青春学園二年生、テニス部副部長、手塚国光にはチョコを受け取りたい本命がいる。

バレンタインデーの一週間前、青春学園中等部はこの噂でもちきりだった。





うるさいっ


不二周助はイライラしている。席の隣で数人の女子が黄色い声を上げていた。本命チョコはどーの、手作りがどーのと、この季節ならどこででも聞かれる話題で盛り上がっている。


うるさい、どっか行けっ


世話焼きな姉の影響で女の生態に寛容な、というより、あまり女子を気にしない不二には珍しかった。しかも話題はバレンタイン。毎年、抱えきれないほどのチョコを受け取る不二がいらつく話題ではないはずなのだが、とにかくムカムカ腹が立つ。不機嫌が顔に出ないよう、不二は手元の班日誌の仕上げに集中しようとした。これさえ書けばすぐに部活に走っていける。


教室にはいたくない。
とにかく、ここにはいたくない。


なのに、横で騒いでいた女子どもは、あろうことか不機嫌まっただ中の不二周助に話しかけてきた。
「ね、不二君。不二君ってば。」
「え?」

日誌を書いていたので今気がつきました、という風に すっと息を吸って 顔をあげると、不二はにっこり笑ってみせた。

「何かな?」

綺麗な顔に微笑まれて女子達はさざめいた。少し頬を染めて一人が口を開く。

「ねぇ、不二君なら知ってると思って。」
「やっぱり、ビター系がいいよねぇ。甘いの苦手っぽそうだし。」
そうそう、やっぱりそんなカンジ〜、とまた黄色い声があがる。
「だって、手塚君のはじめての本命チョコよ。やっぱり好みとかリサーチしとかなきゃ。ねーっ。」

隣の席の少女がさっと頬を染めた。取り囲む友人一同はますますかしましい。
「ほらぁ、ちゃんと不二君にきかなきゃ。手塚君、あんたのチョコ欲しいって直々に御指名なんだから。」
「そ…そんな、指名だなんて、手塚君は別に…」

隣の少女はますます赤くなって俯いてしまう。茶色がかったさらさらの髪が上気した頬にかかった。不二は口の中に上がってくる苦味をぐっと飲み込むとなにげなさをよそおった。


「あ、手塚の本命チョコの話?」
「そーなのよー。ね、不二君、手塚君と仲いいし、この娘に知恵貸してあげてよ。」
「だってねー、ずーっと誰からもチョコ受け取らなかった手塚君が、自分から欲しいなんて。」


ああ、聞きたくない、そんな話。


「で、ビターな方がいいわよねぇ、絶対。」
「甘いのなんて普段食べなさそー。」


僕に話しかけるな…


「さあ、どうかな。ビターなイメージっていわれるとそうだけど、よく知らないんだ。」
だってチョコなんて一緒にたべないでしょ、そう言って不二はまた微笑んだ。そりゃそうよねーっ、と笑い声をあげたうちの一人が突然「本命」と名指されたクラスメートをつついた。
「ちょっと、ほら、また手塚君が見てるわよ、ほらっ。」


視線の先に確かに手塚がいた。じっとこっちを見つめている。不二が顔をむけると、ふっと視線をはずして通り過ぎていった。女子がまた黄色い叫びをあげる。
「ねぇねぇ、知ってた?」
「そうなのよね。最近ずっとそう。」
「廊下通りがかるときとか、必ずあんたの方見てるよー。」
そんなこと…と少女ははにかんだ笑みを浮かべた。不二の視界がくらりと歪む。がたん、と立ち上がった。
「あ、じゃ、僕、日誌出してきたいし、いいかな?」


声は震えていないだろうか…不二はにっこりすると2年6組の教室を出た。背後できゃあきゃあ「本命彼女」を冷やかす声が聞こえてくる。目眩を覚えるほどの嫉妬、廊下は下校途中の生徒で一杯だったが、おかまいなしに不二は全力で駆け出した。




◇◇◇◇◇◇




それは本当に些細な会話から始まった。
部活が終わって着替えながらのたわいないおしゃべり。今年は絶対チョコの数が増えるだの、運動部の中ではテニス部がやはり抜きん出ているだの。手塚は部長にかわって部誌を書いており、バレンタイン会話には加わっていなかった。乾が今年のチョコ数予想をデータにもとづいて上げている横で、不二は河村と談笑していた。


不二は手塚に恋していたが、いくら愛を告白する日だといっても男の自分がチョコをあげるわけでなし、バレンタインにはなんの興味もなかった。だいたい、バレンタインにチョコだなんて日本だけじゃない、そう半ば馬鹿にする思いもある。
それでも、不二は小学校の頃から、毎年山のようなチョコをにこにこ笑って受け取っている。ただそれはお菓子好きの姉が喜ぶからであって、渡された相手の名前など覚えてもいなかった。渡す相手も、数が多すぎるのでお返しを期待していない。それも不二にとっては好都合だった。断るのも面倒だしお返しも面倒。まあ、くれるっていうんだから、いいか、その程度の認識だった。
それを口にすると、河村があきれ顔で、ぜいたくだなぁ、不二は、と言った。

「でも、タカさんだって結構もらってるじゃない。いちいちお返ししてるの?」
あー、うーっと詰まる河村が可笑しくて、不二はクスクス笑った。

「タカさんがくれるんだったら、お返ししてもいいな。あ、それとも僕のが欲しい?だったらちゃんとお返ししてよ。」

本命チョコってお返しするんだよねー、などと軽口をたたいていると、菊丸が手塚に捩じ込んでいた。
「手塚、また全部断っちゃうのきゃ。もったいにゃ〜。」

とーぜんだろ、手塚がチョコなんか貰うもんか、心の中で不二は呟く。去年だって手塚は全部…


「手塚、去年は全部断っていたみたいだけど、今年もそうなのかい?」


乾が眼鏡を押し上げながら手塚を無理矢理会話に引っ張りこもうとしていた。手塚はわずかに眉を潜めて部誌から顔をあげる。
「なんでも、無理矢理机や下駄箱に置いてあったチョコを職員室行きにしたそうじゃないか。」
「えええーっ、それってヒドーっ、」
つーか、ある意味うらやまし〜、いや、罰当たり〜っ、その場にいあわせた面々が声をあげたその時、ぼそりと手塚が呟いた。


「好きな相手からだったら、おれだって受け取る。」

一瞬、部室の空気が固まった。
呆然とした視線が手塚に集まる。怪訝に思った手塚が眉を潜めると、大石がうろたえたような声をあげた。
「てってっ手塚っ、もしかして本命できたのかっ。」
その一声で 崩れるように部員達が殺到してきた。

「誰、誰だそりゃ、もう告白したのかっ。」
「年上っ?。」
「どこまでいってんだっ。」
「手塚のことだから、案外いくとこまでいってたり〜。」
「えええええええ〜〜〜〜〜っ。」

部室は大騒ぎになった。
イッテたりってそりゃ最後までって意味か、つーことはキスとか当然ヤッてるよねっ、えええー、手塚って案外ヤってるクチ、うわ、もしかして裏の顔がある手塚とかっ、夜の手塚は違う人っ、皆が皆、好き勝手なことを言い始める。手塚はすっかり困惑して黙り込んだ。チラと不二を目の端で見ると、相変わらずの笑顔で河村に笑いかけている。
言いたい放題で話がだんだんとんでもない方向に向かい始めた時、意外な人物が助け舟を出してきた。

「告白してないって意味だろ、手塚。」

乾がにやっと口の端をあげる。

「日常生活のデータをみるかぎり手塚はまだ告白していないよ、その本命とやらに。」

そして、助け舟はとんでもない言葉を吐いた。

「教室移動や体育の時間、手塚の目が追っている人物、あ、とくに廊下を通る時は必ず君、6組だっけ、本命の教室覗いているんだよ、自分じゃ気付いてないかもしれないけど。」

手塚本人を含め、あっけにとられた全員が乾を見つめる。楽しそうに乾は続ける。

「色の薄い茶色がかったストレートヘアに端正な顔だち、そうだね、背はそう高いほうじゃない、華奢な感じで優しげに笑って…」

手塚の顔色が変わった。まだ何か言いたそうにする乾を凄まじい目で睨む。
「あ〜、はいはい、もう言わないよ、君の大事な人のこと。おーコワ。」
肩をすくめた乾からふいっと顔をそむけると、手塚は再び部誌に目を落とした。そして、黙っていてもびりびりつたわってくる手塚の殺気にのまれた部員達は、皆大急ぎで着替え、部室を逃げ出していった。