木の葉の里長、三代目火影はゆったりとキセルをふかしていた。午後の執務が一段落して、三時のお茶の時間だ。九月の半ば、日中残暑はまだ厳しいが、この時刻になると気温も下がり風が秋の気配を運んでくる。とん、とキセルの灰を落とし、老翁は煎茶茶碗の蓋をとった。ふわりと立ち上る緑茶の香りに目を細める。と、傍らの壁が発光しはじめた。何もなかった壁に木製のドアが現れバタンと開く。中から銀髪の青年が歩み出て来た。背が高くスラリとした体躯の青年はゆったりと三代目の前に立った。
「はたけカカシ、式典護衛任務終了いたしました」
銀髪の青年は木の葉の誉れと謳われる上忍、はたけカカシだった。だが、身に纏っているのは忍服ではなく、トレードマークの鼻まで覆う口布や左目の写輪眼を隠す額当てもつけていない。整った素顔を晒し、銀灰色のシャツにオリーブ色の足首まである長いローブを羽織っていた。木の葉にはない服装だ。シャツは光沢のある絹で、スタンドカラーの襟元には銀糸で木の葉の刺繍がほどこされている。前開きだがボタンは布に隠れてみえない。袖口にも銀糸で細かく木の葉が刺繍されている。それが大きく開いたローブの袖から覗いていた。
「うむ、ご苦労であった」
三代目が重々しく頷いた。カカシはローブの袖から巻物を取り出す。
「はいこれ、財団総裁閣下からの書簡です」
それから大きなドレープのある長い袖を五月蝿そうに振った。
「三代目、この奇天烈な服、どうにかならないんですか?式典護衛任務のたびにコレ着せられますけど、この振り袖みたく長い袖やらビラビラやら邪魔で邪魔で、護衛なら忍服でよくないですか?」
「そう言うな。財団の正装なのじゃ。護衛と言っておるがその実、式典の飾りが目的だからの。まぁ、暗器を仕込むための袖だと思っておけ」
「そりゃまぁ、動かずに使えそうなモン、山ほどぶち込んでますけどね」
バタバタと袖を振る。中から巻物だの札だのが落ちてきた。
「いい加減この式典護衛任務、他の上忍に振って下さいよ。オレばっかじゃないですか」
「指名任務じゃ。閣下がそれだけおぬしを買っておるのよ」
三代目は立ち上がって手ずから茶を煎れた。応接テーブルへカカシを促す。長いローブの裾を五月蝿そうにバサバサやりながらカカシはソファに掛けた。
「カカシよ」
「はい」
「おぬし、いくつになった」
「明日で二十八ですけど」
カカシは小首を傾げた。
「なんです?昔っから式典任務の度に同じ事おっしゃいますよね」
「そうかの」
「そうです。オレが九つの時からずっとですよ」
この式典護衛任務、聞けばずっと亡き父サクモが務めていたという。それゆえかサクモが忍界大戦で戦死した翌年からずっとカカシが任務についている。
「そうか、明日の誕生日で二十八か」
しみじみと三代目は呟いた。
カカシは八歳で父を亡くし、その後同じ戦争で友を失っている。写輪眼はその友から譲り受けた。そして『九尾の災厄』が師でありカカシを慈しんで育てた四代目火影を奪った。
やはりカカシを庇護していた三忍とよばれた忍び達は、尾獣とその背後にある組織を探るために里を離れ、この十数年一度も里に帰れないでいる。
カカシはたった一人で戦場を生き抜かねばならなかった。カカシを導けるだけの力量を持った大人が三代目以外に存在しなかったこと、その三代目は里の復興のため多忙すぎたことが原因だ。それが三代目には不憫でならなく、カカシを実の孫とも思っているのだが、ただその気持ちが伝わっているかというと甚だ心もとない。意外にも老翁は真に近しい者への愛情表現が苦手だった。
老翁は茶を口に含みしみじみと言った。
「今のおぬしを亡きサクモがみたら喜んだであろうよ」
カカシが肩を竦める。
「それも毎年言ってますよ。式典任務の後に必ず」
「そうであったかの」
様々に言いたい事柄が火影の胸中を行き来する。が、結局言葉にならなかった。
「総裁閣下はご健勝であられたか?」
茶器を手にわかりきったことを尋ねる。猫舌のカカシは湯のみをふーふーしながら頷いた。
「えぇ、奥方様ともどもお元気そうでしたよ。オーシャン財団健在?みたいなオーラ出しまくりでしたね」
オーシャン財団は一企業でありながら五大国経済の半分を占めている巨大組織だ。大陸に網の目のようなネットワークを張り巡らし、その力は国主をはるかに凌ぐ。本拠地は岩の国境沿いの山あいにある独立自治の城塞都市だ。木の葉には時空間忍術によって繋がった出入り口が数カ所あり、その一つが火影の執務室の中にあった。財団本拠地での任務には執務室の出入り口を使う。任務を受ける忍びは木の葉の中でも信頼の厚いものだけだ。それ以外は出入り口の存在さえ知らされていなかった。
「して、大奥様は」
「あぁ、あの婆さん」
渋い顔でお茶をすする。
「これ、言葉の悪い。次代の火影がなんとする」
たしなめる三代目にカカシは顔をしかめた。
「火影ならアスマにすればいいでしょ。オレはごめんです。で、その『大奥様』は相変わらずっていうか、元気一杯使用人扱いしてくれましたよ。毎年のことなんでもう慣れましたけどね」
三代目が困ったように笑った。
「まぁ、木の葉が火の国の干渉を受けず独立自治の里であれるのもオーシャン財団のおかげだからの」
「わかってますよ。元々オーシャン財団の私兵組織として木の葉が作られたんですよね。今じゃ木の葉の規模がデカくなったんで独立自治区になりましたけど、あの婆さんの年代じゃ使用人扱いしたくなる」
「悪いお人ではないが気位が高いからのぅ」
老翁は何かを懐かしむように目を細めた。
「財団の大奥様」に対して天を仰ぎ見るような気持ちを抱くのは三代目の年代ぐらいまでだろう。カカシ達若い世代にそういう気持ちは薄い。若い忍び達にとって敬い従うべき存在は『火影』であり、国主だろうと財団総裁だろうと単なる契約主にすぎないのだ。
もちろん、忍び達にも階級意識はある。だがそれは同じ忍び組織内でのことだ。命令系統がしっかりしていない武装集団は壊滅する。だから厳しい縦社会が形作られているのだが、それ以外の支配層に対しては、仕事の依頼人だとしか思っていない。契約がなされなければ、国主といえどただの人だ。この感覚は木の葉が独立自治区としてやっていくためには必要だと三代目は思っている。
「ときにカカシよ。おぬし、明日の誕生日にはなんぞ予定があるのか?」
なければ館で馳走しようと言いかけた火影は、目の前の青年の頬にサッと朱が佩かれるのを見た。
「ほう、予定があるか」
「あ、や、まだそれは…」
落ち着きなくガシガシと銀髪をかき回している。普段飄々としているカカシが、年相応の青年の顔をみせたことを火影は喜んだ。
「そうか、そうか」
老翁は目尻を下げ頷いた。
「まぁ、がんばるがよい」
ひらひらと手を振り退出を許す。銀髪の上忍は大慌てでかき消えた。
「そうか、あやつも年頃か」
三代目火影はキセルをとりだすと煙草を詰め火をつける。ゆったりと煙を吐き顔を綻ばせた。
「あの様子ではまだ初々しい関係じゃの。まぁ、そのうち所帯を持つと報告にくるか」
楽しみじゃのう、と一人呟く。
火影は知らなかった。カカシが誰に恋をしていて、それがとんでもない騒動を引き起こすことになるとは。嵐の前の束の間の静けさになるとは露とも思わず、三代目火影はのんびりくつろいでいた。
火影の執務室を退出し、式典服からいつもの忍服に着替えたカカシは上忍待機所に向っていた。頭の中でこれからの計画を反芻する。明日の誕生日をダシにして二ヶ月前に手に入れた可愛い恋人との関係を一歩前進させるつもりだ。
「カカシさん」
上忍待機所へ向う途中の廊下で後ろから呼び止められた。銀髪の上忍は口布の下の唇を弛める。溌剌とした声、振り返らなくてもわかる、カカシの大事なあの人だ。思ったよりも早く訪れたチャンスに内心小躍りした。だがそこは上忍、浮かれた姿を見せるわけにはいかない。ポケットに手を突っ込んだ猫背気味のいつものポーズのまま、ゆっくりと踵を返した。
「カカシさん」
ぱたぱたと黒髪の青年が駆けてきた。頭のてっぺんで一つ括りにした髪がぴょこぴょこ揺れている。鼻の上に一文字の傷痕を持つアカデミー教師うみのイルカ、カカシの可愛い恋人だ。
その恋人はカカシと目が合うとパッと頬を染めた。どこかおずおずと上目遣いにカカシを見る。
かっ可愛いっ
内心悶絶した。うみのイルカという青年、年は一つ違い、背丈もあまりかわらず、どちらかというと男くさい顔立ちなのだが、仕草や表情に愛嬌がありカカシの目にはたまらなく可愛くみえる。あまりの可愛さに地面に転がってゴロゴロしそうだ。だがその衝動をぐっと堪えた。なんたって自分は里屈指の上忍、クールで大人なカッコいい『写輪眼のカカシ』なのだ。そういうスタンスでイルカを口説いた。たとえカカシの本性とは違っていても、付き合い初めの今はクールで大人でカッコよくなきゃいけない。せっかく手に入れた恋人を逃すわけにはいかないのだ。カカシはやや低めの声で恋人の名を呼んだ。
「イルカ先生」
自分の声にはちょっと自信がある。意識して低めに甘く囁けば落ちない女はいなかった。イルカを口説くときも最大限活用したそのクールボイスでカカシは柔らかく言った。
「約束してないのに偶然あなたに会えるなんて、オレは幸運な男ですよ」
僅かに首を傾げイルカの顔を覗き込む。
「今日はいい日だな」
口布と額当てをしているから顔の右側をより多く見せる。標準忍服装備時のキメ顔だ。
キマッた、たぶんっ!
内心ドキドキしながらイルカの反応を待つ。
「そ…そんな、カカシさん」
黒髪の恋人はぱぁぁ、と顔を赤くして俯いた。
ぐっは
鼻血噴きそうなくらい可愛い。のけぞって頭ブンブンしかけたカカシは鉄の意志で己の体を制御した。
クールで大人なカッコいいい『写輪眼のカカシ』は絶対にそんなことをやってはいけない。
はぁはぁしそうになる息をなんとか整えていると、イルカがまっ赤に頬を染めたまま顔を上げた。
「あの、カカシさん、明日の夜はお時間空いてますか?」
もちろん空いている、というより空けてある。なんたって明日はカカシの誕生日、情に厚いイルカが何かやろうとしてくれていることくらいとっくに知っていた。だから上忍仲間や暗部にまで絶対呼び出しをかけないよう念押ししてある。ただ、そこはクールで大人なカッコいい『写輪眼のカカシ』、皆を脅しつけたなどと微塵も悟らせない。なんでもない風でさらりと答えた。
「えぇ、任務明けですから明日から3日、休みです。今夜は夜番待機ですが明日は予定、何も入っていませんよ?」
ぱぁ、とイルカが顔を輝かせた。
「じゃっじゃあ、あの、明日の夜、お時間いただけませんか?」
「もちろん」
カカシはふわり、と微笑んだ。口布をしていても相手に表情を悟らせようと思えばわけもない。
「もし予定があったとしても、あなたのためなら何がなんでも空けますけどね」
それがたとえ任務でも、とイルカの赤くなった耳元に囁いてやる。案の定、イルカは焦ってわたわたと手を振った。
「だっだめですよ、そんな…」
「ふふ、大丈夫、任務はちゃんと遂行します。大事なあなたの嫌がることは絶対出来ないもの」
にっこりするとウブな恋人の顔はもう茹で蛸だ。言葉が出ないのだろう、口をパクパクさせている。
「で、明日の夜ですよね?」
ここで助け舟だ。きっとイルカ居酒屋か、もしくはちょっとがんばって小料理屋で誕生祝いをしてくれるのだろう。
一年がかりで口説き落としたイルカと晴れて恋人同士になって二ヶ月、二人はいまだ清い関係だ。うぶで身持ちの固いイルカは二十七の今日まで恋人を持ったことがなかったという。初めて出来た恋人が上忍で男となれば、肌を合わせるにも覚悟がいるだろう、そう思ってカカシはことを急がなかった。
デートは常に居酒屋や小料理屋で、帰りはイルカを教員アパートまで送っていく。イルカを怖がらせないよう、しかしさりげなく体に触れるようにしていたら、一ヶ月目でようやくキスを許してくれた。それからは会えば必ずキスをして、少しずつそれを深いものに変えていった。焦りは禁物、イルカが熟れて落ちてくるのをゆっくりと待っているところだ。
ただ、互いの家に上がり込むのだけは避けていた。閉鎖空間で二人きりになってしまったら己がどうなるか自信がない。無理矢理押し倒してしまったら全てがおシャカ、だから会うのは必ず外にしていた。イルカには「先生の心がほぐれるまでオレは待ちますよ」的な感じにカッコつけている。そうやって外でのデートを重ねているから、明日も居酒屋か小料理屋になるだろう。
「明日の夜は予定ありません。空いていますよ?」
頷くと可愛い恋人はあの、あの、と繰り返した。焦っている様も愛らしいとカカシは口布の下でこっそりにやける。
「あっあのっ、明日はカカシさん、誕生日ですよねっ」
「誕生日…そうか、忘れていたな」
もちろん嘘だ。だがそんなことはおくびにも出さずカカシは柔らかく微笑んだ。
「イルカ先生、お祝いしてくれるの?」
「はっはいっ」
イルカは何か覚悟でも決めたかのように顔を上げた。
「カカシさん」
「はい」
「明日の夜、オレの家でお祝いしませんかっ」
えっ…
一瞬、思考が止まった。聞き間違えでなければ「オレの家」と言ったか?
「カカシさんの誕生祝い、二人きりでやりたくて」
えええっ?
「その…ご迷惑でなければ…ですけど…」
語尾が段々小さくなる。まっ赤な顔の恋人はきゅっと拳を握った。
「とっ泊まっていって下さい、カカシさん」
ぬおぉぉぉぉぉぉぉっ
今なんとーーーーーっ
確かに期待はしていた。誕生日をきっかけに一歩前進したいと。しかしそれは触れるだけのキスから舌入れるキスにすすめたいというレベルの話で、食事の後に川辺を散策してロマンティックな雰囲気を盛り上げディープキスに持ち込もうかってくらいの計画で。
どくん、と全身のチャクラが波打った。
泊まっていってと、泊まっていけと、それはなんつーか、オケってことなんでしょーーーかぁっ
ドドドドと足踏みならし花の咲いた頭をスイングすること0・03秒、鉄の意志で全身の衝動を押さえつける。
だってオレ、クールで大人なカッコいい『写輪眼のカカシ』なんだもんっ
カカシはすかさず、しかしあくまで『クール』にイルカの手を引いた。
「泊まるの意味、わかっているの?」
真正面からイルカを見つめる。破れる寸前の鼻の毛細血管をチャクラ総動員で制御すると自然、射抜くような視線になった。こくり、とイルカが頷く。
「オレ、そこまで子供じゃないです」
頬を染め、だが漆黒の瞳は揺るぎなく見つめ返してくる。
めるへんキターーーーーー
ヘッドバンキング0・003秒、カカシはイルカの手を口元に持っていった。
「無理していませんか…?」
そっと口布越しのキスをおくった。そう、あくまでクールで大人で格好良く。
「大事なあなたに無理はさせたくない」
「むっ無理なんかしていませんっ」
まっ赤な顔でイルカはきっぱりと言った。
「オッオレがっ…」
黒い瞳が揺れている。
「オレがそうしたいからっ…カカシさんと」
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーっ
全身放電0・000003秒、鋼の意志でチャクラコントロールしたカカシはまっ赤なイルカの頬に片手を当てた。
「嬉しい、凄く嬉しい、ねぇ先生」
そっと顔を寄せる。
「キスしたい…」
「え…」
おろおろとイルカは周囲に目をやった。
「でも廊下…」
「誰もいませんよ?」
しばらくウロウロ目を泳がせていたイルカだが、こくり、と小さく頷いた。カカシはするりと口布を下ろし触れるだけのキスをおくる。
「今夜、あなたと過ごせないのがとても辛かったのだけど、これで元気でました」
「カカシさん…」
ぽぅっとした目で見つめてくるイルカにもう一度キスをする。
「じゃあ明日は先生のとこ、直接行くね」
「しっ七時にお待ちしています」
まっ赤な顔でそれだけ言うとイルカは来た時同様、パタパタと慌ただしく駆け去っていった。カカシはしばし、その背中をうっとりと眺める。そして廊下の先にイルカの姿が消えるやおもむろに周囲を見渡した。
「ま、そういうことなんで」
銀の上忍の顔に勝ち誇った笑みが浮かんだ。
「イルカ先生が惚れているのはオレだから、いい加減諦めなね」
ふん、と鼻息荒く踵を返すカカシの後ろには、気配を消して潜んでいた忍び達が涙の海に沈んでいた。
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