目の前が真っ暗になった。
別次元の世界に迷い込む、そんなもは映画や本の中だけの話じゃないのか。実際に我が身が迷い込むなんて、いくら忍びの技を極めようと、人の身ではどうしようもない。
ここが別世界だとして、自分は元の世界に戻る事ができるのだろうか。座り込んだまま動く事が出来ないカカシの横で,子猫は顔を宙に突き出し鼻をフンフンと言わせた。
「パラレルワールドって奴ですかねぇ、この世界のあっしの気配がありやす。ただし随分と遠い森のようでやんすがね。コイツに気付かねぇなんざ、ちょいと気ぃ弛みすぎでやした。この世界のあっしぁカカッさんやあにさんに会ってないんでやしょうかねぇ。」
なんだか呑気だ。
「まったく、長生きはするもんでやすねぇ。びっくりでやすよ。」
元の世界に戻れるかどうかもわからないのに子猫はのほほんとしている。このあたり、ナリは子猫でも二百年生きている化け猫の貫禄なのだろうか。
「……お前、呑気ね。」
子猫がにんまりした。
「ありゃあ、まさかカカッさん、怖くなっていたとか言いやせんよねぇ、仮にも里の誉れなんでやしょ?」
「………」
返す言葉がない。さっきは子猫の声が死刑を宣告するように聞こえたが、今は救い主か何かのようだ。
はぁ、とカカシは大きく息をついた。さっきまで恐怖と絶望に雁字搦めだったが力が抜けた。
「なんか、お前と一緒にいたら大丈夫な気がしてきたよ…」
「当たり前でやす。世界の摂理を舐めちゃあいけやせん。」
ひくり、とヒゲを揺らす。
「歪みは必ず元に戻るもんでやす。ま、この世界をしばらく楽しんでみやせんかい?」
「楽しむって…」
多少気は楽になったがこれからを思うとやはり不安だ。だが子猫はたしんたしん、としっぽを揺らしてみせた。
「カカッさん、この世界のあにさんになら、多少の無理はとおせると思いやせんかい?」
「へ?」
「でやすから、妙に殊勝な性格になってたでやんしょ、あのあにさんが。」
確かに言われてみると、ここのイルカは大人しい。へっへっへ、と子猫は不穏な笑い声をあげた。
「別世界だろうとあにさんはあにさんでやす。ここのあにさんには十分、あっしを敬うようしむけてやりやすぜ。」
「えっ、お前、あんまり無体なことは…」
「カカッさんだって色々試してみちゃあどうですかい?案外、裸エプロンだって夢じゃありやせんぜ。」
「えっ…」
戸惑うカカシに子猫はくふくふ笑った。
「な〜に、化け猫のあっしがいるんでやす。どうせ元の世界にゃ帰れますって。だったらほれ、カカッさんも、普段あにさんに言ったら蹴り倒されそうなあ〜んなことこ〜んなこと、やってみるチャンスでやすよ。」
「えっ…ええっ?」
救い主の声は悪魔の誘惑の声となってカカシの脳天を直撃した。ぶわり、とカカシの頭に花が咲く。
「………それ、ありかもね…」
そうだ、ここのイルカはカカシには絶対服従のようだった。ということは…
「どっ土下座して御願いしたらかなえてくれるかも、だよねっ。」
「……なんでそこで強気になれねぇんです?普段出来ないんでやすから、命令くらいやってみりゃあいいでやしょうに。」
やれやれと子猫は首を振るが、カカシは気にならない。現金だとは思うが、途端に未来が明るくなった。
「ちょっとこの世界を楽しんでみるのもいいよね。お前がいるんだからきっと帰れるんだろうし、だったら」裸エプロンに影分身プレイも御願いしてみよっかなぁ。」
絶望で座り込んでいたはずが、元気に立ち上がった。ぴょん、と子猫が肩に飛び乗る。
「あっしぁまず、是清様って呼ばせてみやしょうかね。そんでもって、全て敬語仕様でこき使ってやりぁすぜ。」
「オレはまず何にしよう。わ〜、夢が膨らみすぎて決められないね〜。」
へっへっへ、と不穏な笑みを浮かべた一人と一匹は足取りも軽く火影の執務室へ向った。こうなったら火影の用事などとっととすませてイルカのところへ帰らねば。アカデミーを突っ切り本部棟の階段を駆け上ると勢いよく執務室のドアを叩く。
「カカシです。」
「入りな。」
五代目の声だ。この世界でも同じなのだなとドアを開ける。
「五代目、用事って…」
「拘束しろ。」
「へ?」
周囲を暗部一個小隊が取り囲んだ。見回すと部屋の中には更に数小隊が待機している。
「ちょっとちょっと、なんなのコレ。」
抵抗の意志はないと万歳すると、五代目が立ち上がった。頭のてっぺんから爪先まで、じろじろと眺められる。
「確かにカカシ本人だ、ではどういうことだ…?」
形のいい眉をひそめる。それからじろりとねめつけた。
「お前はカカシか?」
「……カカシですけど。」
「ならこれはどういうことか説明しろ。」
ずい、と差し出されたのは、先程提出して任務報告書だ。
「確かにこれは我が里の書類だ。この火影印も間違いはない。だが妙だ。」
琥珀色の目が探るようにじっとカカシを見つめた。
「こんな任務を受けた記録はない。なによりこの」
とんとん、と一カ所を指で示す。
「音の里とはなんだ。こんな忍びの里の話など聞いた事ないぞ。」
今度はカカシが目を見開く番だった。
「この世界に音の里は存在しない…?」
「この世界?」
綱手がますます眉間に皺を寄せる。カカシは子猫と目をあわせた。
「どーする?」
「話ちまった方がいいんじゃねぇですかい?」
「そーだねぇ、黙ってたらややこしくなりそ。」
「おい、カカシ。」
綱手の声に苛立ちが混じる。
「何を言っている。それにその肩の上、なんだソイツは。」
「あ〜その、何をどう言えばいいやら…」
「でやすね。」
「だから何だいっ。」
ドン、と机を叩く綱手を子猫がヒゲを震わせ笑った。
「こっちの乳ババアもヒスでやんすねぇ。」
「だぁれがババアだってぇっ。」
「わ〜、五代目、落ち着いて下さいっ。」
「綱手様を押さえろーっ。」
机をふっとばさんばかりの綱手を暗部総出で押さえにかかっている。唖然とそれを眺めるカカシの肩で子猫はくぁ、と欠伸をした。
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