虹色禁色お試し版
 
 






「うぉわっ」

イルカは足下を走り抜ける影に飛び退いた。

ふ〜、アブねぇアブねぇ、もう少しで触るところだった。

拳で額の汗を拭う。とりたてて暑くも寒くもない五月の陽射し、拭った汗は冷や汗だ。

「気温高くなるとこれだから嫌なんだよ。」

きょろきょろと周囲を見回し、イルカは一人、吐き捨てた。それからおっかなびっくり足を踏み出す。この石畳の階段はイルカにとって鬼門だ。なにせここは奴らのお気に入りスポットなのだから。



アカデミーと受付棟、この二カ所を行き来するのがイルカの日課だ。そして、二カ所をつなぐ唯一のルートがこの石畳通路だった。気温の高い時期、イルカは毎日、決死の覚悟でこの通路を歩く。外気温に体温を左右される奴らは、コンクリートで固められた通路ではなくこの石畳通路でひなたぼっこをする。イルカから見れば、どちらも熱された石に変わりないのだが、どうやら単に熱ければいいというものでもないらしい。人工物であるコンクリートよりも自然石の方が具合がいいのだ。

下等生物のくせにっ。

イルカはぐぐっと眉を寄せる。石畳通路の脇がすぐに逃げ込める草むらなのも、出現率が高い一因となっているのだろう。

「セキュリティチェックさえなけりゃなぁ。」

地面をじっと見つめながらイルカは嘆いた。本当は天を仰ぎたい気分なのだが、うっかり上を向いていて奴らが足下に走り出してきたらヤバい。ひたすら地面を見る。セキュリティチェックをするための通用門はこの石畳の先にしかないのだ。


木の葉崩し以降、スパイ対策として、受付職員達へのチェックが厳しくなった。通用門でチェックを受けないと中に入れないことになっている。なにせ受付カウンターの内側は重要書類ばかりなのだ。変化を使っていないか、術にかかっていないか、毎回火影の用意した術式でチェックを受けてから業務につかなければならない。

「あ〜、めんどくせぇ。」

ため息をついたイルカの横を、小さな影が走り抜けた。

「どぁっ。」

イルカはびくり、と体を震わせた。

「絶滅しちまえ…」

いまだ石畳の端っこに留まっている生き物を怯えた目で睨みつける。

「トカゲなんざ絶滅しちまえばいいんだぁっ。」



そう、中忍、うみのイルカは大のトカゲ嫌いだった。

何がトラウマになっているのか、自分でもよくわからない。蛇は大丈夫だから、きっと幼い頃、何かあったのだろう。だが両親亡き今、イルカにそれを確かめる術はない。とにかく、トカゲと名のつく生き物はすべて嫌いだった。任務モードに入ると、世の中の全てを単なる情報として処理するよう頭が切り替わるのでさほど問題ない。だが、日常に戻るとトカゲへの嫌悪はひとしお増した。

そしてここ数年、更にトカゲ嫌いが増す状況に置かれている。イルカはアカデミー教師、子供達の相手をするのが仕事だ。そして、たいていの子供はトカゲ、正確にはカナヘビというらしいが、この十センチから十五センチくらいの、暗褐色をした生き物が大好きである。子供達は丸々と太った大物を捕まえると、大喜びで教師達に獲物自慢をしにくる。そう、教師達も自分達と同じく、カナヘビを愛してやまないと信じきっているのだ。
しかしトカゲ嫌いのイルカにとって、目の前に二十センチ近いカナヘビをぶらさげられた時の恐怖といったら。本気で悲鳴をあげて逃げ出したくなる。
ただ教師たるもの、ここでカナヘビが苦手だなどとバレようものなら、以後、トカゲ攻撃が襲ってくるのは間違いない。子供というのは、相手の苦手なものを察して慮るという優しさなど微塵も持ち合わせてはいないのだ。だからイルカは持てる気力体力すべてを振り絞って平然と笑う。

『お〜、お前ら、デカいのを捕まえたなぁ。』
それから教師らしく慈愛に満ちた目で諭す。

『でも、ちゃんと放してやれよ。小さくても命なんだからな。』

本心ではそんな生き物、焼き殺してしまえ、と思っているが、相手に悟らせるわけにはいかない。こうして日々、気力体力の限界を試されているイルカは、ますますトカゲが嫌いになっていった。




五月の爽やかな風が吹き渡る今日も、イルカはびくびくと地面を見ながら歩いている。

あぁ、冬はよかった。冬は奴ら、絶対出てこねぇもん。少々冷たかろうが凍えようが、奴らの姿が見えないってだけで心穏やかに暮らしていられた。冬最高、早く冬来い、奴らが動けなくなる北風よ吹け、吹きまくれっ。

イルカが心の中で呪詛を唱えた時だ。呼応するようにデカいカナヘビが走り出してきた。よりによってイルカの足の先で立ち止まる。

「ひゃあっ。」
一歩飛び退ったところで蹴躓いた。

「うわっ。」
「おっと。」

一瞬、宙に浮いた体が誰かの手で支えられる。すとん、と地面に足がついた。

「大丈夫?」
「カッカカシさん。」

イルカを支えてくれたのは、木の葉を代表する上忍、はたけカカシだった。そしてもっか、イルカの片思いの相手でもある。

うわ、オレ、カッコわりぃ〜っ

イルカは真っ赤になった。好きな人の前でのこの失態、カナヘビにびびってコケかけるなんて中忍にあるまじきことだ。

「あっあの…」
「イルカ先生、優しいね。」

慌てるイルカにカカシがふわりと微笑んだ。どきん、と心臓が跳ねる。

「先生、今、カナヘビ踏まないようにって転びかけたんでしょう?」

え?
イルカは目を瞬かせる。

「任務の時、先生が忍びに徹してるってのは知ってるけど、普段は生き物にとても優しいんだよね。」
「あっ…」

本当はカナヘビなんぞ、命ともなんとも思ってないし、触りたくない一心で飛び退いたのだが、びびって転びかけたなんて思われるより優しいと思われた方がよっぽどいい。

「えっえぇ、まぁ…」

カカシの勘違いをこれ幸いとイルカは鼻の傷をかいて曖昧に笑った。誰だって好きな人の前ではカッコつけたい。にこ、とカカシがまた笑う。

「イルカ先生、今から受付ですか?」
「はっはいっ。」

相変わらずイイ男だなぁ、とカカシに見惚れていたイルカは慌てて首を縦に振った。

「そう、昼から受付なら、あがりは五時?」
「はいっ。」

好きな人とお話しが出来てすごく嬉しい。イルカの返事も自然、大きくなる。

「今日は定時で終われそうですか?」
「はいっ。」
「じゃあ、今夜ちょっとどうです?」
「はいっ…いぃ?」

杯を呷る仕草をしたカカシに元気一杯返事をしたイルカは一瞬、真っ白になった。銀髪の想い人はにっこりとする。

「そ、よかった。じゃあ、五時に受付へ迎えに行きますね。」

そして手を振ってからどろん、と煙とともに消えてしまった。しばらくイルカはぼぅっとその空間をみつめる。それからカカシの言葉を反芻した。

『今夜ちょっとどうです?』

酒を飲む仕草をしたカカシ、五時に迎えにくると言った。それって、それって…

「オレ、誘われちゃったーー?」

きゃあ、と成人男子にあるまじき声を上げ、イルカはぴょこん、と飛び上がった。

「カカシさんとデェトーッ。」

正確には飲みに誘われたわけでデートではないのだが、イルカの頭の中ではすっかりデートになっている。

「やりぃっ。」
乙女モード全開な中忍の足下をちょろり、と黒い影が走った。

「うぉっ。」
だが、避ける中忍の足取りは軽い。

「デェト、デェト、カカシさんとデ・エ・ト。」

鼻歌混じりに受付棟へ向かう中忍の背後で、ぱく、とカナヘビがバッタを捕まえていた。



 
  中年カカイルの次はトカゲかよ、という呆れた声が聞こえてくる〜。虹色禁色(にじいろきんじき)の出だし部分です。今回のイルカは漢だけど乙女で前向きで呑気でちょっとちゃっかりしてます。カカシは紳士で、ペットのトカゲのことになるとかなりな天然さん。「さくら」のけなげイルカの爪のあかを煎じて飲め、イルカめ。書きながら何度そう思ったことか。ばいおばさんのペットトカゲ、タバサの話をしていてこの話が生まれました。タバサはコオロギ食べてるけど、カカシのペットが食べているのは…この食材についてネットで検索した金角は、一瞬、気が遠くなりました。おしりつつくと「きゅ〜きゅ〜」って鳴くんだって。いやぁぁぁ(読んでくれたらこの絶叫の意味がわかるかと…)