四月になった。

満開の桜のなか、不二周助は青春学園中等部に入学した。テニスの強豪校として有名なのだと聞かされていたから、当然、テニス部に入ると決めている。入学式の後、テニス部を覗きたいから、と母親と別れ、テニスコ−トの方へ走った。
ガクランの詰め襟が顎にあたってくすぐったい。
どんな強い選手がいるかと思うと胸がたかなった。コートは桜並木のさきにある。風もないのに、はらはらと花びらが舞っていた。

「あれっ。」

不二は思わず足を止めた。桜並木の先を歩いていた少年が振り向く。
「手塚…君?」

くせっ毛の少年は、仏頂面のまま、やはり「あれっ。」という顔をした。
「不二君?」

名前を口にしてから、親善試合の対戦相手は少しきまり悪そうに目を落とした。不二はかまわず手塚に歩み寄るとニコニコ話しかけた。
「嬉しいな。僕の名前、覚えていてくれたんだ。」
「…ああ…。」

相変わらずの仏頂面である。不二はくすっと笑った。
「僕ね、あれから随分、君のこと、聞いたんだよ。君ってすごく強くて有名なんだって?」
「…いや、別に…。」
ぼそっと答えながら手塚は意外な思いだった。すごく強くて有名、いろいろな人から同じようなことを言われてきたが、この少年のようにさらりと自然に言われたのははじめてだ。
「ねぇ、テニス部を見に行くんだよね。?一緒に行こうよ。」
手塚の返事を待つまでもなく、不二は並んで歩き始めた。

「君と一緒の学校だったなんて。楽しみだなぁ。また君とやれるんだ。」
楽しそうにあれこれしゃべる不二を手塚は不思議そうに見つめた。

なんだか、調子の狂う奴だ。

桜の花びらがはらはらと二人を包む。薄ピンクの桜の花びらが顔にかかって、不二は軽く頭を振った。
春の陽射しに茶色い髪の毛がきらっと透けた。綺麗な子なのだと、改めて手塚は認識する。それから、そんなことを思った自分に慌てた。

本当に調子が狂う…

テニスコートには誰もいなかった。フェンス越しに閑散としたコ−トを眺めながら不二がくすくす笑った。
「そうだよね、僕達、ばかみたい。今入学式が終わったばかりなのに、部活やってるわけないよね。」

でも、君に会えたからラッキーだったかな。
そう言ってまたくすくす笑った。まったく、何がそんなに可笑しいのやら、この少年は本当によく笑う。遠くから不二ーっ、と呼ぶ声が聞こえてきた。
「あ、英二。」
振り向いた不二は桜並木のはるか向こうを透かし見る。
「しまった。英二のこと忘れてた。じゃ、僕行くね。一緒のクラス、なれるといいな。」
そう言うと不二は駆けてくる友人のほうへ走り出した。置いていくなんてひどいにゃ〜、ごめん、エージ、春風にのってじゃれあう声が聞こえてくる。

苦手かもしれない…

手塚は途方にくれて桜並木の向こうに遠ざかる不二の後ろ姿を眺めていた。
幸か不幸か、手塚と不二は別のクラスだった。それで入学式の日以来、ほとんど言葉をかわしていない。
たまに廊下で顔をあわせることもあるが、ただそれだけだった。不二のそばにはいつも目の大きな元気な少年がおり、じゃれあっているのだ。菊丸英二といい、同じテニス部に入部している。当然部活でもじゃれあっているのでますます言葉を交わす機会を逸していた。それでなくても、いつも笑顔で人当たりのいい不二のまわりには誰かしらむらがっている。手塚は不二が苦手なのか、それとも話をしたいのか、自分でよくわからなくなっていた。


☆☆☆☆☆☆


その日は日直の水やり当番で、不二周助はいつもより三十分早く登校した。直接花壇に向かうと、もう先客がいた。

「手塚君。」

声をかけるとくせっ毛の少年が顔をあげた。相変わらずの仏頂面だが、少し驚いているようにもみえる。

「君も水やり当番なんだ。」
「不二君も?」
「うん、今日僕日直。」

わかりきったことを答えてしまって、僕って馬鹿みたい、と思いながらも、手塚が名前を呼び返してくれたのが不二には嬉しかった。それから二人はしばらく黙って花壇の花に水をやった。

「手塚君、クラブ何にするの?」
「君はクラブ決めたのか?」

ジョウロの水が無くなるころ、二人は同時に顔をあげて話しかけていた。それからお互い、目をぱちくりさせ、笑い出した。
「あれ、意外。手塚君も笑ったりするんだ。」
「普通人間笑ったりするだろう。君こそ、いつも笑っている。」
「え、そんなことないよ。僕だって真面目なときくらいあるさ。」
「そうか?よく笑っていると思うが。」
「こんな顔なんだよ。」
「おれもこんな顔なんだ。」
それから二人はまた笑った。お互い、急に打ち解けたような気分になった。
「でさ、手塚君、クラブ決めたの?」
五月の連休がすぎると、クラブ活動がはじまる。
それで今日、クラブの希望をだすことになっているのだ。

「テニスクラブにしたいところだが、部活と同じクラブは選べないんだったな。」
幅広い教育を、との方針の元、クラブと部活をわけるよう指導がなされていた。
「うん、そうなんだよね。僕、写真撮るのが好きなんだけど、そういうのないし。」
「おれも困っている。」
「手塚君、何したいの?」
首をかしげて聞く不二に手塚は大真面目に答えた。
「釣りか山登り。」
ぶーっと不二は吹き出した。そのまま体を折って笑う。
「そ…そんなにおかしいか?」
きまり悪そうに頭をかく手塚の様子がまた意外で、不二はお腹を押さえて笑いながら答えた。
「ううん、なんだか手塚君らしいかなって。」
「そ…そうか?」
ほんとに意外、もっとカタブツなのかと思った、いや、カタブツではあるんだけど…
「手塚君て、案外かわいいね。」
クスクス笑いに変わった不二に、手塚は口をへの字に曲げた。だが、顔が少し赤くなっている。それが不二には嬉しかった。

「ねぇ、一緒のクラブにしない?」

手塚が驚いたように不二を見る。不二は内心しまったと慌てた。
親しい友人というわけでもないのに、あまりに唐突な提案だ。真顔で「何故君と?」と問い返されでもしたら何と答えよう、ニコニコ顔のまま、不二は固まった。手塚はしばらくじっと不二を見つめていたが、ふと足下に目を落とし、ぼそりと言った。
「園芸クラブとか…どうだろう。」
それから、不二君はそういうの、好きじゃないか、と付け加えた。仏頂面が少し困った顔に見える。
不二は大急ぎで答えた。
「あ、いいかも、園芸。それにしよう、園芸クラブ。」
他のクラスの日直がぽつぽつと花壇に集まってきていた。
「手塚君。僕、今日園芸クラブって書くから君も絶対だよ。」
不二はジョウロを持っていないほうの、手塚の左手をとると指切りげんまんをした。手塚の仏頂面がまたびっくり顔になる。

「約束。」

そう言い残して、不二はパタパタと走り去った。