不二はぼんやりと床の上に横たわっていた。涙に濡れた頬を海風が優しく撫でていく。
死んじゃうんだ…
一瞬でも、歴史を変えられるかと思った。丁度榎本家の転機にあたるこの時代に来たということは、何か意味があるのかもしれないと思った。
バカみたい…
結局、不二一人があがいたところで何も変わりはしないのだ。死ぬ者は死ぬ。生き延びられる者は生きる。ただそれだけのことだ。そして…
僕も死ぬ…
不二周助の人生は、未来から飛ばされた時点で終わっていたのかもしれない。だが、そう考えるにはあまりにも悲しかった。横たわった部屋の中からかいま見える空は晴れ渡っていた。ゆうるりと白い雲が流れていく。この時代も不二の時代も空は青く、雲は流れる。国光が死んで、不二が死んでも変わりなく…
「不二…」
その空を人影が遮った。不二は感情のこもらない目でその影を見つめる。
「不二。」
もう一度名前を呼ばれて、不二はやっとそれが国光なのだと認識した。
「何…?」
ぽつっと答える。国光は不二の隣に腰を下ろした。衣擦れの音がして、国光の手が不二の手に重なった。不二はされるがままになっている。振り払われなかったことにほっとしている様が伝わってきて、不二は笑いたくなった。こんな些細なことに一喜一憂しているくせ、何故滅びるとわかっている道を平然と選ぶのか。
「国光は…」
虚ろに空を見上げたまま不二は言った。
「君は死ぬのが怖くないの…?」
顔を傾けて国光を見る。国光は黙ったままだ。黒い瞳は穏やかな光を湛えている。しばらく不二はその瞳を見つめていたが、ふいっとまた顔を逸らした。
「僕は怖いよ。死ぬのは嫌だ…」
また涙がこみ上げてきた。
「国光が死ぬのも嫌だ…」
国光の指が不二の涙を拭った。ますます涙が止まらなくなる。
「忠興や秀次が死ぬのも嫌だ…どんなに卑怯なことやってでも、みんなに生きて欲しいって願うのは間違いなの?」
ばさりと直垂が音をたて、国光が不二に覆い被さってきた。背がしなるほどきつく抱きしめられる。
「僕と一緒に生きてくれないの?」
国光は何も言わない。ただ不二を抱きしめる。不二はその背に手を回した。広くたくましい背中、不二は唐突に理解した。
あぁ、この男はもののふなのだ。
名を惜しみ、背に傷を受けることを恥とする武者なのだ。そしてきっと、忠興も秀次も、この館にいる全ての郎党達も、国光と同じなのだ。
「抱いてよ。」
泣きながら不二は囁いた。溢れる涙が国光の肩を濡らしている。
「抱き殺してよ…榎本国光…」
吐息とともに国光の耳へ吹き込む。乱暴に国光が不二のジャージをずりさげた。片足だけ抜かれ、膝を大きく割られる。袴をずらしただけの格好で国光は不二を貫いた。
「くっ…」
不二は国光の肩を噛んだ。激しく揺さぶられながら不二は直垂を噛みしめ声を殺す。絶頂はすぐに訪れ、深い絶望の中で不二は快感に呻いた。
人払いをしたというのは本当だったらしい。郎党達どころか、忠興や秀次さえ顔を見せない。
「御渡り様は今、海神様のお言葉を受けておられる、と言っておいた。誰もここへは近づかぬ。」
しゃあしゃあと嘯く国光が小面憎い。さすがにぐったりとなった不二は、国光の胸に体を預けて座っていた。いつのまにか空が朱に染まっている。薄暗くなった部屋から眺める夕焼けは鮮やかで、館は常と変わらず平和な佇まいだ。だが、こうして時が過ぎ、確実に自分達は破滅へ近づいている。斜めに見上げると、国光も夕焼け空を眺めていた。夕陽の赤い光が館を、そして国光を染めている。ふと、滅びの炎を見たような気がして不二は身震いした。ぎゅっと不二を抱く手が強まる。大丈夫だ、とでも言うように。だが、この手は滅亡を選び取った手だ。
「変わらないの…考え…」
国光は相変わらず答えない。
「変えてよ、国光…」
自分は繰り返すしかないのか。後二日、ぎりぎりまで鎌倉へ駆けつけないよう懇願し続けるしかないのか。それとも…
「変えぬ。そしておれは死なぬ。」
静かに国光が言った。悲しい思いで不二はそれを聞く。
「……無理だよ…」
「死なぬ。」
不二は国光の首筋に顔を埋めた。国光の匂いが不二を包む。
「おぬしも死なせぬ。」
「…嘘つき。」
夕暮れの朱が二人を照らす。
こうやって国光の腕の中で終焉を迎えられたらそれでもいい…
ふと、そんな考えが浮かび、不二は慌てて振り払った。諦めてはだめだ、と己に言い聞かす。今ここに存在していることを無意味にはしたくない。どうすればいいのか見当もつかないが、とにかく諦めてはいけないのだ。不二は自分を抱きしめる国光の腕に己の手を重ねた。見上げる空は深い藍色に朱を流している。
国光は渡さない。
運命だろうと歴史の流れだろうと、国光を渡すわけにはいかない。国光は不二一人のものなのだ。血の色をした夕焼け雲を不二は睨むように見上げた。
☆☆☆☆☆☆☆
不二君、夕焼けに八つ当たり(違うっ)さぁっ、どんどんいってみよーっ(人非人)
