どこかで犬が鳴いている。時折あがる、男達の笑い声。頬に固い布の感触がある。
「…あいた…」
不二は頭を振った。一瞬、意識がなかったらしい。
僕は…
はっと不二は我に帰った。
どうなったんだ、自分は。ここはどこだ。国光は…
「国光っ。」
不二は慌てて体を起こした。
「あれっ。」
目の前に国光の顔がある。不二は国光の腕の中にいた。土の上に尻餅をついた国光の上に乗り上げるような形だ。国光はぽかんと腕の中の不二を見つめていた。まだ頬が涙で濡れている。
「ふ…じ…?」
呆然としたまま、国光が不二の名前を呼んだ。恐る恐る、手が伸ばされる。国光の指先が頬に触れた。信じられない、という風に、国光の唇が震える。
「…ふ…じ…」
確かめるように何度も国光は不二の名前を呟いた。ひどく声が掠れている。
戻ってこられた。国光の側へ戻ることが出来た。ここは鎌倉時代だ。国光のいる世界だ。
今更ながら、不二の体から力が抜けた。国光は何度も何度も、不二の頬に触れては名前を呟いている。
「…ふじ…」
頼りない声がまた自分を呼んだ。不二は頬に触れる国光の指に手を添えた。大きな手だ。国光の手だ。
「…うん、くにみつ…」
小さく答えて頬を寄せた。
温かい…
涙が溢れてきた。目の前の国光の顔がぼやけてよく見えない。涙が止まらない。ぽろぽろと零れた涙が国光の指を濡らす。国光が体を起こして、両手で不二の頬を包んだ。
「不二なのか…?」
まだ信じられないのか、真剣な眼差しが不二の顔をのぞき込んできた。その頼りなげな所作が可愛くて、不二は泣きながら微笑んだ。
「うん、僕だよ…」
国光がひゅっと息を詰める。それから、頬を包んでいた両手で不二の顔に、髪に、ひたすら触れてきた。不二は国光のしたいように触れさせている。しばらく、無心に手を這わせていた国光の目が大きく見開かれた。みるみる涙が盛り上がる。
「不二…」
ぱたぱたと国光の目から涙がこぼれ落ちた。
「不二…不二、不二、不二…」
後から後から、透明な滴が国光の目から溢れてくる。泣き顔が可哀想で、不二は国光の頬に唇を寄せて涙を吸った。
「泣かないで…国光…」
泣き濡れた頬に自分の頬をすり寄せる。不二も涙を止めることが出来ない。互いに涙でぐしょぐしょになりながら、頬を寄せ合った。
「…泣かないで…」
不二は国光の首に顔を埋めるようにして囁いた。涙が国光の襟を濡らす。
「泣かないで…」
国光の腕が不二の体に回される。ぎゅっと抱きしめられた。
「…ふ…」
言葉にならない。国光は不二を抱きしめたまま肩を震わす。不二も国光の背にしがみついた。
「国光…」
国光の喉から嗚咽が漏れた。きつく不二を抱きしめ国光は泣く。自分も泣きながら、それでも国光を慰めたくて不二は震える背中を優しく撫でた。
「側にいるから…」
耳元に唇を寄せて不二は言った。
「ずっと側にいるよ…」
はじかれたように国光が身を離した。不二の肩を掴んだまま、縋るような目で見つめてくる。
「…おれの…?」
こくり、と不二は頷いた。国光はまだ不安そうな瞳を揺らしている。
「おれの側…?」
「うん。」
不二は微笑み、国光の濡れた頬を拭ってやった。触れた頬が温かい。国光の体温だ。確かに自分は国光の側にいるのだ。また涙がこぼれた。
「側に…」
胸が熱くなって言葉が続かない。不二を見つめる国光の瞳から、新たな涙が溢れた。
「…どこへも…いかぬと…?」
答えるかわりに、不二は国光の頬に唇を寄せる。国光の目尻から零れた涙が不二の唇を濡らした。ちろり、と舌で不二はそれを舐める。頬に舌が触れた。そのまま頬から目元へ唇を滑らせ、口づける。
「…不二…」
国光が囁いた。耳にかかる吐息が熱い。不二は国光の頬に、瞼に、唇を押し当てていく。国光の口からふっと小さく息が漏れた。目を上げると、間近に国光の真っ黒な瞳がある。涙に濡れた瞳は美しかった。吸い寄せられるように不二は顔を寄せる。吐息が絡んだ。唇が触れ合う。全身に痺れが走った。
あぁ…
国光の唇は柔らかくて温かい。不二は国光の背にしがみついた。自分から強く唇を押しつける。国光の手が不二の項にまわされた。ぐっと抱き寄せられる。
「…ん…」
国光が何度もついばむように唇をあわせてきた。国光の唇は熱く湿っていて気持ちがいい。切れ切れに不二の名を囁き、また唇を合わせる。二人は互いに頬をすり寄せ、下唇をはみ、舌を触れあわせた。ぬるりと熱い舌が不二の口内へ潜り込もうとする。
「…ふ…ぅ…」
不二が吐息をともに国光の舌を受け入れようとしたとき、廊下をドタドタと渡ってくる音が響いた。
「殿ーっ。殿っ。」
「叔父殿っ、まだ話は終わっておりませぬっ。」
「えぇ、与三郎のしつこいわっ。殿に直談判いたすっ。」
忠興と秀次だ。忠興は国光を探している。不二と国光は慌てて立ち上がった。国光はごしごしと直垂の袖で顔をぬぐい、庭へ顔を向ける。そこへ言い合いを続ける二人が顔を出した。
「殿っ、またここへおられたかっ。」
「殿、叔父殿が言うことを聞きませぬっ。」
互いに言いつのる二人に国光は背を向けたままだ。不二がちら、とその横顔を伺うと、明らかに困り果てた顔で空を仰いでいる。泣いていたことを悟られたくないのだろう。一向に返事をしない国光に焦れて、忠興が大声で呼ばわった。
「聞いておられるのか、殿っ。」
「…おぬしらの大音声だ。聞こえておる。」
振り向かぬまま、国光はぼそりと答えた。流石にその様子に二人が首を捻る。
「殿、そこで何をしておいででござりまするか。」
秀次の問いに、国光はまたぼそっと答えた。
「…つっ月見だ。」
「今宵は新月じゃぞぉ?」
忠興が訝しがった。国光は背を向けたまま、顔を顰める。見かねた不二が助け船を出した。
「ね、秀次。お風呂の用意をしてくれるかな。汗でベタベタなんだ。」
それから忠興にほほえみかける。
「忠興、秀次の頼みを聞いてあげてよ。約束は明後日でもいいから。」
「御渡り様〜。」
忠興が眉を下げ、情けない声をだした。不二はくすっと笑う。
「忠興、僕はずっとここにいるよ。約束はいつだって守れる。」
ハッと国光が不二を見た。不二はまた、微笑んだ。一方、秀次は鬼の首をとったように忠興へ宣言している。
「御渡り様もああ仰せられておりまする。叔父殿、お頼み申しましたぞ。」
それから、湯の支度をいたしまする、といそいそ廊下を渡っていく。忠興はなにやらぶつぶつ言いながら、秀次の後に続いた。不二はそんな二人の背中を見送る。
「…不二…」
「ここにいるから…」
小さく不二は呟いた。
「不二…」
後ろから国光が不二を抱きしめる。不二は国光の胸に背をもたせかけた。夜風が柔らかく、不二の頬を撫でていった。
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あ〜、ギャラリーがいたら、忠興と秀次を登場させた時点で「ばかやろー」「いいとこで何やらかすんだー」という罵声と石つぶてが飛んできそうだな、はっはっは〜あいたっ(石が飛んできた)
