毎週金曜日は茎○道場で空手の稽古がある。それは少し肌寒い日のことだった。

コンビネーションの練習が終わって、ちょっとへろへろになった頃、先生が拳サポーターと足サポーターをつけるよう指示なさった。子供と違い体力のない身にとって、サポーターをつける時間は非常に貴重だ。なにが貴重って、絶好の機会なのだ。なにが絶好って、だから、大きな声で言えんが、とにかくこの時間は年寄りには大事なのだ、貴重なのだっ(それ以上言うな、小僧 byザブザ)。よろよろと己のサポーターバッグの横に座り込み、トーゼンのろのろとサポーターを身につける。ああ、こんなときは子供達のトロくささがありがたい。奴らは元気ありあまっているが、サポーターつけるのに毎度もたもたするのだ。特に右手の拳サポーター。隣でもたもた引っ張っている。

ふっふっふ、手伝ってはやらんよ、いや、別に休みたいからってわけじゃなくてだな、一人の良識ある大人として君たちの自立心を阻害するわけにはいかんのよ、だから、断じて休みたいからってわけじゃなく、君たちがもたつくから必然的に休んでいるわけであって…

突然、隣にいた息子さんを連れてきている友人が呟いた。
「ねぇ、すごいねぇ。こんなときでも鍛練してるんだ…。」
ほうっと感歎のため息を吐いている。
「?」
うっとりとみつめる彼女の視線の先には我らが小○先生がいる。サポーターつけにもたついているもんだから、しかたなくお一人でスパーリングをなさっている。


ははは、子供にかこつけてさぼってるってバレバレだろうな〜。でも年寄りだしぃ〜。あれって、鍛練っつーんじゃなくて、見てみぬふりってんだよな〜…

そう思って友の顔をもう一度見ると、彼女はもう一度、うっとりとため息をついた。そして、うるうると感動に目を潤ませ、問いかけてくる。
「ねぇ、いつもああやって鍛えてるのかなぁ…。」
「?そ…そりゃ自分の練習くらいやってると思うけど…???」
「なんかさぁ、精進してるって感じだよねぇ…」
「??????」

先生はスパーリングなさっている。かる〜く、ごくかる〜く、流すように。そりゃそうだ、私ら待ってたら体冷えるもん。だから、かる〜く動いていらっしゃる…

「皆を教えている時にも自分を鍛えてるんだねぇ…」
「???????????????????」

先生はスパーリングをなさっている。何度も言う。ごくかる〜〜〜〜く、軽くだ、軽く動いているんだ。全力で床を突いているわけでなく、渾身の力で壁を蹴っているわけでもなく、ブロックを叩き割っているわけでもない。先生は軽くスパーリングをなさっているのだ。

「…あ…あの〜…」

話が見えない。感動の邪魔をして悪いが、やっぱこれは聞かんとわからん。

「あのさ〜…」


「片方、何キロあるんだろうねぇ。」


「…………………………はいーっ?」




何キロ?何キロ?何キロってなにがっ?先生の体重?でも君、今、片方っていったよね、確かに。

彼女はうっとりと続ける。

「毎日ああやって重りつけてるのかな。足も手もつけてるんだよね、やっぱ空手とかする人、ホントにするんだ、すごいよねぇ、うふふ。」


うふふって、うふふって、うふふってあんた、ありゃありゃありゃあただの…




黒い皮のサポーターでんがな



そう、今日はちょっと肌寒かったから先生は


紺色の胴衣下と黒い皮の足サポーター


を身につけていらっしゃった。

そうだ、間違いない。彼女は思い違いをしているのだ。先生が身につけているあれは、あれがかの



筋肉鍛練サポーター


であると。

筋肉鍛練サポーター
それは古くはかの星○馬が親父にムリクリつけさせられた伝説のバネ式にはじまり、もっともポピュラーな形は某テニス漫画で乾貞○の提案のもと、片方十キロを青学のメンバ−が足に使用した巻き付け式。某忍者漫画において熱きロッ○・リー君が何キロあるのかはシランがとんでもない重さのものを足に巻き付けていたのは記憶に新しい。あれである。
常に手足に負荷をかけて体を鍛え、絶対に戦闘中でもはずしてはいけない。
はずしていいのは
敵が強すぎてやられそうになったときのみ。
しかもたとえぼこぼこになっていても不敵な笑いとともにはずさなければならない。
そしてピンチの主人公やその仲間達がそのサポーターを見せた途端、なぜか敵も味方も激しく動揺しなければならない。
はずした途端、格段にスピードとパワーがアップしてバッタバッタと敵をなぎ倒し


筋肉疲労していてかえって動けないんじゃねーの?フツー、

という突っ込みを微塵も受け付けない、少年漫画永遠の必須のアイテム、それが筋肉鍛練サポーターである。

そう、彼女は勘違いをしていた。

小○先生が身につけているはかの伝説の筋肉鍛練サポーターであると。


そりゃ、少年漫画じゃ常識だけど、そりゃ、現実でも専属のトレーナーの適切な指導のもと、適切な時間やれば効果はあるのかもしれないけど、でも、でも、でも…


あれしてたら体、壊すと思う、間違いなく…


彼女はまだ気付かない。しきりに感動している。まさか本当にしている人見られるなんて信じられないって、能天気に感動している。
信じられないって、だから、フツーそんなとんでもないことする人いないから、見た事ないんでしょーがって、ヲイ、気付よ、頼むから…

だめだ、感動しまくっている…

隣で戸惑っている女のことなんかアウトオブ眼中。


どうしよう…


途方に暮れた。

このまま黙ってやり過ごそうか。この感動に水をさすにはとても勇気がいる。しかし、もし黙っていて後でばれたらそれこそ恐い。なんで言わなかったんだってリンチされるのは確実。なんたってコイツはバリバリの体育会系で新体操やってたつわもので、その鍛えられたしなやかな筋肉で殴られたら組手のダメージどころじゃない。

後の災いより今のナントカだ…

ナントカってそれが何かわかんないのは恐いが、


勇気をだそうオレ、ファイトだオレ様っ!






「あ…あのさぁ…あれってだだの紺色Tシャツと皮のサポーターなんだけど…」




彼女はきょとんとした。それから先生を見た。そしてこっちを向いた。にこっと笑った顔が眩しい。




「いやっだぁ〜、はやく言ってよもうっ。はずかしいじゃない〜〜〜〜〜っ。」





……よかった。誤解は解けたみたいだ……


恥じらった彼女はやみくもにそのしなやかな腕を振り回す。そんな仕種も乙女の恥じらいと思えば可愛らしい。側に座っていたせいでくらった被害はすごかったけれど、なに、乙女の恥じらいだ、ぐっと耐えてやろうじゃないか。
後の災いも今のナントカもあんまし変わんなかったかもしれないと、己の危機意識の不足を痛感する。彼女が無意識に与えてくれたダメージのおかげで組手の練習はメッタクソ辛くって涙が出た。

彼女といえば、落ち着いたところで、日常生活において筋肉鍛練サポーターはありえないと悟っていた。


少年漫画って、変なところで誤った常識を人々に植え付けているのかもしれない。やっぱすごく偉大だったんだ、ビバ、日本の漫画文化。
でもさ、現実ってさ、どんなに鍛練したってプロレスのリングサイドから天井に頭ぶつけるほど飛べないし、サッカーゴールの端から端にダイレクトジャンプできないし、手からチャクラは出ないんだよね。ままならない人間の体と人の生活。だからこそ、漫画の中で夢を見る。夢の中の人々は、鍛練さえすれば術を使って空を飛び、岩にだって穴をあけ、はるか高みに駆け昇る。
筋肉鍛練サポーター、現実にありそうな小さな夢のアイテム。
夢を現にみた彼女は、恥じらいながらもちょっと寂しかったかもしれない。だから、はじけた夢のぶんだけブンブンぶたれはしたけれど、なんだか勘違いした気持ちはとってもわかった。私だってラ○ダ−キック大好きで、ド○ゴン昇竜覇が大好きで、は○けカカシのまねっこしたくて空手練習しているんだもんね。ビバ、少年漫画、ビバ、日本のアニメ。

少年漫画の夢と現を認識した、それはちょっと肌寒い、金曜の宵の小さな出来事。