バレンタイン大作戦



手塚国光は不二周助に惚れていた。それはもう、ベタ惚れだった。

不二が笑えば世界が輝き、不二の幸せは手塚の幸せだった。手塚はいつも思っている。不二がいれば何もいらない。不二が望めば何でもかなえてやりたい。不二が愛しくてたまらない。手塚の胸にはいつも不二への愛が燃え盛っていた。

だが、不幸な事に、この男、顔の筋肉が極端に固かったのである。


☆☆☆☆☆☆



手塚は暗い顔をして生徒会室に一人、座っていた。本人は地を這うような暗い気分なのだが、傍目には普段と全く変わりなく見える。だから手塚がいくら落ち込んでいても、本人が自己申告しない限り、誰も慰めてはくれないのだ。

「すまん、遅くなった、手塚。」

生徒会室のドアが勢いよく開き、大石が入ってきた。

「だいぶ待ったか?本当にすまん。」
「いや。」

大石はいつも溌溂としている。きびきびとした動きで大石は手塚の正面に陣取った。

「で、手塚、今日の気分はどうだ。」
「…悩んでいる。」
「そうか。」

大石は手塚の親友だ。誰も読み取ることのできない手塚の気分を直接聞く事のできる、貴重な存在だった。

「暗い気分なんだな、手塚。」
「ああ…」

短く手塚は答える。大石はばんばんと手塚の肩を叩いた。

「どうした。不二と両想いになれたとこの間は浮かれていたじゃないか。」

そうなのだ。一月程前、手塚は決死の覚悟で不二に告白した。玉砕するとばかり思っていたのに、不二も同じ想いを抱いてくれていたと知って、手塚は天にも舞い上がらんばかりに浮かれた。浮かれ過ぎて大石をつかまえ、不二との馴れ初めから現在にいたるまでを語った。淡々と語る手塚がなかなか話を止めないので、不審に思った大石が「もしかして浮かれているのか?」と直接聞いて、はじめて手塚が喜びのあまり浮かれまくっているという事実にいきあたったのだった。

しかし、それから一ヶ月、丁度気分はバラ色だろうに、手塚は落ち込んでいるという。本人が言うのだから間違いはない。

「付き合いはじめたんだろう?喧嘩でもしたのか?」
「いや。」

相変わらず素っ気無い返事だ。しかし、大石も伊達に手塚の親友なのではない。辛抱強く促すうち、手塚は訥々と話しはじめた。

いわく、付き合いはじめたのはいいが、どうやら手塚は不二にどう接していいのかわからなくなったらしい。胸には溢れんばかりの愛があるのに、伝えることができないのだ。加えて不二はたいそうモテる。あの美貌に人当たりの良さである。男女を問わず、不二は人気があるのだ。手塚はすっかり自信をなくしていた。

「オレは気持ちを表現するのが上手くないだろう。」

上手くないどころか全くダメだよな、そう大石は思いながら頷いた。

「気のきいたことも言えん。」

いや、気のきいたことを言う手塚っていうのはかえって無気味だ、大石は心でつぶやきながら大きく頷く。

「不二はモテる。だが、今更オレはあいつを手放す気はない。」

そりゃそうだろう、大石は納得する。クールに見えるのは顔の筋肉が動かないからであって、手塚は存外、独占欲が強く情熱家なのだ。

「ただ、どうすればオレの気持ちを不二に伝えられるのか、それがわからん。」

手塚の眉間には深い皺がよっていた。手塚が表現出来るのは唯一、不機嫌だけなんじゃなかろうかと思いながら、それでも大石は親友のために力になってやりたかった。

「要するに、お前が不二を好きだって、皆にわからせてやればいいんじゃないか。」
「…?」

だまって自分を見つめ返す手塚に、大石は目を輝かせて言った。

「うん、名案だ。お前と不二が恋人同士だとわかれば、横恋慕する輩も減るだろうし、不二にもお前の気持ちが伝わる。」

手塚国光の恋人に手をだすような命知らずはそうそういまい、大石は拳を振り上げ力説した。

「だが、どうやってわからせればいいんだ?」
「それはっ…」

拳を振り上げたまま、大石は固まった。恋人である不二にすら上手く愛を伝えられないのだ。外野に不二との関係をアピールできるわけがない。そんな甲斐性があれば今頃バラ色のイチャイチャ街道を突っ走っている。

「………どうしような…」

引きつり笑いを浮かべる大石に、手塚は詫びた。

「……すまん、甲斐性なしで…」

淡々としているように見えるが、内心、かなり落ち込んでいるのだろう。やはりここは親友のために一肌脱いでやらねばなるまい。

「大丈夫だ、オレにまかせろ、手塚。」

力強く頷いてみせ、いつもと変わりないがおそらくは縋るような顔なのだろう手塚の肩を励ますように叩いた。

しかし、さてどうしよう…

大石はかけがえのない相棒であり、不二の親友でもある菊丸に相談すべく、生徒会室を後にした。



☆☆☆☆☆☆



菊丸英二は屋上の日だまりにいた。傍らには彼の親友が両膝をたてた格好で座っていた。俗にいう体育座りだ。親友はしょげ返っていた。いつもなら柔らかい笑みの浮かんでいる唇はきゅっと引き結ばれ、澄んだ明るい茶色の目は翳りを帯びていた。

「だーかーら〜、不二、考えすぎだって〜。」
「だって…」

力なく不二は言う。

「手塚、何も言ってくれないし…」

菊丸は不二が前々から手塚に想いを寄せていたのを知っていた。告白しちゃったら、と励ますたびに、悲しげな笑みを浮かべて首を振り続けていた不二、諦めきったその横顔にいつも胸が痛んだ。

その不二が一月程前、手塚から好きだと告白されたととんできた。信じられない、信じていいよね、そう頬を染める親友の姿に、菊丸は心底ほっとしたものだ。

不二はやっぱ笑ってる方がいいもんね〜。

ところがここ一週間程、不二はすっかり元気をなくしていた。あまりに悄然とした様を見ていられず、菊丸は屋上に連れ出した。ぽつぽつと不二が語るところによると、どうやら手塚との関係が上手くいかないらしい。

「別にね、喧嘩とかそんなんじゃないんだ。ただ、手塚、すごく素っ気無くて、やっぱり僕なんかじゃダメなのかなって…」

不二はしゅんと項垂れる。

「手塚、すごくもてるんだよね。僕、別に取り柄あるとか目立つとかじゃないから…」

べしっ

「なにするのさ〜〜〜っ。」

無言ではたかれた後頭部をさすりながら不二が抗議の声をあげた。青学テニス部ナンバー2の実力を持ち、なおかつその美貌と飾らない人柄で圧倒的人気を誇るくせに、本気で自分には取り柄がないと思っているのだから始末が悪い。菊丸は一つため息をつくとがしっと不二の肩を掴んだ。

「不二さ、手塚、他のやつにくれてやる?」

不二が大きく目を見開いた。その目に鋭い光が宿る。

「まさか。手塚は誰にも渡さない。」

一度は諦めていた恋だ。今更失う気はさらさらない。

「だよね。」

菊丸はにっこり笑った。これこそが不二だ。穏やかに見えて、その実結構熱血なのだ。

「じゃあさ、いっそ宣言しちゃいなよ。手塚は僕のものって。」
「え…?」

ぽかんとする不二に菊丸はいたずらっぽくウィンクした。

「だから、もうすぐバレンタインデーでしょ。皆の前でガーンとぶちかましちゃえ。」

ぱっと不二の顔が輝いた。

「そっそうか、そうだね。それって…」
「名案だぞ、エージッ。」

突然割ってはいった声に二人は振り向く。

「大石…?」
「さあ、三人でバレンタイン大作戦をはじめようじゃあないかっ。」

屋上の扉のところに、瞳をきらめかせた大石がすっくとたっていた。




信じれば道は開ける。

大石は密かに感動をかみしめた。何を信じたのかと言われると困るが、とにかく親友を救う道は開けたのだ。愛に不器用な二人のために、青学ゴールデンコンビが放つキューピットの矢、それがバレンタイン大作戦。

「大石、大作戦って何にゃ〜。」

相棒が呑気に聞いてくるが、事情は後回しだ。より感動的に二人の気持ちを結ぶためにも、手塚のことは黙っていよう。そう決めた大石は不二と菊丸に全開の笑みを向けた。

「不二と英二は手塚に渡すプレゼントのことだけを考えてくれ。時間は、そうだな、当日の部活直後がいい。部室で恋人宣言できるように取りはからおう。何、心配するな、オレにまかせろ。」

爽やかにそれだけ言うと、大石は風のように去っていった。後には呆然とした不二と菊丸が残される。

「あ、ちょっちょっと待てって、大石ーっ。」

慌てて追おうとする菊丸の腕を不二がひいた。

「バッバレンタインって、僕、チョコなんか…」
「不二〜。」

菊丸がにっと笑う。

「不二の大好きなものに気持ちをこめたらそれでいいと思うんだよね〜。チョコじゃなくったっていいじゃん。」
「僕の好きなもの…?」
「そ、不二の好きなもの。」

不二がようやく笑みをみせた。

「ありがと、エージ。」

菊丸はまたにぱっと笑うと、挙動不審だった大石を追うべく駆け出した。不二は一人、菊丸の言葉を噛み締める。

大好きなものに気持ちをこめて…

見上げた空が青かった。



☆☆☆☆☆☆☆



バレンタイン当日、手塚は落ち着かなかった。何があっても照れずに不二を受け止めろ、そう大石に言い含められている。もとより、不二の全てを受け止めるつもりでいた。今日こそは熱い胸のうちを、不二にも周りにも知らしめるのだ。決意は固い。期待と緊張で手塚の眉間には皺が寄った。脅えた同級生が腫れ物を触るように接してきているとか、女生徒達が直接チョコを渡せないためいつのまにか鞄がチョコで一杯になっているとか、そんなことには全く気付いていなかった。



部活が終わり、テニス部員達はのんびり部室でだべっていた。今日はとくににこやかな大石と菊丸が下級生達にも話をふるので、なんとなく全員居残っている。その中でひとり、手塚は黙りこくっていた。相変わらず眉間に皺が寄ったままだ。

「なんか、部長、恐くないッスか。」

ぼそっと越前が桃城に囁いた。三年生はあまり受験の心配のないものだけが部活に参加しているだけで、手塚はもう部長ではないのだが、相変わらず皆、手塚の事を部長と呼ぶ。

「馬鹿、聞こえるって。」

桃城は慌てて越前の口を塞いだが、その意見には賛成だった。今日の部長はなにやら鬼気迫るオーラをまとっている。手塚はただ緊張しているだけなのだが、幸か不幸か誰もそのことには気付いていなかった。

手塚の頭の中には、先程大石に耳打ちされた言葉がぐるぐるまわっている。

もうすぐ不二がバレンタインのプレゼントを持ってくる。お前はそれを受け取って不二を抱き締めろ。

不二からのバレンタインプレゼント…そう思うだけで心臓は早鐘を打ち、頭にかっと血が上る。皆の前では大人びた微笑みをたたえて飄々としている不二だが、手塚と二人きりになると途端に可愛い顔をみせるのだ。そして甘さを含んだ優しい声で手塚の名を呼ぶ。ねぇ、手塚…、と。

くはっ

思い出して手塚は鼻血を吹きそうになった。

いかん、頭を冷やせ、手塚国光。

せっかく不二からバレンタインプレゼントを貰えるのである。不二の愛らしい姿を他の連中に見せるのはもったいないが、この際我慢だ。不二からのバレンタインプレゼントのために。

元はといえば、不二に気持ちを上手く伝えられない、という悩みを解決するためのバレンタインだったはずだが、手塚の中ではすっかり「不二からのバレンタインプレゼントを貰う事」に目的が変換されてしまっていた。

辛抱たまらん…

ぐぐっと手塚が拳を握りしめた時、部室のドアが開いた。部員達の目がドアへ向き、全員息を飲んだ。
そこには、冬の夕陽に染まった不二周助がたっていた。



金色の光がそこに集まったようだった。さらりとした明るい色の髪が斜の光を受けている。白い肌に茜色の陰影が端正な顔だちを際立たせていた。だがなにより、身に纏う雰囲気がいつもと違う。切れ長の目が艶を帯び、口元に浮かんでいる笑みはどこか甘い。部員達の視線に、不二は戸惑ったように目を伏せた。ほうっとどこからともなくため息が洩れる。


不二先輩ってこんなに綺麗な人だったっけ…


生意気盛りの越前がぽかんと口を開けている。大石や菊丸ですら不二に見とれた。
ためらいがちに目を上げた不二は、部室の奥に座る手塚の名を呼んだ。

「手塚…」

蕩けるような微笑み、手塚はぼうっと不二を見つめる。

「手塚…あの…」

引き寄せられるように手塚は立ち上がる。夕風がそろりとドアから入り込み、不二の髪を散らした。そして…



むぁ〜ん



すさまじい臭気が部室に満ちた。

うぐぁがっ、

悲鳴とも呻きともつかぬ声があがり、部員達が悶絶する。ある者は鼻を押さえ、ある者は喉をかきむしり、次々と床に崩れていく。

何だ、何の臭いだこれはっ、

そこではじめて、皆は不二が両手に盆を持っている事に気付いた。盆には大きめのコーヒーカップがのせられている。

臭いのもとはあれかーーっ、

床に這って部員達はその臭いから逃れようともがいた。手塚一人、その場に立っていられたのは不二への愛ゆえとしか言い様がない。その時、不二がおずおずと手塚に向かってその盆を差し出した。

「あの…手塚、僕、手作りチョコなんてできないし、でもただチョコ買って君に渡すのも嫌だったんだ。そしたらエージが、僕の好きなものに気持ちをこめればいいんだって言ってくれて…」

一瞬、全員の殺気が菊丸に向いた。

「エ−ジ先輩、不二先輩に何すすめたんスかっ。」

怨念のこもった声で桃城が唸る。菊丸はぶんぶんと両手を振って無実を訴えた。

緊張のためか、不二は周りが目に入っていない。ただ手塚に語りかける。

「僕の好きなもので気持ちを表せるの、考えたんだけど、なかなか思いつかなくて困ってたら、丁度裕太が帰ってきたんだ。面白いもの見たって、泡立てたホットドリンクに文字やハートの絵を描いてくれるお店があったって…それで僕、僕の好きな飲み物に君への気持ちを描きたいって思ったんだ…」


不二裕太、潰すっ。


青学テニス部員全員、聖ルドルフ打倒を誓う。しかし、まずはこの悪臭だ。不二の好きな飲み物とは、ここまで臭気を放つ飲み物とは一体…


「結構練習したんだよ。上手く描けなくて、乾に何度も作ってもらって。」


乾?なんで乾…?


ふふっと首をかしげて照れたように笑う不二はどこかあどけなく可愛らしかった。
この悪臭さえなければ。

「味もね、バレンタインだからって、乾がチョコ風味、つけてくれたんだ。だから手塚…」


もしかして、もしかしなくてもこの飲み物は…


「これ、僕からのバレンタインプレゼント…」


ホット乾汁ーーーーっ


しかもチョコ風味。

この時点で部員が何名か意識を飛ばした。不二は頬を染めて俯いている。その白いたおやかな手元から殺人的な臭いが漂ってくる。泡立った表面にハートマークが描かれたホット乾汁チョコ風味。部員達は固唾を飲んだ。

死ぬ、あんなものを飲んだら確実に死ぬ。

ピンと空気が張りつめた。と、その時、手塚が不二に歩み寄った。はっと不二が顔をあげる。手塚は盆を持つ不二の手に自分の手を重ねた。


「お前のバレンタインプレゼント、ありがたくいただこう。」


部長、バレンタインを強調してませんか
そんな近くによって、臭くないんスか
飲むのになんでカップじゃなく不二先輩の手、握るんですか


っつーか、マジ飲む気っすか、部長ーーーっ。


声にならない悲鳴が部室に満ちる。手塚の手が、カップに移った。

「てっ手塚っ。」

絞り出すように大石が叫んだ。手塚はじっと不二をみつめる。そして静かにほほえんだ。


「手塚が笑ったっ。」
いや、違うだろ、大石先輩…


感動に目を潤ませる大石以外、皆、恐怖におののいている。手塚はゆっくりとカップを持ち上げた。

泡立てた表面に散らされた緑のパウダーのハートマークがふるりと揺れる。

手塚は瞑目するとカップをあおった。





手塚が最期に見たものは、嬉しそうな不二の輝く笑顔だった。





☆☆☆☆☆☆




こうして、手塚と不二は晴れて公認の恋人同士となった。ホット乾汁チョコ風味を一気飲みした手塚は、昏倒したまま翌日まで目覚めなかったが、その後、不二の献身的な看病を受ける事ができて幸せだったらしい。

顔の筋肉は相変わらずだが、もう不二に誤解を与えることはない。手塚はしっかりと不二の白い手をつかんだのだ。そんな彼の事を生徒達は畏怖と尊敬をこめてこう呼んだ。




青学の聖バレンタイン、愛の殉教者。




「よかった、よかったなぁ、二人ともっ。オレもキューピットになったかいがあったというもんだ。」
「やっぱオレ達のバレンタイン大作戦のおかげだにゃっ。」
「オレとエージが組んでやれないことはないなっ。」
「青学のゴールデンコンビにテニスも恋もおまかせだよ〜ん。」

以後、青学ゴールデンコンビに恋の仲立ちを頼むものがいたかどうかは定かでない。



終わり

☆☆☆☆☆☆☆


はい、ロマンのかけらも耽美の欠片もありませんね〜。いいんだ、二人とも幸せなんだから。乾がこれ以降、フレーバー乾汁の開発にとりくんだのはまた別のお話。(いや、そんな話いらないし…)