「あ〜、春だねぇ春」
アカデミーの職員室、窓に頬づえついたヒラマサがほぅ、とため息をついた。四月のはじめ、春休みのアカデミーはしん、と静かだ。
「そだね〜、春だね〜」
同期の友人、タニシが窓際の椅子にかけたままぼぅっと相づちをうつ。
「イルカ君、春だよ〜」
「桜咲いたよ〜イルカくーん」
窓の外では五分咲きの桜が春風に枝を揺らしている。
「桜が咲くと思い出すね〜」
「うん、そだね〜」
「なんか、世の儚さって実感したよね〜」
「うんうん、そだね〜」
「別にイルカ君が悪いってわけじゃないんだけどね〜」
「そうそう、誰が悪いってわけでもないんだよね〜」
「………何が言いたい」
地を這うような声がした。窓際の二人の後ろにぬっと影がさす。
「なんかオレに含みあんのか、あぁ?」
「あるよっ」
「おおありだよっ」
ぐりん、と二人は同時に振り向いた。
「去年のこの季節に、オレ達の夢と憧れが粉砕されたんだ」
「そーだそーだ、桜と一緒に散ったんだ、オレ達の純情」
ビッと指差した先には腕組みした友人、うみのイルカが仁王立ちしている。
「伝説の空蝉太夫がイルカだったなんて!」
「源氏楼の至宝、かぐわしき空蝉太夫がこんなおっさんだったなんて!!!」
「おっさんで悪かったなぁっ」
「「うわぁぁん」」
怒鳴るイルカの目の前で友人二人は泣き伏した。
「空蝉太夫はそんな乱暴者じゃなーい」
「空蝉太夫は仁王立ちなんかしなーい」
「空蝉太夫に毛ずねなんかないんだー」
「ケツ痒っとか言ってボリボリ掻いたりしないぃぃ…ふぎゃっ」
「酷いっ、太夫、なんで蹴飛ばすのっ?」
「あのなぁ」
イルカが額を押さえた。
「アレぁ潜入任務だったんだよ。第一お前らのそのイメージって、テレビドラマだろーが。ありゃオレじゃねぇっ」
火の国随一の高級遊郭街の中でも最高の格を誇る源氏楼、その源氏楼に空蝉ありと謳われた太夫と、これまた火の国を代表する忍び、写輪眼のカカシの恋物語は、大規模な人身売買と麻薬取引の組織摘発まで絡んでいたため、噂に尾ひれがつきまくった形で流布していた。その『噂話』を元に連続ドラマ『空蝉太夫』が放映されたのが二年前、カカシと再会する前年だ。
「空蝉太夫、そりゃあ綺麗だったよな。オレ、毎週見てたもん」
「そうそう、たおやかでまさに花かんばせ」
「主演の若紫源氏郎、まだあん時ゃ18だったろ?今より線細くて空蝉役にぴったりだったよなー」
イルカが可愛がっていた若紫は役者になっていた。17の時に映画の主役に抜擢され、賞をとって一躍有名になったのだ。そして翌年の『空蝉太夫』のヒットが若手俳優として若紫の地位を固めたといっていい。
「その前の映画と全然雰囲気違ってたけど、いい役者に育ってきてね?」
「若紫、いいよなー、売れっ子になっても謙虚な感じだしー」
「オレ、若紫ちゃんのファンだもん」
「オレも大ファンよー」
「……結局、『空蝉』役の若紫がいいって話じゃねぇか」
イルカは頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。
「とにかくお前らにどうこう言われる筋合いはねぇ。勝手な妄想に付き合う暇あるか」
「ちょっと、それは違うわよ、うみの先生」
「そーですよー、うみの先生はわかってませんっ」
「うぉっ」
イルカを押しつぶす勢いで女性職員達が乱入してきた。
「はたけ上忍と結ばれたのは祝福します、というより、好きなドラマがハッピーエンドで終わった感じして私達も嬉しいです」
「でもですね、うみの先生、それでもですねっ」
ビシリ、と指を突きつけられる。
「私達だってもうちょっとロマンティックな気分に浸りたいっていうか」
「夢みたいんですよ、なのにうみの先生ったら」
ギッ、と睨みつけてきた。
「出勤早々二日酔いだぜうぇっぷ、とか言ってがに股座りしたりっ」
「朝寝してたらはたけ上忍に布団はがされて、まさに布団がふっとんだーだろ?なんて親父ギャグの古典かましたりっ」
「「夢壊しすぎなんですよ先生はーーーっ」」
「ひぇっ」
キンキン怒鳴られイルカは思わず後ずさる。
「でっでも、オレ、昔っからそんなだったろ?」
そうなのだ。『空蝉』と対極をいくよう意識した『うみのイルカ』はおっさん臭くて親父ギャグをとばしまくり、いい人だけれども女にはモテない、そんな人物だ。カカシと再会したからといって急に変わるわけでもなく、最近ではイルカも何が己の素なのかよくわからなくなっている。カカシに言わせると『イルカはイルカ』なのだそうだが。
「ドラマと一緒にされてもなぁ。第一、『空蝉』は潜入任務だったってさっきから言ってるだろ」
「甘いぞイルカ」
「去年の春、桜の咲く頃、あんな感動的な再会劇をはたけ上忍とやっといて許されると思うな」
女性陣の乱入でヒラマサとタニシが勢いづく。
「おっさん臭さは演技で、実はたおやかでした、みたいなのをみんな期待した」
「羽化した蝶みたいにイルカが空蝉太夫様になるんだと思った」
「……お前ら、確かオレとはアカデミー時代からの付き合いだよな」
「「そうだ」」
「それでよくそこまで妄想ふくらむな」
「「だって若紫ちゃんがっ」」
「若紫がなんだっ」
ヒラマサとタニシがきぃ、と叫んだ。
「空蝉の兄さんはそりゃあたおやかで美しかったって」
「腕っぷしも強くて男気溢れているのに咲き誇る花のような人だったって」
「なんだそりゃっ」
怒鳴るイルカに女性陣が切り込んできた。
「うみの先生も観てたんでしょっ。若紫、自分の金髪を黒に染めても空蝉の兄さんみたいに艶やかにならないからってわざわざカツラ、特注させたそうじゃないですか」
「着物も全部空蝉の兄さんが着てたのを再現したって。それでも自分が演じる『空蝉太夫』は本物に及ばないってっ」
びしり、と再び指を突きつけられる。
「「おっさん臭さで及ばないってんじゃ夢も希望も粉砕されますよーーーっ」」
「う…」
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