カカたん2
阿吽の大門の前は異様な緊張に包まれていた。門の正面に荒縄で雁字搦めに縛られたイルカが丸い板状の物に括りつけられている。霧の暗部の要求はおかしなものだった。
『写輪眼を晒して縛られている中忍の横に立て。そして何があっても指一本動かすな。さもなくば中忍を括りつけた板から仕込みが飛び出し心の臓を貫くだろう。』
何が狙いかわからない要求だが、ここは従うしかない。霧の暗部達を取り囲むように木の葉の暗部や上忍が配置につく。カカシが阿吽の門からスッと進み出た。霧の暗部がわずかにどよめく。縛られたイルカが大きく目を見開いた。
「カッカカシさんっ。」
悲鳴のような声で名前を呼ぶ。
「ダメです、カカシさんっ、どんな罠があるかわからないっ。オレのことは捨て置いてくださいっ。」
血を吐くようなイルカの叫び声、カカシはうっとりとその声に酔った。こんな風にイルカに名を呼んでもらえるなら、ここで果てても悔いはない。カカシはひたと霧の暗部を見据えイルカの横に歩み寄った。
「カカシさんっ、だめだーっ。」
激しく身を捩りイルカが叫ぶ。ふっとカカシの顔に笑みが浮かんだ。
「イルカ先生。」
自分でもびっくりするほど穏やかな声が出た。もう最後だと思うとなんだか全てが吹っ切れる。
「今、オレはすごく幸せなんですよ。」
愛しいイルカ、指一本動かすなということは印を組めない。オレの死は確実だ。そして今、ここであなたに気持ちを打ち明けたら。
ぞくぞくと喜びが腹の底から沸き上がる。きっとイルカはカカシを忘れない。諦めていた恋を告げ、その人の心に己を刻んで死んでいけるなんて、こんな幸福があるだろうか。カカシはじっとイルカを見つめた。
「あなたを愛している。」
ハッとイルカが息を飲んだ。
「ずっとずっと、あなただけを愛してきた。」
するり、と口布を下ろしカカシは笑みを深くする。
「こうやってあなたのために死ねるオレは幸せです。」
「カカシさ…」
見開かれた黒い目がカカシだけを映しているのに満足し、霧の暗部に向き直った。
「オレのことは好きにするがいい。だが約束してくれ。忍びに約束など滑稽極まりないだろうが頼む、この人を殺さないでくれ。」
それから冷たい殺気を周囲にはなった。
「このオレが何もせず死ぬと思うなよ。この人の体が損なわれるか命が奪われるかしたときには、オレの体に仕込んだ術式が発動する。死体になったオレにはもうその術を止めることはできないからね。」
ひっ、と霧の暗部達が体を震わせた。赤い写輪眼が禍々しく光る。
「約束を違えたときには血で血を洗う泥沼が待つと思え。」
怯えたように頷く霧の暗部達を確かめるとカカシは殺気をおさめ再びイルカに視線を向けた。イルカは目を大きく見開いたままカカシを見つめている。不安なのだろう。
「大丈夫、ね?先生は必ず助かるから安心して。」
カカシは安心させるように微笑んだ。それから少しためらうように俯く。
「最後に…あの…」
振り切るように顔を上げる。
「あのっ、最後だからあなたにキスしていい?」
びくり、とイルカが体を震わせた。唇がわななく。黒い瞳からぽろ、と涙がこぼれ落ちた。カカシは慌てて手を横に振る。
「あ、そのっ、嫌だったら無理は言わないからっ。だからっ…」
こくり、とイルカが頷いた
。
「え?」
もう一度イルカは頷いた。カカシの頬がさぁ、と赤くなった。
「イッイルカせん…」
「キス…してください…」
ぽろぽろと涙がイルカの頬をつたい落ちる。
「キスしてください、カカシさん。」
「イルカ…」
夢のようだ。死を目前にしているからとはいえ、まさかイルカがカカシを受け入れるなんて。敵がいることも何もかもが吹っ飛んだ。ただ涙をこぼすイルカが、愛しい人がここにいる。口づけることを許してくれた。
カカシはそっとイルカの頬に触れた。その手にイルカが頬をすりよせる。唇が近づいた。イルカの甘い吐息、頭がぼうっとなる。カカシは柔らかく唇を食んだ。何度も何度も、確かめるように触れ、優しく啄む。吐息の合間にイルカが囁いた。
「好き…あなたが好きです…」
ハッと顔を離そうとしたカカシにイルカから唇を寄せてきた。
「初めて会ったときから、ずっとあなたを愛していた…」
「イル…」
イルカが唇を押し当ててきた。するりと舌がカカシの口内に忍び込んで来る。カカシの頭の中で何かがキレた。思わずカカシはイルカの頭の後ろに手を回し舌をからめた。口づけが深くなる。互いの口内を貪り合う。
「ん…ふ…」
イルカが鼻から抜けるように甘く呻いた。おぉー、と周囲の忍び達がどよめいたが口づけあう二人の耳には入らない。カカシは夢中で口づける。自然と手がイルカの体をまさぐった。
……?
後頭部から肩、背中と愛撫し、カカシはふっと目を開けた。イルカは目元を赤く染めカカシとの口づけに酔っている。その表情を惜しむように唇を離すとつぅっと唾液が糸を引いた。イルカがぽぅ、と見つめてくる。カカシはそのままイルカの耳に唇を寄せ、ねろり、となぶる。
「あっんっ…」
イルカが小さく喘いだ。おぉぉぉーっ、とどよめきが大きくなる。しかし次の瞬間、霧の暗部達のどよめきは悲鳴にかわった。
「あーーーーーっ。」
「いつの間にーーーーっ。」
イルカの戒めを解いたカカシがその体を抱きかかえて阿吽の門の上に立っている。
「わるーいね。キスしたら未練が出ちゃった。」
写輪眼のカカシは口布を引き上げしれっと言い放った。ものすごく人の悪い笑みを浮かべているのがわかる。
「ずるっ、写輪眼のカカシのくせにずるっ。」
「仕込みちゃんとしてないアンタらが悪いんでしょ。」
そう、キスに夢中になってついイルカの体をまさぐったカカシは、荒縄にもイルカが括りつけられた丸板にも何の仕掛けもほどこされていないと気付いた。無傷で救出できるのならわざわざ自分が死んでやる義理はない。なにより、かなわぬと思っていた恋が実ったのだ。こんなところで死んでたまるか。
「自分から約束って言ったくせっ。」
喚く敵を見下ろしふん、とカカシは鼻を鳴らした。
「忍びに向かって約束なんて、ねぇ。」
「「「性格悪ーーーーーーっ。」」」
霧の暗部達はいっせいに指をさすが写輪眼はどこ吹く風だ。
「もしホントに仕込みがあって中忍が死んだらどうするつもりだったんだーっ。」
隊長らしき霧の暗部が怒鳴ると、カカシは幸福そうにふわりと笑った。
「その時は一緒にオレも逝くよ。オレの未練はイルカ先生だけだから。」
「カカシさん…」
同じように幸福そうな笑顔でイルカがカカシにしなだれかかった。それを片手でしっかりと抱きとめ写輪眼は秋空の下、すっくと大門の上に立っている。
「「「ぎゃ〜〜、カッコいいじゃねーか、くっそーーーーっ。」」」
バシャバシャバシャ
カカシは敵を見下ろしたまま呆気にとられた。霧の暗部達がいっせいにカメラを取り出し、シャッターを押したのだ。よく見るとビデオカメラを構えた暗部までいる。そういえば気にもとめていなかったがカカシが阿吽の門から進みでた時からそいつだけはビデオカメラを抱えてまわしていた。
「なっ何?」
どこから沸いてでたのか、霧だけでなく他里の暗部達もわらわらと大門の下に集まって、それぞれデジカメだの一眼レフだのをかまえている。
「カカシ、イルカ、しばらくそこで突っ立ってな。撮影が終わるまでが任務だよ。」
「は?」
五代目火影の声が鋭くとんだ。途端にバシャバシャとフラッシュがたかれる。その傍らではシズネやサクラ達がそれぞれ他里の忍び達に指示を出していた。
「ツーショット撮影にかぎり基本料金となります。先程のイルカ先生緊縛&写輪眼の撮影は特別料金となりますので、木の葉の暗部のチェックをお受け下さい。ご協力お願いします。」
さかんにカメラのシャッターを切る他里の暗部達の横で綱手は上機嫌だ。
「どうだい?希望どうり緊迫感溢れる絵が撮れただろう?」
「ありがとうございます。水影様もお喜びになられるでしょう。まさかキスシーンまで撮れるとは。」
霧の暗部の隊長が深々と頭を下げた。傍らではビデオ担当らしき暗部が動画のチェックをしている。
「くれぐれも個人で楽しむ範疇ってことで頼んだよ。」
「もちろんです。ここまでレア度の高いものになると門外不出になるかと。水影さまは熱心なカカたんコレクターでいらっしゃいますから。」
「しかし、水影殿といい岩の国の大名夫人といいコアなファンが多いねぇ、カカたんには。」
「ちょっちょっと、五代目っ。」
イルカを抱きかかえたままカカシは大門から飛び降りた。
「あぁ、なんだい。撮影は終わったかい?」
「撮影って、えぇ?撮影?」
「じゃあ任務終了だ。ご苦労だったね、カカシ、イルカ。」
わけがわからない。イルカもカカシに抱えられたままぽかんとしている。周囲では他里の暗部達がカメラチェックを受けたり撮った画像を確認したりしていた。
「どういうことです。」
「あぁ。」
しれっと火影は言った。
「カカたんマニアの撮影会の依頼だよ。本物の殺気を纏った絵が欲しいって要望だったからね、お前とイルカには秘密で撮影会を演出したってわけさ。そうでないと緊迫感がでないだろう?」
「はぁっ?」
「まさか告白まで行くとは計算外だったけどね、レア度があがって受けた依頼料以外の特別料金がとれたよ。嬉しい誤算ってやつだ。」
「いや、だからっ。」
「そう怒るな。お前だってイルカに告白できたんだから万々歳だろうが。」
「じゃなくてですねっ、そのっ」
「キスまでしおってこのエロがきめが。」
「だからっ、」
痺れを切らしてとうとうカカシは怒鳴り声をあげた。
「そのカカたんってのはいったい何なんですーーーっ。」
一瞬、辺りがしーん、となった。綱手はあんぐりと口を開けてカカシを凝視している。周囲の忍び達も全員、カカシを注視していた。
「なっ何ですか、その驚きようは。」
こっちが何か悪い事でもしたような気分になってカカシは重ねて言った。
「カカたんが何か聞いただけでしょ。」
「お前…」
どこか呆けたように綱手が目を瞬かせた。
「お前、知らなかったのか?お前自身がモデルのくせに?」
「はい?」
「カカたんだよ。」
「だからそのカカたんって…」
「お前をモチーフにした木の葉のゆるキャラだろうが。」
「はいいいいっ?」
驚きのあまり今度こそカカシは真っ白に固まった。
『カカたん』
それは木の葉を代表するゆるキャラの名前である。
一年程前の五影会談で、和平と友好を推進するうえで里ごとのキャラクターを設定することとなった。それぞれ里の看板忍者をモチーフにするということで、木の葉では当然、次期火影の呼び声も高いはたけカカシに決まった。そして森野イビキの率いる拷問部隊が総力をあげて考えだしたのが「ゆるキャラ、カカたん」である。
これが当たりに当たった。ブームは火の国だけに留まらず、あっという間に他国にも広がった。現在、ストラップから等身大抱き枕にいたるまでグッズの種類は数知れず、木の葉の里に多大な収益をもたらしている。
「それでな、どこにでもコアなコレクターってのはうまれるものさ、最近じゃカカたんグッズの横にモデルとなった本人の写真を飾るのがはやり始めたらしくてな。ただでさえ入手困難なお前の写真だが、出回っているのは手配書くらいだろう?そこでコアな金持ちファンから撮影会の依頼があったんだよ。」
「………」
「とくに水影殿が熱心で、「カカたん」公式ファンクラブの会長なんだが、知っとったか?」
「………いいえ。」
「半年前アニメもはじまっただろうが。『それいけ、カカたん』高視聴率とっとるらしいぞ。」
「………知りませんよ、そんなこと。」
はたけカカシは火影の執務室で説明を受けながら脱力していた。世の中に何がはやっているかなど、任務に明け暮れていた自分が知るはずがない。しかも二頭身ゆるキャラなど、興味の対象外だ。しかし、これで得心がいった。
蕎麦屋で皆がみていたアニメが「それいけ、カカたん」だったってわけね。
どうりでカカシを見る皆の視線が温かいはずだ。あれは写輪眼のカカシではなく、『カカたん』を見ていたのだから。ふと、アニメのナレーションが脳裏をよぎった。
『カカたんはイルたんが大好きでした。』
アレ…?
偶然なのだろうか。それにしては妙に現実味があったような…
「あのぅ五代目、あのアニメの設定って…」
「うむ、本人のキャラクターの本質をなるべく反映させているそうだ。アニメ制作会社がなかなかに凝り性でな。お前がイルカに片思いしていることもプロフィールの中に書いておいたら、いい感じにアレンジしてくれた。癒し系ゆるキャラでイルたんの人気も急上昇中だ。」
「なっ…」
かぁ、と顔に血が上った。
「かっ片思いって何で知ってるんですっ。」
綱手はきょとんとした。
「バレバレだったぞ?鈍チンのイルカ以外、周知のことだったが、お前、気付いてなかったのか?」
「……ッ」
そのままカカシは頭を抱えて座り込んだ。隣ではイルカが顔を赤くしている。
「うそ…バレバレって…」
秘めた恋のつもりだったが皆知っていたとは。そこまで自分はわかりやすかったのだろうか。なんだかもう、色々とありすぎて言葉もない。
「まぁ、お前らも無事にくっついたことだし、今度はペアグッズ企画だな。早速拷問部を召集だ。」
浮き浮きと綱手はなにやら書類にサインして傍らのシズネに渡した。それから座り込んだままのカカシを机越しに覗き込む。
「今回の撮影会でもお前の稼ぎの半年分は入った。しばらくイルカと休みをくれてやってもいいぞ?新婚旅行にでも行って来るか?」
「……またそれをネタに一稼ぎと思ってますね。」
じとり、とカカシは里長を見上げた。
「忍者があんまり顔売れすぎると命に関わるんで嫌なんですけど。」
とりあえずもっともらしい事を言ってみる。だが木の葉の女傑はカラカラと笑い飛ばした。
「あれだけ顔が売れていて今更だろうが。情報過多で撹乱してやれ。」
本当にかなわない。ガシガシと銀髪をかいてカカシは立ち上がった。
「休暇、しばらく貰いますよ。イルカ先生の方の調整もやっていただけるんでしょうね。」
「まぁいいだろう。たまには二人、羽を伸ばしてこい。」
綱手は組んだ両手に顎をのせてにんまりした。
「お前へ誕生日プレゼントだ。」
カカシは目を瞬かせる。
「覚えていてくださったんですか…?」
「当然だ。」
肩を竦め目礼するとカカシはイルカの腰に手を回して執務室を後にした。疲れた。ほんっとに色々ありすぎて疲れた。だけど胸の奥が温かい。
建物の外に出るとすでに夕暮れ時で、西に傾いた夕日が金色の光を投げかけている。ふと、イルカの手がカカシの背にまわされた。横を見ると想いを告げ合ったばかりの恋人が微笑んでいる。どぎまぎするのはしかたがない。ずっと好きでたまらなかった人がカカシの腕の中で笑ってくれているのだ。
「誕生日おめでとうございます、カカシさん。」
柔らかい声で恋人はそう言ってくれた。そして照れくさそうに人差し指で頬をかく。
「ホントは今日、一番に言いたかったんですけど、五代目に先こされちまいました。」
満たされる、そんな感覚をカカシは今、初めて味わっていた。イルカの腰に回した手に力を込める。
「ありがと…」
自分はいったい何に絶望して何を諦めていたのだろうか。世界は別にカカシを拒絶していたわけではなかった。心を閉ざしていたのはカカシ自身、もしこの恋がかなっていなくても、外に向かって己を開けば世界はこんなにも美しい。ましてや今、カカシは焦がれた想い人を手に出来たのだ。傍らの体温を噛み締めながら今夜のお誘いをどうするか考えたとき、黄色い声があがった。
「あ、カカたんだー。」
「カカたん、イルたんと仲良くなったんだー。」
「今日はお誕生日だもんねー。」
アカデミーの一年生らしき子供達が手を振っている。
「こっこらっ、お前ら、はたけ上忍にそんな口きいて、失礼だぞ。」
イルカが慌てて体を離した。ちょっと寂しいがしかたがない。だってイルカは先生なのだから。だが子供達はますます元気に飛び跳ねた。
「カカたん、お誕生日おめでとー。」
「アニメと一緒だねー。今日はイルたんのお家にご招待なんだー。」
「よかったね、カカたーん。」
そうか、アニメではそういうことになっていたのか。カカシは目を細めると子供達に手を振りかえした。
「ありがとー。そうだよ、これからイルたんのところにお呼ばれなんだぁよー。」
「カッカカシさんっ。」
「だめ?」
ひょいと顔を覗き込むとイルカが耳まで赤くなった。もぞもぞと答える。
「だっだめじゃないですけど…」
「じゃあきまり。」
イルカの手を取ると子供達がまたきゃーきゃーと騒いだ。
「カカたん、イルたんと仲良くなったんだー。」
じゃあね、カカたーん、と子供達は駆けて行く。里にいる間は小さな子のアイドル決定かもしれない。カカシは小さく笑うとイルカの手を引いた。
「手、繋いで帰りましょ、イルたん。」
夕日に照らされたイルカが真っ赤な顔で、でもこぼれるような笑みをうかべて頷いた。
イルカが実はカカたんグッズマニアだったというのを知るのは翌日になるが、それはまた別の話。
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