絶句。
不二はマジマジと目の前の男を見つめた。
板戸をたてて薄暗くなっている不二の部屋の中、というより戸口にどっかり座っているのは、この館の当主、榎本国光だ。はじめは何か用でもあるのかと身構えたが、国光は腕組みをして瞑目している。
なんだよ、いったい。
不二は居心地悪げに畳の上でもぞもぞした。国光はただ黙って座っている。そのとき、とんとんと廊下を踏む音が聞こえた。板戸の影から顔を覗かせたのは秀次だった。
「殿。」
国光が目を開ける。秀次は数通の書簡や書付を杉板の四方盆に載せて差し出した。国光は一つ一つ目を通し、同じ盆の上に載せられた筆と墨壷を使い、さらさらと何かを書いていく。それから秀次に様々の指示を出した。
「承知。」
秀次は慇懃に答えると、ちら、と不二に目礼してさがった。国光は再び腕組みをして瞑目する。立ち上がってどこかに行く気配はいっこうにない。しばらくすると、再び秀次がやってきた。今度も数通の書付を盆にのせている。
「殿。」
国光は目を開け、書付に目を通し、指示を出す。
「…承知。」
秀次はしばらく逡巡したが、そのまま退出した。不二はぽかんとその様子を眺める。
何?もしかしてこれ…
もしかしなくても、国光は不二の部屋で当主の執務をとっているのだ。
なっなななっ
何故ここで仕事するかなっ、そう問い詰めたかったが、秀次が退出すると国光はまた瞑目してしまう。全身で拒絶を表しているようで、不二は声をかけられない。そのくせ、不二の動き一つ逃さないとでもいうような圧力をかけてくる。
何だよ、いったい…
不二は国光から無理やり視線をはずした。だがやることもない。不二はごろりと寝転んだ。まだ昼前だというのに、ひどく疲れている。目を閉じると、様々な色彩がぐるぐる回るような感じだ。
次はいつ帰れるんだろう…
不二は手塚に触れた時の感触を思い出していた。何かに遮られてはいたが、たしかに熱を感じた。三度目でこれなら、次は完全に帰れるのだろうか。そしてそれはいつなのか。
明日かもしれない。
不二の胸がどくん、と鳴る。もしかしたら、その日は明日かもしれないのだ。時空をこえる現象が毎日やってきている。ならば、明日も自分は元の世界に帰るだろう。突然やってくる白い光に包まれて、そのまま現代に帰れるかもしれない。不二の居るべき世界、家族や友人、手塚のいる世界に、鎌倉時代に別れを告げて。
さよなら、言えないじゃないか…
それは前触れもなしにやってくるのだ。そのまま帰ってしまったら、秀次や忠興にさよならを言う余裕はない。情の深い人たちだ。突然自分が消えたら、きっと悲しむ。病床の国忠も、それから国光…
ずきっと痛みが走った。
国光…
ちら、と目を開け、国光を見た。相変わらず腕組みをしたまま端座している。目を閉じて、不二の方を見ようともししない。その姿になんだかムカムカしてきた。
ふんっ。
不二はごろん、と反対側を向く。ムカつきはおさまる気配なく、やることもない。う〜っ、と唸ってみても反応があるわけもない。不二は苛立ちながら、畳の上でごろごろするしかなかった。
不二が転がっている間、国光は様々な問題を処理していた。田畑の畦がどうの、どこそこの街道の揉め事がどうの、武器庫の弓矢がどうの、と、よくもまぁ、ここまで雑多なことがあるものだ、というくらい、諸般にわたっていた。直接出向かなければならない案件には、忠興や古参の郎党を差し向け、自分は不二の部屋から動くつもりはないようだ。取次ぎは秀次一人に限定されていた。
不二が昼食をとっているときも、国光は和田から来た書簡を読んで、返事を書いていた。夕食は戸口に座ったまま、簡単なものを口にした。そっぽを向いてとりつくしまもない。湯浴みの時も戸口にどっかり腰を据え、着替えの時だけ手伝いにきた。だが、不二を着替えさせながら口をきくでもなく、終わるとさっさと元の場所に座ってしまう。厠へたつときだけ、不二は一人になるが、すぐに戻ってくる。
んで、ここで寝る気かっ。
夜具にもぐりこみながら、不二は戸口の男を睨んだ。きっちり閉められた板戸の前で、国光は夜具もかぶらずごろりと横になっている。もちろん、直垂を着たままだ。相変わらず不二に背中を向けている。
こんのぉ〜〜っ。
意地でも声をかけるもんか、と不二は夜具にくるまった。
そっちがその気なら僕だってっ。
何をするのか、と聞かれたら困るが、とにかく不二から折れる気はない。国光とは反対の方向に寝返りをうった。眠れそうにもなかった。
☆☆☆☆☆☆☆
国光も不二も意地っ張りです。監禁プレイはまだまだ続く…
