「もうサイコーだよな、夙川アトム。」
え?
今のはイルカ先生の声、思わずオレは気配を消して廊下の角に身を隠した。そっと覗くとやっぱりそうだ、今から受付所に行くのだろう、イルカ先生が同僚と一緒に歩いている。
「あ、オレも見た見た。」
「お、見た?たまんねぇだろ?」
「ザギンでく〜に〜、な。」
「そうそう。」
え?え?何それ。
でもイルカ先生はすごく楽しそうに顔を輝かせて話をしている。そして曲がり角から姿が消える前、こう言った。
「あ〜、ギロッポンのダイニング若、行ってみてぇ。んでべなちゃんこ〜。」
わはははは、という豪快な笑い声とともにイルカ先生達は受付所の方へと歩み去った。
何?ギロッポン?ダイニング若?
さっぱりわからない。だけど、イルカ先生、そこへ行ってみたいんだ。オレは謎を解明すべく回れ右して上忍待機所へ猛ダッシュした。
オレはイルカ先生が好きだ。
ナルト達の担任だったイルカ先生に会って一目で恋に落ちた。知れば知る程イルカ先生のことが好きになって、だけど、戦地ばかりにいたオレに何ができただろう。女ですら口説いたことがないのだ。 イルカ先生は普通の成人男子、ただでさえハードルが高いのに、オレには相手の気をひく洒落た会話の一つもできない。
それでも、上忍師として7班を受け持っていた頃は何とか共通の話題があった。受付所で報告書の受け渡しをするときに、子供達の様子を話すと笑ってくれた。二言三言、挨拶以外の会話もあった。
それが木の葉崩しだの暁の来襲だのと騒ぎが続く間にすっかり疎遠になっちゃって、今じゃ行き会った時に会釈するだけの知人に格下げだ。気がつけばオレも三十、五代目から結婚しろ結婚しろとせっつかれ、なのにイルカ先生へのつのる恋心をどうすることもできず、切ない日々を送っている。
たった一つの救いは、イルカ先生にも浮いた話がないということ。イルカ先生は有能なうえすごく真面目だ。誠実な人柄に有能さが加わるんだから火影様だの里の上層部から目をかけられて、中忍だけど里の機密を扱ったりしている。当然だけど忙しい。だから、というわけでもないんだろうけど、結婚どころか恋人すら作る暇がないらしい。まぁ、上層部からかなり見合いを勧められているみたいだから、安心は出来ないんだけどね。
というか、最近、ちょっとオレも焦り始めた。アプローチする勇気もなく、かといってイルカ先生を諦めることもできず、うじうじしていたら、ガイとかアスマとかから説教されたのだ。このまま他人にイルカを取られてお前は平気でいられるかって。
言われてオレは改めて愕然とした。イルカ先生が誰かのものになってしまう。そんな、平気でいられるわけがない。そうしたらガイの奴が、なせばなる、当たって粉砕してこい、な〜んてわけのわからない背中の押し方をしてきた。アスマにいたっちゃ、自分が紅姐さんを口説き落とした経緯をもとに、延々恋愛レクチャーだ。まぁ、めでたく姐さんとゴールインして、春には赤ちゃんが産まれる予定なんだから説得力はあるんだけどね、オレはこれで結構繊細なの。はいそうですかって行動できるような人間だったら、何年もうじうじ悩んだりなんかしていない。
それでも、友人達の暑苦しいエールに少しは前向きになったオレだ。そして今日、イルカ先生の新情報をゲットした。
イルカ先生は「しゅくがわあとむ」っていう人が好みで、「だいにんぐわか」に行きたいんだ。もしオレがそこへ誘ったらOKしてもらえるかもしれない。希望の光が見えたみたいで、オレの胸は弾んでいた。
大きなチャンスだっていうのに、上忍待機所にはガイもアスマも、顔見知りすらいなかった。いたのは最近上忍に昇格した者達ばかり。
まいったなぁ、なんていうか、一連の騒動で結構ベテラン勢が鬼籍に入ったり引退しちゃったりしたもんだから、オレのなじみは皆、後進育成のため隊長格でチーム引っ張る任務に忙殺されている。
あ、今日はアスマ、姐さんの検診についていくっていってたからそっちか。でもゲンマやライドウあたりは、ぜんっぜん里に帰れないとぼやいていた。
んで、オレは何故か火影様にくっついての政治向きの任務ばっかりやらされて少々くさくさしている。嫌いなんだよねぇ、政治向きの任務って気ぃ使うから。そんで空いた時間、待機所で息抜きしようと思うんだけど、ほら、愚痴いったりだらけたりバカ話したりしてね、気分転換したいわけ。
だのにこんな状況なもんだから最近待機所でも知らない顔ばっかで気の小さいオレとしては正直いたたまれない。オレがこんな格好なせいか、異様に緊張されちゃうんだよね。昔からそうだったんだけど、最近は特に遠巻きにされること多いよなぁ。気軽に挨拶とか世間話してくれるのは里のご老体や昔なじみか、ガイやアスマや紅が受け持っていた班の子達だけだったりする。この間、先生って嫌われるタイプなのかなぁってナルトとサクラにぼやいたら、すっごく呆れた顔されて、先生ってホント自覚ないのね、とか言われてしまった。うぅ、ひどい。少しは慰めてくれてもバチあたらないのに。
とにかく、勢い込んで入った待機所は知らない上忍達ばっかりで、オレが入った途端、ビシッって音がするくらい静まり返ってしまった。そんなに嫌わなくてもいいのに。
なんだか泣きそうな気分でオレは隅っこの椅子に腰をかけた。入ってすぐ出て行くのも憚られるじゃない。あぁ、オレってつくづく気が小さい。しばらくしたら暗部待機所に行こうかなぁ、あそこならよくテンゾウが出入りしてるし、なじみも多い。それか拷問室でイビキにお茶いれてもらおうか。イビキのいれるお茶は本当に旨い。でも拷問中だったら悲鳴が五月蝿いしなぁ、なんて考えてたら、待機所のドアが開いた。
「あれ、シノ君じゃないの。」
入ってきたのは油女シノ、紅んとこの教え子だ。蟲使いの家系、油女家の跡取りで、見た目は無愛想だが、なかなかお茶目で話のわかる子だとオレは思う。前途有望で信頼のおける若者だ。
「カカシ先生。」
オレに気付くときちんと頭を下げて挨拶をした。礼儀正しい子だ。ナルトとサクラに爪のあかでも煎じて飲ませてやりたいもんだ。シノはぐるりと待機所を見渡す。
「ネジを探しにきたのですが、不在でしたか。」
「あ〜、そのようだね。ところでシノ君。」
光明がさした。
「君、『しゅくがわあとむ』というのを知っている?」
シノ君は本当にいい子だ。オレが質問したらすぐに待機所のパソコンで情報を提示してくれた。
「しゅくがわあとむ」っていうのは『夙川アトム』って書くんだね。白いカッターシャツと肩にかけたピンクのカーディガン、でっかい茶色のサングラスをかけている。この姿でテレビに出ていて、『業界用語』っていうのを仕事にしているんだそうだ。
情報を貰ったついでに、オレはシノ君に相談をもちかけた。年下の子になんだとは思うけど、他に人がいないんだからしょうがない。
「えっとねぇ、シノ君、イルカ先生、この夙川アトムが好きなんだって。それでダイニング若に行きたいらしいんだけど…」
もごもごと歯切れの悪い説明であるにもかかわらずシノ君はこっくりと大きく頷いた。
「カカシ先生はその情報をもとにイルカ先生に交際を申し込むおつもりなのですね。」
「こっ交際って、シッシッシノ君…」
あまりにダイレクトな指摘にオレは慌てた。
「なっなんでそんな風に…」
「なぜならカカシ先生の秘密の恋は関係者の口をとおして皆に語られているからです。また、ターゲットであるイルカ先生の行動から、本人のみ全く気付いていない可能性が高いと推察されます。」
素晴らしい。さすが情報収集にたけた油女一族の跡取り息子。
「しかし、カカシ先生はイルカ先生をダイニング若に誘う事はできないでしょう。なぜなら、木の葉にダイニング若がないからです。」
えっ、そうなの。
思わず失望に肩を落とす。
「失望する必要はないです。なぜなら、オレ達に諦めないことを教えてくれたのはカカシ先生だからです。さらに、この『業界用語』を解読すると、「べなちゃんこ」はちゃんこ鍋のことです。イルカ先生がダイニング若に行きたいということは、ちゃんこ鍋を食べたいということと同義、ならばカカシ先生は、夙川アトムの格好をして、木の葉のちゃんこ鍋の店に誘えばいいのだという結論が導きだされます。」
「シッシノ君っ。」
感動のあまり、オレはシノ君の手を両手で握った。
「本当に、本当にそう思う?」
「思います。なぜなら、恋の成就には相手の嗜好を把握することが重要だからです。」
「わかった。シノ君、ありがとうっ。」
「善は急げといいます。即刻行動に移すべきだとオレが確信するのは、嗜好というのは変化する可能性をはらんでいるからです。」
「今から職員室に行ってくるっ。」
もう一度シノ君の手を強く握るとオレは早速イルカ先生を誘うべく待機所を飛び出した。やっぱり若い者に相談するっていい。他とは違うアドバイスと、なによりオレに行動する勇気を与えてくれる。いや、シノ君だからか。同じ若い者でも、ナルトやサクラは言葉を濁してはっきり言わないもんなぁ。
待機所を出る時、若い上忍達が妙に青い顔でオレに話しかけようとしていたけど、また後でね、と言って飛び出した。この機会を逃したらもう二度とチャンスはない、そんな気がしていた。
|