痛みすらも快楽になるのだということをイルカは初めて知った。イルカは白い青年の胡座の上に腰を落としている。全裸で青年に貫かれていた。どうしてこんなことになったのかイルカにもわからない。白い青年はやはり魔物なのだ。深い霧の中、色違いの瞳に意識を絡め取られ、気づいたときには体を差し出していた。
食われている…
そうだ、イルカは魔物に食われているのだ。だが、それでもいい、と魔物を身の内に受け入れながらイルカは思った。このまま食らいつくされて、この美しい魔物の一部になるんだ。イルカは喘ぎながら笑った。心がとっくに魔物に食われ、自分はおかしくなっているのかもしれない。何度精を吐きだし、そして魔物の精を受け止めただろう。突き上げられるたびに、イルカの後孔が濡れた音をたてた。
「いっイイ…」
イルカは魔物に縋り、快楽に泣いた。そそりたった男根が魔物の肌に擦られる。イルカのモノに触れる魔物の肌は冷たく硬く、しかしイルカに口づける魔物の唇は熱く柔らかかった。自らも腰を振ってイルカは喘ぐ。快楽に我を忘れた。イルカを犯す灼熱の棒が意識を粉々に砕いてしまう。
食らいつくして…
イルカは魔物の背に爪をたて啜り泣いた。永遠を思わせるような情交、だが、終わりはあっけなくやってきた。
ぴーっ。
鳥が鳴いたのだ。胡座の上にイルカを乗せて、向かい合う形で犯していた白い魔物がハッと顔を空に向けた。霧が流れた。木々が姿を現し、現世が戻ってきた。梢の方から鳴き交わす鳥たちの声がする。空が明るい。朝が来たのだ。
ぴーっ。
もう一度、同じ鳥が鳴いた。白い魔物の表情が曇る。
行ってしまう。
イルカは唐突に悟った。このままでは魔物が行ってしまう。
「いっ嫌だっ。」
咄嗟にイルカは魔物にしがみついた。
「置いてくなっ。」
白い魔物は驚いたようにイルカを見たが、ふっと優しく微笑んだ。突然、イルカの最奥で魔物の男根がぐっと大きくなる。
「ひっ…」
イルカは背を反らして喘いだ。魔物が腰を突き上げてくる。体ごと抱えられて激しく抜き差しをはじめた。最奥を掻き回され、イルカは悲鳴を上げ続ける。
「イイッ…」
びくびくと全身を痙攣させ、イルカは達した。同時に魔物も腰を震わせる。
「…あぁ…」
吐息とともに力を抜くイルカに、魔物は優しくくちづけた。イルカはそのままぐったりと力をなくし崩れ落ちる。魔物はその体を草の上に横たえ、耳元で囁いた。
「ごめん、時間がない。」
低く艶のある声にハッとイルカが目を開ける。
「あっ…」
「ごめんね、あなたをこのまま置いていくけど…」
ごめん、ともう一度魔物は呟き、そしてふっとイルカの上の重みが消えた。
「待っ…」
イルカはがばっと体を起こした。ずきん、と後孔から腰にかけて痛みが走る。だが、そんなことはどうでもよかった。
「待ってっ。」
霧は晴れ、辺りはすっかり明るくなっていた。木々の間から朝陽が射している。誰もいない。
「…あ…」
呆然とイルカは周りを見回す。何の気配もなかった。そこにあるのはただの森の普通の佇まい、鳥の声だけが賑やかさを増している。
置いていかれた…
イルカは悟った。白い魔物はイルカを置いて行ってしまった。魔の時間は去ったのだ。そしてきっと、イルカがあの美しい魔物に会うことは二度とない。
「…あぁ…」
目の前の景色が滲んだ。もう会えない、名前を呼ぼうにもそれすら知らない。
「くそっ。」
イルカは乱暴に目を擦った。だが、涙はあとからあとから溢れてくる。
「くそぉ…」
白い魔物はイルカの心を食ってしまった。ここにあるのは、己の精液でどろどろに汚れた、現世の抜け殻だけだ。夜更けから朝までのたった数時間で、魔物はイルカの心を捕らえ、持ち去ってしまった。落ちたとたんに消えた恋、今はじめて、イルカは狐道に入り込んだことを心底後悔した。
「忘れられねぇよ、くそぉ…」
魔物に恋をしてしまうなんて、イルカは絶望に打ちひしがれた。現世に捨て置かれたイルカは、再び己の日常を生きなければならない。のろのろと服に手を伸ばすと、魔物の放ったものがどろりと流れた。
「う…」
嗚咽をこらえ、イルカは手持ちの布で始末する。悲しかった。白い魔物がイルカに残したものは、この青臭い精液だけなのだ。
「うっうっうっ…」
誰もいない森、イルカは泣きながら忍服を身につける。突然襲ってきたこの激しい感情をどうすればいいのか、イルカには見当もつかなかった。
「いよっ、イルカ、朝帰りだったってっ…って、おわぁっ。」
イルカの肩をポン、と叩いた同僚は数歩飛びすさった。
「どどどしたの、お前。」
「……あ?」
アカデミーの中庭、午後から同じ受付任務につくイルカが歩いているのを見つけ、声をかけたのだ。イルカの目は泣きはらしたように腫れ、クマまで出来ていた。纏う空気はどよん、と重い。だが、同僚の顔を見てイルカはニッと笑った。
「なんだ、オレは元気だぞぉ。」
「いや、元気ってお前…っつか、その顔で笑うなっ。」
イルカは満面の笑みを浮かべたつもりらしいが、傍目にはおどろおどろしい。
「マジ、お前、何あったよ。」
もともとイルカと気があって、何かと一緒につるむことの多いこの同僚は、真剣に心配した。
イルカが帰還予定をかなり過ぎてから里へ戻ったということは聞いている。濃霧のために帰還が遅れただけで、他に問題はなかったはずだが、ならばイルカのこの憔悴ぶりはどうしたことだ。
「なぁ、ひどい顔だぞ?任務のことは聞けねぇけどさ、なんかあったんなら言ってみろよ。」
この同僚、イルカに似て真っ直ぐな気性だった。興味本位ではない問いかけに、イルカの目がうるっ、と潤む。
「おおおい、イルカ…」
「…オレな…」
ぼそり、とイルカは俯いて言った。
「恋…しちまった…」
「えっ。」
「でも、もう会えねぇ人なんだ…」
「どっどういうことだよ。」
イルカは俯いたまま首をふるばかりだ。同僚は焦った。イルカは普段、カラリとして物事に頓着しない男だ。男気溢れ面倒見のいい質なのでそれなりにもて、二十五才になるまでには恋人も何人かいた。だが、恋人と別れたからといって、ここまで憔悴している姿は見たことがない。そのイルカが涙するほどの恋をしたというのか。
イルカはぐっと拳を握りしめ、呻くように言った。
「どうしよう…オレ…」
「…イルカ…」
「あの人のことが忘れられねぇ…」
拳を握り、肩を震わせる友人に、同僚はかける言葉が見つからなかった。いつもなら気の合う仲間達を集め、失恋記念会と称して盛大に飲みまくるのだが、今のイルカはそんなことが出来る雰囲気ではない。昨日までは普通だった。いったい一晩でイルカに何があったのだろう。
「…お前…本気で惚れちまったのか…」
俯いたままこくん、とイルカは頷いた。
「すげ、綺麗な人でさ…」
「うん。」
「白くて綺麗だったんだ…あんな…」
「…うん。」
「オレ…あんな人…初めてで…」
「イルカぁ…」
同僚はたまらずぽんぽん、とイルカの背を叩いた。
「…ごめん。」
「バッカ、あやまんなって。」
「うん、ごめんな…」
「だーかーら、あやまんなってば。」
ごん、とイルカの額をこづけば、ようやく顔を上げたイルカがへへっ、と笑った。
「えっとさ、オレ、聞くことしか出来ねぇけどさ。」
ごしっ、と目元を袖で拭う友人を、もう一度どついておく。
「今夜、泣きたいだけ泣けや。聞いてやっから。」
ぐっと唇を噛んで頷くイルカの背中をもう一度叩いた。
「ほれ、顔洗ってこい。今から受付だろ?」
「わりぃ、先、行っててくれ。」
「おぅよ。」
アカデミーの水場に走っていくイルカを見送り、同僚はため息をついた。あんなイルカは見たことがない。相当なことがあったのだろう。
「まぁ、聞くだけしけできねぇけど、今夜は飲むか。」
「ふ〜ん、何聞くわけ?」
受付所へ向かおうと踵を返した同僚の背に冷え冷えとした殺気が突き刺さった。
「…ひっ…」
息を飲んだ次の瞬間には、中庭の茂みのなかへ引きずり込まれていた。目の前には狐の面をかぶった暗部が重い殺気を纏って立っている。暗部はすっと狐の面をはずした。
「はっはっはたけ上忍…」
銀髪に黒い口布の忍は色違いの瞳でじろっと睨んでくる。イルカの同僚は腰を抜かした。
「随分深刻そうだったじゃない。アンタ、オレがイルカ先生、口説いてるって知っててちょっかいかけてるわけ?」
氷のような声音に哀れな男はがたがたと震えた。写輪眼のカカシがイルカに惚れて口説いているのは里でも有名だった。だが、カカシの告白を当のイルカがまったく本気にしていないせいで、周囲はカカシの厳しい牽制にあっていたのだ。だがこの時、同僚はイルカの憔悴ぶりに驚いて、うっかりカカシのことを失念していた。
「ちちちちがいますっ、ぜぜったいにそんなんじゃないですっ。」
「だったら何よ。」
ひぃぃぃぃっ、
気絶できたらどんなにいいだろう、この時、イルカの同僚は心底そう思った。だが、写輪眼のカカシは質問に答えるまでは自分の意識を離してくれないらしい。恐怖に喉を鳴らしながら、イルカの同僚は必死で声を絞り出した。
「イイイルカがすす好きになった人がいるって…」
彼はもう、生き残ることしか考えていなかった。
「しし白い綺麗な人が忘れられないって泣いてて…」
「好きな人だと?」
ぶわり、と殺気がふくれあがった。
ひえぇぇぇぇ〜〜〜〜っ
目に見えないものに押しつぶされ、同僚の意識は真っ白になった。次に目が覚めたのは病院のベッドの上で、中庭で気を失っているところを発見されたらしい。彼は医者が何を尋ねても「貧血です。」の一点張りで首を振り続けた。カカシの殺気で死にかけた男は、ただ病院のベッドからイルカの行く末と無事を祈るしか出来なかった。
「え?病院へ運ばれた?」
急遽、交代で入ったという同僚に、イルカは中庭で会った仲の良い友人が倒れたという話を聞かされた。
「だって、中庭で話した時はぴんぴんしてたぞ。」
イルカはアカデミーの水場から渡り廊下を使って受付に入ったので、その後中庭を通っていない。
「なんでも中庭の真ん中に倒れてたって話だぞ。アカデミーの忍医がかけつけたけど、全然意識が戻らなかったってよ。」
「そうか…」
後で様子を見に行こう、そうイルカが思っていると、隣に座った同僚が興味津々といった顔で話しかけてきた。午後の受付はまだ閑散としていて、処理する書類もなく暇な時間だ。
「そういやさ、お前、任務出てたから知らねぇだろうけど、国境沿いで長引いていた例の揉め事、はたけ上忍が暗部一個小隊率いてたった一日でケリつけてきたんだと。」
「へー、流石は写輪眼のカカシだなぁ。」
「え〜、イルカ、そんだけかよ〜。」
あからさまに落胆する同僚にイルカは首を傾げた。
「なんだよ、他に何があるんだ。」
「だ〜ってよぉ、はたけ上忍、言ってたじゃん。不可能を可能にしてきたら、今度こそ想いを受け入れてくださいってよぉ。」
「はぁ?なんだそりゃ。」
はたけカカシとはナルト達を通じて知り合った。里の誉れと名高いので、さぞや立派な上忍だろうと思っていたのだが、実際にはとんだ男で、片手には常にエロ本を持っているわ遅刻はするわ、あげく何が楽しいのか、毎日イルカに愛しているだの付き合ってだのとセクハラをしかけてくる始末だ。だからイルカはカカシが大の苦手だった。それでも、やはり忍としては超一流だったのか。だが、隣の同僚は納得いかないという顔でたたみかけてきた。
「そのさぁ、不可能を可能っての、今回の任務のことじゃねぇの?お前、どう返事すんのさ。」
「だから、お前、それ何言ってんだよ。」
「はたけ上忍と付き合うのかって聞いてんの。」
「はぁぁっ?」
イルカは素っ頓狂な声を上げた。
「なんでオレがカカシさんと付き合うんだ。」
「だってお前、あんだけ口説かれてたじゃん。」
「へ?いつ?」
今度は同僚があんぐりと口を開けた。
「……うそ…マジ…?お前、わかってなかった?」
「だから何がだよ。」
「はたけ上忍、お前のこと、好きだぞ…?」
「はいー?」
イルカは呆れたように同僚を見た。
「何バカなこと言ってんだ。第一、オレ、好きな人いるし。」
「えええええーっ。」
仰け反る同僚にかまわず、イルカはふぅっと切なげなため息をついた。
「忘れられねぇ…後にも先にも、オレにはあの人だけなんだ…」
「ばばばばかっ、よせっ。」
同僚がひどく焦ってイルカの口を手で塞いできた。
「今、はたけ上忍の一隊が火影様んとこに行ってんだぞ、聞かれたらヤバイって。」
「なんだよ、カカシさんは関係ねぇだろ。オレは一目惚れしちまった綺麗な人の話してんだよ。」
「よせって、イルカっ、死にてぇのかっ。」
うるさそうにイルカが手を払うと、同僚は真っ青になってまた口を塞いでくる。
「綺麗でも何でもいいから、その話は後だって。はたけ上忍に聞かれちまうっ。」
「だからっ、なんであの変態上忍が関係あんだよっ。」
「イイイイルカっ。」
「オレは夢みたいに白くて綺麗なあの人のことが忘れられねぇって言ってんだっ。」
突如、ごごご、とすさまじい殺気が受付所の戸口で立ち上った。
「ひいぃ〜っ。」
同僚が真っ青になって硬直する。次の瞬間、受付カウンターを乗り越えんばかりに、はたけカカシが机にかじりついていた。
「イイイルカ先生っ、聞きましたよっ。だっ誰です、その白くて綺麗なあの人ってのはっ。」
あたりを押しつぶさんばかりの怒気に隣に座る同僚は白目をむいて失神しかけている。だが、日々のセクハラですっかりカカシに免疫のできたイルカは冷たく言い放った。
「オレの惚れてる人のことですよ。カカシさんには関係ないです。」
「ほっほっ惚れてるってぇぇっ。」
カカシが天を仰いで吠えた。
「やっぱり、中庭にいた中忍の話はホントだったんですねっ。」
「ちょ…カカシさん、アイツになんかしたんですかっ。」
病院へ運ばれたということにハッと思い至り、イルカが表情を険しくした。だが、カカシはそれどころじゃないとばかりに身をのりだしてくる。
「泣くほど好きだと、アンタッ、どのツラさげてそーゆーこといいますかっ。」
流石にイルカはムッとした。今、自分は絶望的なこの恋に深く傷ついているのだ。セクハラ上忍なんかにとやかく言われて、はいそうですか、と流せる気分じゃない。
「誰に惚れてようとオレの勝手ですっ。」
不機嫌丸出しで里随一の上忍にきっぱり言った。だが、カカシの激昂はおさまらない。
「じょーだんじゃないっ。人をその気にさせといて、今更よその誰かに惚れてるなんぞオレは認めませんよ。言いなさいっ、誰ですか、その白い人ってのはっ。」
「言ってどうすんです。」
「殺してやる。」
「はっ。」
イルカは鼻で笑った。このクソ上忍、人を自分のモノのように、何を勝手な事を言う。かぁっと頭に血が上った。初めて激しい恋をして、それなのに一夜で失った、この胸の痛みがアンタなんぞにわかるものか。がたん、とイルカは椅子をはねとばして立ち上がった。ぎっとカカシを睨み付ける。
「オレの惚れてる綺麗な人はなぁ、アンタなんぞに殺られるもんか。」
礼儀も何も忘れ、イルカは腹の底から唸るように言った。
「……本気で言ってますか、それ。」
ぶわり、と本物の殺気がたちのぼった。隣の同僚はすでに泡をふいて気絶している。だが、イルカはなかばヤケだった。こんなに好きになったのに、もう二度と恋しい魔物に会うことはできないのだ。ならばここで、上忍の怒りにふれて死んだっていい。イルカは叫んだ。
「あぁ、本気も本気さ。狐道の白い魔物にアンタが何できるってんだ。会えるかどうかもわかんねぇのにっ。」
もう会えない…
二度と会えない現実がどっと押し寄せてきた。胸が痛い。切り裂かれるようだ。イルカはぐっと拳を握る。
「もう…会えねぇのに…」
涙がこみ上げてきた。
「ひでぇよ…」
ぽろっ、とイルカの瞳から涙が零れた。カカシがぎょっと体を引く。イルカは涙が溢れるまま、拭おうともしない。
「ひでぇよ、夕べ、あんなに激しくオレを抱いたくせっ…」
ぽたぽたと涙が忍服を濡らす。
「朝までオレを抱いたくせ、置いていきやがって…」
ぐい、と袖で涙をぬぐう。だが、一度溢れた涙は止まらず、イルカは唇を噛んだ。
「……ひでぇよ…こんだけ好きにさせて…」
いつのまにかカカシの殺気は霧散していた。イルカは嗚咽を堪えるように俯いた。
「ひでぇ…」
「えっと、ごっごめんなさい、イルカ先生、怒っちゃったんだね。」
カカシは机をはさんだままイルカの前でおろおろと狼狽えはじめた。
「ほんとにごめん、集合の合図までにはちゃんと始末もしようと思ってたんだけど、止まらなくなっちゃって…」
肩を震わせて泣くイルカの前でカカシはひたすら謝罪をはじめた。
「オレ、隊長だったからあんま勝手できなくて、あのまま置いていかなきゃいけなくて、でもすっごく気になってたんです、ホントです、そのっ、あとで先生には謝ろうって思って、でも先生が怒るの、無理ないし…」
ごめんなさい、何でもするから、そう項垂れる上忍をイルカはぼんやりと眺めた。
なに見当違いに謝ってんだ、この上忍。
イルカの耳にはろくにカカシの言葉が入っていない。今は白いあの人のことしか考えられないのだ。もう会うこともない綺麗な白い魔物。カカシの声はイルカの上を通りすぎていく。イルカは再び俯いた。胸を裂く痛みに頭の芯まで麻痺したみたいだ。
「ね、体痛い?まだ辛いんでしょ?」
見当違いな上忍は、まだしつこくイルカに構ってくる。
うるせぇ、ほっといてくれよ、クソ上忍っ。
心の中でイルカは罵った。失った恋を惜しむことすら出来ないのか。カカシがイルカの顔を下から覗き込んできた。
「イルカせんせ、こっち向いてよ、謝るから、ね?」
なんでお前に謝られなきゃなんねぇんだ。
だんだんイルカは腹がたってきた。見当違いも甚だしい。
「ホントにごめんね、ね、先生。」
あーっ、うるせぇっ。
ぶちん、と切れた。
オレは今、あの人のことしか考えられねぇっつってんのっ。
怒鳴りつけようとイルカはすぅっと息を吸った。ギッと上げたイルカの前にカカシの顔がある。
……………ん?
白い端正な顔、カカシはいつの間にか口布を下ろしていた。
………んんん?
「ね、イルカ先生。」
宥めるように細められる蒼い目、形のいい唇…
「あーーーーーっ。」
イルカは素っ頓狂な声をあげカカシを指さした。
「わっ。」
驚いたカカシは思わずのけ反る。イルカはまじまじと正面の男を見つめた。
「アッアッアンタっ。」
「うん、だから置いていったのは悪かったですって。」
「アンタは夕べのーーーっ。」
イルカの前に立っているのは、見まちがえようもない、夕べ狐道で出会った白い魔物だった。
うそおーーーっ
わけがわからない。狐道でイルカを抱いた魔物が、何故カカシの恰好をしてここにいるのだ。というか、何故カカシがあの魔物と同じ顔をしているのだ。イルカはあんぐりと口を開けたままカカシを見つめた。カカシはばつが悪そうにガシガシと銀髪をかいた。
「ごめんね、だって、夕べのアンタは随分素直だったし、なんだかオレもがっついちゃって。」
だって想いが通じたのがうれしくって、とカカシは指で机に「のの字」を書いている。
夕べって夕べって…うそっうそっうそぉぉぉ〜っ
では、夕べの白い青年は魔物ではなくてカカシだったというのか。
……そういやあの面と服装、暗部…?
目の前の男は、今、確かに暗部の恰好をしている。銀髪の後ろにまわされた面は狐ではなかろうか。
「……暗部の…?」
「ほら、約束してたでしょ。不可能を可能にしてくるって。オレ、イルカ先生のためにがんばっちゃいました。」
てへてへ、と男は鼻の下を伸ばしている。白い魔物と同じ顔をして。
「でも驚きましたよ。狐道だっていうのにイルカ先生、いるんだもん。あそこ、暗部専用のルートだから、めったに入り込む忍はいないんだけどね。」
なんですとぉぉぉっ
「だだだって、きっ狐道には…」
「魔物の噂?三代目もお茶目だよねぇ、あんな子供騙し、マジでひろめて。あ、でも効果はてきめんだったのか。暗部以外、使わなくなったもんね、あのルート。」
真っ逆様に奈落へ落ちていくような感覚がイルカを襲った。一夜で恋した白い魔物は実は任務帰りのカカシだったというのか。あの神秘的な男が、色違いの瞳が宝石のようだった男が、実は変態セクハラ上忍…
気絶しそうになる己をぐぐっと踏ん張って堪えた。その時、天啓がひらめいた。
色違いの瞳…
魔物は蒼と赤の不思議な目をしていた。人間があんな瞳をしているはずがない。目の前のカカシは白い魔物の顔をしているが、左目は額あてで隠れている。瞳の色と確かめたら、目の前のセクハラ上忍がイルカの恋した魔物ではないと証明できるはずだ。
色違いの目をもつ人間がいるわきゃねぇんだっ。
一縷の希望にすがるように、がばっとイルカはカカシに飛びついた。わ、イルカ先生、だいた〜ん、などとほざいているセクハラ上忍の額あてをイルカはむしりとる。
あの綺麗な魔物がこんな変態上忍なわけ…
「………あったよ…」
目の前でへらへらと笑み崩れている男の左目は、確かに魔物と同じ、赤だった。イルカの膝から力が抜ける。がっくりと床に両手をついた。
うそだぁぁぁぁっ
一世一代の恋の相手はこのクソ上忍だったというのか。じゃあ、じゃあ、オレの苦悩は、胸を引き裂く切なさはいったい…
「あれぇ、イルカせんせ、写輪眼みたの初めてだっけ?」
件の上忍は呑気に受付机の下に潜り込んでくる。
そうだよ、こいつ、写輪眼のカカシだった…
イルカは別な意味で滂沱と涙した。四つんばいになったイルカの前に、ごそごそとセクハラ上忍が這ってくる。
「もう、好きな人が出来た、なんて聞いた時には、ショックで死んじゃうかと思いましたよ。オレがせんせのこと、置いていったから、怒っていじわる言っただけだったんだね。」
すりっ、と頬ずりされ、目を上げると白い魔物がにやけきってへらへらしている。
「……かっ…」
「か?」
がっとイルカはカカシの胸ぐらを掴んだ。
「返せっ、オレの純情、返しやがれーーっ。」
勢いあまってカカシを下に床へひっくり返る。暗部のプロテクターが鼻っ柱を打った。血の匂いの中に僅かに混じる青臭い匂い、栗の花のようなこの匂い…イルカはおそるおそる匂いのする部分に触れた。なんだかがびがびする。さぁーっと血の気が引いた。
「アッアンタ、こっこっこれ…」
カカシがぽぽっと頬を染める。
「オレとイルカ先生の愛のメモリアルです。」
「ぎゃあああっ。」
魔物の皮膚だと思いこんでいたのは、実は暗部のプロテクターで、夕べイルカは直接これに…
「すっ捨てろバカっ、てか、なんで着替えてねぇんだっ。」
「きゃ〜だめぇ〜、イルカせんせのえっち〜。」
イルカがぐいぐいプロテクターを引っ張ると、カカシは床に転がったままきゃ〜きゃ〜身悶える。白い綺麗な、イルカの恋した魔物の顔で。
「ぬぉぉぉっ、返せ戻せオレの純情ーーっ。」
もう会えないと諦めていた一世一代の恋の相手は、実は身近なところにいた。普通の恋する青年の顔で。
「ふふ、しあわせ〜。」
ぎゅうっとイルカを抱きしめてくる。
「くっそぉぉぉぉっ。」
二つの腕に閉じこめられてジタバタともがきながら、気が付くとイルカの胸から痛みは消えていた。
「くそぉ…」
もう観念するしかないらしい。カカシの腕の感触に、沸き上がるのは歓喜と愛しさだ。
「ちくしょう、アンタに惚れちまった。」
「オレはとっくに惚れてます。」
ふふっと笑った白い魔物は、人となってイルカの耳に愛を囁く。
「愛してますよ、イルカ先生。」
受付所に入ろうとした忍達は、ドアを開けた途端、そっと閉めて足早に立ち去った。だが、不幸にも受付所の中に居合わせた人々は、出ていくなどもってのほか、動くこともかなわずひたすらじっと耐えている。
はやく終わんねぇかな…
濃厚に口づけを交わす二人には、世界は二人だけのもの、なのだろう。
っつか、場所かえてしけこめよっ。
午後の穏やかな光が窓越しに射し込んでいた。ひっそりと満ちた外野のため息は、明るい陽光に溶けて流れる。泡を吹いて気絶したままの同僚の、ふがっ、とならした鼻の音だけが、静かな受付所に響いて消えた。
その後、狐道には別の噂がたつようになった。
霧の夜、狐道の魔物に願えば恋がかなう。
恋愛成就を願う忍や里人が殺到しては道に迷い、里の上層部が対策に苦慮したとかなんとか。道の入り口にお稲荷さんを安置して、とりあえず混乱は収束した。
この騒動と同時期に、木の葉でも有名なバカップルが誕生したが、それが誰と誰なのかは言うまでもない。
☆☆☆☆☆☆☆
毎度のことながらお後がよろしいようで…お詫びssになっているのかっ、ほんとにお詫びしてんのかっ(土下座っ)
完売につき、リンク繋ぎました。