海と空と教室と1
 


              

その人は晴れた日の空のことばかりを話す。

例えばそう、どんなに澄んだ青色をしていたかとか、薄い雲がレースのようだったとか。煙るような水色の春の空、突き抜けた紺碧の夏空、秋空の高く鮮やかな青、キン、と透き通った冬の青空、彼の口から紡がれるのは美しく晴れ渡った空のことばかり。







「任務ご苦労様です。」

オレははたけカカシの報告書を受理する。数日がかりの任務が続く彼は、少し埃っぽくてくたびれた格好で、オレの前に立っている。

「今回は少し長かったですね。お疲れになったでしょう。」

受領印を押しながらオレは労いの言葉をかける。すると彼は一つだけ露になっている右目をにこり、と細める。

「いえ、たいしたことは。それよりイルカ先生、もうすぐあがりですか?」

オレは満面の笑みで答える。
「はい、後30分でおしまいです。」
「じゃあ、」

彼が杯を傾ける仕草をする。
「この後どうです?」
「いいですね。少しお待たせしてしまいますが。」
「かまいませんよ。いったん荷物置いてきますから。じゃ、いつものとこで。」
「はい。」

片手をヒラヒラさせて彼は出て行く。任務後のいつものやりとり、ここ数年、変わる事のないやりとり。



30分後、オレはいつも一緒に飲む居酒屋ののれんをくぐった。カカシさんは空いていたらたいていそこに座るって席で手を振っている。

「お待たせしました。」
「いえいえ〜、オレも今きたとこですよ。」

いつもの挨拶、決まり文句、つきだしをつつきながらビールからはじまって、カカシさんは魚、オレは焼き鳥、揚げ出し豆腐は二人とも。酒か焼酎かはその時の気分で決める。しばらく食べて飲んで空き腹が落ち着いてくると、カカシさんは頬杖ついてぽそぽそと話し始める。

「なんていうかねぇ、ぽかりって抜けるような青ってああいう色をいうのかなぁ。」

ちびちびと酒を舐めながらどこか夢見がちな目をして言う。

「丁度若葉の色が濃くなってくる時期でしょう?枝の切れ目から真ぁ上見上げたら、雲一つない青空だったの。緑色の葉っぱと青い空がね、眩しくて。」

とても綺麗、そう言って笑う。任務の後、一緒に飲むと、カカシさんは必ず空の話をする。見上げた木々の話をする。

「強い風が吹いたからね、その夜は天の川がくっきりと見えて、うん、キラキラ銀の砂を蒔いたみたい。ねぇ、イルカ先生、不思議だよねぇ、何億年も、何十億年も前の光をオレ達、見てるんでしょ?三葉虫がヒラ〜ッて泳いだ時光った星の光を見てるんだねぇ。」

星の話、太古の光の話、美しい話しかこの人はしない。夢みるように微笑んでカカシさんは美しい話だけをする。その美しい話に今生きている生命の姿はない。

緑色、僕の好きな緑色…

酔いがまわると、撃ち殺されて死んだ遠い国の詩人のうたを口ずさむ。

緑の風、緑の枝枝…

オレは静かに話を聞く。酒をなめながら、夢見るように微笑むカカシさんを見つめて。そして彼の口ずさむうたを聞く。
日付がかわるかかわらないかという頃、オレ達は居酒屋を出る。カカシさんはオレの少し前を歩く。オレは彼の猫背を見つめて歩く。両手をポケットにつっこんで丸められた彼の背中。分かれ道にさしかかると、顔だけ振り向きにこり、と笑う。

「じゃあね、イルカ先生。」

片手をあげてヒラヒラさせる。そして両手をポケットに突っ込む。ゆっくりとした足取りで歩いていく。オレはその後ろ姿をただ眺める。眺めるだけ…眺めるしかないのか。

居酒屋からの分かれ道、彼の背中が夜の闇に溶けていく。オレは一人残されて木偶の坊みたいに立ち尽くすだけだ。
ホントは知ってる。彼がどんな過酷な任務をこなしてきたか。見上げた青い空の下はいつも血塗れているのだ。

オレ達は忍びだ。血塗れることには慣れている。敵の頸動脈をかっ切りながら、仲間に冗談口をたたくことだってしばしばだ。カカシさんなんか、幼い頃から刃をふるい、大戦をくぐり抜けてきた忍びだ。オレみたいな普通の忍びとはくらべものにならないくらい修羅場を知っている。
だけど、忍びであるオレ達は人間でもあるわけで、たまにとてもやりきれない。暗殺や皆殺し、任務と割り切っていても気は塞ぐ。
わかってる、そんな任務の後なんだ。カカシさんが空や雲の話をするのは。目についた美しいものの話をするんだ。

でもカカシさん、晴れた日ばっかじゃなかったんだろ?冷たい雨の日だって、嵐の時だってあったじゃないか。泥濘にまみれながら、寒さに身を切られながら、アンタはクナイを握っていたんだろ?

アンタはオレに美しい話をする。

あぁ、そうだ、オレは知ってるよ。アンタは何時に帰ってきても、オレの受付終了の時間確かめて、きっかり三十分前に顔だすんだ。たまたま時間が合ったような顔して、ついでに誘うような顔して。
なぁ、オレがアンタの誘いを断るわけないじゃないか。もし仕事が詰まってたってオレはアンタを優先する。どうしても抜けられないなら、アンタに待っていてくれって図々しく言うよ。オレに話すことでちょっとでも楽になるなら、どんなことだって聞くから、アンタが美しい話しかしたくないなら、ずっとそれだけを聞くから、だからオレにまで気を使うなよ。
オレはただの中忍で、アンタの役にたつことなんか何もなくて、でもアンタが受け止めろって言ってくれるなら、血塗れだろうが悪鬼だろうが、どんなアンタでも受け止める。
だけどそれって一介の中忍には過ぎた願いなのか?おこがましいことなのか?
アンタは写輪眼のカカシだ。里の誉れだ。本来オレなんか口もきけない立場なんだよ。わかってるさ。でもしょうがないだろ。オレにとってアンタは写輪眼のカカシでも次期火影候補でもなくて、ただのはたけカカシなんだよ。オレの中ははたけカカシで一杯だ。
でもなぁ、一歩踏み出すのが怖いよ。オレの思いは強すぎて、それでアンタが引いちまったらって思うと踏み出せねぇ。アンタはただ慰めを求めているだけなのに、オレの気持ちだけが空回りしたらって思うと怖くてたまらねぇんだ。失うくらいならオレは今のまま、緩やかにアンタの手を握っていたい。アンタの手を放すのだけは嫌なんだ。

アンタはオレに美しい話をする。見上げた空木々の葉っぱや、梢を渡る風の話を。遠い国の、銃で撃ち殺された詩人の言葉を口ずさむ。



あぁ、アンタはオレに美しい話だけをする。





オンリーイベント「海空教室」の企画ペーパーです。テーマに『海空教室』のどれかを使うっていうのだったんだけど、全部使っちゃった。次は「教室」に続きます。ふふ、内面むちゃくちゃ乙女な人達がいる〜。カカシさんが口ずさむのはスペインの詩人、ガル◯ア・ロ◯カです。や、大好きなんだよ、ロル◯のこと、愛しとんのじゃ〜v