カカたん


半年の前線任務を終え里に帰還したはたけカカシは奇妙な違和感に戸惑っていた。なんというか、里の人々の視線が妙に己に集まってくる。

もともと里の看板忍者だの何だのと注目される立場にはいたが、ここまであからさまな関心を寄せられたことはなかった。数々のいくさ場での恐ろしげな噂に加え、生来の口下手のせいでカカシに関わろうとする者はほとんどいない。
上忍師をしていた時は少しは人付き合いなるものもやってみたが、サスケが里を抜けた時、7班を中傷したうえ怪我をしたナルトを密かに葬ろうとした上忍や暗部達を再起不能なまでに叩き伏せた後は、里人だけでなく同じ忍び達からもすっかり怯えられてしまった。今ではまともに口をきいてくるのはガイやアスマ、紅などほんの一握りの上忍達だけだ。直接指導した暗部の後輩達ですら、テンゾウ以外、カカシの前では萎縮してしまう。本当は心根の優しい銀髪の男はそれが少し悲しかったが、しかたがないかなとすぐに諦めた。実際、あの時はちょっとやりすぎたかなと反省している。ご意見番からも、『殺すか生かすかどっちかにせい。』と小言をくらった。寝たきりの咎人が増えても困るのだそうだ。どっちみち人体実験に使うつもりのくせに、とは口に出して言わなかった。里の上層部に関わる気はさらさらない。自分など、上忍の任務をこなしながらどこかで野たれ死ぬのが似合っているだろうから。


ただ、こんな自分でも未練が出来てしまった。
カカシは恋をしている。相手はナルト達の恩師、アカデミー教師のうみのイルカだ。イルカ先生イルカ先生と連呼するナルトにつられて興味を持って、いつのまにか惚れていた。出会ってから数年たった今でも片思い中だ。
ただ、告白するどころかろくに話した事もない。気の利いた会話も出来ないし上手く笑うことも出来ない自分では、挨拶するのが関の山だ。
もとよりこの恋がかなうなど思ってもいない。相手は立派な成人男子で、可愛い嫁さんをもらうのが夢なのだとナルトから聞かされた。だけど恋しく思う気持ちは消えない。諦めることはできず、かといって事を進める勇気もなく、宙ぶらりんのままカカシはひたすら任務に没頭していた。

そんな日々の中、久しぶりの長期任務をこなして帰還したらこの違和感だ。大門をくぐり受付棟へ向かう道でもやたらと皆に注目される。中には通り過ぎた後、あからさまに振り返る者までいた。その視線に悪意がないからなおさらわけがわからない。

怖がられるんだったらまだわかるんだけどねぇ。

首をひねりながら歩いていると、いきなり子供が駆け寄ってきた。

「カカたんだー、カカたんカカたん。」
「は?」

4歳くらいの男の子がカカシの腰に飛びついた。

「カカたーん。」
「こら、何してるの、失礼でしょっ。」

母親らしき女性が大慌てで子供をカカシから引きはがした。そしてひどく恐縮して頭を下げる。

「申し訳ありません、はたけ上忍。」
「や、かまわないけど…」

困惑して手を横に振るカカシに子供はなおも手を伸ばしてきた。

「やーだ、カカたんだもん、カカたん。」
「ダメでしょう、カカたんはお仕事してきて疲れてるのよ。お邪魔しちゃダメ。」

なんだか意味不明な叱り方だ。ぽかんとするカカシに母親はもう一度丁寧にお辞儀をすると子供の手を引いて歩き出した。

「よかったねぇ、カカたんだったねぇ、ほら、バイバイしましょうね。」

再び意味不明な単語が混じる。

「バイバイ、カカたーん。」
子供が勢いよく手を振って来る。

「?」

無視するわけにもいかず、カカシは子供に向かって手を振りかえした。子供は何故か大喜びだ。母親までにこにことまた頭を下げる。

「……何?」

目を瞬かせたカカシがふと気がつくと、周囲の人々がなにやらほんわかした顔で自分を見ていた。ぎょっとしたが悪意は見えないのでとりあえずカカシは会釈してみる。わっと周囲の人々から声があがった。手を振って来る者までいる。面食らったカカシは思わず幻術の解の印を結んだ。が、写輪眼のカカシに幻術をしかける里人などいるはずもなく、わけがわからないままその場を逃げ出した。畏怖や悪意には慣れているがこんなことは初めてだ。

その後も妙に好意的な眼差しや子供達の歓声に晒され、混乱したままカカシは受付棟に辿り着いた。ここまでくると新たな嫌がらせか何かかと思ってしまう。はぁ、とカカシは大きく息をついた。廊下の先の受付所を眺める。ふと、イルカの笑顔を思い出した。今日は受付に入っているだろうか。それともまだアカデミーだろうか。アカデミーだったらこっそり顔を見にいってみようか。イルカの顔が見たくてたまらない。声が聞きたくてたまらない。あの柔らかいテノールでお帰りなさいと言ってもらいたい。そこまで考えてカカシはふっと自嘲を漏らした。イルカを諦めようと長期任務についたはずなのに、どうやらそれは逆効果だったらしい。軽く頭を振って気を鎮めると、カカシは受付所に向かった。そしてドアを開け、再びカカシは面食らった。

……何?

確かに今までも自分が受付所に入ると周囲の空気が変わった。その場にいる忍び達の関心が己に集まるのを感じていた。しかしそれは決して温かいものではなかったはず…

「……え〜っと。」

受付所の空気が妙にほんわかしている。忍び達の顔には穏やかな微笑み。忍び達だけではない。依頼人達までがカカシを見つめ微笑んでいる。その無垢な温かさにカカシは本能的な恐怖を感じた。ここは本当に己の知っている木の葉の里なのだろうか。もしかしたら里へ帰還したと思わせられているだけで、巧妙な敵の罠にはまっているのではなかろうか。写輪眼を露にしようと手を額当てにかけたとき、呆れたような声がかかった。

「何ボケっとしてんだい、帰還報告、とっととすませな、カカシ。」

カウンターの向こうで綱手が腕組みしている。そしてその隣には想い人が、会いたくてたまらなかった人が座っていた。カカシの心臓が途端に跳ねる。足が震えないよう踏ん張りながら、カカシはカウンターに歩み寄った。

「長期任務、ご苦労様です、カカシさん。」

黒髪の想い人はにっこりと笑った。

「おかえりなさい。」

なによりも聞きたかった言葉、カカシの体から力が抜ける。これが幻術なわけがない。よしんば敵の罠だとしても、この笑顔をもらえるならば死んだっていい。もとよりこの命には未練などなく、かなわぬ恋に煩悶するのならば幸せな幻想の中で果てる方がどれほど満たされるだろうか。カカシはのっそりと書類を胸元から取り出しカウンターに置いた。

「……お願いします。」

イルカはもう一度にこ、と笑うと書類に目を通した。そして晴れやかな笑顔で言う。

「はい、これで結構です。お疲れさまでした。今日からしばらく休暇になりますので、ゆっくりとお休み下さい。」

軽く会釈してカカシは踵を返す。どうしてこう、自分は何も言えないのか。せっかくいたわりの言葉をもらったのだから、もう少し愛想のいい受け答えが出来ればいいのに。内心葛藤しながら受付所を出ようとした時、イルカが呼び止めた。

「あの、カカシさんっ。」

どきん、とまた心臓が跳ねた。ゆっくりと振り返るとイルカが頬を赤くして何か言いたげに立っている。どきどきと鼓動が早くなった。なんだろう、イルカ先生はカカシに何を言ってくれるのだろう。

「あのっ…」

じっと見つめているとイルカの顔がますます赤くなる。カカシの頭にもなんだか血が上ってくらくらしてきた。踏ん張ろうとして思わず眉間に皺が寄る。イルカがぎくっと体を強ばらせた。

「あ…いえ、何でも…」

急速に声が萎れていく。

「何でもないです、申し訳ありません…」

オレのバカ…

深々と頭を下げるイルカを見ていられなくて、泣きそうな気持ちでカカシは踵を返した。どうしてこうダメなのだろう、カカシはがっくりと肩を落とし自宅へと足を向けた。






☆☆☆☆☆




目が覚めたら昼前だった。昨日は落ち込んで飯も食わずにシャワーだけ浴びて寝てしまった。流石に腹が減っている。がしがしと銀髪をかきながらカカシが身を起こした。あっさりしたものでも食べに出ようか。
のろのろと忍服を着るとカカシは外へ出た。九月半ばの残暑は厳しく、いまだ蝉時雨がかしましい。真っ青な空を見上げカカシは小さくため息をついた。 しばらく休暇だがやることもない。二、三日したら簡単な任務でももらいにいこうか。そうしたらまた、報告書を出すついでにイルカの顔を見る事ができる。今度こそ挨拶以外の話も出来るかもしれない。そういえばあの時、イルカは何を言おうとしていたのだろう。今日、偶然を装ってアカデミー帰りのイルカに話しかけてみようか。今日は九月十五日、カカシの誕生日だ。誕生日にかこつけて食事にでも誘えないだろうか。
そこまで考えてカカシは頭を振った。どうせ見込みのないこの恋、イルカと話が出来たとして、いったい自分は何をどうするつもりなのか。だいたい、誕生日だから食事を、などと気軽に誘いをかけられる性格ならこんな状況にはなっていない。相変わらずの堂々巡り、カカシはもう一度頭を振ると、蕎麦屋を見つけてその暖簾をくぐった。

昼飯時にさしかかっているせいで蕎麦屋はほぼ満席だった。カウンター席に腰をかけると視線が集まってくる。それ自体はいつものことだが、妙に温かい眼差しなのが気に入らない。内心それにイライラしながらカカシはザルそばを頼んだ。とっとと食べて家に帰ろう。この妙ちきりんな雰囲気には辟易だ。口布を下ろして出された水を飲む。その時だ。

『カカたんはイルたんが大好きでした。』

ぶーーーーーっ

思わず水を吹き出した。女性のナレーションが続いている。

『でも、恥ずかしがりやのカカたんはイルたんと上手にお話が出来ません。』

声は店の端の吊り棚に置いてある14インチのテレビから流れてくる。あわあわとそれを凝視すると、どうやら子供向けのアニメ番組らしく、二頭身キャラがよちよち動き回っていた。

なっなんだ、アニメか。

カカシはホッと体の力を抜いた。カカたんだのイルたんだの紛らわしい。一瞬、自分の秘めた恋心が暴露されたのかと冷や汗をかいた。

っつか、そんなわけないじゃないの。

己の思考にカカシは笑ってしまう。誰がカカシの恋心を知っているというのか。何年もずっと秘めた恋なのだ。煮詰まりすぎて単なる子供向けの番組にすら過剰反応してしまったらしい。己のバカさ加減にうんざりしてくる。軽く頭を振り、運ばれてきたザル蕎麦に箸をつけた。相変わらずテレビからは賑やかな音楽とナレーションが聞こえて来る。
そしてカカシは店の中の奇妙な違和感に気付いた。ほぼ満席の蕎麦屋の客達が皆、テレビを観ているのだ。いや、これが火の国ジャイアンと雷タイガーの優勝決定戦だとか、世界陸上で世界新が出たとかだったら話はわかる。だが、皆が観ている番組はどうみても子供向けのアニメ、けしていい大人が揃いも揃って目を向ける代物ではない。しばらくぽかんとしていると、アニメが終わりエンディングが流れ始めた。静かにテレビをみていた客達は食事に意識を戻す。そして賑やかなおしゃべりが始まった。

「またカカたんの奴、イルたんと仲良くできなかったな。」
「今日のお邪魔さんはガイたんか。まぁ、永遠のライヴァルだからな、ガイたんは。」
「カカたん、あれで告白できんのか?」
「ははは、無理無理。」

聞くともなくそれらの会話を耳にしたカカシは唖然とした。

何なのいったい…?

なんで子供向けのアニメで皆盛り上がっているのだ。しかもどこかで聞いたような名前やその設定。得体の知れない薄気味悪さにカカシはすっかり食欲をなくした。里が変だ。長期任務に出ていた間にいったい何があったのだ。里全体に何か大掛かりな幻術とか洗脳でも行われたのか。とにかく情報が足りない。信頼のおける誰か、アスマかテンゾウを見つけて話をしなければ。ほとんど手をつけていないザル蕎麦をそのままに会計しようと立ち上がった時だ。上忍の緊急召集の鳥が鳴いた。嫌な胸騒ぎにカカシは蕎麦代を置くと瞬身でかき消えた。








召集場所には里にいる上忍だけでなく暗部も集まっていた。中央で五代目火影が眉間に皺を寄せている。馴染みのガイやアスマを見つけ側に行く。

「何があったの。」
「それがな…」

アスマが表情を険しくした。

「お前ぇも知ってるだろう、あの黒髪のアカデミー先生をよ。」

どきり、とカカシの心臓が嫌な音をたてる。

「……イルカ先生がどうしたの。」
「あぁ、そのイルカが敵に捕らわれた。」

ざぁ、と全身の血が引いた。今アスマは何と言った。イルカが敵に捕らわれたと?

「そ…そんな…だってあの人、今日もアカデミーじゃないの?」
「教え子が初の中忍任務終えて帰ってくるのを出迎えに行った、そこで拉致られたらしい。」
「む、実にイルカらしい捕われ方だな。」

ガイがとんちんかんな感心の仕方をしている。だがカカシの耳には何も入って来なかった。イルカ先生が、愛しい人が敵の手にある。
こうしている間にも彼の身に何かあったら…
ガンガンとこめかみが脈打った。


彼が死んでしまったらどうしよう。




「集まってもらったのは他でもない。」

火影が口を開いた。

「アカデミー教師兼受付の中忍、うみのイルカが霧の暗部に捕われた。」

ハッとカカシは火影に顔を向ける。霧の暗部といったらその残虐さが有名だ。ならば一分一秒を惜しんで救出しないと大変なことになるではないか。火影は眉を寄せたまま淡々と続けた。

「皆も承知のとおり、アカデミー教師は特殊な立場だ。敵に情報を渡すわけにはいかん。しかもイルカは受付担当でもある。里の機密保持のためにもうみのの体を敵に持ち帰らせるわけにはいかん。」
「なっ…」

一瞬でカカシの血が沸騰した。

「五代目っ、いくら五代目でもその言い草は…イルカ先生はモノじゃないっ。」

激昂したカカシに綱手は驚いたような目をむけたが、そのまま宥めるような口調になった。

「落ち着きな、カカシ。アタシだってイルカをモノだなんて思っちゃいないよ。救出が最優先だ。だがな、相手は霧の暗部、最悪の場合も考えねばならん。」
「オレに行かせて下さい。イルカ先生の救出はオレにっ…」
「だから落ち着けと言っている。敵の要求はな、カカシ。」

一息置くと、五代目火影は重々しく告げた。

「お前だよ、写輪眼のカカシを出せと言ってきている。」

ざわ、と周囲の気配が揺れた。カカシは目を見開く。だがすぐに口元を笑みの形に吊り上げた。

「上等。」

ふつふつと胸に熱いものが沸き上がって来る。

「捕えたのがイルカ先生だったことを奴らに後悔させてやりますよ。」

そうだ、捨てどころのないこの身をイルカのために捧げられる。これほどの至福があろうか。そして捨てる身であってもただではくれてやらない。せいぜい霧の暗部達には、生きている事を後悔させてやろう。かつてないほど、気が全身に満ちてきた。青白い闘気が立ち上る。そのカカシの後ろで暗部服のテンゾウがぼそり、と漏らした。

「捕えられたのが僕だったとしてカカシ先輩、あそこまで燃えてくれるかな。」
「なわけねぇだろ、うみの中忍だからだよ。」
「やっぱりそう思う?」

即座の否定にテンゾウからむっつりとした空気が流れる。アスマが苦笑いしながら煙草を取り出した。

「っつかカカシの奴、イルカが好きですって公言したも同然だな。まぁ、今までもバレバレだったけどよ。」
「わかってないですよね、本人。」

テンゾウも面の下で苦笑をもらした。周りの暗部達までうんうんと頷く。

「わかってねぇな、ありゃ。」
「先輩、変なとこで鈍いから。」
「あの中忍先生も鈍さじゃ負けてねぇけどな。」
「だなぁ。」
「ですねぇ。」

周囲の生温い視線には気付かず、カカシは青白いチャクラを立ち上らせている。

「カカシ、仲間を思う熱き魂、このマイト・ガイが見届けよう。流石は我がライヴァル、お前の背中はオレが守ってやるぞ。存分に暴れてこい。」

若干もう一名、空気を読めない男が涙を振り飛ばしてカカシに檄を飛ばしていた。




 

 
     
     
  カカシの恋心、実は皆にバレバレでした。そして謎のキーワード、カカたん。カカたんとはいったい何なのか。謎が謎を呼びそれぞれの運命は悲劇へと転がり落ちていく……わけがない。ただのアホな話なんだし〜(認めた)