ざざっと木の枝が揺れた。
二つの影がすさまじいスピードで木々の間を駆け抜けていく。よく見ると、追う者と追われる者だ。
前方の影が必死さを滲ませているのと対照的に、追う方の影はどこかゆとりがあった。あきらかに実力が違う。今宵は新月、黒々とした森はいっそう暗く、木々の間に闇が深い。
ぱきりっ
枝が音を立てた。折れたのだ。
前方を駆けていた影がぐらりとバランスを崩した。追っている影がすかさず間合いを詰める。バランスを崩した影は、身を捩ってクナイを放った。だが、後ろの影は軽くそれをかわして追っていた影の背後を取り、ざくりとクナイを突き立てた。
血飛沫があがり、追われていた影が絶命した、と思われた瞬間、すさまじい炎が辺りを包んだ。ドン、と鈍い音が響き、半径五百メートルが一瞬のうちに燃え尽きた。
☆☆☆☆☆
「うみの隊長、終わりました。」
ぶすぶすとまだ燻っている焼け跡を確かめていた中忍二人が頭上に向かって声をかけた。
「御苦労。」
ひらり、と地上に降り立ったのは、背の高い黒髪を一つくくりにした男だ。整った顔立ちだが、鼻の上に一文字の傷がある。まだ若い。20代半ばくらいのその男の物腰は、しかし年齢以上に落ち着いてみえた。相当な数の修羅場をくぐってきた者だけが持つ自信がかいま見える。黒々とした双眸は力強い光を湛えていた。
「現場は見せしめのためにこのままにしておく。依頼人の軍隊が来て片づけるはずだ。そっちはどうだ。」
森の奥に声をかけると、闇から溶け出したように三人の忍が姿を現した。
「完了です、うみの隊長。」
十代半ばとおぼしき年頃の中忍と年かさの下忍が二人、うみの隊長と呼ばれた男に最敬礼で報告した。
「よし、これで任務終了だ。」
「はっ。」
焼け跡を確認していた中忍を含め、五人の忍達は若い隊長の前でぴしっと背筋を伸ばす。下忍ならばともかく、同じ中忍、しかもそのうちの二人は同年代であるにもかかわらず、まるで上忍の上司に対するような態度だ。そのうえ、三人の中忍の目には尊敬の色まで浮かんでいる。最敬礼を崩さない部下に、「うみの隊長」はにっこりと笑いかけた。
「よくやったな。」
「はっはははいっ。」
頬をわずかに紅潮させて返事をする中忍三人にベテランの下忍二人が可笑しそうに突っ込んだ。
「出たっ、うみの隊長、必殺受付スマイルっ。」
「これにやられねぇ忍はいねぇって伝説っすからね。」
「ばかやろっ。」
笑うと途端に愛嬌のでる「うみの隊長」は、ごちんごちん、と下忍二人をこづいた。
「ヘタにつき合い長ぇとすぐつまんねぇこと人に吹き込みやがる、こいつら。」
それから、戻るぞ、と短く言い、木の葉の忍達は音もなく再び闇に消えた。
三人の中忍達は、この年の中忍試験に受かったばかりの新米だった。幾度かのBランク任務を経て、初めてチームでのAランク任務につくことになったのだ。そして、隊長としてやってきたのが、この黒髪の若い中忍、うみのイルカだった。
上忍じゃなくて大丈夫なのか。
顔合わせの当日、やってきたイルカを見て、正直な所、三人の中忍達は不安を隠しきれなかった。確かに自分達は新米だが、イルカも同じ中忍、しかも信頼出来る部下だと連れてきたのが、三十代半ばの下忍二人なのだ。
そりゃ、アカデミーの先生だし、受付にも入ってるエリートかもしれねぇけど…
アカデミーの教員資格を取るためには、かなりの前線をくぐらなければだめだときく。しかも競争率が高く、能力、人格ともバランスを要求されるので、採用されるのはほんの一握りの忍だ。そのうえ、里の中枢の受付まで担当しているとなると、中忍の中でも格が違う。だが、戦闘力、となると、やはり中忍は中忍でしかないのだ。
オレら、生きて帰れんのかよ…
三人の新米中忍は真剣にそう思った。無理もない。
『上忍クラスが一人、中忍クラス五人の抜け忍がまじった盗賊団総勢二十名を殲滅せよ。』
諜報や何かを盗み出す、もしくは暗殺ならまだしも、これは戦闘によって敵を屠る任務だ。中忍四名、下忍二名でなんとかなるものではない。三人の新米中忍は、行く先を悲観しつつ、渋々「うみのイルカ隊長」に付き従った。
ところが、である。この「うみの隊長」は実に見事な手腕で、任務を完了してしまった。新米中忍三人のうみの隊長に対する感情が、完全に尊敬へと変わったのは当然の成り行きで、それどころか、部下であるはずのベテラン下忍二人に対してまで、尊敬の念が生まれていた。今、彼らは、森の中で野営の小さな焚き火を囲んでいる。すでに里近くまで帰ってきており、火を焚いてもかまわないとの隊長判断で久しぶりに温かい食事をとった。
「まぁ、反省会ってやつかな。」
乾し飯を水に戻した粥を啜りながらイルカが言うと、下忍二人がからかうように笑った。
「もう、隊長は最近、どこ行っても『イルカ先生』っすから。」
「しっかり反省しねぇと、この先生、怖いっすよぉ。」
「だからおめぇら、うるせえんだよ。」
ことさらイルカが顔を顰めて見せても、下忍二人は笑って動じない。大好きな隊長と久しぶりに組めて彼らも嬉しいのだ。しかも、大きな任務をやり遂げた誇らしさに気分も高揚している。
「うみの隊長がアカデミー行くまでには、結構こういう任務、こなしたっすよね。」
「隊長が十八の時だったですよ。はじめて組んだスリーマンセルで霧の上忍一人しとめた任務。」
「えっ、霧の?」
一番年若い中忍が目を見開いた。霧の忍の強さは、その残忍性ととも皆熟知している。下忍の一人が煮立てた薬草茶をカップに注ぎながらしみじみとした表情になった。
「あれでオレらね、任務の下準備がどんだけ大事か、思い知ったんですよ。」
こう見えてうみの隊長、知性派だから、と言うと、こう見えてってなどう見えてんだ、とイルカが返し、下忍達はまた笑った。
「うみの隊長、黙ってると結構強面っしょ。これがねー、もう用意周到ってか、二重三重に罠しかけて相手潰すんっすよ。」
そういえば、と中忍達は今回の任務を思い返した。はじめに、その土地に潜伏している草を使って偽の情報を流し、上忍一人がアジトを留守にするよう仕向けた。三人は、はじめに手強い上忍から潰すものと思っていただけに驚いたのだが、うみの隊長は一人ずつ中忍クラスの忍を誘い出しては葬り、残った盗賊は土遁で一挙に潰した。そして、あらかじめ対上忍用に幾重にも張り巡らした罠のなかへ、隊長自らが囮になって誘い込んだのだ。結果、上忍は消し炭となって焼け野原に転がることになった。
「要はな、きちんとした情報収集と下準備、それにチームワークが大事なんだよ。そうすれば、たとえ下忍だけでも上忍クラスとやれる。」
イルカは下忍から薬草茶を渡され、目で謝意を表しながら言った。
「どうしても上忍ってのは桁外れの戦闘力を持っているからな。まともに当たって勝てる相手じゃない。だが、オレ達は忍だ。任務は競技大会じゃない。大事なのは、任務を達成して生還することだ。」
中忍達は真剣な面もちでうみの隊長の言葉に耳を傾けた。イルカは熱い茶のカップを口に持っていきながら三人を見渡した。
「これから君達が中忍として里を支えていくか、特別上忍や上忍となっていくかはオレにはわからん。ただ、覚えて置いてくれ。部下となる下忍や、上司である上忍の力を最大限に引き出す役割が中忍なんだ。情報収集と下準備はいくらやっても足りないと思ってくれ。」
こくっ、と頷く新人三人に、イルカはにこっと笑いかけた。
「今回は皆よくやってくれたよ。いい隊長になれる。」
ぱっと新米中忍達が顔を輝かせると、また下忍達が突っ込みを入れた。
「いいなぁ、イルカ先生。オレらも誉めてくださいよ〜。」
「イルカせんせ〜。」
「おまえらはあのくらい出来て当然なんだよっ、甘ったれてんな。」
「ひで〜〜。」
笑いが起こる。焚き火からぱちり、と火の粉が上がった。イルカと同世代の中忍が枝をくべながら言った。
「今日みたいな作戦でいくと、うちの里の上忍にも通用しますか?」
「まぁ、普通クラスの上忍ならやれるな。」
当然、という顔でイルカは答えた。もう一人の中忍が続いて質問する。
「普通クラスじゃないっていうと…?」
「うん、流石にアスマせんせ…猿飛上忍やマイト・ガイ上忍くらいになると、ダメだろうなぁ。」
あの人達は、もう化け物みたいに強いから、とイルカは笑った。
「いいか、敵があのクラスだな、と思ったら撤退だ。上忍を連れて出直さない限り、皆殺しになるって覚えておけよ。」
逃げる判断も隊長として大事なことだからな、と念を押す。新米達は神妙に頷いた。
「じゃあ、じゃあ、写輪眼のカカシくらいになったら…」
若い中忍が、ふと思いついたように言うと、即座に別な中忍からはたかれた。
「あほ、写輪眼のカカシって言ったらビンゴブッククラスだろうが。瞬殺だよ、瞬殺。」
「姿みた瞬間に逃げねぇと殺られるって。」
「逃げらんねぇッスよ。会っちまったら最後、もう命ないと諦めっしょね。」
ベテラン下忍に言われ、新米中忍達はぎょっとなった。うみの隊長は黙って茶を啜っている。ベテランの下忍二人は、ずいっと身を乗り出して話はじめた。
「オレらね、あの人がまだ暗部にいた頃、何度か戦場、一緒だったんスよ。」
うんうん、と中忍達も身を乗り出した。
「戦闘モードに突入した時の写輪眼のカカシってのは、桁違いってか、とにかく、側にいる暗部や上忍が赤ん坊に見えちまいますからね。」
「おいおい、赤ん坊って、そりゃ言い過ぎだろう。」
イルカが苦笑気味に窘めるが、下忍達は真顔で主張した。
「隊長は慣れすぎてるからわかんないだけっすよ。一度ガイ上忍が言ってました。カカシは根が優しいから滅多なことでキレないだけで、一度戦闘モードに入ると止められるヤツはいないって。」
「え、写輪眼のカカシって、優しい人なんですか?」
「信じらんねぇ、なんか、恐そうだけどなぁ。」
「側に寄ったらなんか殺されそうなってかさ。」
新米中忍達が口々に言うのを、ちっちっ、とベテラン下忍は指を振って止めた。
「はたけカカシは仲間思いの素晴らしい御方なんだよ、ねぇ、うみの隊長。」
ぶっ、とイルカがお茶を吹き出す。
「うわっ、きったねぇっすよ、隊長〜。」
布を差し出しながら下忍の一人が笑った。
「すっすまん。」
イルカはげほげほとむせながら、布を受け取る。首に下げたドッグタグを引っ張り出してはずすと、濡れたアンダーの下を拭いた。イルカの手に握られたドッグタグが焚き火を反射して赤く光る。その横に、銀に光るリングがついていた。
「あ、いいな〜、隊長、それ、例のプレゼントっすよね。」
もう一人の下忍がドッグタグについた銀のリングを指した。布を差し出していた下忍がやはり羨ましそうに言う。
「オレら、前線で聞きましたよ〜。隊長、誕生日プレゼントに恋人からリング贈られたって。」
「忍びだから指にはめられないけど、お互いドッグタグにつけようって言われたそうじゃないっすか。」
「おっお前ら、どっからそれ…」
あわあわと焦るイルカを下忍の一人がヒジでつついた。
「仲間内じゃみ〜んな知ってますよ。指輪にイニシャル彫ってあるんですって?」
「ええぇっ、うみの隊長、恋人いらっしゃったんですかっ。」
一番若い中忍が素っ頓狂な声を上げた。
「もう同棲して何年ですっけ?相変わらずラッブラブっすよね〜隊長っ。」
ベテラン下忍がにやにや言うと、イルカは真っ赤になった。
「うっうらやまし〜〜〜っ。」
「硬派なふりして、結構隅に置けないっすねぇ、うみの隊長っ。」
同世代だけにうらやましさが一入な新米中忍二人は目を輝かせる。
「うわ〜、恋人ってどんな方なんですか?」
わくわくしながら若い中忍が話を振った。同世代の中忍二人がのってくる。
「あ、隊長って可愛い系がタイプだと思う。」
「案外、年上綺麗どころってのも好みなんじゃないっすか〜?」
「なっなんだよお前らっ。」
うみの隊長はしかめっ面をしてみせるが、耳まで真っ赤では迫力もへったくれもない。下忍二人がぶーっと噴き出した。
「今更なに照れてんスか、隊長。」
「すーぐ誤魔化すんだからなぁ、このお人は。この際、隊長の口から本音、聞かせてもらいますよ。」
「おっお前らはあの人のこと、よく知ってるじゃねぇか。」
イルカが睨むと、下忍二人はしれっと答えた。
「オレらが知っているのは、上忍としてのあの御方のことだけで〜す。」
「えーっ、隊長の恋人って上忍なんだ。」
「それって、後学のためにも聞かせてくださいよ〜。」
新米中忍達がヤイノヤイノと騒ぎはじめた。
「いや…上忍で年上だけどな。」
イルカは観念して、真っ赤になったままもそもそと口を開く。
「その…見かけによらず可愛い人…なんだよ…」
おぉーっ、新米中忍達は声を上げた。その横で、えっ、と言ったっきり、下忍達が固まる。だが、新米中忍達は尊敬するうみの隊長の恋愛話にすっかり盛り上がっていた。
「見かけによらずって、見かけはどんな感じなんです?」
「…え、見かけか?」
わくわくと問いかける中忍達に、イルカは照れ笑いを向けた。
「素顔は綺麗な人だよ、すごく。」
恋人のことを話すのは満更でもないらしく、イルカはぽつぽつ口を開き出した。
「素顔知ってる人は少ないけどな。まぁ、綺麗な人だから、オレとしては素顔あんまりさらして欲しくないけど…」
「うぉぅっ、独占愛っ。」
「熱愛だぁ、隊長っ。」
同世代の新米中忍がのけぞった。若い中忍が目をキラキラさせながら聞く。
「でも、階級が上で気、使いませんか?」
新米中忍達はそのあたり、興味津々だ。素顔を知っている人が少ないということは、もしかしたら暗部かもしれない。彼女が格上の上忍で、しかも暗部って場合、上手くいくのだろうか。だが、うみの隊長はさらりと答えた。
「プライベートに階級、関係ないだろ。」
そして、なんとも優しい笑みを浮かべる。
「あの人、結構甘えたさんだからなぁ…」
すげぇ、うみの隊長っ。
中忍達は感心した。階級差を気にせず、格上だが甘えたがりの恋人を優しく包みこんでいるのか。さすがは隊長、男ぶりが違う。
「うひゃあ〜、一見、クールビューティな甘えたさんですかっ。」
「なんか、ツボっすねっ。」
イルカはドッグタグの脇についたリングを指で撫でながら微笑んだ。
「まぁなぁ、すぐくっつきたがるし、頭撫でてやると嬉しそうな顔するのが可愛くてなぁ。」
「おぉ〜っ。」
なんだか、うみの隊長、らぶらぶっぷりがすごいぞ、と中忍達はますます盛り上がった。
「ラブカポーじゃないですか。」
「うわ〜、案外隊長って、手ぇ繋いで歩いてたりするクチっすかっ。」
囃されて、イルカは赤くなったまま首を振った。
「いや、オレはかまわねぇんだけど、あの人、結構気を使う人でさ。オレが教師なんかやってるもんだから、外では遠慮すんだよ。」
「えぇっ。」
中忍達は一様に驚きの声を上げた。
今時珍しい話だ。恋人の職業を気遣って身を慎むなんて、なんて奥ゆかしい恋人だろう。
うみの隊長を見ると、リングを見つめ、愛おしげに目を細めている。そしてしんみりとした口調で言った。
「だからな、一緒に帰ってる時なんかに、オレから手を握るんだ。そうするといっつもあの人、一瞬驚いたような顔をしてから、いいの?って感じでこう、小首傾げんだよ。それがなんかいじらしいっていうかなぁ。」
「わっわかりますよっ。その気持ちっ。」
同世代の中忍の一人が拳を握って同意した。
「大事にしたい、って思いますよね、そんな感じだとっ。」
イルカは顔を上げ、にこっと笑った。
「そうなんだよ。オレがこの人、守ってやらないと、って気になるだろ?実力はオレなんかよりずっとすごいんだけどなぁ。」
いい話だ。
中忍達は素直に感動した。階級や忍としての力や、様々な軋轢があっただろうに、うみの隊長とその恋人は互いに大事に思い合っているのだ。
「じゃあ、今回の任務に出るって言ったら、心配なさったでしょう?」
若い中忍が聞くと、イルカは眉をハの字に下げた。
「今回だけじゃなく、毎回ひどく心配するよ。」
それからキュッと手にしたリングを握りしめる。
「だけど、あの人は知ってるから、オレが中忍として誇りをもって任務に当たってるってわかってくれているから、だから何も言わない。ただ、このリングを持っていて欲しいって、自分のかわりにオレを守るからきっと持っていて欲しいって。」
泣きそうな顔でプレゼントしてくれたんだ…
そう言ってじっとリングを握りしめた手を見つめるうみの隊長の姿に、新米中忍達は不覚にも涙が出そうになった。
自分達忍に身の安全の保証はない。今回だってこうして生きて帰れるとは思っていなかった。自分達よりずっと過酷な任務を生き抜いてきたうみの隊長やその恋人は、忍の身の儚さをいやというほどわかっているのだろう。だからこそ、形あるものに想いを託すのか。せめてその物を身につけてもらうことで、自分の想いが恋人の命を守ると、生き延びる運をひきよせるよすがとなると信じたいのだ。
「た…隊長…」
胸にこみ上げる熱いものをぐっとこらえ呼びかけると、何かを思いだしたようにふっとうみの隊長の口元が弛んだ。
「そんな覚悟決めたようなこと言ってて、あの人、やっぱり我慢できなくなるらしくってな。オレが任務完了の式を飛ばすと、必ず火影様にかけあって何か里外へ出る任務、簡単なお使いみたいな任務をもぎとるんだよ。で、任務帰りを装ってオレを待っている。」
ふふっとイルカは愛おしそうに笑った。
「オレな、毎回、そんなことしたらダメだ、ってたしなめるんだよ。そしたら、しゅん、ってなっちまって、目を伏せてごめんなさいって、そりゃあ小さな声で言うんだ。消え入りそうな声っていうのか、それがもう、なんとも儚げでなぁ、もう絶対生きて帰ってこなきゃ、って気になるんだよ。こんな寂しがりで甘えたな人置いて逝けねぇって。」
それから、顔をあげたうみの隊長は悪戯っぽい表情になった。
「まぁ、しゅんってなった顔が可愛くってさ、その顔見たさについ厳しくたしなめちまうってのもあるんだけどな。」
わりぃ、ノロケちまった、とイルカは頬を指でかいた。だが、中忍達はすっかり感動している。
うみの隊長とその恋人のあり方は、なんと素晴らしいのだろう。こんなに互いを必要とし、絆を深めあっているなんて。
ほぅっと同年代の中忍がため息をついた。
「いいですねぇ、隊長。今時いませんよ。そんな綺麗で儚げで、でもどこか可愛い恋人なんて。」
「けなげな人ですねぇ、そりゃ忍としてはるかに強いかもしれないけど、なんか守ってやりたいって思いますよ。」
しみじみともう一人の中忍も同意した。年若い中忍もうんうん、と頷いている。そう思うか?とイルカは照れくさそうに鼻の傷をかいた。
「あ、うみの隊長、鼻の下伸ばしちゃって。」
「この幸せ者〜っ。」
「ははは。」
照れ笑いするイルカに三人の中忍達は幸せ者だを連発した。まったく、けなげで儚げで可愛いクールビューティを恋人に持つ男が幸せ者でなくてなんだろう。
彼らはこの時、気づいていなかった。最初、一緒になって盛り上がっていたベテラン下忍二人が、妙に複雑な顔で押し黙っていたことを。
いや、気づいたとしても、彼らに何が想像できよう。わいわいと隊長の恋人話に花を咲かせていると、ふいにうみの隊長が顔を森の奥へ向けた。三人の中忍達もハッと表情を引き締める。
敵襲かっ。
三人の中忍が動く前に、うみの隊長が立ち上がった。木立の奥の暗がりをじっと見つめる。ざぁっと木の葉が鳴った。新米中忍達は、合図とともにすぐ動けるよう手にクナイを忍ばせ足にチャクラを込める。うみの隊長が一歩、木立に向かって足を踏み出した。
「カカシさん。」
……?
新米中忍達は怪訝な顔でうみの隊長を見た。だが、隊長はじっと暗がりを見つめたまま、また呼びかける。
「そんなところにいないで、カカシさん。」
カカシさん?
新米中忍達は戸惑ったままうみの隊長が見つめている方向に目をこらした。気配もなにもない。ただ、深い闇が広がるばかりだ。
うみの隊長?と呼びかけようとしたとき、ふぅっと闇が揺れた。白い人影が音もなく現れる。ぎくり、と身を固くした新米中忍達は、だがすぐに安堵した。現れた人影は、木の葉の額あてと忍服を身につけている。伝令だろうか、と身構えをとくと、人影はゆっくりと近づいてきた。
えっ。
そして別な意味で新米中忍達は再び身を固くする。白銀の髪、ななめにかけた額あて、黒い口布…
えぇぇっ、
それはまぎれもなく里随一の忍と謳われるはたけカカシだった。
写輪眼のカカシだーーっ。
なんで、どーしてこんなところに写輪眼のカカシが、てか、本物だよ、こんな近くで初めて見たよー。
ある意味、敵襲よりも緊張して新米中忍達は敬礼の姿勢を取った。はたけカカシは猫背気味の姿勢でゆっくりと歩み寄ってくる。背筋をピンと伸ばして立っている新米中忍達の方へ顔を向け、にこり、と目を細めた。
「休んでたのにごめんね、オレも丁度任務帰りで、邪魔しちゃったかな。」
「いえ、とんでもないですっ。」
「任務、ご苦労様です、はたけ上忍っ。」
声をかけられ、中忍達は慌てて返事をした。緊張で声がひっくり返っている。一番若い中忍は反応できず口をパクパクさせた。はたけカカシはもう一度にこり、と笑うと、隣でやはり立ち上がって敬礼するベテラン下忍二人に手を上げて挨拶した。
「や、久しぶり。なに、半年も外に出ずっぱりだったそうじゃない。帰って早々、また任務で御苦労だったね。」
「お久しぶりです、はたけ上忍。」
「はたけ上忍もおかわりなく。」
「ん、たまには顔見せてよ。」
「はっ。」
ベテラン下忍達も流石に最敬礼だ。だが、どことなく親しげな雰囲気に、やっぱ一緒の任務やってたって言うから違うな〜、と新米中忍達は羨望の眼差しを向ける。
あれ?てことは、この下忍達の上官だったうみの隊長も写輪眼のカカシと顔見知りなんだろうか。
新米中忍達はうみの隊長の方へ顔を向けた。そしてぎょっとする。うみの隊長は立ち上がっていたが、敬礼どころか、腰に手をあてはたけカカシを恐い顔で見据えているではないか。
ひぇーーーーっ。
新米中忍達はざっと青ざめた。
うみの隊長、写輪眼のカカシに喧嘩売る気っすかーーっ。
二人の間に何があったかは知らない。だが、これはまずいだろう。相手は上忍、しかも里随一と言われている有名な忍だ。無礼だと瞬殺されても文句は言えない。
新米中忍達はあわあわと狼狽えた。だが、どうしたらいいのか見当もつかない。はたけカカシは仁王立ちしているうみの隊長のそばまで来ると、ぴたりと足を止めた。はたけカカシの銀の髪に焚き火の炎が赤い影をおとしている。うみの隊長は相変わらず腰に手をあてたままだ。
ヤバイッ、うみの隊長を止めなければっ。
不敬罪に問われるならばまだましだ。このままではうみの隊長、写輪眼のカカシに処刑されてしまう。
新米中忍三人は隊長を止めようと縺れるように一歩踏み出した。
「うみの隊長っ。」
「カカシさん、だめだって言ったじゃないですか。」
はひ?
新米中忍達が動くのと、うみのイルカが口を開いたのは同時だった。見るとうみの隊長は相変わらず恐い顔で里の誉れを睨んでいる。写輪眼のカカシはガシガシと頭をかいた。
「あ〜、やっぱバレてます?」
「なにがやっぱり、ですか。」
うみの隊長はは〜っとため息をつくと、額を押さえた。
「カカシさん、オレ、そんなに信用ありませんか?」
「えっ?や、ちっ違います、イルカ先生っ。」
はたけカカシはぶんぶんと胸の前で手を振った。傍目にもわかるほどの狼狽えぶりだ。
「あなたの実力はよく知ってるし、信用もしてます。ホントですって。今回だって絶対大丈夫だって。」
写輪眼のカカシは必死で言い訳をはじめた。
「けど、だって、任務って何が起こるかわからないじゃないですか。任務は成功しても、帰りにタチの悪いのが襲ってきた困るでしょ、ほら、チャクラとかなくなってるし疲れてるし…」
手をバタバタさせて必死で言い訳する写輪眼のカカシの前で、うみの隊長はむぅっと口をへの字に曲げたままだ。ぽかん、と新米中忍達はその光景を眺めた。
「それに、今度のは新米連れての賊の殲滅だって火影様が言うから、あなたのことだし、ヘタに新米庇ったりしたらどうしようとか…」
だんだんはたけカカシの声が小さくなる。そのうち、しゅん、と項垂れて目を伏せた。
「………ごめんなさい、イルカせんせ…」
小さな小さな声だった。
……あれ?
新米中忍達は妙な既視感を覚える。
なんか、これと同じこと、たった今聞いたような…
いや、しかし、それはうみの隊長の、けなげで綺麗で儚げな恋人の話じゃなかったろうか。目の前にはしゅん、となった写輪眼のカカシがいる。だが、いくら項垂れていても、身長が180を超す鍛え抜かれた男を儚げ、とはけして言わない。ましてや相手は写輪眼のカカシ、守ってください、とお願いはしても、こっちが守ってやりたいなどと誰が思うだろう、思えるわけがない。
いや、だから、儚げで守ってやりたいのはうみの隊長の綺麗な恋人の話であって、写輪眼のカカシのことでは…
「しょうがないなぁ、カカシさんは。」
うみの隊長がにこっと笑った。ぽんぽん、と写輪眼の頭を撫でる。その目は、「結構あの人は甘えたさんなんだよ。」と恋人のことを話した時の目だ。新米中忍達はたらり、と汗が背を伝うのを感じた。
まさか、いや、しかし、でも…
ぐるぐると思考が回っている新米中忍達の前で、うみの隊長は写輪眼のカカシの手を取りきゅっと握った。
「オレはアンタを置いてなんか逝きませんよ。ね、カカシさん。」
はたけカカシは嬉しそうに笑い、それからハッと周りを気にするような顔をして、イルカに向かって小首を傾げた。そう、小首を傾げた。確か、うみの隊長のけなげで綺麗で儚げな恋人も、手を握られると小首を傾げて…
「あれ、マジで可愛いっておもってんだろうな、うみの隊長…」
いつのまにか側にたったベテラン下忍二人が、ぽつっと呟いた。声もなく驚く中忍達に、ベテラン下忍は小さく囁く。
「仲間内じゃ結構有名なんスよ、あの二人のこと。」
「いや〜、だけど、ホントだったんだなぁ、あのバカップルぶり。」
目の前の光景に妙に納得している下忍達の横で、新米中忍達はあんぐりと口を開けたまま硬直した。
うみの隊長の恋人って写輪眼のカカシのことなのかーーーっ。
あらゆる意味の衝撃が中忍達の脳を直撃した。
あの写輪眼のカカシが恋人なのか、いやそれよりも、儚げとか可愛いとか言ってなかったか、うみの隊長はっ。もしかしてうみの隊長にはあの鍛えられた肉体がマジ儚げに見えているのかっ。
「…か…可愛い…」
小首を傾げる姿がいじらしい、とか言っていた。確かに、隊長のことを慮んばかる心根はいじらしいかもしれないが、だが、しかし、いじらしいって…
「うみの隊長、根っから子供好きでさ、前、一緒に飲んだ時、写輪眼のカカシのこと、子供みたいで可愛いってノロケたことあったんスよ。そんときゃオレら、あんまマジにとってなかったんだけど…」
「本音だったんだなぁ…」
中忍達はもう真っ白だ。思考が停止したまま、ぼぅっと目の前の二人を眺めた。二人は手を握りあって、あなたのくれたリングがオレに力をくれました、だの、嬉しいです、イルカ先生、だのと睦言を囁きあっている。ベテラン下忍がしみじみと言った。
「なんか、はたけ上忍のこと、マジで儚げだって思ってる隊長って、わっけわかんねぇってか、オレらもつき合い長いけど、これだけはぜっんぜんわかんねぇな…」
そりゃあそうだ、自分達だってうみの隊長の話を聞いて、線の細い美女を想像していた。
「だって、見ろよ、はたけ上忍の太股、すげぇ筋肉、蹴られたら一発であの世行きって思うだろ。あれで何で儚げって思うかなぁ…」
そのたくましいはたけ上忍の太股に、うみの隊長はさりげなく手を置いて撫でている。なんだか力の抜けた中忍達は、焚き火の前に腰を下ろし、ずずっと冷めてしまった薬草茶を啜った。出立は明朝、ベテラン下忍の一人がはたけ上忍とうみの隊長に、見張りの順番を申し出ている。あの雰囲気の二人に声をかけられるあたりが、流石つき合いが長いというべきか。見張りの順番を申し立てにいった下忍が中忍達の側に腰を下ろした。
「え〜っと、隊長とはたけ上忍は積もる話があられるようで、一晩中起きていらっしゃるということだから、ここはお言葉に甘えてオレ達は休むとしましょうか。」
積もる話って、たしか任務に出て一週間だよな…
確かに、知る人ぞ知るバカップルというのは本当なのだろう。だが、小さな焚き火を囲んでのごろ寝だ。至近距離でいちゃいちゃされて、寝られるのだろうか。
いや、寝なきゃ…
新米中忍達はちらり、とうみの隊長を盗み見て、瞬時に悟った。恋人を見つめるうみの隊長の眼差しは、砂糖菓子のように甘くとろけている。うみの隊長の中では、確かに写輪眼のカカシは『儚げで可愛い』のに違いない。そして、だからこそ隊長は何が何でも生きて帰ろうとするのだろう。それはちょっと羨ましい。
恋人、欲しいなぁ…
ぽつっと聞こえた呟きは、誰が漏らしたものだったか。その時、愛を囁きあう二人の声が耳に入った。
「はやく帰ってあなたを抱きたいよ、イルカ先生。」
「カカシさん、明日はオレを離さないで。」
…………うっそぉぉぉぉっ。
あの男らしいうみの隊長が抱かれる側ーーーっ?
あ、でも、あんなたくましい上忍が抱かれるのも想像できないーーーーっ。
「ふふ、イルカせんせ、可愛い…」
「あなたの方こそ、ですよ。オレの可愛い人。」
もうなにがなんやらわっけわかんねぇーーーっ。
つき合いの長いというベテラン下忍二人も、新米中忍も、焚き火の横で目を白黒させるばかりで、当然出立まで一睡も出来なかった。
後日、この五人は、「可愛い」「儚い」という単語を正確に認識するのに非常な困難をきたしたとか。ただ、どういうわけか、結婚願望が強くなり、一年後にはめでたく皆、伴侶を得た。うみの隊長とその恋人が結婚式に駆けつけ、心からのプレゼントを贈ったのはいうまでもない。 |