、廊下とかでもよく挨拶されてるからね。親しくなったのかと思って。」
「えっ、そーなのきゃ、不二。付き合ってンの?」
「そんなわけないじゃないっ。」

いささかムッとした口調で不二が答える。その後ろで大石はハラハラしながら手塚を横目で窺っていた。
手塚は相変わらずの仏頂面で黙々とメニューをこなしている。


ーーバカ乾、変に刺激して…ーー


大石の心配をよそに、乾は面白そうに話を続ける。

「なんだ、告白されて断ったと聞いていたが、案外満更じゃなかったんだな。」
不二の目が見開いた。周囲がどよめいたとき、三年の部長の怒声が飛んだ。

「そこっ、練習中に何しゃべっているっ、二年生全員、グランド十周っ。」

なんでオレらまで〜、と雑多な悲鳴があがり、グランド十周が十五周に増やされて、二年生はどたどた走り出した。
手塚も黙って走りはじめる。不二は切なげな視線を一瞬その背中に投げかけたが、すぐに顔をそらし、周りに微笑みかけた。御免ね、僕がしゃべっていたから、そう小声で謝りながら、もう手塚の方へは目をやらなかった。


正直、手塚国光は混乱していた。

バレンタインデーの放課後、部室で手塚は不二からチョコを渡されている。不二が松平玄九郎から告白されたと聞いて、居ても立ってもいられずに事の真偽を問いつめた時だ。
随分、おかしな態度だったと自分でも思う。
だが、その後、不二が手塚の手に突然チョコの箱を押し付けてきた。吃驚して突っ立っているうちに不二は走り去ってしまった。手塚にはわからない。不二がどういうつもりで自分にチョコをくれたのか。


ーーおれに本命チョコ?ーー
ーーいやいや、それは、それだけは絶対にあり得ない。ーー


手塚は頭を振った。
だいたい、不二は好きだとも付き合ってとも言わなかった。だた、手塚、これ、あげるね、と一言。
自分の好きな緑と青の包み紙で、クリ−ム色のシールが貼ってあった。渡された時、触れた不二の手は熱くて…

ブンブンと手塚はまた頭を振った。


ーー何を考えている、おれは。余ったチョコをくれただけかもしれないじゃないか。
剣道男の告白を蹴ったということは不二は男に興味はないだろうし、いや、それが普通なのだが、だがしかし…ーー




ーー不二がおれを好きになってくれたらどんなにいいだろう…ーー




はっとして手塚は再度頭を振る。


ーー馬鹿なことを考えるな。手塚国光。馬鹿なことを。ーー


ぶつぶつと己に小さくいいきかせながら、手塚はラケットの素振りを続けた。




「すごいなぁ。さすがは手塚さんだよ。」
「うん、憧れちゃうよね。」


球拾いをする一年生から感歎のため息がもれた。
「ああやって自分のフォームをチェックしているんだ。」
「うん、やっぱ、自分に厳しい人なんだよ。手塚先輩。」

ブツブツなにか呟きながら素振りの最中頭を振る姿は充分怪しすぎるのだが、親しい人間以外には己を切磋琢磨しているように見えるらしい。


「ある意味、人徳だね。」
「ははは…」

感心したように頷く乾に大石は乾いた笑いを返していた。

「あれは相当煮詰まってきているね。しかもあんなのがいたんじゃ、流石の手塚も顔にでるな。」
ほら、と乾が指差す先には、朝練を終え武道館から教室に移動する剣道部がいた。松平玄九郎がスッと片手を上げ、不二に挨拶している。不二が小首をかしげたということは、笑いかけたのだろう。

「うん、なかなかかっこいいね、彼。不二が落ちるのも時間の問題かな。」
「乾っ。」

大石が慌てて乾を遮った。手塚がラケットバッグをとりに後ろを通り過ぎる。


ーー 眉間の皺が深いぞ、手塚…ーー




大石は胃の痛くなるような思いで手塚の背中を見送った。










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と言うことでお待たせしました!
バレンタインデー話の続きを9月の今頃やってるイーヨです。
いや、お話自体はもう相当前にできあがってたんだけどね。
ちょっと、いろいろゴニョニョのニョ………

季節はずれもイイトコですが、新連載スタート!!

乾が悪党なのはいつもの(?)事ですが、ウチのお話では
ちょっと大石も悪党フレーバー添加気味。
それでも悪者になりきれない所が大石のいいところ。