目の前に『イルカ』が転がっている。
「コッコテツッ。」
何故白目を剥いて泡を吹いているのかは考えたくない。そして、突き刺さる殺気の出所が誰なのかはもっと考えたくない。
「へ?コテツ?」
本物のイルカはきょとんとしている。
「あっあれ?カカシさん?……とカカシさん?」
戸口に立つ本物と変化したイズモを交互に眺め、ゴシゴシ目を擦った。
「オレ、酔っぱらっちまったのかなぁ。」
今更だ。
だが、そんな突っ込みも次の瞬間吹っ飛んだ。凄まじい殺気がこっちに向かってくる。
「きっさまぁ。」
きゃーーーーーーっ
恐怖のあまり悲鳴が声にならない。
「オレのイルカによくもっ。」
お助けーーーーっ
ズンズンと大股ではたけカカシが近づいてくる。なのに頼みの綱手は遥彼方の席に移動して近くにいない。見捨てる気満々だ。
あひ〜〜〜〜っ
鬼の形相のカカシがぐい、と額当てを押し上げた。緋色の写輪眼が露になる。
こっ殺される。
イズモは咄嗟にイルカの背後に隠れた。
「イイイイルカー、オレだオレ、イズモだよーーーっ。」
「イズモ?」
酔っぱらいは目をぱちくりさせるだけで反応が鈍い。
「綱手様に命令されたんだーっ。お前とはたけ上忍、仲良くさせろって、ひぃぃぃっ。」
「なに、その話、聞かせてもらおうか。」
ぬぅっと伸びてきた手に襟元をつかまれ吊るされた。端から見たらはたけカカシがはたけカカシを吊り上げているのだが、その迫力といい殺気といい、どちらが本物か言うまでもない。
「イッイルカ、助けて〜〜っ」
イズモはもう必死だった。これはマジで殺される。そしてこの無体な任務を言いつけた綱手は完全にシラを切るつもりだ。友に縋るしか道はない。だがこの友、酔っぱらいだし、イズモなのだとわかってもらえるのか甚だ心もとないが。
「イルカ〜〜〜ッ。」
「イルカイルカってうるさいねぇ。この人はオレのもんだよ。気安く呼ぶな。」
凄まれた。
ひ〜〜〜〜っ
「…カカシさん、オレのものって言ってくれるんですね…」
「えっ?」
驚いた顔でイルカを見たのはカカシだけではない。会場中がイルカを注視した。
「せっ先生、泣いてるの?」
いとも簡単にイズモをポイ、と投げ捨てるとカカシはイルカの側に素っ飛んでいった。黒髪の中忍は大きな黒い瞳からぽろぽろと涙をこぼしている。
「イルカ先生っ。」
さっきまでの鬼気迫る形相はどこへやら、カカシはあわてふためいてイルカの涙を指で拭っている。
「先生、間違えてニセモノとキスしちゃったのがショックなの?大丈夫、先生の唇を奪ったニセモノは後できっちり殺しておくからね。まず唇から潰してやるから安心して。」
甘い声でひどいことを言う。
違うっ、イルカがキスしてきたんだ、オレは被害者だ〜〜〜っ
と叫びたいイズモはただあぐあぐと口を動かした。恐怖で腰が抜けているのに声が出るはずもない。
「ち…ちがっ…」
ぐすん、と大きくイルカはしゃくりあげた。
「オッオレ、オレみたいな中忍が恋人だってわかったらカカシさんの恥だから今まで我慢して…」
ひっく、ひっく、と肩を震わせる。
「みんなにバレないようにってカカシさん苦手なふりして、でもキツくって、なのにこのニセモノが…」
イズモだってばぁぁぁっ
友に向かって縋るように伸ばした手は見事に無視される。
「あなたの顔で女勧めてきたりこんなとこでゆっくり話たいなんて言うから、オレ、もう飽きられたのかって、捨てられちゃうのかなって…」
「イルカッ。」
はたけカカシが泣いている黒髪の中忍をぎゅう、と抱きしめた。もう皆、唖然とするばかりだ。
「バカなっ。オレの方こそ、アナタがオレのものだってずっと言いたかった。だけどアナタは教師だから、オレみたいな男が恋人だと立場がなくなるって思ったからずっと我慢していてっ。」
「そんなわけない。アナタはオレの自慢の恋人ですっ。」
ぎゅうう、とイルカもカカシを抱きしめ返す。それから二人は体を離して見つめ合った。目尻に残る涙を口布を下ろしてカカシはぺろ、と舐める。
「オレ達、もしかしてつまんない気を使ってた?」
「はい、そうみたいです。」
くすぐったそうにイルカが笑った。ほわん、と甘い空気が漂う。このままキスしそうだ。
「あ〜、取り込み中悪いがね。」
再び近くに移動してきた綱手が割り込んだ。
「まさかお前達、仲悪い振りをずっとしていたのかい?いつから…」
「オレの一目惚れです。」
カカシがきっぱりと言った。
「オッオレの方が先に惚れてますよ。」
イルカが頬を染める。
「もう、先生ったら可愛いこと言っちゃって。」
「だってカカシさん、格好良かったから。」
「カッコいいだけ?」
「ううん、全部好き。」
「あぁ、今夜は手加減できそうにないよ。」
「………やめんか。」
コイツらが互いに一目惚れということは、三代目存命の時から関係があったということだ。なのにつまらん気の使いあいをやっていて、周囲はそれに振り回されていたということか。
綱手がこめかみを押さえた。
「カカシさん、もうオレ、立ってられない…」
「ふふ、すぐ連れて帰って、一杯愛してあげる。」
すでに銀髪と黒髪の恋人達は二人だけの世界に入り込んでいる。すりすりと頬ずりまではじめた。
「家に帰ってからやれーーーっ。」
綱手の怒声が響くと同時にどろん、と煙があがり二人の姿はかき消えていた。
イズモは呆然と座り込んだままだ。テーブルの向こうには白目を剥いたコテツがイルカの姿のまま転がっている。
「コッコテツぅ〜。」
とりあえず今は無事だったが、オレ達に明日があるのだろうか。変化を解いてもらえないまま、イズモは滂沱と涙を流した。
☆☆☆☆☆
夕方から夜にかけて、受付所は報告書を出す忍び達や報酬を払う依頼人で混み合っている。
「はい、結構です。お疲れさまでした。」
ポン、と報告書に受領印を押すと、受付の癒しと呼ばれる中忍、うみのイルカが顔をあげた。
「ど〜も。」
仲間思いで気さくだと評判の里一番の忍び、はたけカカシがそれに答える。
これまでと変わらぬ受付の風景。
ただ、うみのイルカが蕩けるような笑みを浮かべ、はたけカカシがたとえようもなく甘い声を出していることを除いては。
「ね、センセ、もうすぐ終わる?」
「今日は六時上がりです。」
「じゃあオレ、そこのソファで待ってるね。」
これでやりとりが終わればよし、だが、終わらないことのほうが断然多い。受付所に居合わせた忍び達は息を潜めた。辺りに緊張が走り、シン、と受付所が静まり返る。きょときょとしているのは慣れていない依頼人達だけだ。
くるか、くるか、
「あ、センセ、こんなとこに葉っぱなんかつけちゃって。」
キターーーーーッ
手甲をした手が受付中忍の黒髪に伸びた。木の葉をとり、そのまま頬に手を滑らせる。
「体術の授業の時かなぁ。ありがとうございます。」
その手に中忍は頬を寄せた。砂糖菓子のような微笑み、とろり、と銀髪の上忍の空気が蕩けた。
「ふふ、センセったら案外ドジッ子さん。」
「やだなぁ、アナタの前だけでですよ。」
「そうして。でないとオレ、心配で任務いけない。」
「だぁめ、ちゃんと任務終わらせて無事で帰ってきて、オレのとこに。」
「甘えっ子さん。」
「だから、アナタにだけです。」
甘い甘い空気、誰も突っ込みを入れられない。ただ黙って、この甘い嵐が過ぎ去るのを待つだけだ。
「ええい、うっとーーしーーっ。」
バーン、と受付カウンターが派手に鳴った。
「もーー我慢も限界だ。毎度毎度、いったい何なんだいお前達はっ。」
「五代目。」
里の長である女傑の一喝に、しかし二人は動じる気配もみせない。
「オレは任務報告書を出しただけですが何か?」
「火影様、不備がありましたでしょうか。」
以前と台詞は全く同じだが、態度が違う。二人はしか、と手を握り合っている。綱手はしかめっ面で額を押さえた。
「お前ら、いくら公然と恋人宣言できたからってな。」
途端に銀髪の上忍と黒髪の中忍が笑み崩れた。
「イルカせんせ、辛かったよねぇ。オレ達、ホント、耐えてきたよねぇ。」
「はい、でも今はオレ、幸せです。」
「これからは隠すこともないから、今までの分取り戻してイチャイチャしましょうね。」
「嬉しいです、カカシさん。」
「………わかった、わかったからカカシ、そこを退いてやってくれ。報告の列が動かん…」
バカップルには何を言っても通じない。綱手は力なくヒラヒラ手を振った。カカシが振り向いた。列に並んだ忍び一同、直立不動に硬直する。
「あっ、いえっ、はたけ上忍、お気になさらず。オレたち、急いでないですからっ。」
「そっそうです、なんでしたら別の列に移動してもぜんっぜん平気ですしっ。」
前から一番目と二番目に並んでいた忍びがブンブンと手を振った。内心、はたけカカシの後ろに並んでしまった己の迂闊さを呪う。だがカカシはにこぉ、と目を細めた。
「あ、ごめーんね、オレのイイ人があんまり可愛いからさ。」
どうぞ、と体をずらしたあと、冷え冷えとした声音で言った。
「手とか触ったら殺すよ。」
ひえ〜〜〜〜〜っ
こんなことなら、仲が悪い振りをしてくれていた方がずっとよかった。鼻歌まじりに受付所のソファに座ったカカシが時折鋭い視線をなげかけてくる。先程とは別な緊張に受付所は覆われていた。
「…というわけだ。」
「なにがですかーーーーっ。」
イズモとコテツは火影執務室の壁に貼り付いた。
「イヤですっ、今度ばかりは何があってもイヤですっ。」
「まだ何も言ってないだろうが。」
「それでもイヤですーーーーっ。」
前回の強制任務では本当に殺されるかと思った。イルカの取りなしがなければ、今頃自分達はひっそりと闇に葬られている。今、こうやって無事にお天道様を拝めること自体、奇跡なのだ。なのにこの里長はまた無理難題を押し付けようとしている。
「だからな、このままじゃうっとーしくてかなわん。そこでだ、お前達、また変化を固定してやるから、アイツら、別れさせな。」
「それこそ切り刻まれて殺されますーーーーっ。」
「そうですっ、こないだのは仲良くさせようって目的だったから許してもらえたようなもんでっ。」
「それにはたけ上忍を騙すなんて絶対無理ですよっ、バレたじゃないですかぁっ。」
真っ青になりながら必死で首を振る。綱手はカラカラと明るく笑った。
「だ〜いじょうぶだって、ちょいと改良すりゃいいだけだし、このアタシがついているじゃないか。」
「見捨てたくせにーーーーっ。」
もう半泣きだ。
「うるさいねっ、火影命令だよっ。」
「それでも絶対イヤですーーーッ。」
「今死ぬか、後でカカシに殺されるかの違いだろっ。」
「ぎゃ〜〜〜っ、鬼ーーーっ。」
「誰が鬼だいっ。」
「おっ鬼は外ーーーっ。」
「きっさまらぁっ。」
節分を過ぎ、里はすでにバレンタインデー一色だ。まだまだ厳しい寒さ続きだが、ゆっくりと、しかし確かに春の足音が近づいてきていた。
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