噂の真相





「手塚部長の親友ってやっぱ大石先輩だよな。」
「なんだよ、荒井、いきなり。」


レギュラーウェアを脱ぎながら桃城が隣で着替える荒井を見る。荒井は珍しく難しい顔をしていた。

「いや…オレ、昨日な…」

妙に言い淀み、首を振った。

「あ、いや、なんでもねぇ。」
「あ〜ら〜い〜っ。」

桃城が荒井の首をがしっと抱えた。ぐえっと潰れたカエルのような声をあげる荒井を締め上げる。

「そこまで言いかけてやめるこたねぇだろ。部長がなんなんだよぉ。」

部室にいた連中がわらわらと集まってきた。今日は模擬テストで三年生はいない。練習メニューの指示はあったものの、やはり上級生のいない部活は気楽だった。

着替えた後もなんとなく皆のんびり部室にたまっていたところへ、荒井の「部長の親友」発言だ。荒井が手塚の崇拝者なのは周知のことなのでその場は一挙に野次馬であふれた。何だ、部長がどうしたんだ、と皆がせっつく。再度桃城に締め上げられ、ようやく荒井は重い口を開いた。

「ガ−ド下のテニスコート、あるだろ。昨日、そこ通りかかったら手塚部長が不二先輩と一緒にいたんだよ…」

がくっ、と全員の力が抜ける音がした。

「だから何だよ〜。」
「テニスの練習くらいするだろー、フツー。」
「部長とやり合えるの、不二先輩くらいだしさ〜。」

アホらしアホらし、と散りかけた部員達の背中に荒井はぽつっと言った。

「…手塚部長が…笑ってたんだ…」

全員、荒井に振り向いた。そのまま硬直してうごかない。誰かがごくりと喉を鳴らした。

「部…部長だって笑うことくらい…あるだろ…」

桃城が絞り出すように声をだした。

「いくら部長だって…」
「じゃ、見たことあンのか、お前。」
「ねぇけどよ…」

海堂の突っ込みに桃城は苦虫を噛み潰したような顔をした。海堂がぎろっと荒井を睨んだ。

「見間違いじゃねぇのか。」
「んなわけねぇよ。」

荒井が憤然とする。

「確かに笑ったんだよ。しっしっしかもっ…」

丁度、練習を終えたばかりのようで、ベンチのタオルを手にしていたのだという。手塚が何か不二に話し掛けると、不二がにこっと笑って手塚の側に歩み寄った。

「で、不二先輩が自分のタオルで…」
「…タッタオルで…」
「どどどどうしたんだっ、荒井っ。」

食い付くような目をして、全員が荒井に詰め寄った。

「タオルで手塚部長の汗を拭いてやって…」
「ななななに〜〜〜〜〜っ。」

どよめきの中、荒井は何を思い出したのか顔を赤くした。

「そっそっそしたら、部長が笑ったんだよ、しかもにっこり…」

うそだー、信じられんー、と叫びがあがる。

「てめぇ、荒井、いい加減なこと言いやがるとっ。」
「オレが嘘ついてどーするよっ。確かに部長は不二先輩の髪をこう、指で梳いてやって…」
「髪を梳いたぁ〜っ?」

部室はほとんどパニックだった。あの手塚部長が笑った、しかもにっこり、不二先輩の髪の毛を梳いてやって…

「あ、でも、それならオレもみたことある…」

ぎょっと視線を移した先では、越前リョーマが口に手を当てて考え込んでいた。

「リョッリョーマ君…」

心配そうに声をかけるカチローを無視して、リョーマはふっと顔を上げた。

「あ、そうか、やっぱあれ、部長と不二先輩だったんだ…」

一人納得している越前リョーマに焦れて、海堂と桃城が顔を突き出した。

「おい、てめぇ、さっさと言いやがれ。」
「越前、お前、何見たんだっ。」
「え、何って…」

まだ桜が咲いている頃、入学したばかりのリョーマは呑気に桜並木で昼寝をしていた。ふと、人の気配とクスクス笑いに体を起こすと、道から少し奥に入り込んだ大きな桜の樹の下に人影が見えた。

「オレ、まだテニス部、入ってなかったからわかんなかったんスけど、背中向けてた方が部長だったんスよ。確かに。」
「で、で、で、何してたんだっ。」

ずいずいっと二年生が寄せてくるのにリョーマは顔をしかめた。

「何って、だから、髪を梳いていたんスよ、不二先輩の。」
「部長がかぁっ。」

悲鳴とも怒号ともつかぬ声があがる。荒井がそら見ろ、という表情をした。

「だから、変だなぁと思ってさ。手塚部長の親友、大石先輩だったよな。不二先輩の親友は菊丸先輩だし。」

いや、親友の髪の毛は梳かんだろう、荒井…

誰もがそこで荒井に突っ込みたかったが、何か現実から逃げたがっている荒井の顔を見てやめた。全員、正体のわからない不安にかられる。

見てはいけない、気付いてはいけない事実があるのではないだろうか…

しんとした部室に時計の秒針の音だけが響く。ふいに部室のドアが開いた。

「何だ、まだ帰っていなかったのか。」
「部ッ部長ーっ。」

噂の人物がそこに立っていた。

「あれ、全員残ってるの?熱心だね。」
「不二先輩っ。」

手塚の後ろから不二が入ってきた。うろたえる後輩達に気付く様子もなく、二人はしゃべりながらロッカーへ向かう。不二がロッカーを開けてごそごそ何かを探しはじめ、手塚はその後ろに立っている。固唾を飲んで部員達は二人を見つめた。

「あ、あった。」

不二が嬉しそうに振り向く。

「やっぱりそうだろう?」
「だってさ。」
「そそっかしい奴だな。」

ぷっと不二がむくれ、上目遣いで手塚を睨んだ。手塚の目がふっと柔らかくなる。左手があがり、不二の前髪を指で梳き、そして微笑んだ。

「帰るぞ、不二。」
「うん。」

部室のドアが開いて、また閉まった。誰も何も言わない。動くものもいない。手塚部長が戸締まりをどうのと言っていたような気がするが、はっきり聞いていたものはいない。桃城がかろうじて返事をしたようだ。暫くして、リョーマがぽつんと呟いた。

「結局、オレら、あてられたってヤツ…?」

部員達はのろのろと帰り支度を始めた。心無しか全員、顔が赤い。言葉少なに皆、家路についた。










「うーん、最近、皆気合いが入っているな。」

満足そうに大石が頷いている。

「どうした。」
「見ろ、手塚。」

隣に立つ手塚に大石は上機嫌でコートを指差す。

「二年、一年の連中、脇目もふらず練習に集中している。やはり都大会が近くなると自覚が芽生えるものなんだな。我々三年も気を引き締めなければ。」
「うむ、そうだな。」

手塚はコートを見遣る。言われてみれば、皆、一心不乱かもしれない。コートの向こう側に茶色い髪が光った。不二のしなやかな姿に手塚は目を細める。

だから、それがヤバイっつーんです、部長…

後輩達の心の叫びは届かない。世の中、気付かないほうが幸せなこともあるのだ。穏やかな日々を守るため、全員がボールに集中する。

真相を確かめようというつわものは今のところ誰もいない。


☆☆☆☆☆☆☆
オフ本、「菜の花の思い出」に収録した小話です。結局、うちの手塚と不二はハタ迷惑なバカップルにしかならないんですね。アテられる皆さんの迷惑にも気付かず、これからもバカップル街道、突っ走るかと…