はたけカカシが六代目火影となって数年が過ぎていた。
頭脳派と言われる当代は戦後処理と称して五影会談を開き、それぞれ忍びの里の完全な自治権を勝ち取り里運営に国が口を挟めない体制を整えた。国の思惑に左右されないとなると選択肢が増える。里周辺の土地も戦後の混乱に乗じてあっさり里所有にしてしまうと、今度は大胆な里の改革に手をつけた。任務で外貨を稼ぐだけの里運営を改め、忍びの技を特殊技術としていかした技術立国を目指すというものだ。だから城壁外の広い土地が必要だった。着手したばかりの計画は年寄りたちの反発やら里をコントロールしたい国の思惑やらが入り乱れて前途多難だが、戦後のどさくさが幸いして今のところ上手く運んでいる。この一年で着実に人や物の出入りが増え、城壁の周囲に新しい街ができ始めた。もともと自由な気風の木の葉の里だが今ではより開放的だ。ただし、自由な人の行き来が出来るようになっただけ、厳重に管理、秘匿される区域を六代目は設けた。それは里人はもちろん、普通の忍び達には知らされていない。御意見番ら里の重鎮と言われる年寄り達にも情報を開示しない区域で、里の重要事項はこれまで以上に厳重に管理されるようになった。世の中の血なまぐさい闇がなくなることはないと当代はよく知っていた。綺麗事が必要であるように、闇を御する血塗れた手も必要だとその二つを使い分けることのできる火影だった。のほほんとどこか抜けた顔に騙されて謀略を仕掛けた者達は、火影の奥に隠された冷徹さを思い知らされる。たった数年で裏の世界では六代目はこう呼ばれた。
銀の冷血と。
「お離しください」
王宮から貴賓館へいたる冬枯れた庭の小道の先からなにやら争う声が聞こえた。午前の執務を終え貴賓館に出向く途中だった私は思わず従者と顔を見合わせる。こんな王宮のど真ん中でいったい何事だ。
「そうつれなくせんでもよかろう。お互い大人だ。息抜きも必要だろう?」
「おっしゃる意味がわかりかねます」
「よく言う。三十すぎた男のセリフとは思えんね」
「その三十過ぎた男に息抜きをお求めになるそちらの神経こそ疑いますが」
「キツイねぇ。それがまたそそるんだがな、うみの補佐官殿」
うみの補佐官?
ぎょっとした。我が国には各国の大使館が存在するが、特に重要な案件を携えた使者には貴賓館に滞在していただいている。うみの補佐官といえば火の国から自治権を勝ち取り今や飛ぶ鳥を落とす勢いの木の葉の里からの使者だ。そんな重要人物に、しかも王宮内で絡む輩がいるとは由々しきこと、ヘタをすれば外交問題に発展してしまう。従者を連れ私は声の方へ急いだ。
小道を曲がると黒髪を頭のてっぺんで一つくくりにした男が掴まれた腕を振りほどこうとしているのが見えた。木の葉の火影補佐官、うみのイルカ殿だ。うみの殿は木の葉の中忍、鍛えられた体をしており背も高い。だが、うみの殿の腕を掴んでいる男はさらに一回り大きかった。百九十センチを超える身長でがっちりした体躯に緋色の長衣をまとっている。
「なにをしているのだ、彩牙」
うみの補佐官の腕を掴んでいたのはわが綾の国の抱える隠れ里、彩の里の上忍、等々力彩牙だった。
「補佐官の腕を離せ。大事な客人に無礼であろう」
「これはこれは、王弟殿下」
ぱっと腕を離した彩牙はバンザイの格好をした。
「ちょっとした冗談ですよ」
にやりと嫌な笑い方をする。私は知らず眉を寄せた。
等々力彩牙は彩の里長の長男で年は三十、次期里長と目されている男だ。雷を操りその実力は雷影に並ぶという。大きな空色の目が印象的な男くさい美丈夫で、長い銀髪を項で一つくくりにしている。鮮やかな緋色の髪紐とやはり緋色の足首まであるかっちりとした長衣がトレードマークの、忍びでありながら派手な男だ。
しかし、私はあまり好きではなかった。傲慢さが鼻につくというか、とにかく嫌な感じの男なのだ。私は彩牙を睨んだ。
「彩牙、そなたの任務は何だ。王宮の警護であろう。任務を果たせぬというなら彩の里に戻るがよい。交替人員はこちらから要請しておく」
「そんなピリピリしないでくださいよ、殿下」
ふん、と彩牙は小さく鼻を鳴らした。
「お互い忍者同士、情報交換してただけなんですがね」
慇懃無礼とはこういう態度をいうのだろう。彩牙はヒラヒラと片手を振った。
「では任務に戻ります、王弟殿下」
ぽん、と煙があがって彩牙の姿は消えた。忍術というのはまったく、我らには理解しがたい世界だ。
「お見苦しいところを、王弟殿下」
彩牙の消えた宙を睨んでいると補佐官の声がした。私はハッとなった。黒髪の補佐官が申し訳無さそうな顔で佇んでいる。
「いや、こちらこそ不快な思いをさせてしまった。申し訳ない」
頭を下げればうみの補佐官は大慌てで手を振った。
「殿下、恐れ多いことです。頭をお上げください」
同じ忍びでありながらうみの補佐官が非常に礼儀正しい好人物だ。年は私と同じで二十九、六代目火影補佐官に任ぜられる前は受付と忍者アカデミーの教師を兼任していたのだという。補佐官の任についている今でも教鞭をとっているというから、優秀なのだ。だが本人は微塵も驕ったところがなく謙虚で、あの彩牙とは真反対の性格だ。今も王弟である私に一生懸命礼を尽くそうとしている。それが上辺だけの礼ではなく、誠意がこもっているので好感が持てるのだ。それゆえ余計に彩牙の態度には腹が立つ。
「王宮内でありながら情けない限りだ。兄上に警備体制の見直しを言上しておこう」
「いえ、あまり大事にはなさいませんよう」
そう言って補佐官は困ったように鼻の上の傷を指でかいた。忍びらしくうみの補佐官の顔には大きな傷がある。鼻の上を真一文字に横切る傷だ。だが、補佐官の人柄のせいか、傷があっても恐ろしい印象はない。それどころか、照れたり困ったときに指で傷をかく仕草はどこか可愛らしくある。どちらかと言えば男らしい顔立ちの補佐官に可愛いといっては失礼かもしれないが、表情の豊かなこの人は時折ひどく幼く可愛らしい顔をする。いや、本当にがっちりとしたたくましい忍びであるのだが。
「そうだ。そなたにこの書類を預かってきた。火影殿がこちらへ到着してから正式な条約を取り結ぶことになろう」
私は兄上である国王から預かった書類を補佐官に渡した。
「確認印をついたらまたこちらへまわしてくれ」
「承知いたしました」
補佐官は書類を懐に仕舞うと深々と頭を下げた。
「滞り無くことが運びましたのも王弟殿下のおかげでございます」
今度は私が手を振る番だった。
「頭をあげられよ、補佐官殿。木の葉との繋がりが深くなるのはこちらとしてもありがたい。私の肩の荷もこれでおりた」
補佐官は頭をあげるとニカ、と笑った。実にいい笑顔だ。
「ここは寒い。どうかな、条約締結の下準備が終わった祝に王宮にて昼食をとらぬか?」
「ありがとうございます。是非に」
我々は連れ立って小道を王宮の方へと引き返した。
「補佐官殿がこちらへ参られてどのくらいになられるか?」
「丁度一ヶ月になります、殿下」
補佐官はけして私の横に並ぶことをしない。必ず一歩下がった位置にいる。なかなかに細やかな心遣いの出来る男だと思う。
「年明けすぐから大変であったな。補佐官殿は常に薄着だがこちらの冬は木の葉よりも暖かいか?」
私は分厚い外套を羽織っているのだがうみの補佐官は紺色薄手の上下に深緑のベストしか身につけていない。なんでも「忍服」は見た目よりも体温調節に優れているそうなのだがそれにしても薄着だ。寒くはないのだろうか。
「そうですね。こちらの冬は暖かいです。木の葉の冬は雪が多いですし」
「雪でも忍びの方々はその格好であるのか?寒くはないのか?」
「戦闘時はこれですがさすがに移動する時はマントを着用します。私は里内の通勤にマフラーやコートを使いますね。なんというか、任務時は切り替わるんです、色々な感覚が」
「忍びとは不思議な方々だな」
思わずそう言えばうみの補佐官はアハハと笑い声をあげた。
「訓練されているだけで何も変わりませんよ」
まったく、うみの補佐官は屈託がない。だからこそかえって難しい交渉事に向いているのかもしれないが。
今回の条約も色々とすり合わせが大変だった。我が国の特産は多種多様な薬草類だ。農園ごと契約したいというのが木の葉の要求だった。常に一定の価格での引取を保証するかわりに品質と量を保持すること、その中でも木の葉のみが知る特殊な薬草に関しては秘密裏に栽培して欲しいというものだ。相場に左右されずに一定の収入が見込めるのは魅力的な提案だった。ただ、その価格のラインをどこにもっていくかが難しい。結局、木の葉の希望が優先される形になったが、それは国王である兄上の要望を木の葉が飲んだから実現したのだ。
「補佐官殿、陛下がお望みになられた歯科医とは薬草価格を譲歩するほどに優れた者であるのか?」
そう、兄上は火影付きの歯科医の定期的な診療をお望みになられたのだ。
「マウリッツィオ・マーリオ・マッリーニ様のことですね」
黒髪の補佐官は重々しく頷いた。
「あの方は天才です。世界広しといえどかわりになるような忍歯科医は他にはおりますまい。ただ…」
「ただ?」
むむぅ、と補佐官が唸った。
「その、非常に個性的な方なので、驚かれるのではないかと…」
「驚くほど個性的なのか?」
「そりゃもう、オレ…私も初めてお会いした時は度肝を抜かれたともうしますか…」
礼儀正しい補佐官がうっかり一人称を言い間違えるほど個性的な歯科医らしい。ふぅむ、と私も唸った。
「火影殿と一緒に来られるとか」
「えぇ、明日にも到着されるはずです」
王宮に入り女官に昼の支度をいいつけ私は補佐官を庭に面した部屋へ案内した。大きな窓の連なる明るい部屋で窓際にロココ調のテーブルと椅子がある。暖かい季節ならばテラスにテーブルを出しているのだが、さすがに今は閉めきっている。
「仕事も一段落したことであるし、今日はゆっくり出来るのであろう?」
「はい。六代目様がいらっしゃるとまた忙しくなりますが」
「ならば木の葉の里のことを色々と聞かせてくれ」
椅子をすすめ私はベルを鳴らした。
「食前酒はドライシェリーでよいか?」
「はい、ありがとうございます」
控えめでありながら遠慮しすぎず自然体な補佐官と話をするのは楽しかった。
この明るい笑顔の持ち主が近々いなくなるのかと思うと胸の中にぽかりと穴が空くような寂しさが襲ってくる。この一ヶ月、うみの補佐官と接するうちに、彼を大事な友と感じているのかもしれない。
にこにこと木の葉の里の話をするうみの補佐官を眺めながら、彼を綾の国にとどめおくことは出来ぬものかと思い始めていた。
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