垂れこめていた雲からとうとう雨粒が落ちてきた。雨足は次第に強くなり、開け放した廊下にしぶきが跳ねる。

不二は一人、円座に座って雨を眺めた。臙脂色の直衣が湿気を含んで重い。膝には薄青い陶片と土鈴がある。鬱々とした気分が晴れなかった。

婚儀か…

不二は夕べ、国光から貰ったかけらを指で撫でた。つるりとした感触が指先に気持ちいい。

これ、僕にくれたくせ。

理不尽な言い分だと自覚はしている。ここへ来たはじめから、国光の結婚が間近だということは聞いていた。あまりに国光が己の婚儀に無頓着なので忘れていた。

僕のこと、好きなくせ…

不二を好きな国光は、会ったこともない女を妻に迎える。そして子をなすのだろう。じくじくと胸が疼いた。所詮ここに不二の居場所はない。それにいつまでも神様扱いされる保証もない。榎本の庇護を失えば、不二などひとたまりもないのだ。そこまで考えて不二ははっと頭を振った。まるでこれではずっと鎌倉時代にとどまるようではないか。

「帰るんだから。」

誰に言うともなく不二は呟いた。

「僕は帰るんだ、元の世界に。」

母親の、家族の元に、手塚のいる世界に帰るのだ。そして帰れる日はそう遠くない。白い光に包まれて時空を越えるたびに元の世界が近づいている。

「帰りたいよ…」

胸が痛い。この疼きは何なのか、何に自分は傷ついているのか、不二は自分の気持ちを量りかね、途方に暮れる。ざぁざぁと屋根を打つ雨音だけが部屋に響いていた。








午後になっても雨足は一向に衰えなかった。雨雲のせいで辺りが薄暗い。昼食を運んできた秀次が気をきかせて平仄を点した。国光と忠興は榎本の庄境まで「お使者殿」を送っていったらしい。この雨だ。全身濡れ鼠だろう。

「大変だね…二人とも。」

食事をとりながら不二がそう言うと、秀次は人好きのする笑みで答えた。

「直に戻られましょう。これしきの雨、なんということもござりませねば。」

秀次の言葉通り、昼の膳を下げた頃、国光達は帰ってきた。上がり口の辺りが騒がしくなり、しばらくすると国光が不二の部屋へやってきた。直垂は着替えているが、髪の毛はまだしっとりと湿っている。折り烏帽子はかぶっていなかった。

「国光…」

不二はぼんやりと男の名を呼んだ。国光は何も言わない。静かな部屋に雨の音だけが満ちている。
きしり、と床を軋ませ、国光が不二の傍らに歩み寄った。僅かに不二が目を上げる。どこか苦しげな顔で国光は不二を見ていた。不二の袂で土鈴がころ、と小さな音をたてる。衣擦れの音をさせ、国光が腰を下ろした。
じっと見つめられるのが苦しくて、不二は目を伏せた。ざぁざぁと雨音が響く。さらり、とまた衣擦れの音がする。
不二は国光の胸の中にいた。直垂の飾り紐が頬を掠める。国光は不二を胸に抱き込んだまま黙っていた。不二はふっと体の力を抜く。静かだった。降りそそぐ雨に切り取られたように、ここでは国光と不二の二人きりだ。

「雨の匂いがする…」

国光の胸に頬を寄せ、不二が微かに囁いた。不二を抱く腕に力がこもる。
力強く温かい国光の腕、もう、今は何も考えたくなかった。元の世界のことも、国光の結婚のことも、何もかも。

己を包むぬくもりに不二は静かに目を閉じた。

☆☆☆☆☆☆☆
おいおい、不二君、流されまくってないか、君。鎌倉時代のこの日に雨が降っていたかどうかなんて、調べてませ〜ん。あ、でも、お月様はホントなのよ、ちゃんと調べたんだから。月齢カレンダーで一応この時代のお月様、全部チェックしたのだっ。(って、いばるな、そのくらいでっ)さ〜て、第一の山場に向かってGOGOっ。