YANIRUでバレンタイン

 



「うみのイルカか」

受付カウンターごしに突然凄まれうみのイルカは顔を上げた。
目の前に仁王立ちしているのは黒髪でごつごつと岩のような顔つきの大柄な男、年の頃は四十そこそこだろうか、里では見かけない顔だ。そういえば長期任務を終えた部隊が帰って来ていた。男はその一員なのだろうがそんな面識のない忍びに凄まれる覚えなどない。とはいえイルカの仕事は受付だ。どんな時にもまず笑顔、凄む男へにっこりとした。

「はい、そうです。うみのです」

うみのイルカは今年で二十六、階級は中忍、力強い光を宿した黒い目の印象的な男だ。頭のてっぺんで一つ括りにした黒髪と鼻の上の一文字傷がトレードマークである。
顔立ちは整ってはいるが美青年というわけではなく、アカデミー女生徒達の評価はもっさり先生である。本来うみのイルカはアカデミー教師なのだ。ただ、三代目火影の私設秘書のような仕事、雑用係ともいうが、それをやっているうちに事務に精通し、受付を兼務させられるようになった。
生徒の評価はもっさり先生でもこの青年、裏表のない笑顔で任務の労をいたわるので密かに受付の花、癒やしの笑顔と呼ばれている。安定の受付職は上忍くノ一のお姉様方にも大人気だ。そんな筋金入りの受付スマイルにうっ、と男が怯んだ。どんな無理難題にも一発対処、荒れた忍びも黙らせるイルカスマイル、受付の花の異名は伊達ではない。だがこの岩男、すぐに体勢を立て直した。どこか値踏みするようにイルカを眺める。ふん、と小馬鹿にしたように口を曲げた。

「なんだってお前みたいな男をな」

あぁ、とイルカは得心した。去年の夏、イルカは16の年から片思いしていた『一番星の君』ことはたけカカシ上忍と目出度くも想いを通わせることが出来たのだが、なにせはたけカカシといえば里内外に名を轟かせる凄腕の忍び、その恋人ともなれば人々の耳目を集めるのはいたしかたない。この男も長く里を離れていたのなら、帰って来てカカシの噂を聞きつけ自分を見にきたのだろう。

さすがオレのカカシ先生、みんなの憧れの的なんだよなぁ。

イルカは内心デレっとにやけた。

「……なにニヤけてやがる」

顔に出ていたらしい。

「失礼しました」

表情を取り繕えば男はじろりとイルカを見下ろし、それからニンマリとした。イルカはわずかに戸惑う。これまで自分に絡んでくる忍び、主に長期任務から帰って来た里の事情を知らない者ばかりだが、その忍び達は決まって侮蔑と嘲笑を投げかけてきた。あの写輪眼のカカシの恋人がこんな冴えない中忍なのかと失望をあからさまにした。だが、この男、少し様子が違う。どこかこう、妙な優越感を漂わせている。首をかしげたイルカに男はちょいちょい、と自分の頭を指差した。岩のような顔の男も黒髪を頭のてっぺんで一つ括りにしている。そう、イルカと同じ髪形だ。

「お前、オレの真似したんだろ」
「はぁ?」
「いいんだぜ?オレのこと、ゲンマあたりから聞いてたんだろ?カカシ君の気を引きたかったらそりゃ真似したくもなるよなぁ」
「カッカカシ君?」

受付の花の穏やかな笑顔がビシリと凍りついた。

「カカシ君…だと?」
「そうだ、カカシ君だ」

ふふん、と岩男が得意気に鼻を鳴らす。イルカのこめかみにピキリ、と青筋がたった。

「カカシ先生を君呼ばわり…」
「おわっ、待て待てイルカ」
「理性理性」
「ここ受付だかんな」
「お前は今、イルカ先生なんだぞっ」

慌てはじめたのは受付同僚達だ。隣に座る同僚だけでなく事務室の方からもわらわら出てきてイルカの背をさすったり肩を揉んだり書類で扇いだり、だが時すでに遅しだった。イルカの全身から憤怒のオーラが立ち上る。

「ヤバイ、総長スイッチ入った」
「退避退避」
「重要書類と貴重品避難させろ」

イルカを宥めていた同僚達が書類を抱え一斉に距離を取った、その瞬間、ドン、と空気が揺れた。受付カウンターに真っ白な特攻服が翻る。背には黒々と『生涯一忍者』の文字、白い長ハチマキがキリリと巻かれている。
そう、このうみのイルカのもう一つの顔は中忍による自衛組織、木の葉紅蓮隊六代目総長であった。長らく影に身を置き活動していた紅蓮隊を表に引き出したこの六代目総長は歴代総長の中でも最も凶暴凶悪と恐れられている。その凶悪な面相がギラリと黒目を光らせた。もはや柔らかい笑顔が人気の受付の花はここにはいない。

「カカシ君、だぁ?」

ドスのきいた声が辺りに響いた。すでに受付所はシンと静まりかえり事の行く末を固唾を呑んで見守っている。

「恋人になって半年、このオレですらまだカカシ先生としか呼べてねぇってのに、あのお人を『君』呼ばわりたぁ、いけ図々しいにもほどがあるってもんだ」

イルカの変貌に唖然としていた岩男だったが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。

「ほーお、これが噂の紅蓮隊か。ガラ悪ぃなぁ」

ふっふっふ、と岩男は肩を揺らす。

「そうかそうか、まだそんな他人行儀な呼び方なのか。気の毒になぁ。まぁしょうがねぇよ。お前、カカシ君と知り合って半年だしな。たったの半年」
「なめてんじゃねぇぞテメェ」

イルカはケッと吐き捨てた。

「オレぁな、16ん時、はじめてかのお人を戦場で見かけて以来ずーっとお慕い申し上げてきたんだ。その長さ考えりゃ思いが通じたこの半年、呼び方が変わらねぇくれぇ屁でもねぇわ」

だが岩男はニヤリとする。

「そりゃカカシ君がいくつん時だ?オレぁな、カカシ君が14の時からずーっと追っかけてんだぞ」

岩男が誇らしげに胸を張った。

「少年時代のカカシ君の宝石のごとき美しさよ。成長したカカシ君しか知らないお前には想像もつくまい」

はっとイルカが息を飲んだ。

「まっまさかテメェは…」
「泥沼の戦場に部隊長としてやってきたカカシ君は透明で冷たい輝きを放っていた。まさに戦場に煌めく木の葉の至宝」

イルカが青ざめていく。

「テメェはまさか、ゲン兄が話していた例の上忍…」
「おうよ」

勝ち誇ったように岩男は己を指差した。

「カカシ君から尻ぃ踏んでもらったのは他でもねぇ、このオレ様よ」

はぅわ、と意味をなさない声がイルカの口から漏れた。

「羨ましいか、あぁ?」
「ぐぬぅ…」

よろめくまいと足を踏ん張るイルカの前に岩男はズイ、と顔をつきだした。

「後にも先にも、カカシ君に尻ぃ踏んでもらったのはこのオレ様だけだ」
「テッメェ」

ゴッ、と鈍い音がしてイルカと岩男が互いに額をぶつけあった。

「ぶっ殺す」
「やってみやがれ」

ぬぉぉぉぉ、と額をぶつけあったまま二人は睨み合う。戦闘が始まるのか、受付所の空気がキン、と張り詰めた時だ。

「はいはい、そこまでにしといてよ」

のんびりとした声が響いた。張り詰めた空気がふっと緩む。

「里内での私闘はご法度でしょ?」

声の主が睨み合う二人の背中をポン、と叩いた。受付所のガラス窓から射す午後の陽光にキラキラと銀髪が輝く。いつの間に受付所に入ってきたのか、スラリとした長身の忍びが二人の傍らに立っていた。はたけカカシだ。黒い口布で鼻の上まで覆い、額当てをななめに結んで左目を隠している。顔のほとんどが隠れているせいで一見、胡散臭く感じるが、端正な面差しは隠しようもなく、姿の良い忍びだ。里一番の凄腕であるにもかかわらず、露わになっている青い右目はやわらかな光をたたえている。

「カッカカシ先生」

カカシが恋人にニコリと目を細める。イルカは岩男からパッと体を離し、もじもじと顔を赤らめ俯いた。ぽん、と煙があがって特攻服は普通の忍服に変わる。

「カカシ君」

これまたポッと岩男も頬を染めた。

「久し振りだね、カカシ君」
「あ〜、お久しぶりですね。伊和久さん。長期任務ご苦労様でした」

カカシが笑って挨拶すれば岩男はますます赤くなった。

「やだなぁ、カカシ君、昔みたいにポケ◯ンっぽく呼んでくれていいんだよ?ほら、イワーク、君に決めたーって言って容赦なく最前線向に尻蹴りしてくれたじゃない」
「「「えっ」」」

その場にいた全員が驚きの声を上げた。

「ポ◯モン…」
「尻蹴り…」

若干一名、引っかかるポイントのズレている者がいたが。

「あ〜」

きまり悪げにカカシは頭をかいた。

「その節は申し訳ない。オレもガキだったんで」

だが岩男はうふうふと嬉しげに身をくねらす。

「何いってんのカカシ君、激戦まっただ中にオレを放り込む時、君は必ず尻、蹴飛ばしてくれてた。その度に体の奥から熱いものがムクムク湧き上がってきてね、負ける気がしなかったんだ。あの戦場で生き残れたのは君のおかげだよ」

それってガキの頃のはたけ上忍に虐められてただけじゃね?

受付にいる全員がそう心の中でツッコんだ。声に出せなかったのはあまりに岩男が嬉しそうな顔をしているからだ。

「なっ…そんなに何度も尻をっ」

ツッコみどころのズレまくっている者が約一名。

「一度じゃなかったのか…」

顔にガーン、と書いてある。イルカだ。

「そんなに親しかったなんて…」

いやイルカ、それ親しいわけじゃないから。喜んでるあの人が変だから。
そう言ってやりたいがショックを受けている今のイルカに届く言葉があるとは思えない。

「え、あの、イルカ先生?」

それはカカシも同じらしく、顔面蒼白な恋人に戸惑っている。岩男がカカカ、と高笑いした。

「少年時代のかわゆらしいカカシ君とオレとのスィートな思い出だ」
「ぐぬぅ」

ギリギリと歯噛みするイルカは鬼の形相だ。勝ち誇る岩男と睨み合う。まさに一触即発、そこへガラリと受付所のドアが音を立てて開いた。

「おっつかれー」

受付所に入ってきたのは報告書を持ったゲンマとライドウだった。紅蓮隊三番隊長と副長でもある二人は総長と同じく顔を晒している紅蓮隊員で総長の護衛隊だ。その二人は受付所の異様な空気にきょとんとなった。

「あ?イルカ?お前なに鬼みたいな顔してるんだ」
「カカシさん、どうかしたんスか?」
「いや、オレもいったいなにがなんだか」

困惑したカカシが眉を下げる。

「あれ、もしかして伊和久上忍っすか?」

イルカと睨み合っている相手にゲンマが目を見開いた。

「あー、伊和久上忍だ」

ライドウが思わず指をさす。

「あの、カカシさんが14の時、ケツ踏まれてから追っかけになった」
「久しぶりだな、ゲンマ君、ライドウ君」

岩男がわはは、と笑った。

「今な、少年時代のカカシ君とのスィートな思い出をカカシ君の恋人とやらに語っていたところだ」

伊和久は高らかに言った。

「まぁ、恋人であるお前に言うのもなんだが、少年時代のカカシ君に尻を踏まれ戦場を駆け抜けた、この鮮烈な思い出に勝る思い出を持っているのか?うみのイルカ」
「うっ…」

圧倒的な勝利宣言だった。受付所にいた全員が『だから何』とか『いらねぇし、そんな思い出』と思ったとしてもうみのイルカにとっては敗北以外の何物でもなかった。

「うぅぅ…」

拳を固め仁王立ちしたイルカの空気がドン、と揺れる。再び特攻服の白い長衣が翻った。

「うぉぉぉぉぉぉぉ」

雄叫びとともに破壊音が響き木屑と埃が舞う。

「イッイルカ先生」
「うわ、総長っ」
「あっ、イルカ、どこへ行く」
「こらー、仕事ーっ」

受付所ドアが一つだけ残された蝶番に引っかかってキィキィ音を立てている。イルカの姿はどこにもなかった。後に残った人々はただぽかんと破壊されたドアを眺める。

「……寒っ」

誰かがぼそ、と言った。無理もない。今日は2月12日、暦の上では春であるが一年のうちで最も寒い時期なのだ。ぴゅう、と廊下から冷たい風が吹き込んでくる。

「あ〜、まぁ、恋人がしでかしたことだし、オレがなんとかするしかないね」

はじめに動いたのはカカシだった。バキリ、と壊れたドアをはずすと壁にたてかけ、天井にむかって声をかけた。

「テンゾー」
「はい、先輩」

音もなく猫面の暗部が降り立った。

「そこのドア、修理しといて」
「えっ」
「つべこべ言わない、あれこれ聞かない」
「うわ、相変わらず横暴〜」

ブツブツ言いながらも猫面の暗部が印を切り、木製のドアが入り口にピタリとはまる。

「おおおーっ」

どこからともなく拍手がわきおこった。照れくさそうに猫面暗部は片手をあげると再び掻き消える。

「じゃ、オレ今日もう終わったし、イルカ先生の代わりに受付入るね」

スタスタとカカシは受付カウンターの中へ入った。

「えええっ」
「そっそれはっ」
「いや、はたけ上忍にそんなことはっ」
「いーからいーから」
「いいえ、オレ、仕事しますぅ」

ドアが僅かにあいて黒髪がのぞいた。

「ずいまぜん、感情のままにどびだじでじまっで〜」

グズグズと鼻を鳴らしながらうみのイルカが戻ってくる。普通の忍服に戻っていた。ゲンマが苦笑する。

「総長、ことカカっさんのこととなると沸点低いからなぁ」
「総長とよぶなぁ、今のオデはうげづげじょくいんなんだぁ」

べそべそしながらカウンターに入る。

「ガガジぜんぜい、ごめいわぐおがげじまじだ」
「センセは真面目だねぇ」

銀髪の上忍はぽんぽんとイルカの頭をやさしく叩いた。

「勤務何時まで?」
「5時でず」
「じゃあ、二時間後に迎え、来るからご飯いきましょ」
「あい」
「ちゃんと待ってなさいよ」
「あい」

ぽんぽん、ともう一度頭を撫でるとカカシは受付所を出て行った。

「カカシ君、飯に行くならオレも一緒にっ」
「あー、伊和久さん、久しぶりっすから伊和久さんはオレらと行きましょう」
「そっすよ、久しぶりじゃないスか」

岩男の両脇をゲンマとライドウがガシリと固めた。

「じゃあ総長、オレらは酒酒屋行くから」

ひらりと手を振り岩男を引きずるようにして出て行った。感極まった顔でイルカはドアをみつめ、深々と頭を下げる。ぽん、と同僚が肩に手を置いた。

「いい人達だな、イルカ」
「はたけ上忍もいい人だな、イルカ」

もう一人の同僚も肩に手を置く。

「本当ならここでお前に帰っていいぞって言うべきなんだろうが」
「今日はもういいぞって、借りはこの次返せよって」

置かれた手に力が込められた。

「仕事、立てこんでるんだ」
「年度末締め切りがやってくる」
「「すまん、イルカ」」

ぶんぶんとイルカが首を横に振った。

「ううん、オデのほうごぞごめん」

ぐす、と鼻を鳴らすと涙で汚れた顔を袖で拭った。にへへ、と互いに笑い合う。

「さ、仕事しよう仕事」
「今日の分は今日済ませるぞ」
「残業なしだ、がんばろうな」

職員が仕事に戻れば受付所はまたいつもの喧騒を取り戻す。平和っていいな、そう皆が思いを新たにした出来事だった。


☆☆☆☆☆

翌日、うみのイルカは紅蓮隊「たまり場」にある擦り切れたソファにあぐらをかき瞑目していた。特攻服の上着は傍らに脱ぎ捨て、腹にサラシを巻いた姿で腕組みしたまま微動だにしない。鍛え上げられた筋肉がイルカの心情に反応するのか、時折ムキ、と動くだけだ。その周りでは緋色の特攻服に身を包んだ紅蓮隊員達がやはり微動だにせず控えている。

「総長ーっ、手に入れましたぜ、バレンタイン情報」
「くノ一ネットワークの極秘バレンタインプロジェクトっすよ」

バッターン、と派手にドアが開き、緋色の特攻服が駆け込んできた。

「なに、ついに手に入れたか」

控えていた隊員たちがどよめいた。

「総長、これで特別なバレンタインの思い出が作れますぜ」
「あの尻野郎、少年時代の思い出持ちだしやがって、卑怯極まりねぇ」
「オレらの総長、コケにしやがって」
「総長、コイツで思い出づくりしてあの野郎に一泡ふかしてやりやしょうっ」

うおおおお、と『たまり場』が雄叫びで揺れた。くわ、と六代目総長、うみのイルカが目を見開いた。

「まずは一言、言わせてくれ。オレが不甲斐ねぇばかりに貴様らに心配かけちまった。申し訳ねぇ」

ドスのきいた声に隊員たちは拳を上げて呼応した。

「水くせぇぞ、総長」
「オレらは総長のために死ぬ覚悟は出来てんだ」
「そうだぞ総長ーっ」

ぐわん、と部屋が震える。うみのイルカがスッと片手を上げ隊員たちを鎮めた。

「かのお人のお側に置いていただいて半年、古風で可愛らしいタイプが好みだというかのお人の趣味から外れねぇよう、オレなりに努力してきたつもりだ。だが、不覚にもオレぁ昨日、怒りに我を忘れてしまった」

ぐっと口元を引き結んだ。

「夕べの飯時、かのお人は言った」

ぐぬぅ、と唸る。

「昼間のイルカ先生、男らしくてカッコ良かったよ、と」

ざわ、と隊員たちに動揺が走る。

「そっそりゃあ…」
「総長…」
「この半年、可愛い中忍であり続けたというのに、オレとしたことが」

イルカは両拳を固めるとすくっと立ち上がった。

「貴様らに感謝する。明日の14日、オレは再び可愛い中忍としてカカシ先生の前に立ってみせるぜ」

うぉぉぉ、と隊員たちから雄叫びがあがった。

「その意気だ、総長」
「オレ達が見届けてやるぞ、総長ーっ」

六代目総長、うみのイルカは不敵に笑うとばさり、と白い特攻服を羽織った。

「行くぞ」

ザッとドアへ向かって隊員たちが整列した。

「案内してくれ」
「うすっ」

真っ白な特攻服が颯爽と部屋を後にする。緋色の集団がそれに続く。

「なぁゲンマ」

残ったのは三番隊隊長ゲンマと副長のライドウだけだ。

「総長、まだお前が言ったデマカセ、信じてんぞ」
「………」
「カカシさん、別に可愛くて古風好みなわけじゃねぇって教えてやれよ」
「……いやなぁ」

頭痛をこらえるようにゲンマは眉間に指を当てた。

「言ったんだが聞いちゃいねぇ」

長楊枝を揺らしゲンマは遠い目になる。

「っつかな、アイツ、自分の可愛くて古風な振る舞いにカカシさんが惚れてくれたって信じてやまんのよ」
「あれは笑いを取っただけだったんじゃ…」
「言うな、総長、可哀想だろうが」
「あ〜」

二人して虚空を見つめる。

「まぁ、笑いをとろうがなんだろうが一生懸命な姿をカカシさん、可愛いって思ったわけだから当たらずとも遠からずって奴なんだがな」
「いや、オレぁあの総長を可愛いっていう感性にさすがは写輪眼のカカシって思ったね」
「カカシさんだからな」
「カカシさんだもんな」

顔を見合わせ苦笑いする。

「じゃあオレらも行くか」

ゲンマは真紅の特攻服を脱ぎ、忍服に着替え始めた。

「くノ一極秘プロジェクト会場って奴か?」
「いや、スーパー木の葉大門通り店」
「へ?」
「さっさとしろ。先行くぞ」

スタスタとゲンマは部屋を出て行く。

「なんでスーパー木の葉…ゲンマ、待って、待ってって」

わたわた着替えライドウは慌ててその後を追った。幼なじみが何を考えているのかさっぱりだがそれはいつものことだし任せておけばまず間違いはない。

「ゲンマー」

バッタンと威勢のいい音をたててドアが閉まり、静寂が落ちる。しんとなった『たまり場』にはただ真冬の陽射しが柔らかい光を投げかけていた。


☆☆☆☆☆

 

木の葉リッツァホテルの大ホール前は異様な殺気に満ちていた。
この世界的一流ホテルが木の葉に支店を出したのは大戦終結後、外交に重きを置いた三代目の招致によるものだ。国主や大臣、豪商達専用として木の葉では別格の扱いを受けている。忍びの里であるが木の葉は人の行き来が多い。VIP専用のフロアとは別に一般客用の客室も用意されていた。それでも一番安い部屋で十万円はする。しかし、近隣に何もない地域であるうえ、ホテルリッツァの一流といわれるサービスは有名で、わざわざ木の葉リッツァに泊まるためだけに訪れる人々もいるほど人気のホテルだった。

そんな格式高い人気ホテルの、普段はパーティや会合が行われる大ホール前には大勢のくノ一達が集結していた。それもそのはず、2月13日の昼から夕方5時まで、世界に名だたるショコラティエ達のチョコレートが限定販売されるのだ。この企画はくノ一の上忍達によってすすめられ案外チョコレート好きなご意見番水戸門ホムラの後押しで実現した。これだけ名のあるショコラティエが一堂に会するなど滅多にあることではない。木の葉のくノ一だけではなく、他里のくノ一も許可を取って集まってきていた。

「こいつぁすでに戦場だな」

ザッと白い長衣が大ホール前にひるがえった。紅蓮隊六代目総長、うみのイルカが腕組みし仁王立ちしている。その後ろにはずらりと緋色の特攻服が並んだ。

「総長、この季節の女どもは猛獣だ。オレらが盾になりますから総長はその間に」
「そうっすよ総長、あの女どもの間にお一人で入っていくなんざ自殺行為だ」
「いや」

うみのイルカは片手をあげた。

「貴様らの気持ちだけ受け取っておく。だがオレも漢だ。好いたお人へのチョコレート、己一人の力で勝ち取れずしてどうする」
「「「総長ーーーっ」」」

赤い特攻服達が感涙にむせんだ時、ホテルのアナウンスが響いた。

『おまたせいたしました。どうぞ会場へお入りください』

きゃ〜、ともぎゃ〜、ともつかぬ甲高い声とともにくノ一達が会場になだれ込んだ。

「行ってくるぜ」

白い特攻服がその中へ飛び込んでいく。

「総長、ご武運を」
「ご無事のお帰りをお待ちしておりますっ」

固唾を呑んで隊員たちは自分達の総長が消えた会場を見つめた。かつて、この六代目総長は死ぬほどの拷問にあっても自分達を守ってくれた。そして五代目総長暗殺の犯人を自らを囮にして捕まえてくれた。そんな恩義ある総長の助けになりたいと願っているのに、こんな大事な時でも自分達はただ見守るしかないのか。

「総長、大丈夫かな…」
「元々おモテになっていたお方だ。例年のバレンタインのチョコの数を鑑みてもあそこで戦っているくノ一の何割かは総長のためのチョコを選んでいるはずだ。きっと総長に場所を空けてくれるはず…」

ドガシャーッという破壊音とともに彼らの目の前にボロボロの物体が転がった。

「男が入ってくんじゃないわよっ」

罵声がその物体に浴びせられる。

「そっ総長ーーーっ」

それはズタボロになった彼らの総長だった。全身に靴跡を刻んた総長は白目を剥いて気絶している。どうやらそれがくノ一からバレンタインチョコを渡される当の本人であってもチョコ販売会場においては敵とみなされるらしい。

「くっそぉぉ、女どもめぇ」
「オレらの総長をよくも」

ズザァ、と紅の特攻服が突撃体勢を取った。紅蓮隊副長がぐっと己のハチマキを締め直す。

「野郎ども、総長の仇ぁとるぞ。そしてチョコをお届けするんだ、いいなっ」

うおおおーっ、と雄叫びがあがる。

「行くぜ野郎どもっ」

紅蓮隊が一斉に会場へ突入する。一分後、どさどさどさ、と緋色の物体が会場の外に投げ落とされた。全身に青あざと靴跡をつけボロ屑状態だ。

「だっ大丈夫か?」

気を失っていたイルカがヨロリ、と体を起こした。なんのことはない、ふっとばされた隊員の一人が体の上に落ちてきたので目が覚めたのだ。

「むっ無念っす、総長」
「申し訳ねぇ」
「何を言ってやがる」

イルカは滂沱と涙を落とす。

「オレの方こそ、貴様らに申し訳がたたねぇ」
「「「総長ぉぉぉぉ」」」

「感じいったぞ」

突然、頭の上から野太い声が落ちてきた。ハッと見あげればそこには岩のような顔の男、伊和久上忍が忍びマントを羽織り仁王立ちしている。

「貴様ら紅蓮隊の絆、そしてカカシ君への貴様の熱い思い、オレは感動しているぞ」
「伊和久上忍…」
「認めようではないか、うみのイルカ。貴様は立派なカカシ君の恋人、いや、生涯の伴侶だ。なればこの伊和久、貴様のために一肌脱ごう」

ばさり、と伊和久は忍び用マントを脱ぎ捨てた。

「伊和久さん…」
「敵を知ることは兵法の第一歩、正攻法だけではどうにもならんぞ」

そこには真っ青なパンプスに同じ青のボディラインがくっきりとでるミニワンピース姿の伊和久がいた。胸パットをいれなくても鍛えられた大胸筋で十分それらしく見えている。

「伊和久さん、アンタ…」
「イルカ君、カカシ君の伴侶だからこれからはイルカ君って呼ばせてもらうよ?会場のチョコは君達へのはなむけ、恋の応援団さ」

言葉を失うイルカに伊和久はバチン、とウィンクした。

「必ずチョコを持ち帰るから待ってて。君が贈る愛のチョコにオレというスパイスが加わってしまうけど、たまにはそういうのもいいんじゃない?」
「いけない、伊和久さん、オレ達は男だから会場から投げ出されるだけですんだ。だけどあの獰猛な女達の中に女として入ってしまったらアンタは…」
「だぁいじょうぶ。オレを誰だと思ってるの」

きゅ、と親指を自分に向ける。

「伊和久さんだぞ?」

そう言うと伊和久は会場に突入していった。

「いっ伊和久さんっ」

一瞬の後、凄まじい悲鳴があがる。そして伊和久のチャクラの気配が消えた。

「伊和久さぁぁんっ」
「諦めろ総長、伊和久さんはもう助からねぇ」

助けに走ろうとしたイルカの肩をがしりと掴んだのは不知火ゲンマだ。

「でっでもゲン兄、伊和久さんはオレのために…」
「だからこそだ。ここでお前が突入したらそれこそ伊和久さんの遺志を無駄にすることになるだろ」

ハッとイルカは目を見開いた。ゲンマが頷く。

「お前はカカシさんに渡すチョコを用意しなきゃいけねぇんだ」
「ゲン兄…」
「ってことでお前ら、引き上げるぞ」

ひっくり返ったままの隊員たちを見回し、出口にむかって顎をしゃくった。

「とっとと立ち上がらねぇか。帰ぇるぞ」

スタスタとホテルから出て行く。

「ゲン兄〜」
「ゲンマさーん、待ってくださいよ」
「総長〜」
「ありがとうございました。またのお越しをお待ち申しております」

わらわらと出て行く紅蓮隊をホテルスタッフは礼儀正しく見送った。敬意のこもるその応対はさすがというべきか、徹底したプロ意識に居合わせた客達は改めて感心したという。


☆☆☆☆☆
       

「総長、あれでいてカカシさんは家庭的だし、食い物の好みも庶民だろ?」

紅蓮隊はたまり場に戻っていた。皆、部屋の中央、大テーブルの周りに集まっている。ため息をつくゲンマの前で総長はちょこり、と椅子に腰掛けていた。がっちりした体を縮めている様は少し気の毒だ。

「どんな一流ショコラティエのチョコより総長の手作りチョコが一番なんだよ」

はいはい、と隊員の一人が手をあげた。

「ゲンマさん、総長は一週間前に手作りチョコに挑戦しなすったんス」
「わかってる。イルカのアパートから黒い煙が出てるってボヤ騒ぎになったじゃねーか」
「面目ねぇ」

総長はさらに体を縮めて恐縮した。ゲンマが皆を見回す。

「なんでチョコをそのまま火にかけるかな。湯煎って言葉、お前らの中で誰も知らなかったのか」
「「「知らねっす」」」

ゲンマが額を押さえ、ライドウが吹き出した。

「そりゃゲンマ、こいつらが知ってるわけねぇって」

腹を抱えて笑う。

「知ってたって作るの総長だぞ?上手くいくとは思えんがな」
「「「オレらもそう思うっす」」」
「うるせぇ、放っとけ」

がぁ、とイルカが吠えれば緋色の集団はすんませんっしたー、と直立不動になった。

「まぁ怒るなイルカ、そんなお前のためにほれ」

ゲンマは部屋の中央に置かれた大テーブルの上にスーパー木の葉大門通り店の袋を置いた。中から袋入りチョコレートとラップ、粉砂糖を取り出す。

「えっと、ゲン兄?」

袋入りチョコレートは庶民の味方ブル◯ンが発売している一袋88円のミルクチョコトリュフだ。ゲンマはその丸いチョコトリュフをラップの上にのせクルリと巻いた。

「ほれ、指で潰せ」
「えっ」
「いーから潰せ、グチャグチャに潰したらそのまままた丸めろ」

言われたとおりにイルカはラップに包まれたチョコトリュフを潰した。表面を覆っていたパリパリのチョコと中身の柔らかい部分が混ざったところで丸くする。

「よし、ラップ広げろ」

テーブルに置いてラップを広げるとゲンマは粉砂糖をふりかけた。箸で転がしまんべんなくまぶす。

「らしくなったろ」

おおおおー、と声があがる。

「手作りチョコトリュフに見えるっす、総長」
「ゲンマさん、すげぇ」
「手作りなんだよ。潰して丸めたんだから」

しれっと言い放ったゲンマは隊員の一人に顎をしゃくる。

「食ってみろ」

自身、恋人がいて毎年手作りチョコをもらっているリア充な若い隊員がそれを口に入れた。

「………」
「どうだ?」
「うめぇ…オレの彼女の手作りチョコより滑らかでうめぇ…」
「だろ?」

ニンマリとゲンマが笑う。

「企業努力舐めちゃいけねぇって話だ」

とん、と可愛らしい小箱を置く。

「100円ショップ行きゃこういう箱が売ってる。総長、チョコ六個くらい作ってこれに入れればらしくみえるさ」
「あっありがとう、ゲン兄」

パァァ、とイルカは顔を輝かせた。

「粉砂糖だけじゃ寂しいからな、こっちの銀色の粒粒のせたりしてみろ。華やかになるぞ」
「ゲンマさん、すげー」
「さすがゲンマさんだ」
「オレ、自分用に作ってもいいスか?」
「かまわねぇぞ、たくさん買ってあるからな」

賛辞の中に独り者のちょっと寂しい言葉も混じっていたが皆が幸せになれるならそれでいい。ワイワイとチョコの『手作り』がはじまった。それぞれが可愛らしい「手作りチョコ」を完成させ、かといって総長と彼女持ちのリア充を除いた全員、チョコをあげる相手がいるわけがないので、翌日皆で交換会をやることに決まった。イルカといえば完成したチョコの箱を大事に胸に抱いて嬉しそうな顔をしている。とりあえずバレンタインデーはなんとかなった、ゲンマとライドウは密かに胸をなでおろしていた。





翌日、受付所の前庭で任務から帰って来たカカシに恥じらいながら手作りチョコを渡す六代目総長の姿が見られたという。チョコの箱を開けたカカシが、するりと口布を下ろして何事か囁いた途端、イルカが鼻血を噴きながら三メートルほど吹っ飛んだとか。どうやら『あなたの指で食べさせて』と言われたらしい。

チョコ争奪の戦場に突入した伊和久上忍はなんとか生還出来た。会場の後片付けをしたホテルスタッフが床に伸びていたボロボロの伊和久を回収し病院へ搬送したのだ。身につけていた青いワンピースの残骸がわずかに腰に引っかかっているだけの酷い有様だったがその顔には穏やかな笑みが浮かんでいたという。



☆☆☆☆☆


「ちょっとちょっと、なーんでイルカ先生、ゲンマばっかり頼るかな。え?バレンタインだからオレに相談するわけにいかない?にしてもさ、先生ってゲンマ、頼りにしてるよね。オレなんかよりずっと頼りにしてるってどういうことよ。そりゃまぁ、付き合いが半年のオレとガキの頃からのゲンマとじゃ重みが違うけどさ。わかってる、わかってるって。兄弟みたいなモンなんでしょ?それでも今はオレって恋人がいるのよ?ちょーっとはオレに頼ってくれてもいいと思うわけよ。あ、それにアレなに?伊和久さんと義兄弟の契りを交わしたってなんなの?いったいなにがあったわけ?」

「カカシさん、もうなんか色々すぎてですね、しばらく休ませていただけませんかね」

「え?何があったの?ねぇゲンマ、話しなよねぇ」

バレンタインデーの後、しばらくゲンマにからむ写輪眼のカカシの姿が見られたとか。




「ゲン兄、なんでオレよりカカシ先生と仲いいわけっ?ずるくね?恋人はオレだよ?」
「もーお前ら、めんどくせぇわっ」


行事の度に巻き込まれる運命を悟った不知火ゲンマが真剣に長期任務を検討しはじめ、紅蓮隊員達が涙ながらにそれを阻止したらしいが、それはまた別のお話。

 

オフ本「YANIRU」でバレンタイン話です。今回は木の葉の通貨、ふつうに円でいきました。両だとちょっと感覚わかんないなぁと。ブルボ◯のチョコトリュフも美味しくできるけど、メルティキ◯スを潰して作っても滑らかで美味しいよ?絶対バレないと思う…