黒不二物語




ふふっ、ほら、今日も手塚が僕を見てる。あんなに熱い視線で、僕だけを目が追っている。知ってるよ、手塚は僕に恋してる。



☆☆☆☆☆



よく晴れた秋空にボールを打つ音が響く。晴れは好きだ。コートでボールを打つ事ができる。僕ってサラサラの茶色い髪だから、お日様が当たるとキラキラ光って綺麗さがアップするんだよね。お天気悪ければ悪いなりに、僕の別な魅力が引き出されるから問題ないんだけど、やっぱり晴れのほうが好みかな。だって、僕がジャージ脱いで手足をさらすと、手塚の視線に熱がこもるんだよ。ほら、今もあんな目をして僕を見つめて。



今、僕はタカさんと打っている。 タカさんのことは大好き。優しいし、僕が頼み事すると絶対嫌って言わないんだ。なにより、僕がタカさんに甘えたり笑いかけたりすると、手塚の目が険しくなる。

ふふ、それって嫉妬でしょ。ホント、手塚ってわかりやすくて可愛い。

他の連中、エージとか大石とかでも試したけど、タカさんに甘えるのが一番効果があるってわかってからは、僕は手塚の前でなるべくタカさんにベタベタするようにしている。あ、乾は最初から対象外、だって僕のデータ採りたくてウズウズしてるのに、わざわざ近づいてやる必要ないもの。データあげるときはなるべく恩きせなきゃね。世の中ギブ&テイクだよ。

で、今日も僕はタカさんに甘えることにした。

タカさんのボールは重い。空手で鍛えてあるだけあって、力一杯打ってきたボールは体にズンと響く。だけど、返せないわけじゃないんだ。
美形で華奢なもんだから、皆、僕に腕力ないって思いこんでる。まぁ、便利だからそう思いこませたんだけど、実は僕、結構な力持ちだ。それを知っているのは、エージと弟の裕太くらいかな。だから、タカさんのバーニングスマッシュもホントは片手で返せちゃうんだけど、そんなことバラしちゃったら、テクニックの天才、不二周助のイメージダウンだからね。それで今日も僕は演技した。

「…つっ。」

タカさんのバーニングスマッシュを返した後、僕はからんとラケットを取り落として腕を押さえた。案の定、タカさんが慌てて駆け寄ってくる。

「不二っ、大丈夫かっ。」

僕はさりげなくネット際に寄る。不自然にならないよう、ここは最大限注意だ。タカさんがネットごしに手を伸ばして僕の腕に触れた。

「あ、大丈夫。ちょっとズシってきただけだから。」

僕は明るく腕を振ってから、タカさんににっこり笑いかけた。

「さすがだね、タカさんのボール、ホントに重くてすごいよ。」

赤くなったタカさんに僕は笑顔大サービスだ。そしてベンチにいる手塚を横目で伺ってみる。


すごい顔。


手塚がぎりぎり歯ぎしりしそうな形相でこっちを見ていた。

くくくっ、妬いてる妬いてる。

そこで僕はダメ押しをした。内緒話をするように、タカさんの耳元に伸び上がるのだ。こういうとき、タカさんの身長って丁度言い。背が高いから、僕がキスをねだるような角度になってちょっと卑猥なんだよね。

「次は両手で返すから、もう一回打ってみて。」

別に耳元で囁く必要もないことなんだけど、こうするとタカさんが真っ赤になって効果抜群だ。ベンチのほうから殺気が立ち上ってる。もうすぐかな、そろそろ我慢の限界のはずなんだけど、そう思っていたらぐいっと腕を引かれた。

「不二、腕を痛めたんじゃないのか。」

手塚だと思ったらやっぱり手塚だ。くすっ、そんな顔して、僕をタカさんにとられちゃうと思ってるの?ほんとに手塚って可愛い。でも、ここで甘い顔しちゃだめなんだ。

「大丈夫だよ、手塚。僕はそんなにヤワじゃないし。」

笑みを浮かべたまま、そっけなく腕を外す。ああ、そんなに傷ついた顔して、なんていじらしい君。

誤解がないように言っておくけど、僕だって手塚に恋している。いや、愛しているといったほうがいい。僕は手塚国光を愛している。
天才的なテニスプレーヤーにして顔よし、スタイルよし、頭よし。生徒会活動もそつなくこなして皆の信頼を得ている手塚は、無愛想なところすらすでに魅力の一つになっていて、つまり最高の男なのだ。彼ほど僕にふさわしい伴侶はいない、そう確信している。そりゃあ、男同士っていうハンデはあるけどね。

実際、僕だってはじめから手塚を愛していたわけじゃなかった。それなりに僕に釣り合う異性を見つけてはいたんだ。だけど、皆どうにも役不足だからしょうがない。
だいたい、中性的な美貌を誇る僕の隣にならんだら、どんな美人も色あせてしまうんだ。そりゃあそうだよね。どんなに女性としての魅力に溢れていても、僕の隣に並んでしまうともうだめだ。僕の美しさと魅力が女性美といわれるものを凌駕してしまううえ、男性としての魅力まで加わるのだから、どんな女も僕には太刀打ちできない。
そこで僕は発想を転換することにした。僕の魅力の対極をいく者を探せばいいのだ。女性的なものを一切排した硬質な美しさを持つ者、ただしマッチョは除外、鍛えた体は好きだけれども、ムキムキしたのは趣味じゃない。僕と対極をいく魅力をもって、しかもそれが僕に並ぶくらい最高の人物、そうやって探したとき、僕ははじめて手塚の熱い視線に気づいた。

あれ、もしかして、手塚、僕のこと、好き?

今まで女性限定で伴侶を探していたから、男に目がいっていなかった。僕は興味がないとすっぽり抜け落ちてしまうんだ。悪い癖だと思うけれど、どうしようもない。
手塚の熱を持った視線に気づいたとき、僕は天啓を受けた。

彼こそが僕にふさわしい。

そうして僕は手塚を愛するようになった。それが中学二年の夏の出来事。

でもね、手塚、僕はまだ君を受け入れないよ。もちろん、君自身には何の不満もないんだけどね。
恋って障害があればあるほど燃えるんだよ、手塚。

僕は腕を外されたまま、所在なく立ちすくむ手塚をちらりと見上げた。

男同士だっていうハンデは、結ばれた後有効に使えばいい。今は、成就しがたい片思いに煩悶するってシチュエーションが大事だよね。なんたって、苦しみ悩めばその分、想いがかなったときの感動が大きいじゃない。

手塚はふっと気を取り直すように目を瞬かせた。
可愛いなぁ、そんな純粋なところがほんとに愛おしいよ、手塚。

「…そうか…無理…するな。」

辛そうに手塚はそういうと、きびすを返そうとした。僕はすかさず手塚の手に触れる。はっと手塚が顔を僕を見た。

「心配してくれたんだ。」

小首をかしげ口元を微かに上げてやる。このポーズは結構気に入っていた。押しつけがましくなく、それでいてはにかんだ好意を伝えるようで、効果絶大なのだ。案の定、手塚の頬が赤くなった。

「…いや…不二が大丈夫ならいい…」

そういって、手塚はそそくさとコートの外へ出ていく。あ、ちょっと躓いた。だいぶ動揺してるみたい。そりゃそうだよ、この僕が手に触ったんだもの。落ち込ませたり喜ばせたり、僕も色々大変だ。
でも手塚、それもこれも、いずれ僕たちが味わう恋の喜びのためなんだよ。この恋が成就したときの感動を最高のものにするためなんだ。

だから手塚、しばらく辛いだろうけどがんばって。

僕は手塚の背中にそっと語りかける。


でも、これは日常よくある出来事、そろそろ僕たちの関係を一歩進める頃かも知れない。もう少し、刺激のある演出が必要だ。そこで僕は、手塚を昼食に誘うことにした。





☆☆☆☆☆





「不二、来週の火曜日、午後だって。」
「そ、ありがと、エージ。」

菊丸英二は僕の親友だ。色々と僕のために働いてくれる。今日も大石から手塚の胃の検診日を聞き出してもらったところだ。

「午前中は授業に出て、お昼から早退するって言ってたにゃ。」
「真面目だからね、手塚は。」

僕はくすっと笑った。手塚は来週、大石のおじさんの病院で胃の検診を受ける。

中学生なのに何故手塚が胃の検査を受けるのか、それはすべて、僕たちの関係を一歩進める愛の試練のためだ。試練をより劇的にする布石として、僕は一週間かけて手塚をいたぶった。そりゃあもう、綿密に丁寧に、つまり天使の微笑みで嬉しがらせたすぐあとに地獄の辛苦を舐めさせるというやり方で。

案の定、手塚は胃を壊した。表情が硬いから皆気づいてないけど、手塚って案外繊細な神経をしているのを僕は知っている。というより、僕限定で繊細っていったほうがいいかもしれない。とにかく、胃を壊した手塚は、具合が悪そうな顔になる。僕は部室に大石がいるのを確認して、手塚に話しかけた。

「手塚、ねぇ、お腹痛いの?具合悪そうだよ。」
「…不二…」

僕の優しい言葉に手塚が感動していた。そこで僕はそっと手塚の胃のあたりに手を置いた。

「ここ、痛いの?」

手塚が赤くなってうろたえた。すかさず僕は上目遣いに手塚を見上げる。彼はこのアングルにとても弱いんだ。

「その…たいしたことは…」
「だめだよ、手塚。胃でしょう?ちゃんと検査して直さなきゃ。」

手塚が何か言いそうになったので、胃の辺りを優しくなでてやったら、はっと息を飲んで黙った。たぶんパニックをおこしているんだ。僕は大石にふりむいて言った。

「大石、たしか君のおじさんのとこって病院だよね。手塚の胃の検診、してあげてよ。このままじゃ心配だよ。」

手塚が腕を痛めて大石のおじさんの病院にかよっているのは調査済みだ。おじさんは外科だけど、内科もちゃんとあるから融通きくはず。

「不二…」

手塚が僕の言葉にまた感動している。心配性の大石も食いついてきた。

「なにっ、手塚、そんなに悪かったのか。よし、まかしとけ。すぐ叔父に頼んでおくから。」

僕は大石ににっこり笑いかけた。

「ああ、よかった。大石って頼りになるから、ホント助かるよ。」

あ、とか、う、とか、手塚は唸っている。そりゃそうだろう、胃が痛いと言った、いや、言ってはいないけど、たかだかちょっとの胃痛で即胃の検診は普通受けない。だけど手塚が否定の言葉を絞り出す前に、僕は手塚の手を両手できゅっと握った。

「手塚、検診、受けてきてくれるね。でなきゃ僕、大事な君が倒れるんじゃないかって、心配でたまらないよ。」

手塚の顔がぱぁっと明るくなった。

「ね、手塚。」

にこっと笑ってダメ押しする僕に、手塚はこくこく何度も頷く。

「わ…わかった。不二がそういうのなら、検診を受けよう。」

手塚も僕の手をおずおずと握り返してくる。なんて可愛い反応するんだろう、手塚。だから僕は、とろけるような微笑みを手塚に向けた。

「君は僕たちテニス部にとってなくてはならない大事な人なんだから。」

ものすごく複雑な顔で手塚が僕を見つめていたけど、もう用件は終わらせたので僕は帰ることにした。

「じゃあね、大石、頼んだよ。」
「ああ、心配するな、不二。全部手配しておくよ。」

テニスバッグを担いで部室を出るとき、もう一回にっこり手塚に向かって微笑んでやった。絶対検診を受けさせなきゃいけないから、出血大サービスだ。手塚はぽわんとした顔で僕を見ていた。この調子だと大丈夫だろう。その後の大石の動きはエージに頼んで逐一報告してもらうようにした。もちろん、手塚と大石には秘密だ。
そして今日、検診の日取りをエージが聞き出してきたのだ。

「ホントにエージにはいつも感謝しているよ。これからもよろしくね。」

満面の笑みで礼を言う。エージは心なしか疲れた顔をしていた。聞き出すのに神経を使ったのだろう。そのエージがぼそっと僕に聞いてきた。

「…ねぇ、不二…手塚の胃の検診日聞き出して、今度は何するつもり?」

今度は、だなんて人聞きの悪い表現だよ、エージ。僕は小首をかしげて微笑んだ。

「秘密。でも、すごくいいこと。」

成功したら教えてあげる、と言うとエージは首を振った。なんとも元気がない。僕はエージのことも大好きだから、もちろん、友人としてだけど、だから励ましてあげようと思った。

「エージ、僕たち、一生親友同士だよ。ずっとね。」
「それって…一生、オレ、不二の片棒担がなきゃいけないってことにゃ…」

僕は思わず吹き出した。

「エージ、間違ってる、それ。片棒じゃなくて片腕でしょ。エージは僕の片腕なの。」

国語力ないなぁ、まぁ、そんなエージが可愛いんだけどね、そういうと、エージも笑った。でも顔色が悪い。手塚の検診が終わったら、エージのことも大石に頼んであげよう。

でも、とにかく日程は把握した。決行は手塚が午後から検診に行くという火曜日。午前中は授業にでるらしいから、昼になったらすぐつかまえよう。頭の中で段取りを考えながら、これから味わう甘美な恋の試練に想いをはせて、僕は浮き浮きと教室に戻った。もちろん、エージの肩を抱いて。だって、渡り廊下の向こうから手塚が見ていたんだもの。焼け付くような手塚の視線が心地よくて隣のエージにそういったら、エージはなんだか真っ青になっていた。やっぱり大石に相談してあげよう。僕の大切な親友にはいつも元気でいてもらいたい。





☆☆☆☆☆




作戦決行当日、朝から僕は気合いが入っていた。気合いが入ると、僕の美貌は二十パーセント増しで輝きをはなつ。ついでに、そこはかとない憂い風味が加わるらしい。気合いを入れて学校に行った日に、僕の笑顔で失神する人間が続出するのでそのことに気づいた。

「おはよう。」

教室のドアを開けて、にっこり笑って挨拶をする。すると、「あぁ〜ん」だの「うっ」だのという声とともに、男女を問わずバタバタと倒れていく。気合いは入っていたけど、自覚していた以上に僕は今日、張り切っていたらしい。
僕は慌てて笑顔をひっこめた。倒れすぎて学級閉鎖にでもなられたら、今日の計画はだいなしだ。うつむいて、なるべく級友達に顔を見せないようにする。それでも、何かの拍子につい笑顔をむけてしまうと、バタリ、と倒れられて本当に困った。しかたがないから、秋風邪ってことでマスクをした。これでしばらくは大丈夫だ。

二時間目の休み時間、僕は理科室へ移動する手塚をつかまえた。彼のクラスの時間割は頭に入っている。これは恋の基本だ。

「手塚。」

僕はふわっと微笑んでやった。もちろん、マスクは外している。

「ぐっ。」

手塚の横に立っていた男子生徒が、胸を押さえて崩れ落ちた。やば、隣に人がいるの、忘れてたよ。でも今はそれにかまっている暇はない。なんといっても、今日は僕たちの関係を一歩進めるための大事な日なのだから。

手塚は倒れた級友を気遣うでもなく、ぼぅっと僕を見つめている。うん、いい感じ、でも、まだ序章だ。用件だけでここはさっと引かなければ。

「あのね、手塚、四時間目終わったら、中庭のケヤキの木の下のベンチ、そこに来て。ほら、購買部へ行く途中のあのベンチだよ。じゃ、待ってるね。」

僕は手塚の返事を待たずに身を翻した。丁度、窓から陽の光が射していて、僕のさらさらの髪が上手い具合に揺れて光った。思いがけない効果に僕は満足して教室へ戻ったら、次の授業の先生がもう教室に来ていた。この先生、いつも早めにきて遅く授業終わるんだよね、ヤな感じ。でも、こんなヤツでも先生は先生だ。

「すみません。」

僕は笑顔全開で謝った。

「むぅっ。」

その途端、先生がばったり後ろへ倒れてしまう。ついでに、もろに僕の笑顔をみた級友が数名、声もなく床に転がった。しまった、マスクをつけるのを忘れていた。とりあえず自習、学級閉鎖にならなくてホントによかったよ。






四時間目が終わって、僕は鞄から弁当を取り出した。もちろん二つ。なんと僕の手作り弁当だ。

僕は手先が器用で、結構くいしんぼだったりする。だから、自然と料理を覚えた。自分で作ると好みの味付けにできるからいいのだ。外で食べて美味しかった料理は週末に自分で作ったり、料理番組のレシピを試したりしているうち、僕の料理の腕はかなりなものになっていた。
その僕が今朝は早起きして弁当を作った。

「不二、弁当、二つ?」

怪訝な顔をするエージに僕はにっこり笑って答える。エージだけはどんな僕の笑顔にも反応しないので、安心して会話ができる。やっぱり親友っていい。

「うん、手塚のぶんだよ。」

げっ、とカエルがつぶれたような声をエージが出したけど、僕はそのまま席を立った。

「じゃ、手塚と待ち合わせてるから。また後でね、エージ。」

僕は教室を駆けだした。ちらっと見たエージが、なんだか胃に手を当てて苦しそうな顔をしていたけど、今はごめんね、エージ。ここからはタイムスケジュール、つまってるんだ。タイミングをはずしたら大変、後で大石に検診頼んであげるから。そして僕は待ち合わせ場所に急いだ。

手塚は待ち合わせの場所にもう立っていた。ま、僕を待たせるなんて事、できないのはわかってるけどね。ベンチに座らず律儀に突っ立っているところがまた可愛いな。

「手塚ーっ。」

僕はぶんぶん手を振って彼を呼んだ。僕に気づいた手塚が照れくさそうに少しだけ手をあげる。僕は小走りに彼に駆け寄ると、にこーっと下から見上げてやった。それから、弁当を差し出す。

「あのね、僕、今日はじめて弁当、自分で作ってみたんだ。で、手塚にも食べてもらいたいって思って、はい、これ。」

手塚の顔がこれ以上ないほど輝いた。それから、はっと何かに気づいたように表情を強ばらせる。

うん、知ってるよ、手塚。君、これから胃の検診だもんね、夕べから何も食べてないでしょ。昼も食べたらダメなんだよね。

だから僕は手塚にしゃべらせないよう、その手を引いてベンチに座らせた。僕が手を握ると、手塚の体がびくっとする。

くすっ、緊張しちゃって。僕は君を取って食べたりなんかしないよ、僕が食べるのはこの弁当だけ。

隣に座って僕は弁当の包みを広げ、蓋を取った。

「手塚の好きなもの、何かなぁ、なんて考えたんだよ。えっとね、この卵ね、う巻きにしたんだ。ほら、真ん中にちゃんとウナギの蒲焼き、入ってるでしょ、それからね、こっちがおひたしにエビフライ、肉団子は甘酢かけにしてみたんだ。好きな味だったらいいんだけど。」

味は当然だけど、僕は盛りつけも上手いんだ。美的センスが段違いだからね。手塚は見るからに美味しそうな僕の弁当を凝視している。ごくっと喉がなるのが聞こえた。

ふふっ、でも君、食べられないんだよね…

僕は硬直したまま弁当を見つめる手塚の顔をのぞき込んだ。

「あ…ごめ…ん…もしかして、余計なことだった…」

しゅんとうなだれて僕は口元をわずかに上げた。こうすると、とても寂しげな笑みになるのだ。

「急に弁当なんか差し出されたら迷惑だよね…僕…自分ばっかり浮かれて…」

ごめん、手塚、と力無く弁当に蓋をしようとすると、手塚が慌てて僕の手首をつかんだ。

「あ、いや、違うんだ不二。実は…」

僕は思いっきり瞳をゆらして手塚を見上げた。ぐっと手塚が言葉に詰まる。そうそう、胃の検診だなんてセリフ、言わせてやらないよ。僕は微かに首を振ってうつむいた。ついでに購買部に続く渡り廊下に目を配る。そろそろ通りかかる頃なんだけど…まぁ、来ないなら来ないで、別なやり方もシュミレート済みだからいいんだけどね。
手塚が僕の手首をつかんだまま、焦っている。なんてわかりやすい君、検診キャンセルしようと思っているでしょ。案の定、手塚は必死で言葉を絞り出してきた。

「あ…ありがたくお前の弁当…」
「あーーっ、手塚先輩に不二先輩、何してんですかーっ。」
「ちいーっす。」

手塚の言葉を元気な声が遮った。テニス部一年生の桃城と荒井だ。

やっと来たね、かわいい後輩達。最高のタイミングだよ。もう少し手塚をいたぶるのも楽しそうだったんだけど、この試練をより盛り上げることのほうが大事だね。

僕は後輩達に呼びかけた。

「桃城、荒井、どこに行くんだい?」
「そりゃ先輩、購買部っすよ。」
「弁当だけじゃオレと桃城、足りなくって。」

ガリガリ頭をかきながら答える後輩達を僕は手招きした。

「じゃ、これ、一緒に食べない?僕、作りすぎてしまったんだよ。」

それから、何か言おうとする手塚にその間を与えないよう僕は笑顔で押さえ込んだ。

「ごめんね、手塚、もう食べちゃってたんだ。気にしないで。丁度桃城達がきてくれたから。」

手塚が「あ」とも「う」ともつかない唸り声をあげている。それを無視して僕は駆け寄ってきた後輩達に弁当箱の蓋をパカリと開けて見せてやった。

「うぉぉぉっ、すごいっすねーーっ。」
「美味そうっす。」

桃城と荒井は目をキラキラさせて弁当を凝視する。そりゃそうだよ、この僕が丹誠込めて作ったんだから。僕はに肩をすくめて微笑んで見せた。

「僕が作ったんだ。だからちょっと自信ないんだけど、よかったら食べてくれる?」

ええ〜っ、不二先輩の手作り弁当っすかーーっ、と可愛い後輩達は歓声を上げた。僕が差し出した割り箸を割るのももどかしそうに、桃城と荒井は弁当に手を伸ばす。

「美味いっ、すごく美味いっすよ、先輩っ。」
「不二先輩の手作りなんて感激っす、なぁ、桃城っ。」

あ〜あ、がっついちゃって。ホントたわいないねぇ、君たち。まぁ、皆の憧れの不二先輩手作り弁当なんだから、夢中になるのも無理ないか。

にこにこ笑顔で後輩達が食べるのを眺めながら、僕はちらっと手塚を横目で見た。

くっくっくっ、落ち込んでる落ち込んでる。

手塚はこの世の終わりみたいな顔して、ガツガツ弁当を貪り食う桃城達を見つめている。

「うめ〜〜っ。」
「く〜っ、幸せっす〜っ。」

突然、たこさんウィンナーをほおばった荒井が素っ頓狂な声を上げた。

「おい桃城っ、卵焼きの中に何か入ってるぜ。」
「ウナギだよ、うおっ、豪勢ーーっ。」

絶望の底にいた手塚から、すさまじい殺気が立ち上った。ウナギは手塚の好物なのだ。

あ、空き腹が怒りを呼んだな。

僕はほくそ笑んだ。夕べから飲まず食わずで、手塚の空腹はもう我慢の限界だったはず。そこへ僕のスペシャル愛妻弁当登場、なのにテニス部一年坊主どもがその弁当を目の前で食い尽くしていく。彼の精神的苦痛はどれほどだろう。手塚の苦しみを想像して、思わず至福の笑みがこぼれた。

手塚の殺気はますます強くなっている。だけど、幸か不幸か、この二人、鈍くてそれに気づいていない。もともと手塚の表情って凡人には読みづらいし、食い気に走っている今、他のことまで気が回らないよね。この食い意地、この鈍さ、これこそ僕が桃城と荒井を選んだ最大の理由だったんだけど、まったく、これ以上ないくらい僕の期待に応えてくれている。可愛い後輩達はあっという間にう巻きを腹の中へ納めてしまった。手塚のこめかみがひくっと動いた。

あ〜、怒ってるよ、手塚。それって八つ当たりなんだけど、もうそんな理性、残ってないみたいだね。

「ごちそうさまっす、不二先輩。」
「ありがとうございましたぁ。」

桃城と荒井は、ご飯粒一つ残さず綺麗に弁当を平らげた。そして深々と頭を下げて礼を言う。いい子だね、君たち。

「じゃ、オレら、失礼します。」
「手塚先輩、失礼しましたっ。」

描け去っていく桃城と荒井の背中を手塚はギリギリ音がしそうなくらいに睨みつけていた。僕はその間にさっと弁当箱を片づける。首尾は上々、長居は無用だ。

「じゃ、手塚、僕、行くね。今日は迷惑かけちゃってホントにごめん。これから絶対こんなことしないから。」

手塚が何か言いかけたけど、僕はとろけるような微笑みを浮かべてそれを封じた。さて、お腹すいたし、どこか人目のないところで自分の弁当を食べよう。

「手塚、また部活でね。」

君が早退して部活休むことなんて知らないふりをする。トドメに特上の笑顔を残して、僕は手塚の前から走り去った。学生服の後ろ姿にも自信があるから、走り去るって演出は効果あったと思う。

あ〜、一仕事終えた気分。これで僕たちは「一緒にお弁当を食べたかったけど、運命のいたずらで願いをはたせなかった片思い同士」ってシチュエーション、クリアしたね。

満ち足りた気分で、お腹もお手製弁当で満ち足りた。今更だけど、僕の料理の腕って流石だよ、何にでも才能あるってちょっと困るな。とにかく満ち足りた気分で僕は午後の授業を受けることが出来た。ふと、教室の窓から校庭を眺めたら、丁度手塚が早退するところだ。黒い学生服の肩が3.2ミリ下がっている。ドロップショットの時も気分が落ち込んだ時も3.2ミリだなんて、落ちるときはそうと決めているのかい?
君も律儀な男だね。哀愁漂う背中が愛しい。

手塚、また明日ね…

僕がそっとその背中に呟いたら、手塚が何かに躓いてよろめいた。くすっ、そんなお間抜けさんな君がとても愛しいよ。




☆☆☆☆☆




翌日の学校では、僕のお手製弁当の話でもちきりだった。案の定、桃城と荒井が自慢してまわったらしい。全く彼らは僕の期待どおりの行動をしてくれる。部活に行くと、コートの傍らで一年生が固まっていた。まだ早い時間で、気を抜いているのだろう。一年生達は桃城と荒井を囲んでいた。

「いやマジだって。マジ不二先輩手作りの弁当。」
「そりゃあ美味かったのなんの、味付け絶妙盛りつけ絶妙ってやつ。」

桃城と荒井が無邪気に自慢している。中身と味を説明するたびに、一年生の間からどよめきがおこった。うん、いい調子、もうすぐ手塚がくるはずだけど、話に夢中で誰も時間に気づいていない。

「特にな、卵焼きがただの卵焼きじゃねぇんだよ。なぁ、桃城。」
「そーそー。何入ってたと思うよ。」

あ、手塚が来た。不機嫌まるだしの顔してる。流石に一年生の中の聡い子は手塚に気づいた。それだけ今日の手塚が醸し出している雰囲気は険悪なんだけど、かわいいおニブちゃん達はまだ気づいていない。無意識のまま、言ってはいけない一言を叫んだ。

「卵焼きのなかにウナギ入ってたんだぜ、ウナギっ。」
「ウナギ入りの卵焼き、そりゃ最高だって。」

ぷちっ。

何かが切れる音がした。次の瞬間、手塚の怒声がコートに響いた。

「何をしている、お前達っ。部活はおしゃべりの場ではないぞっ。」

びしっと空気が凍った。真っ青になった一年生達は硬直してその場を動けない。

あ〜あ、地雷踏んじゃったね、桃城、荒井。さて、グランド二十周くらいいくかな。

「一年生全員、グランド五十周っ。」

うわ、五十周って、手塚のキレ具合、僕の予想をはるかに上回ってたみたい。
一年生達はダッと一斉にかけだした。でも今の手塚の側にいるよりは、グランドを走っている方がましなんだと思う。それくらい手塚の雰囲気は怖かった。

あぁ、手塚、それって、僕のこと好きでたまらないってことだよね。弁当一つでこんなに反応してくれるなんて、君はそんなに僕のことを愛してくれているんだ。

僕はうっとり手塚を見つめた。ふっと手塚が僕の視線に気づいてこっちを見る。僕はありったけの愛情を込めて微笑んだ。その途端、手塚が大きく体を震わせた。なんだか切羽詰まった顔をしている。

なんだろう、胃が痛いのかな。昨日薬もらったって聞いてたけど。

きょとんとしていたら、手塚が僕のところへ足早にやってきた。そして僕の手首をつかむ。

「手塚?」
「不二、話がある。」

そのまま手塚はぐいぐい僕の手を引いて、校舎の裏手へ回った。

あれあれ、手塚、どうしちゃったの。人間、あんまり空腹感じるとおかしくなるっていうけど、お腹がすいていたのは昨日でしょ。あ、でも、胃が痛くて今日もあんまり食べられなかったのかもしれない。可哀想に。




テニスコートから校舎裏に回るところには、園芸用具なんかをおく倉庫やビニールハウスがあって、普段からあまり人気がない。手塚は誰もいない場所まで来ると、ぴたっと足を止めた。うつむき加減に僕に振り返る。なんだかすごく思い詰めてる顔だ。

僕は流石に心配になった。僕たちの恋を劇的なものにするため、ずいぶんと手塚をいたぶったけど、本当に体を壊されたらたまらない。だって僕は心底手塚を愛しているのだから。

僕はまだ握られている手をきゅっと握り返した。手塚がはっと目を見開いた。僕はにこっと笑ってやる。

「手塚?」

手塚は一度ぐっと唇を噛みしめると、真っ直ぐに僕を見つめてきた。黒曜石のような手塚の瞳に僕はぞくぞくする。いい男だなぁ、こんなとき、君以上に僕に釣り合う人間はいないって実感するよ。

「不二。」

真摯に僕の名を呼ぶ手塚の声に聞き惚れた。手塚は僕の瞳を見つめたまま、意を決したように言った。



「不二、他の誰にもお前の弁当を食べさせたくない。この先、オレのためだけに弁当を作ってくれないか。」




うわ、いきなりプロポーズだよ。



そこまで飛躍する?まさかここまで君が追いつめられていたなんて。
あぁ、なんて可愛くて素敵なんだ。僕の愛する手塚国光は。

僕は嬉しくなってにっこり破顔した。手塚の目が揺れる。握られた手をはずし、僕は手塚の頬を両手で包んだ。

「手塚…」

伸び上がって耳元に唇を寄せた。手塚がわずかに身じろぐ。

「ばかだなぁ、手塚…」

息を吹きかけるように僕は優しく囁いた。

「そんなにウナギ入りの卵焼き、食べたかったの?たかがう巻きくらい、いつだって作ってあげるのに。」

それから体を離してにこにこ笑ってやる。

「そうだね、これから他の子達にまで弁当作るの大変だし、もう作らないよ。不公平になったら悪いものね。」

手塚はぽかんと僕を見ている。うん、かわされたって気づいてないとこが君らしいよ。満面の笑みで僕は手塚を見上げた。

「でも、君が食べたいっていうなら、いつか作ってあげるね、ウナギいりの卵焼き。」

呆けたように僕を見つめる手塚、きっと喜んでいいのか悲しむべきなのか、わからなくて混乱してるんだね。
愛しい君、でも、明日への期待はこれで十分でしょう?この程度で僕たちの恋が成就するわけないんだから、もっと僕へのアプローチをがんばろうと思えるはずだよ。僕たちは今、最高の恋物語を二人で紡いでいるんだ。だから結ばれるときも最高の演出でいかなくちゃ。

僕は小首をかしげて手塚をうながした。

「手塚、もう皆、来てるんじゃない?早くコートへ戻ろうよ。」

手塚はやっと我に帰った。あぁ、と曖昧な返事をして僕の後についてくる。ちょっと覚束ない足取りが愛おしい。コートに戻ると、桃城達一年生はヘロヘロになりながらまだグランドを走っていた。







手塚、愛しい手塚、君のことを考えると、僕の胸に温かいものが満ちてくる。すべての人が、この世のすべてが幸せであってほしいと願うくらい、僕の心は愛に溢れる。

手塚、もうすぐだから、最高の愛の喜びを味わあせてあげるから。苦しみが大きいほど歓喜はいや増すんだよ。
ねぇ、手塚、わかる?この世は僕たちのためにあるんだって。ほら、僕たちはすばらしい友人や後輩に恵まれているじゃない。彼らは僕たちの愛のために働いてくれるんだよ。そう、すべては僕たちの愛のために存在するんだ。

あぁ、すばらしいね、手塚。
さぁ、明日もまた、僕たちの物語を紡いでいこう、ね、手塚。


おわり
☆☆☆☆☆☆☆☆
ああっ、なんて非道で冷酷な話を書いてしまったんだろうっ。人間性を問われてしまうわっ。それでもよければ、どぞお持ち帰りくださ〜い。