スイカ上忍試し読み

 

 

 スイカ上忍

 

 はたけカカシはスイカが好きだった。

 だから夏が好きだ。夏に里へ帰るのが好きだ。そして、今年の夏はいつでもスイカが買える、食べられる。なんたって暗部をやめて里常駐の上忍師になったのだから。

 カカシは今日もスイカを買った。朝市で買って待機所の冷蔵庫に入れておけば、任務が終わった頃食べごろに冷えている。スイカを買って待機所で冷やし夕方持って帰る、それがここ最近の習慣だ。仲間達はそんなカカシをかわっているという。夕方、冷蔵庫からスイカを出して帰ろうとしたカカシにヒゲの友人が呆れ顔で言った。

「お前ぇも毎日毎日飽きねぇもんだな」
 煙草を燻らしスイカを指差す。
「そんな毎日、腹ぁ壊れねぇか?」
「可哀想に。カカシっておいしいもの、スイカしか知らないのね」
 黒髪のくノ一が本気で憐れみの目を向けてきた。

「ほっといてよ」
 ふん、とカカシはスイカを抱え直した。丸いスイカはすっぽり腕に収まって、掌がひんやりすべすべする。帰ったらすぐこの冷えたスイカを切って食べよう、そう思ったらもう嬉しくて、一人でニコニコしていると仲間達がまた妙な視線を向けてきた。

「ねぇカカシ、そんな大きなスイカ、あんた一人でどうやって食べてんの」
 女ってのはどうしてこう、どうでもいいことにまで好奇心向けてくるのだろう。だが黙っていたら余計にうるさくなりそうだ。
「そんなの、帰ってすぐと朝夕飯の時食べたらあっという間だぁよ?」
 えええっ、と周囲から声があがった。
「そんなに?」
「そう」
「もしかして一日で半分とか?」
「そうなるね」
 黒髪のくノ一だけでなく周りも五月蝿くなってきたのでカカシはとっとと退散した。ホント、人のことなんてほっといてほしい。



 建物の外に出ると地面の熱気がむわりと顔にあたった。陽が落ちても気温は下がらない。今夜も熱帯夜だ。

 夕飯、たまにはカレーにしよっかなぁ

 赤く染まった入道雲の向こう、澄んだ青水色の空を見上げてカカシはしみじみ幸福をかみしめる。
こうやって身の危険を感じることなく、まともな食事をきまった時間にとることが出来る、夕食のメニューみたいにたわいないことを考えられる、それだけでカカシの心は満たされた。
同僚達はそんなカカシを寂しい奴だと笑うけど、安心して飯が食え、眠ることの出来る生活はとても素晴らしい。そしてこの夏はスイカまで食べ放題だ 。

 そりゃあ一緒にスイカを食べてくれる人がいればもっといいのだろうけど、カカシのこの幸福感をわかってくれる人なんてそうそういるとも思えない。大人はスイカで大喜びしないのだ。スイカで飛び跳ねたのはナルトくらいか。
「でも流石のアイツも毎日じゃ嫌がるだろうねぇ」
 ナルトのしかめっ面が想像出来てカカシはふふ、と笑いを零した。


 自分のスイカ好きが並ではないことくらいカカシだってわかっている。でもしょうがないのだ。カカシはあのときから生きていることを実感出来るようになったのだから。

 あれはいくつの時だったろう、親友を失い師を亡くし、最後に残った大事な女の子も死なせてしまった。カカシは独りぼっちになった。独りぼっちのカカシは、ただ任務をやるしかなかった。ひたすら任務に明け暮れる日々、食べ物は砂を噛むようで、世界は灰色だった。
 カカシは里へ帰らなくなった。常に外地に身を置きそこで任務を受けた。戦争と九尾の災厄で疲弊していた木の葉にとって、黙々と任務をこなすカカシは都合がよかった。里の重鎮達は使い勝手のいい道具としてカカシを重宝した。
 ただ、火影だけは里への帰還を五月蝿いほど促し、たまにどうしても必要なものをとりに里へ立ち寄るカカシを引き止めた。
『おぬしは死にたいのか?』
 火影は度々カカシを諭した。
『飯は食わねばならん。温かい飯を食え』
 そういって屋敷で食事をとらせた。だが、火影の心づくしの食卓もカカシにとっては単なる体力維持のため、エネルギー補給にしかすぎなかった。

 別にカカシとて死にたいわけではない。動けば腹も減るし疲れれば眠る。だから任地では鳥や獣を狩り野草を食べて体を維持した。食物を調達できない時には木の根を齧り泥水をすすって生き延びた。
 単にカカシは生きていた。そして命じられたことをこなしていく。そこには喜びもないかわりに悲しみもなかった。

 カカシには何もなかった。





 九尾の災厄後の木の葉で難しい任務をこなせる忍びは限られていたため、カカシのこなす任務は最難度のものばかりだった。そうやって難し任務をこなしていけば自然と名が売れてくる。次第にカカシは任務に関係なく狙われることが多くなっていった。

 同じ名が売れている忍びでもベテランはあまり狙われない。長く生き延びた忍びの老獪さがいかにやっかいか、襲う方もよくわかっているのだ。売れはじめが一番危ない。若さは勢いもあるがつけいる隙もうむ。うんざりするほどの襲撃をことごとく打ち払えば、また名があがり襲撃が増える。
カカシはただ戦った。たった一人で戦い続けた。なんのために戦い続けるのか、カカシ自身よくわからなくなっていた。



 暑い夏の日だった。
雨の少ないその地方には真夏の陽射しを遮る木陰はほとんどなく、乾いた草原にはところどころ、灌木が茂っているだけだ。カカシは任務を終えくたくたになっていた。とりあえず近くの運河を目指す。まずは水の確保だ。
 ところがその途中、十人ほどの集団に襲われた。慣れない土地で疲れ果てているカカシなら殺れると踏んだのだろう、中忍に毛が生えたレベルでありながら写輪眼の首を取りにきた。
 その連中は運がなかった。普段のカカシならば殺すまでもないと、ひとまとめに括って放置しただろう。だがこの時、カカシの状態はギリギリだった。余力のない格上の忍びを襲うとどうなるか、襲った忍び達は己の命で思い知ることになる。一瞬で首を掻き切られた。倒れ伏した忍び達の血を乾いた大地が吸った。カラカラの大地に沁みた血はあっというまに茶色く固まる。クナイを下げたままカカシはぼんやりとそれを眺めた。喉が乾いていた。暑さと乾きで全身が悲鳴をあげている。カカシは歩き出した。頭の中は空だった。ただ、体は苦しい状態を脱しようと動き出す。カカシは一歩一歩、水のある方角へ足を運んだ。


 

 草原を渡り小高い丘を越えると彼方に運河が見えた。水面が陽射しをはじいて眩しい。丘のゆるやかな斜面へ足を踏み出したカカシは、そのとき初めて、足下に大きな深緑の丸が転がっているのに気がついた。一面、大きな深緑の丸い果物がが地面を這う葉っぱの間にゴロゴロしている。緑の表面は照りつける太陽の光をつやつやとはじいていた。

 カカシは震える手を伸ばした。足下に転がる大きな緑をかぎ爪で割る。パッと水が飛んだ。はじけるように赤い中身が顔を出す。スイカだった。いつも見かけるシマシマ模様はないが、深緑の丸はスイカだった。カカシは更にそれを半分に割る。さっくり割れた赤い実からぽたぽた果汁が滴り落ちた。夢中でかぶりついた。口の中いっぱいに水気と甘さが満ちた。スイカの汁が喉を滑り落ちる。体中、隅々までスイカの水気と甘みがしみていく。その場に座り込んでカカシはひたすらスイカを食った。割ったスイカの大きなかけらに顔を突っ込んで汁を啜った。

 ふと我に帰った時には、顔も手も暗部服のプロテクターまでスイカの汁でベトベトで、大きなスイカ丸々一個をたいらげていた。
カカシはホッと息をついた。へたりこんだままぼんやりとあたりをみやった。陽光が眩しい。抜けるような青い空にもくもくとした白い雲が輝いている。脇に転がっているスイカをもう一つ、かぎ爪で割った。熟れたスイカは少し爪を入れただけではじけるように割れる。一口齧った。さっくりした果肉から甘い汁が滴り落ちる。

「旨い…」

 呟く声は掠れていた。食べ物が旨いと思えたのはどれくらいぶりだろう。スイカを頬張り、水気の多い果肉の感触と甘さをしみじみと味わう。一息ついてカカシはゆっくりとスイカを食べた。乾いた大地の先には鮮やかな夏空、キラキラと運河の水面が煌めいている。広がる緑のスイカ畑、割ったスイカのみずみずしい赤、ふいに胸の奥から何かがこみ上げてきた。

 旨い、そして美しい。

 単純な二つの思い、しかしなんて強くカカシの奥底を揺さぶるのだろう。カカシはスイカを食べた。しゃりしゃりとした果肉と溢れる甘い水。
「旨い」
 今度は己に聞かせるようはっきりと言う。カカシの右目から一筋、涙が流れていた。





 任務の後、カカシは里へ帰還した。ずっと帰還を促していた三代目火影はことのほか喜んだ。夕食を馳走するという三代目の申し出に素直に頷けば老翁はまた喜んだ。ずっと心配されていたのだとカカシは胸を温めた。
 三代目との夕食はやはり旨かった。老翁の慈愛のこもった眼差しを感じた。火影宅を辞する時、飯、旨かったですと礼を言う。
「そうか、飯が旨かったか」
 老翁は頷いた。カカシの肩に手を置き微笑んだ。
「生きておればこそ飯も旨い、のうカカシ」
 老翁は何度も頷きカカシの肩を叩いた。
「はい」
 そうだ、生きているからこそ飯も旨ければ風景を美しいと思うことも出来る。
「はい、そう思います、三代目」
 自然と言葉が出た。カカシは久しぶりに心から笑った。

 カカシの自宅は長い留守でほったらかしだった。埃臭かったが眠気が勝った。明日は掃除をして買い物に行こう。そう決めてカカシはベッドに横になった。埃だらけの部屋の中、訪れた眠りは穏やかなものだった。
以来、カカシはきちんと里に帰り、飯を食い、綺麗に掃除した部屋で眠る。単独任務もあるが、チームを率いて任務にあたる事が多くなった。

 スイカを旨いを思った日からカカシの心は大きく変わった。「生きておればこそ」という三代目の言葉が変化した心持ちに形をくれた。カカシはしみじみと三代目の言葉を噛み締める。飯が旨いのが嬉しい。空や木々が美しいと思えることが嬉しい。それもこれも、己が生きているからこそ感じられるのだ。
 心の底からカカシは笑えるようになった。気がつくとカカシのまわりには、たくさんの仲間や友人がいた。もうカカシは独りぼっちではなかった。




 カカシにとって、だからスイカは特別な食べ物だ。暑くなると無性に食べたくなる。
 あの時のスイカは冷えてはいなかったし種類も違ったが素晴らしく旨かった。里に帰って、見慣れたシマシマ模様のスイカもやはり旨かった。
 スイカを食べている時に感じる幸せは、子供の頃の嬉しかったり楽しかったりした感情の記憶が蘇るのに似ている。どこか切なくて、でもとても幸福な気持ちだ。ただ、こういうものはなかなか説明できるものではないし、理解もされない。カカシはそれをよくわかっているから、仲間にからかわれたら「スイカはオレの大好物なぁの」とだけこたえている。
 でもいつか…
 最近カカシはふと思う事がある。
 いつか、同じ心持ちでスイカ食べてくれる人がいたらいいなぁ…
 いや、同じ心持ちでなくてもいいのだ。カカシが感じている気持ちを少しでいいからわかってくれる人がいたらいい。そういう人と一緒に食べたら、スイカはもっと旨いだろう。
「って、コレっていわゆる結婚願望?」
 独り言におかしくなった。三代目あたりが聞いたら大喜びで見合い写真を揃えてきそうだ。
 カカシはスイカを抱え直す。夕暮れ時でも蒸し暑い。スイカがぬるくなる前に帰らないと。
 受付棟から近道してアカデミーの裏庭に出るが、なんだかもう我慢がきかない。瞬身を使ってしまえ。
「帰ったらカレーとスイカ」
 浮き浮きとカカシは瞬身の印を切った。ぽん、と煙があがりカカシは自宅に移動する。
 さて、カレー作りながら早速スイカだ。
 決めた夕食のメニューにわくわくしていたカカシは、だから気がつかなかった。アカデミー裏口から丁度出てきた中忍がぽかんとカカシの消えた場所を眺めていたことを。
「……カレーとスイカ?」
 黒髪を頭のてっぺんで一つ括りにした若い中忍教師はカカシの独り言を繰り返した。中忍試験推薦の時、とんでもなく怖い顔で自分を叱りつけた上忍が、スイカ抱えてあんな嬉しそうな顔しているなんて。
「カレーとスイカかぁ」
 思わず頬が弛んだ。
「スイカ、好きなのかな…」
 だったらカカシさんはいい人だ、怒られたけど。
 無茶苦茶な論理で黒髪のアカデミー教師、うみのイルカは頷いていた。



 

スイカ上忍ちょいみせです。カレーとスイカの独り言を聞いた中忍も実はスイカ中忍だたりします。幸せで優しいお話になったような気がするんですが、ただの思い込みだったらどうしようっ(冷や汗)