『はたけカカシを上忍師に任ず。ただちに里へ帰還せよ。』
里からの命令書を読み上げた伝令は、そのまま膝をつき、火影の印の浮かんだ任命書を目の前に立つ銀髪の忍に渡した。黒い口布に片目を額あてで覆ったその忍の表情はわからない。単独のSランク任務を終えたばかりだというのに、銀髪の忍からは毛ほども感情の揺れや昂りが感じられなかった。その冴え冴えとした空気に、伝令の中忍二人は身をすくませる。どこかでほぅ、とみみずくが鳴いた。
「了解、明日、日の出とともに出立する。」
淡々とした声がかえってきた。
「はっ、今夜は我らが見張りをいたしますので、はたけ上忍はお休みください。」
「その必要はない。」
あっさりと言われ、中忍達は慌てて頭をたれた。
「しっ失礼いたしまし…」
言い終わる前に、はたけカカシは中忍達にスッと背をむける。その姿は闇にとけるように、森の中へ消えてしまった。
中忍達はしばらくはたけカカシが消えた空間を見つめていたが、そのうち一人がはぁ〜っと力を抜く。
「やっぱ、なんか怖ぇ人だな、はたけ上忍。」
「あ〜、伝令ツーマンセルでよかった〜。一人だったらオレ、どーしていいかわかんねかったよ〜。」
カカシに任命書を渡した方の中忍が草の上にへたりこんだ。
「でもよぉ。」
もう一人も草の上に腰を下ろした。季節は一月の末、霜が降りた地面はひどく冷たかったが、中忍二人は気にしない。カカシの持つ空気の方がよっぽど冷たかったのだ。
「里に帰れるってのに、全然反応なかったな。」
「あの人、もう十年、外回りばっかなんだろ?」
「あぁ、そう聞いた。」
へたり込んだほうの中忍が肩をすくめた。
「嬉しくねぇのかなぁ。普通はもっと、なんかこう、反応あるよな。」
「写輪眼の考えることなんざ、オレ達凡人にゃはかりしれねぇって。」
「はは、そりゃそーだ。」
その時だ、森の奥から不思議な声が響いてきた。
『キャホ〜〜』
ギョッと中忍二人は顔を見合わせる。
『キャホホ〜イ』
遠くなったり近くなったり、声は森を移動しているようだ。
『キャホキャホキャ〜』
「てっ敵かっ?」
中忍達は立ち上がるとクナイに手を伸ばした。だが、殺気もなければ声が近づいてくる様子もない。他里の伝令にしては目立ちすぎるし、第一、人の声とは思えない妙な音だ。だいたい、この近くにはあの写輪眼のカカシがいる。他里の忍が動いていれば、すぐ自分達になにがしかの命令が届くだろう。二人は顔を見合わせ、苦笑いした。
「鳥か獣だよ、ありゃ。」
「だよな、畜生どもの声にビビるなんざ、落ちたもんだぜ。」
「オレら、相当はたけ上忍の冷気にあてられちまってんだよ。」
森の奥の闇から生まれたようなその声は、一つ所に留まることなく高速で移動している。そのうち、ふつっと途絶えてしまった。中忍二人はやれやれ、とクナイをホルダーにしまう。
「休むか、オレらも。」
「そうしよ。」
背の高い木の大枝を見上げ、二人は跳躍した。ざっと草が揺れる。そして再び静寂が戻った。凍てついた森では動くものの影はない。シン、となった森の奥にかすかにミミズクの鳴く声だけが響いていた。
「きゃほお〜〜いっ」
木々の枝を高速で渡りながら、はたけカカシは思わず声をあげていた。
「きゃっほほーーーっ。」
嬉しくて嬉しくてたまらない。ぐるん、と大枝で大回転して木の梢まで一気に駆け上がる。
「うっきゃ〜〜〜〜っ。」
真冬の空にぽかり、と浮かんだ青い月にカカシは拳を突き上げた。
「新シリーズに間に合うじゃなーいっ。」
ぶくくくっ、と突き上げた拳を口元に当てて肩を揺らす。口元が緩んでしょうがない。
「明日出立したらギリギリ明後日の七時までにはかえれるよね。ってことは何?今回オレ、リアルタイムで第一話から見られるってこと?上忍師になったらほとんど里在住だし、じゃあ、前シリーズの録画楽しみながら毎週新シリーズチェックできるって、うわ、たまんねーっ。」
これってご褒美?一生懸命お仕事してきたオレへのご褒美だよねっ、カカシは木の梢に掴まってぐりんぐりんと身悶えした。
「新シリーズのうたい文句は、史上最弱のライダーっていうじゃない。楽しみだぁね〜。」
そう、はたけカカシは実は特撮隠れファンだった。
はたけカカシが特撮にはまったのは十六の時だった。
きっかけは写輪眼を使った情報解読の任務だ。解析すべきビデオは子供用の特撮戦隊シリーズだった。その特撮番組の中に敵が潜ませた暗号を読み取るのだ。カカシは何度もそのシリーズを見た。赤や青や黄色のスーツで全身を覆ったヒーローがバッタバタと敵を倒しているお定まりのシーンに現れるわずかなブレから隠された記号を読み取るため、写輪眼を駆使した。そして、カカシは見事情報解読を成し遂げ、無事に任務を完了した。
すべてを終えたとき、写輪眼のせいで体は随分と疲労していたのだが、なんというか、カカシは爽快だった。全身満たされているというか、不思議な高揚感がある。
あぁ。
カカシは思い当たった。
そうだ、もう台詞も動作も覚えてしまった特撮戦隊シリーズ、やることはお定まりなのに、見終わった後が実に気持ちがいい。世の中の暗いことやドロドロしたものがすっきりと浄化されたような気分だ。こういうのをカタルシスというのだろうか。
カカシは感動した。初めは安っぽい仕掛けのくだらない子供番組だと侮っていた。だがどうだ、単純化された世界に、どれほど心が癒されることか。子供達に向けられた真っ直ぐなメッセージは確かにただの綺麗ごとだが、大げさなアクションやドラマの中で語られる言葉が胸に沁みる。じくじくと膿んだ傷の痛みが薄れていく。その感動を伝えたくて、報告を終えたカカシは暗部の先輩達のところへ飛んでいった。
「ねぇ、オレが情報とったあのビデオだけどさぁ。」
すると暗部の先輩達は気の毒そうに眉を下げたのだ。
「あぁ、あれかぁ。カカシ、大変だったろ?いっくら情報とるためっていっても、あーんなガキ番組、ずっとチェックしなきゃならねぇなんてさ。」
「そーそー、災難だったなぁ、ったく、敵さんももうちっとましな番組に隠しゃいいのによ。よりによって戦隊ものだぜ?くだんねぇもん選びやがって。」
「くだんねぇもんだから敵さんも選んだんだろうよ。まさかあんなもん、解読しようなんて普通は思わねぇしな。」
「疲れたろうなぁ、カカシ、今度はオレらがいいもん貸してやっから、今日はもうゆっくり休め。」
ぽんぽん、と肩を叩かれ、カカシは何も言えなくなった。
「………うん。」
小さく頷くと、暗部控え室を後にする。カカシは特撮物の話を人にしてはいけないとそのとき学んだ。
しかし、それ以来、どっぷりと特撮戦隊物の世界にはまったカカシは、シリーズ全てを録画して、里へ帰還したときにこっそりと観るという生活を始めた。特撮はすでに、カカシにとってなくてはならない癒しなのだ。
戦隊物の後に仮面ライダーシリーズがはじまったときには、一人で祝杯をあげたものだ。大容量ハードディスクのくっついた機種が出た時には、迷わず即買いに走った。なにせ金だけは腐るほどあるのだ。シリーズのDVDやフィギュア、武器やロボットのおもちゃは遠くの街で変化して手に入れた。
大人が特撮好きだと恥ずかしい、暗部の先輩達によってそう刷り込まれたカカシは、ひたすら隠れファンの道を突っ走り、今日にいたる。
そして十年、ついに里在住の任務がきた。こんな幸運が自分に巡ってくるとは。
カカシの悩みは、里外任務でゆっくりと録りためたものを見る余裕がないことだった。そのせいで店頭のおもちゃと自分の中の情報がどうしてもずれてしまう。それはファンとしてやはり寂しいことだった。だがそんな悩みともおさらばだ。
カカシは木の梢に掴まったまま、ほえ〜っと空を見上げた。
上忍師となったら毎週テレビを欠かさず見ることが出来る。もしかしたら子供達にせがまれて、特撮ヒーローショーにいけるかもしれない。
幸せにおなり、と笑ってくれた金髪の師匠を思い出す。
先生…
父が死に、友が死に、先生まで逝ってしまった。それでもカカシはがんばった。
カカシは幸せになれるよ、幸せにおなり、九尾の災厄の時、死地へ赴く師が最後にそう言って笑ったから、だからカカシは必死で生きた。
あ〜、幸せってこんなとこにあったんだ〜
カカシは青白い月にパンパン、と手を合わせた。
「先生、素敵なご褒美、ありがとうございます。カカシはこれからも一生懸命里のために働きますので、また見守ってください。」
目を閉じ、亡き師へ祈りを捧げるカカシの胸は、夢で大きく膨らんでいた。
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