赤や黄色にそまった秋の森、風が吹き抜けたように木々が揺れる。午後の明るい陽射しを受けて舞い散る紅葉は色鮮やかだ。
盛大に落ち葉を散らし色彩の饗宴をうみだしているのはもちろん、風などではない。木々の間を移動する忍びの一団がいた。総勢十五名、彼らが枝を渡るたびにパッと葉が舞い踊る。静かな森の中に幾筋も色鮮やかな道が敷かれていくようだ。
とどのつまり、それは忍びとしての技量の低さを示している。十五名の忍び達は木の葉の下忍達だった。
下忍であるから服装は皆、バラバラだ。上忍達がそれぞれ己の忍服を使いやすいようアレンジしているのとは根本的に違い、要は私服である。中忍以上に許された忍びベストは当然だが身に着けていない。
年の頃は十代後半がほとんどで、班長とおぼしき二十代後半の男達が3つに分けた班それぞれの先頭を進んでいる。ただ、ベテランであろう班長達の足元からも落ち葉は盛大に散っていた。
その一団から少し離れて殿を行く忍びが一人いた。黒髪を頭のてっぺんで一つ括りにした若い忍びだ。前を走る下忍達とほぼ同年代であろう。だがこちらは枝をほぼ揺らさず走っていた。
黒髪の忍びの足元から紅葉が散ることはない。身のこなしといい気配断ちといい、前を行く集団とは明らか実力が違う。彼は一つ上の階級である中忍でこの下忍部隊の部隊長だった。
標準の忍服に中忍以上が許されているベストをきっちりと着ている。男らしい整った顔立ちだ。鼻の上には一文字に横切る古傷があった。キリッとした眉の下、いきいきと力強い光を宿した黒い双眸が印象的だ。少し垢抜けない感じがかえって人好きのする温かみとあどけなさをうみだしている。
青年は名をうみのイルカといった。十六の夏に中忍に昇格して一年と三ヶ月、先輩中忍達と組み、様々な任務を経験してきた。そして今回、初の部隊長任務だ。国境に根城を構えた野盗集団を下忍十五名を率いて討伐する。己の統率する部隊の殿を走りながら十七歳のイルカは気概にあふれていた。
正直、初の部隊長任務に不安もある。が、生来活発で負けん気の強い質だ。たとえ部下の三分の一が同級生で他も見知ったアカデミーの先輩達ばかりだったとしても、やりにくいなどと弱音を吐く気はさらさらない。過去はどうあれ、今の自分は実際、彼らのはるか上を行くだけの実力を蓄えてきたとの自負がある。
そのうみのイルカは前を走る集団の撒き散らす木の葉に眉を寄せた。いくら下忍とはいえあまりに雑な移動だ。少し気を配ってチャクラコントロールをすれば枝を揺らさず走ることが出来るのにそれをしようともしない。これでは忍びの集団がいますと周りに宣伝しているようなものだ。
突然バキリ、と音がして前方を走る下忍の足元の枝が折れた。カーキ色の長袖Tシャツと迷彩柄のズボンをはいた縦にも横にも大きな青年で他より更に枝をしならせて走っていたがとうとうやらかしたというところか。
「うぉわっ」
バランスを崩した巨漢の下忍は派手に声をあげ大きく樹の幹を蹴りあげた。ドスン、とこれまた衝撃音が出る。バラバラと紅葉が散った。
「よいしょっとぉ」
掛け声とともに体勢を戻し巨漢は集団に戻った。なんとも騒々しい。イルカは顔をしかめ、それから全員に止まるよう合図を送った。中忍以上が使う無音の合図ではなく風遁札を使って空気の唸りを利用した初歩的なものだ。即座に班長であるベテラン三人が走るのをやめて太枝の上に立った。だが残り十二人中半数は合図に気付かず走り続けようとする。
「バカ野郎、聞こえなかったのか」
金髪を後ろに逆立て黒い半袖シャツに同じく黒の袖なし長衣を羽織った一班の班長が止まろうとしなかった班員の前に移動し一人を殴りつけた。ガツンと鈍い音がして殴られた下忍が地上に落下する。それに驚き他の下忍達は慌てて立ち止まった。
一班班長、名はタマリだ。女受けのする優男の風情だが粗暴な男だった。イルカは額を押さえ、それから落下した下忍が地上にたたきつけられる前に襟首を掴んで太枝に引っ張り上げる。
「タマリ班長、乱暴はダメだろう?」
穏やかにたしなめれば金髪のベテラン下忍はふん、と鼻を鳴らしつつも小さくすいませんと言った。新米中忍であり年若い隊長をなめきった態度だ。
ただしそんなことは重々承知、この任務はいわば新米中忍の通過儀礼だ。割りきっていくしかない。イルカは手で合図し全員を近くに集めた。ぐるりと輪になった部下達の顔を一人一人見つめイルカは諭すように言った。
「あのな、何度も注意したと思うが」
そう、出発以来、何度も言い聞かせている。
「いくら任地がまだ先とはいえもう少し足元に気を使おう。葉っぱを散らしすぎだし、音が大きい。移動経路を宣伝しているようじゃいつどこで敵に襲われるかわからないぞ」
「でも隊長」
はいはい、と元気に手を挙げたのは先程イルカの目の前で枝を折った巨漢だ。二メートル近い身長で横幅もあるこの下忍は実はアカデミーでの同級だ。今でこそ179センチの長身でがっちりとした体つきのイルカだが、アカデミー中学年までは体が小さく、チビ助チビ助とこの下忍と仲間から虐められた。だからだろう、やたらとふてぶてしい態度だ。スキンヘッドにブルドックのような顔だから余計にそう見えるのかもしれない。
「隊長、葉っぱ散らさず走るなんて無理っす。だって風がなくったって散るんスよ?秋ですし、しょーがないじゃないですかぁ」
巨漢の下忍は周囲にも同意を求めた。
「オレら上忍じゃないんスから、なぁ」
巨漢の側にいた数人が頷く。イルカは目つきを鋭くした。
「上忍じゃないからなんだ。敵が下忍だから見逃してくれるとでも思うのか」
語気の強さに下忍達が気まずそうに顔を見合わせる。
「少しずつでも散らさないよう心がけろ。移動も修練と思えばいい」
「でもまったく揺らさないって無理…」
「そう努めろ」
ピシャリとイルカは切って捨てた。
「しょうがないという考え方は死に繋がる。何事もそうあろうと努力するんだ」
「でも…」
巨漢の同級生は不満気にもごもごと口を動かす。相手が見知ったイルカ、しかも卒業年までは自分の方が上だと信じていた相手だけに素直に従えないのだろう。
「隊長様が努めろっつってんだよ、聞こえなかったのかカス」
ベテラン下忍の一人、先ほど下忍を殴りつけた金髪とは別の黒髪巻き毛の下忍が巨漢の尻に鎖をぶち当てた。この中肉中背の下忍は鎖鎌が得物で胸元に鎖帷子をのぞかせた濃い灰色の上下の腰部分に長い鎖を巻きつけている、コイクチという男だ。一見、隊長であるイルカを擁護するようでいてその実、下忍班長である自分達の方が睨みがきくと誇示する態度だ。だがイルカは黙って出発を指示した。再び走りだした下忍達は盛大に木の葉を散らしていく。
あったまくんなーっ
思えば出発時からこの調子だ。いい加減こっちも腹に据えかねる。
いかんいかん
イルカは大きく息を吸い気持ちを鎮めた。こんなことくらいで頭に来ていては後がもたない。走りながらイルカは整息した。新米だから舐められるのは当たり前、ならば部隊長としての責務をはたすだけだ。だいたい、十五名程度の下忍を統率出来ないようでは中隊の指揮などとれるはずがない。
ふと、受付でイルカに任務書を渡した先輩中忍の言葉が浮かんだ。いよいよ通過儀礼任務だな、そう言って先輩は笑った。
『大丈夫、お前のやりたいようにやってこい』
先輩の言葉が今さらながら身にしみる。
うしっ
イルカは己の両頬をはたくとかけ出した。任務はまだはじまったばかりなのだから。
実は今回の任務にあてられた下忍は全員、中忍試験に推薦される見込みのない者達ばかりだ。唯一、研修としてついてきている医療忍見習いだけが中忍昇格を予定している。
忍びの世界は厳しい。アカデミーを無事卒業出来ても下忍になることが出来るのはクラスの半数ほどだ。しかも卒業と同時に上忍師の試験に合格するのは多い年で六人足らず、一人の合格者も出ない年すらある。後の者は卒業後、数年かけて上忍師試験に挑み下忍となるのだが、その中から中忍に昇格できるのは稀だ。上の階級に上るのはやはり卒業年に下忍になった者達が多い。それでも、中忍に昇格するのは同期で数人、そこから特別上忍、上忍と上り詰める者はさらに数が限られる。ゆえに上忍は天上人扱いになるのだが、一般人や下忍からみると中忍も雲の上の存在である。
だいたい、忍びの世界が絶対的階級社会というのはその選別の厳しさと厳然たる実力差によるものだ。だからどんなに年若い上官であっても階級が上であったら無条件に従うのだ。
ただし、十代の経験浅い下忍、特に中忍試験を受けたことのない者達に限っていえばどうもその辺りが甘い。元々忍びになるくらいだから向こうっ気が強い。しかし、どうにも己の実力や相手の力量を正しくはかることが出来ず、結果、同級生や後輩の上官に素直に従おうとしないのだ。
中忍試験を経験したり推薦される力量のある者は身を持って厳しさを知っているので下忍としての心構えが出来ているが、推薦を受けられないレベルの下忍はどうしても身の処し方が甘い。上官命令を軽んじた下忍が任務で死亡したり大怪我を負うケースが後を絶たず、戦中派からはアカデミーの自由な気風に問題があるから教育方針を昔に戻せとまで言われるようになってしまった。
よって上層部は下忍だけのチームを若い指揮官に統率させ任務で現実を叩き込むという方策に出た。もちろんこれには新米中忍を鍛える目的もある。たとえ先輩や同級生であってもきちんと統率出来なければ中忍としての資格なし、ということだ。イルカの先輩中忍が通過儀礼任務と称したのはそういう意味あいがある。イルカもそれなりの覚悟を決めてこの任務に臨んだのであるが
なんでこんなに進むスピードが遅いんだ!
予定の三分の二しか進んでいないのにもう日はとっぷりと暮れている。まさか下忍達の足がこんなに遅いとは思ってもみなかった。野盗討伐であるから明確な任期があるわけではないのだが、それでも部隊長であるイルカは目的地までの移動と偵察に要する日程をシュミレーションしていたのだ。なのに移動一日目にしてこれである。ある意味、部隊長としての判断ミスだ。
しっかし、アカデミーの時こんなだったか?
イルカは疲れてヨタつき始めた前方集団を眺めた。十五人中、二十代後半のベテラン班長三人と中忍昇格予定の医療忍以外はイルカの見知った者ばかり、半数はアカデミーの同級生であり残りはアカデミーの先輩達だ。卒業年に上忍師試験に合格しておらずイルカ達と同時期に試験を受けたから面識がある。だから力量は把握しているつもりだった。
一応資料もちゃんと見たのになぁ
中忍試験推薦を受けられない下忍のレベルというものを見誤っていたとしか言いようが無い。
イルカは今ひとつ自覚していなかったが、新米中忍というのは下忍時代よりも桁外れに力をつけているものだ。なにせ中忍試験に向けて上忍師に死ぬほどしごかれ、昇格してからは先輩中忍や上忍について高ランクの任務ばかり、チームを組む下忍達も中忍試験を突破できなかったとはいえ百戦錬磨の手練ばかりなのだ。そんな中で己の力の無さを痛感しては鍛錬の日々を送る新米中忍達の実力は飛躍的に伸びる。しかし現場では下っ端なので己が力をつけているとの実感はない。こうやって下位の忍びを率いはじめて中忍以上と下忍の違いを自覚するのだ。この「通過儀礼任務」は任務達成のための判断力を養うという意味も大きかった。
だが今現在、任務のまっただ中にいるイルカにはそこまで思い至る余裕はない。とにかく、疲れの見え始めた下忍達にこれ以上の移動は無理だと判断し森の中での野営を決めた。
「つっかれたー」
「いきなりこの移動はないっしょー」
止まれの合図とともに案の定、下忍達は木の枝の上に座り込んだ。
「情けねぇこと言ってねぇで立ちやがれ」
その尻を班長がけとばした。さすがに班長クラスはこの程度では疲れをみせない。ただこの手が早いのはどうにかならないものか。一度じっくり話をしたほうがよさそうだと思いつつ、イルカは野営の指示を出した。
今回の部隊は下忍をフォーマンセルの三班に分けそれにベテランの班長がつくという、五人一組の構成である。討伐対象の野盗に忍びはおらずいても下忍レベルという情報だったので、数だのみの攻撃フォーメーションをとることにした。班同士の連携攻撃は端から捨てている。
そして、班ごとに移動中の役割もふっておいた。兵糧管理と武器、爆薬管理、医療品、雑貨類管理だ。大木の根本に降り立ったイルカは金髪を逆立てた一班班長、タマリに指示をだした。
「兵糧管理は一班だったな。食事の準備を」
食事の準備といっても巻物に封じた携帯食を取り出すだけだ。敵地にはまだ遠いが何があるかわからないから基本、火はたかない。だが、一昔前までは兵糧丸しかなかった携帯食は随分と進化していて、パックを割るだけで温かい雑炊や麺が食べられるようになっている。今回はそれを巻物に封じてきた。敵地では呑気に食事をとる余裕はない。おそらく兵糧丸に頼りっきりだと踏んだイルカが用意させたのだ。見張りの割り振りに水汲みのメンバーを告げていると呑気な声がした。
「あ、ヤベ、携帯食封じてた巻物忘れた」
「部隊長、兵糧丸しかないんスけどー」
元、アカデミーの同級生達だ。
「みんな、ごめーん」
「兵糧丸でいいかなぁ」
兵糧管理担当一班の班員達四人、周囲に手を合わせてまわる。
「何がごめんだ、このカスがっ」
怒号が響いた。怒鳴りつけたのは部隊長のイルカではなく、金髪を逆立てた班長タマリ下忍だ。
「オレらの飯、どうしてくれる」
黒髪巻き毛の鎖鎌使い、コイクチが凄んだ。もう一人の班長、黒髪短髪のウスクチという男はイライラと背中に担いだ長刀の柄をカチカチいわせている。背が高くひょろりとしたこの下忍はどこか骸骨の標本を思わせる風体だ。黒い上下にカーキ色の着物を羽織っている。幽鬼のようなウスクチに無言で凄まれはじめて食事当番の班員達は真っ青になった。
「あっあの、でも、兵糧丸は多めに持ってきてるんで…」
「はぁ?敵地につくまであと三日はあんぞ?ずっと兵糧丸食えってのかぁ?」
「戦闘任務だってお前ら、わかってるぅ?」
「だいたい忘れるって、任務なめてんのか、あぁ?」
待て待て待て、ずっと兵糧丸って兵糧丸がたっぷりあるだけ上等だろうが、っつか任務に忘れ物とかありえねぇ、っつか飯の前にもっと怒るとこあんだろうが、任務態度とか心構えとか、っつか、一班班長、他人事みたいに、お前班長だろっ
ツッコミどころが多すぎて言葉が出ない。ポカンとなっていたイルカはウスクチの長刀がその刃を中ほどまでみせたところでようやく我に返った。
「待ったーっ」
班長達と兵糧管理班の間に割って入る。
「刀抜く奴があるかっ。それから一班っ」
腰に手を当てイルカは元同級生達に向き合った。
「任務に巻物を忘れるとは言語道断だ。忍びの基礎からやり直してこい。一班班長っ」
「うぃーっす」
だるそうに金髪のタマリが手を挙げた。
「班の責任はお前にある。班長なら班員と意思疎通をはかり把握しておけ」
「すんませーん」
形ばかりの謝罪にイラっとくるがイルカはそれをぐっと飲み込んだ。そして下忍達をぐるりと見渡す。
「敵地では食事を取れるかどうかわからない。兵糧丸は目的地につくまでは保持しておくこと」
「えー、飯抜きっすかー」
鎖鎌使いのコイクチが不満げに鼻を鳴らした。じろりとそれを睨みつけ、イルカは言葉を続ける。
「一班と二班は手分けして食料調達、ただしあまり広範囲に散らばらないように。三班はオレと一緒にここへ残れ」
小さく「だりぃ」だの「疲れた」だの聞こえたが注意する元気もない。
「散っ」
一班、二班は班長とともに姿を消した。だが決して機敏な動作とは言いがたい。
これが下忍部隊…
同じ木の葉の忍びでありながら任務に対する態度のこの違いはなんなのだろう。それとも、新米部隊長を舐めているからこんな態度なのだろうか。初日からイルカは暗澹たる気分になる。
「あ〜、部隊長、オレら何すりゃいいんスかぁ」
三班班長のウスクチが背負った長刀の柄をカチカチいわせながら声をかけてきた。柄をいじるのが癖なのだろうか。忍びがそうあからさまな癖をみせていいわけはないのだがそれは自分が口出しすることではない。
イルカはふっと息をつくと気を取り直して三班の面々を見回した。この班には中忍昇格予定の医療忍がいる。薄いモスグリーンのアンダーに黒いズボンを穿き医療用具や薬剤を仕込んだベージュの上着を着ていた。平均的な体つきで茶色の髪を短く刈り込んでいる。顔立ちも特に目立った特徴はなく、ただ真珠色の不思議な瞳の持ち主だった。
「君、感知も得意だったな」
医療忍に言えばしっかりと頷いた。
「私はここに残って他里の忍びがいないか索敵すればいいですか」
「頼む」
そーだよ、フツーはこうだよな、イルカは心の拳を握った。この下忍部隊で唯一、まともな返答を聞いた気がする。
「オレは水場を確認してくるから水汲みに一人ついて来い。ウスクチ班長と後の二人はここに残って不測の事態にそなえてくれ」
「部隊長、部隊長に水汲みはさせられませんって」
ウスクチがひょろりと痩せた体を大仰に揺らして言った。
「コイツらに行かせましょうや」
医療忍以外の班員を指差す。自分が行くとは言わない。イルカはまた内心ため息だ。
「いや、水場を確認したいからオレが行く。えっと…」
医療忍以外の三人のうちイルカは一人を指をさした。
「君、水汲み頼むよ」
イルカが選んだのはボサボサの灰色の髪の下忍だ。髪が目元まで覆いかぶさって顔の下半分しか見えていないこの下忍は色白というよりなまっちろいと言ったほうがいいような肌の色をしていた。背は高いし筋肉もちゃんとついているのになんとなくフニャフニャした感じがするのは猫背だからだろうか。里支給の黒の上下にウェストポーチを巻いただけのこの下忍は存在感が希薄で他の下忍達とは明らかに雰囲気が違った。
名前は「田の中カカ蔵」、下忍部隊で唯一、イルカの知らない下忍だ。だから指名した。初日から上手くいがずイルカも少々凹んでいる。この状況で見知った者と二人きりは嫌だなぁと思っていたところに、面識のない下忍が三班にいたのは好都合だった。
「タンクは二つで足りるだろう。用意してくれ」
「はい」
イルカの指示にその下忍は小さく返事をすると雑貨を封じた巻物から水汲み用のタンクを二つ取り出した。終わると手際よく巻物を片付ける。あまりに自然で動きに無駄がないので一瞬イルカは目をみはった。事前にもらった部隊員の資料を思い起こすが、この青年も一度も中忍試験推薦が受けられていない。
「部隊長?」
灰色の髪の下忍がいぶかしげに自分を呼んだ。
「あ?あぁ、すまん」
ははは、とイルカは頭をかいた。
「いや、あんまり手際がいいからびっくりして」
そうなのだ。同級生や先輩達、今回任務に参加している下忍達は動きの全てに無駄が多い。だから気配が漏れるし音もたつのだが、この見知らぬ下忍の動きは他の下忍達と全く違う。動きの根本が違うといった方がいいだろうか。最小限のエネルギーで効率よく筋肉を動かすことを知っている体だ。イルカの一番身近な人物がこういう動きをする。その人が巻物を扱うのを見ているのでよくわかるのだ。
三代目と動きが同じってどんな下忍だよ…
一介の中忍でありながら実はこのうみのイルカ、三代目火影から孫同然に可愛がられていた。母親が三代目火影の妻、ビワコの愛弟子で幼い頃は三代目の膝の上で遊んだものだ。
九尾の災厄で両親が殉職したあとはしばらく三代目に引き取られて屋敷で暮らした。下忍となりイルカが屋敷を出て独立した時の三代目の落胆ぶりといったら、今でも屋敷の使用人たちの間での語り草だ。
イルカが中忍になってからも人目もはばからず猫かわいがりしようとするのでそれをたしなめれば、交換条件とばかりに執務室での事務手伝いをゴリ押ししてきた。任務に出ない日は三代目のそばで仕事をするハメになったイルカだが、一人前の忍びとなった目で里長をみればちょっとした動きにも学ぶところが多いのだ。
以来、三代目の動きはイルカの手本とするところなのだが、この下忍も尊敬する忍びの長、三代目猿飛ヒルゼンとよく似た動きをしているので驚いた。
いや、でも…
イルカは移動中の三班を思い浮かべる。メンバー全員、盛大に紅葉を散らしていた。ということはこの灰色の髪の下忍もそうだということだ。
気のせいか。
イルカはタンクを一つつかみ、水場へ向かった。
森のなかは真っ暗だが忍びには星明かりがあれば十分だ。それに今から向かう水場は木の葉の忍びがよく使う場所で勝手はわかっている。急ぐこともなかろうとイルカはのんびり歩いた。少し遅れて田の中カカ蔵がついてくる。イルカの足元は静かなものだがカカ蔵はカサカサと足音を立てていた。
やっぱ気のせいだな
一瞬、手練の上忍が潜入しているのかと思ったがたまたま巻物の扱いが上手かっただけのようだ。灰色の髪の青年は黙ってイルカの後ろをついてくる。
「任務ではきゃ紅葉の森を堪能するとこなんだけどなぁ」
部隊を離れて少しホッとしたのか、イルカはつい後ろの下忍に話しかけていた。
「田の中カカ蔵君だっけ?君とは初対面だな」
「は?カカ蔵?」
「へ?」
素っ頓狂な声に思わず振り向けば灰色の髪の下忍は何故かぽかりと口をあけている。
「えっと、田の中カカ蔵君だよな?資料、間違っていたか?」
「えっ…」
「立花上忍の班で今年21才、田の中カカ蔵ってあったけど…」
「あっそっそうです、カカ蔵です、田の中カカ蔵です」
自分の名前を忘れるなんてことがあるのか?
どこか慌てた雰囲気の下忍にイルカは首をひねった。しかも「あんのクソ爺」と聞こえた気がしたが、空耳だろうか。
「えっと…」
「そうですね、部隊長とお会いするのは初めてです」
カカ蔵の形の良い唇がニコリと笑みをかたどった。
「私は隊長より四つ上の学年ですし一応下忍には卒業年に合格したので面識がないのだと思います」
「そっそうか、そうだよな。オレも上の学年なんて、下忍試験で一緒になった先輩しか知らないもんな。この部隊に知り合いはいるのか?」
「いえ、おりません。一応卒業年に下忍になったので学年が違うとわからないです」
すらすらと言われてそうなのかと納得する。
「カカ蔵君は」
「部隊長、恐れ入りますが別な呼び名でお願いできませんか」
いきなり言われイルカは目をパチクリさせた。
「カカ蔵君じゃなにか不都合でもあるのか?」
「いえ、その…」
口ごもるカカ蔵にイルカは安心させるようニッコリと笑った。
「ん?どうした?カカ蔵という呼び名は嫌か?」
「嫌というか、その…できれば田の中とか…ナナシとでも…」
ぼそぼそ言うカカ蔵の様子にイルカはハッと思い当たった。時折あるのだ。自分の名前が気に入らず、別な呼び名で呼んで欲しいというケースが。
そうか、さっき名前を呼んだ時の反応は『カカ蔵』と呼ばれたくなかったからなのか。
確かに「カカ蔵」は古臭く響くかもしれない。「〜蔵」という名前は三代目の世代に多いのだ。代表的なのが根を仕切っている「ダンゾウ」様で、他にもしげ蔵爺さんとかマツ蔵爺さんとか、とにかく老人世代を代表する名前だ。若いカカ蔵は自分の名前が年寄りくさくて嫌なのだろう。
案外素直で可愛いじゃないか。
イルカは思わず吹き出していた。
「カカ蔵君、大丈夫だよ」
カカ蔵の背中をバシバシと叩く。
「カカ蔵っていい名前だと思うぞ?そりゃあ今風じゃないかもしれんが、男らしくて立派な名前だ」
「あ、いや」
「ご両親がつけてくれた立派な名前じゃないか。きっと歴戦の戦忍達のように強い忍びになれって願いを込められたんだな」
「違…」
イルカは力づけるようにカカ蔵の背中をもう一度叩いた。
「恥じることはない。オレは素晴らしい名だと思う。君も堂々とカカ蔵って名乗ればいいんだ」
な?と顔を覗きこめばカカ蔵は小さく「はい」とこたえた。ため息混じりと思ったのは気のせいだろう。
「よし、じゃあカカ蔵君、初対面だし、色々君の話を聞かせてくれよ」
「………はぁ」
カカ蔵と話しながらイルカは気分が上向いていた。なんだかこの年上の下忍とは気が合いそうだ。なんとなくだがそう思う。
別に他の部隊員と気が合わないとかそういうんじゃ…
いや、正直、気が合わないタイプばかりだ。特に同級だった五人とはアカデミー時代から反りが合わない。先輩だった他の五人も様子を見る限り、イルカとは合いそうもないタイプだと思う。二十代後半の班長達に至っては言わずもがなだ。そんな中、一人でも気が合いそうな下忍がいてイルカは内心ホッとした。なんだかんだで新米部隊長、まだまだ多感な十七歳だ。
「これからよろしくな、カカ蔵君」
差し出した手を灰色の髪の下忍はおずおずと握り返してくる。内気な青年なのだろう。
だから中忍試験推薦、見送られたのかな
身体能力は高そうだからたぶんそうなのだ。質問にぼそぼそと応えるカカ蔵と歩きながら力になれることがあればいいなとイルカは思い始めていた。 |