木の葉の忍び達が余の護衛として宮殿に到着したのは若葉の季節であった。
世継ぎである余には敵が多い。
しかし、余は幼き頃より国を背負う者として文武にわたり最高の教育を受けてきた。
国一番の剣士を師と仰ぎ、初陣は十三、二十歳になった今では余は国軍を率い戦場を駆けている。
世継ぎでも戦場ではなんら兵士と変わらぬ暮らしだ。野営もすれば荒くれ兵士と剣を交え己の技を鍛えもする。今更忍びに身辺を守ってもらう必要などない。己の身は己で守れるし、なにより余の側には頼もしき戦士達が数多く仕えている。
だが、余の父である国王は、体調を崩されてからめっきり気が弱くなられ、この度も余を弑さんとする陰謀が発覚したとかで、急遽木の葉の忍びに護衛を依頼なされた。
皇太子は忍びの恐ろしさを知らぬ。
それが最近の父王の口癖だ。
なれど忍びとて人、我らとなにほどの違いがあろうか。少なくとも剣技を極めた余と、余を守る精鋭達にとって、他国の忍びに護衛を依頼するなど、笑止といわざるをえぬ。ただ、体調優れぬ父王の気が休まるならば、この場は大人しく護衛されるが孝行というものであろう。
それにしても興ざめだ。
あれが各国に名を馳せる木の葉の誉れ、写輪眼のカカシなのか。高名な忍びゆえ、どれほどの器量かと余は内心楽しみにしていたというに、まったく、なんなのだあの男は。
謁見の間に入ってきた木の葉の忍び達はなんとも頼りない風情というか、期待はずれな輩であった。
だらりとした猫背の男が先頭にたち、その後ろには金髪でなんとも軽佻浮薄な男が従っている。続く男達も目立たず冴えない連中ばかりだ。
余は失望した。木の葉の忍びといえばその結束力と勇猛さで有名だ。それがこんなだらけた男達だとは。
猫背の男は余と父王の正面にたつと、ぼさぼさの銀髪頭をひょこりと下げて挨拶した。
「あ〜、護衛任務につきます、はたけカカシです。」
それから眠そうな目をあげて仲間を紹介する。
「こちらがゲンマ副隊長。」
軽薄な金髪が目礼した。この男、楊枝をくわえたままだ。
「で、部下の中忍達です。え〜、君達、名乗りなさい。」
五人の冴えない男達がなにやら名乗っていたが、余はもう呆れ果てて聞いてもいなかった。
これが写輪眼のカカシ、その名前だけで敵を震え上がらせると言う忍びなのか。
顔が口布と木の葉印を縫い付けた布で隠れているのは別に問題ではない。はたけカカシほどの忍びとなれば、顔を隠すのが当然なのであろう。
しかし、この覇気のなさ、のったりとした身のこなし、とても一流の忍びとは思えぬ。
余の剣の師などのんびりくつろいでおってもその纏う空気にはどこか常人にはない鋭さが垣間見え、さすがは達人といわしめるものを持っておるというに、はたけカカシのこの体たらく、例え周囲を欺かんとするポーズであったとしても程があろう。
失望のあまり唖然と見つめていると、はたけカカシの後ろに立つゲンマとかいう男、きょろきょろと周囲を見回して見目の良い女官にウィンクなどしておる。楊枝をくわえたままといい、無礼千万な男だ。だというのに父王は満面の笑みではたけカカシ達をねぎらった。
「写輪眼のカカシ殿のご高名はかねてより耳にしておる。こたびは皇太子の護衛、よろしく頼みましたぞ。」
たかが忍びなど呼び捨てにしてよいものを、父王はどこまで気弱になっておられるのか。余は威厳を持って木の葉の忍び達を見下ろした。
「木の葉の。遠路はるばる大儀である。ただそなた達、いかに他国者といえ、王の前で楊枝なぞくわえたままとは無礼であろう。」
金髪の男がひょい、と眉をあげた。その様もなにやら人を食った態度で気に入らぬ。はたけカカシはというと、がしがし頭をかいている。
「や、これは申し訳ない。しかし、忍びの得物は様々でして、ゲンマも意味なく楊枝をくわえているわけではありません。そのあたりはご容赦いただきたい。」
なにがご容赦だ。金髪の軽薄男以上に人を食った物言いをする。余は早々に退出を命じた。まったく、忍びというのはどこまで下品で常識知らずなのであろう。ろくな連中でないことだけは確かだ。余は精鋭達を集め、こたびの護衛は当てにならぬ故、心するよう訓示を与えた。
もともと我が身は己で守るつもりであったゆえ、忍びごときが何をしようと捨て置くつもりであった。あれだけやる気のない集団ならばかえってやりやすいかもしれぬ。精鋭達と剣の修練をはじめた余の頭からはすぐに忍び達のことなど消えていた。
消えていたのだが。
まったく忍びというのは鬱陶しい。
どこに行くにも何をしておっても、必ず二人がぴったりと余の近くに張り付いてくる。最初に部下達だと紹介された、階級がたしか中とか申しておった五人の男達が交代でだ。
これが読本などであるように、眼光鋭い忍びが影に寄り添うようについておるならば余も我慢しよう。この一件が片付いた後、余は読本の主人公のごときであったなと皆で笑い合うことができる。
だが、はたけカカシの部下どもの気の抜け具合といったら、何もせず余の側にぼけっと突っ立っておる。手など後ろに組んでぽかんとしておる様など、見ているだけでイライラしてくる。
特に余をイライラさせたのは黒髪を一つ括りにした男だ。鼻の上を横切る大きな傷を持つその男は、よりによって余の小さき弟や妹達に対しにっこり笑みをみせたのだ。王族に気安く笑いかけるなぞ忍びの分際で無礼千万、だというのに余の小さき弟や妹達は妙にこの男を気に入って遊ぶ遊ぶと我が儘を言い始めた。侍女達も困惑しておる中、この男、弟や妹達を相手に遊んでやるではないか。まがりなりにも護衛任務の最中であろうに、この緊張感のなさはどうだ。今、目の前でもこの黒髪の男は草笛など作って余の弟や妹達に与えておる。
「お、だいぶ上手になられましたねぇ。若君様、じゃあ今度はこうやって吹いてみましょうか。」
「イルカイルカ、私は?」
「妹姫様もお上手ですよ。お小さいのにたいしたものです。イルカの生徒達よりもずっと筋がよろしいですよ。」
イルカというのか、この男。
余が苦りきった顔を向けても知らん顔で遊んでおる。鈍い男だ。いったい監督すべき上司である写輪眼のカカシは何をしておるのだ。
余の弟や妹達が遊びたがるせいでイルカという男、午後から夜にかけての時間帯に警護につくようになった。いったいこやつ、余の護衛をしておるのか、それとも子供と遊びにきておるのか。
交代のときの木の葉の連中にも呆れ果てる。
「よ、おつかれ。」
「おぅ、頼むな。」
にこやかに笑い合って交代する。申し送りとか必要なことがあるだろうに、連中のかわす言葉はそれだけだ。いや、イルカとやらが交代する時はさらにひどい。
「お、イルカ、モテてんなぁ。」
だの
「お前、どこ行っても教師なのな。」
だの
ただでさえぼけっとしている木の葉の忍びが更にヘナヘナになる。あまりの腑抜け具合に一度隊長であるはたけカカシを呼び出して注意した。その時の写輪眼の言い草ときたら。
「あ〜、やっぱアカデミー教師はどこいっても子供に好かれちゃうんですねぇ。イルカせん…うみの中忍は受付の華といいますか、木の葉の癒し系ですから、皆自然と声かけちゃうんですよ。」
なんなんだそれはっ。上司としての自覚の欠如も甚だしい。あまりのことに余が呆気にとられておると、それじゃ、と勝手に退出していった。去り際にぶつぶつ、これだから心配だだの帰ったらお仕置きだだの呟いておったが、余にはさっぱり理解不能であった。
その写輪眼はというと、護衛任務にきたくせに、滅多に姿を現さぬ。それは金髪の軽薄な副隊長も同じで、二人ともいったい何をしているのだと言いたい。ただ、女官達が『ゲンマ様に口説かれた』だの『はたけ様って素敵よね』だの騒いでおるところを見ると城内を動き回っておるのは確かだ。
というか、女官を口説いてまわっているのか、あの者達はーーーっ。
憤懣やるかたない余に、しかし剣技の師匠が柔らかく言った。
「皇太子様、忍びのすることなど捨て置かれませ。王になられる身が些末なことに御心を煩わせる必要はございません。御身は大局から全てを見通されればよいのです。まぁ、父王様の対応が丁寧であられるため、多少増長しておるのでしょう。そうですな、我ら近衛隊におまかせ下さい。一度仕置きいたしましょう。」
さすがは師匠だ。頼もしい。久しぶりに余は晴れ晴れとした気分で床についた。
仕置きの機会は早々に巡ってきた。我が精鋭、近衛部隊の閲兵訓練中にひょこりとはたけカカシが姿を見せたのだ。閲兵をご覧になられている父王に火急の用があったらしく、何事か耳打ちしている。そこへ我が師が声をかけた。
「写輪眼のカカシ殿。某、至らぬ身ながら恐れ多くも皇太子様より近衛隊の長を任されておる者でござる。各国に御名を轟かす貴殿にお会いできるとは光栄至極、ここは是非にも某に稽古をつけていただきたく、手合わせをお願い申し上げる。」
流石は師である。礼儀は欠かさず相手の増長を窘めるにこれ以上のよい手はない。写輪眼のカカシは眠そうな目をゆっくりと我が師に向けた。何を言われたかピンときていない様子だ。声を荒げたのは父王だった。
「無礼者がっ。」
普段、穏やかな方であられるのに、怒髪天をつかんばかりのお姿に余はいささか戸惑った。それは我が師や近衛隊の部下達も同じで、皆驚きの表情で父王を見つめる。
「何故余が木の葉の方々に依頼したと思っている。そなたらの稚戯に付き合っている暇なぞこの方にはないのだ。身の程を知れ、うつけ者めがっ。」
あまりの仰せに流石に余も黙ってはいられない。うつけ呼ばわりされたのは、我が敬愛する師であるのだ。
「父上、お怒りのわけがわかりませぬ。この者はただ、修練をつけていただきたく声をかけただけでありましょう。」
「黙れっ、そなたに何がわかるっ。」
すさまじいお怒りようだ。そこへ写輪眼のカカシが小さく耳打ちした。父王はしばらく何事か言いたげであったが、好きにせよ、と苦虫をかみつぶした顔で椅子に沈んだ。写輪眼のカカシは眠そうな目を細め、それからのっそり我が師へ向き直った。
「や〜、オレなんかじゃ剣の修練にはなりませんよ?忍術と剣では勝手が違いますし。」
銀髪をガシガシかきながらへらへら言う。まったく人を食ったその態度、腹立たしいことこの上ない。だが、我が師はにこやかに呼びかけた。
「いえいえ、某、忍術使いの方々に勝負を挑むなどそんな身の程知らずではござらぬ。ここは写輪眼のカカシ殿に甘えて、忍術は封印していただき、剣技のみの手合わせをお願いしたい。名高き写輪眼殿であられれば、さぞかし剣技もきわめておられましょう。」
「え〜っ。」
写輪眼のカカシはなんとも情けない声をあげた。
「オレ、剣は凄く苦手なんだけどなぁ。」
「ははは、ご謙遜を。」
「まいったなぁ。お手柔らかにお願いしますよ。」
のそのそと写輪眼のカカシは演習場に降りていく。忍びならサッと飛び降りるくらいの芸当はできぬものか。もう呆れを通り越して笑うしかない。我が師は写輪眼のカカシに向かって剣を放った。
「写輪眼のカカシ殿ならば真剣での立ち会いをお願いしましょう。」
「うわ〜、そりゃ怖い。」
写輪眼のカカシは肩を竦める。
「いざ、まいる。」
剣を抜き放った師から凄まじい闘気が溢れた。周囲を威圧する気、流石は我が師、国一番の剣士と謳われるだけのことはある。対して写輪眼のカカシは剣を抜いてもぼぉ、としていた。構えも何もあったものではない。
「構えられよ、写輪眼殿。」
あまりの気の抜きように我が師もいささかムッとなったらしい。大喝とともに一気に踏み込む。
「うわっ。」
写輪眼のカカシは慌ててその太刀を避けた。我が師の剣筋は鋭く、息つく間もなく写輪眼を追いつめる。
「うわうわ、危ない、危ないって。」
写輪眼のカカシは避けるのが精一杯だ。
「きぇぇぃっ。」
鋭い気合いとともに我が師が渾身の一撃を打ち込もうとした。
「待ーった、待った待った、参りました。オレの負け。」
剣を投げ捨てひょいと後ろに跳んだ写輪眼は両手を挙げて降参のポーズをとった。
「や〜、強いねぇ、流石は近衛隊長さんだ。」
負けてもヘラヘラしている。この男にはプライドというものがないのか。
「失礼つかまつった。」
我が師は剣を鞘におさめると一礼した。礼儀といい剣の腕といいまことに立派だ。
「いやいや〜、ホントお強い。たいしたもんです。」
剣を師に返しながら写輪眼はガシガシと銀髪をかいた。負けたくせにその態度、これは少々懲らしめねばならぬ。
「名高き忍びといえど一芸に秀でた者の前では形無しであるな。」
謁見台の上から余は写輪眼に呼びかけた。
「ここにいる間だけでも、そこな近衛隊長に剣技の教えを乞うたらどうかな?なればそなたの忍びとしての腕もあがるというものだ。」
その時だ。ずしり、と空気全体が重くなった。気持ちのいい風の季節だというのに、突然氷点下まで気温が下がったような、それだけじゃない、何かに圧迫されてうまく呼吸が出来ない。氷りの刃に突き刺されるような痛みと息苦しさに意識が遠くなりかける。目の端に踞る文官達や剣をささえによろめく近衛隊士達の姿が映った。いったい何が起こっているのだ。
「やめるんだ。」
厳しい声が響いた。
「やめるんだ。」
噛んで含めるようにもう一度声が響く。
あの声は写輪眼のカカシ?
その途端、すぅっと空気の重さが消えた。気を失いそうな冷気が嘘のように、頬を優しい風が撫でている。余は冷や汗を拭った。
確か写輪眼のカカシの声がしたと思ったが、当の男はのんびりとした雰囲気のままのっそり立っている。あの厳しい声は、では誰のものだったのだろうか。
ちり、と頬を刺す感じがして斜め横を見ると、護衛についている黒髪の男、イルカとか言う子供と遊んでばかりの男が凄まじい目でこちらを見ていた。思わず背筋がぞくりとする。
「うみの中忍。」
窘めるように写輪眼がイルカという男を呼んだ。黒髪の男はハッと目を瞬かせると写輪眼の方を向き、申し訳なさそうな顔で頭を下げた。それからはいつもの呑気な顔で余の傍らに立つ。余も、近衛隊士達も、いったい何が起こったのかさっぱりわからなかった。ただ、父王だけが難しい顔で席を立たれ、二度と我らの方を振り返らなかった。
下卑た笑いを浮かべた男達が周囲を取り囲んでいる。
余と我が精鋭の近衛隊士、我が師である近衛隊長は森の一角に追いつめられていた。
今更ながらに写輪眼の言葉を無視したことを後悔する。写輪眼は言った。絶対に城の外へ出るなと。今日は護衛を張り付けることが出来ないから部屋で大人しくしていて欲しいと。
いつになく厳しい顔だったが、当然余は写輪眼の言うことを聞く気はなかった。気候のいい今、青葉の森を馬で駆けようと思っていたのだ。
近衛隊を連れて城の外へ出ようとすると何かにはじかれて隊士の数人が気を失った。我が師によるとこれは忍びが使う結界術というものらしい。城の出入り口に窓、全てに結界が張られているらしい。だが、余は子供の頃、城の奥深くにある抜け道を探しあてていた。この抜け道は築城当時のものらしく、皆に忘れられていて、父王の知るところですらなかった。木の葉の忍び達は父王からこの城について話を聞いているはずで、ならばその抜け道には結界なるものは張られていないはずだ。余の読みはあたり、近衛隊ごと我らはまんまと抜け出した。
そしてこの体たらくである。我ながら情けない。どこの忍びかはわからないが、木の葉とは違う形の紋章をつけた布を巻き、男達はじりじりと我らを城から遠くに追いつめる。まるで獲物をいたぶるような追いつめ様だ。
そう、連中は余を殺そうと思えばすぐにでも殺せるのだろう。ただ遊んでいるのだ。そう思うと屈辱に身が震える。それは我が師も同じ思いを抱いたらしく、余を庇うように仁王立ちすると大音声を上げた。
「口惜しや忍びどもめら。剣術だけならば我ら、ひけをとらぬものを、卑怯者めらがっ。」
この挑発に忍びどもが乗ってくるとは思えぬが、僅かなりとも活路を開こうというのであろう。意外にも、忍び達は表情を変えた。一様に驚きを浮かべ、その後、嘲笑を漏らす。中心にいた背の高い忍び、こやつがリーダーであろう、頬に大きな刀傷を持ち頭をそりあげた忍びがすらりと刀を引き抜いた。
「おもしれぇ、試してみるか。」
それからふん、と鼻を鳴らす。
「心配しねぇでもここじゃオレらも忍術は使えねぇよ。」
忍術が使えない?忍者の強みは忍術ではないのか。いったいどういうつもりだ。
怪訝に思ったのがわかったのだろう。くくく、とリーダー格の忍びが笑った。
「解せねぇって顔だな。まぁ、そりゃそうだろうよ。ここはな、もともとお前らをエサに写輪眼のカカシを殺るための結界だからな。」
我が師が眉をひそめる。
「うぬら、皇太子様のお命を狙っておったのではないか?」
「そーだよ、そこの皇太子のお命が欲しくて参上つかまつってんですよ?」
馬鹿にしたように横に控えた痩せた忍びが笑った。
「木の葉の連中を片付けちまえば、お前ら全員殺るくれぇ、たやすいもんだ。」
その男が言い放つと、周囲を囲む忍び達がどっと笑った。
「城にゃ女子供もいるんだろ?お楽しみはゆっくり味わいてぇじゃねぇか。あぁ、安心しな。皇太子様と父王様はお楽しみの後ちゃんと殺してやるからよ。まぁ、そのためには邪魔な写輪眼をどうにかしねぇとな。」
なんという、この連中、余を弑するだけでなく、そのような狼藉を働くつもりであったとは。痩せた男がケケケ、と黄色い歯をみせた。
「頭はな、ビンゴブックに載る忍びじゃあるんだが、忍術デパートみてぇな写輪眼相手じゃやっぱ分が悪ぃや。あの化け物相手に出来んのは五影クラスになっちまうからな。で、オレらは考えたわけよ。」
とんとん、と茶色いぼさぼさ頭を叩く。
「チャクラを練れねぇ結界内に誘い込みゃ、こっちのもんだってな。奴の剣術がたいしたことねぇってのはわかってるからよ。」
余はギクリとした。もしかしたらこの連中、我が師と写輪眼の手合わせを見ていたのだろうか。だとしたらそれは余の咎だ。余のつまらぬ腹立ちのせいで、写輪眼殿の弱点を敵に知らせてしまったことになる。我が師も思い至ったのであろう。ぶるぶると拳を奮わせた。
「写輪眼殿と相対する前に我と勝負せよ。近衛隊っ。」
鋭い檄を飛ばす。
「敵は忍術を使えぬ。ならば我らに勝機あり。」
ザッと隊士達が刀を構える。当然余も名刀「清瀧」の鞘をはらった。剣術だけならば確かに我らに勝機ありだ。ところが、忍びどもはゲラゲラと可笑しそうに笑い出した。リーダー格の男なぞ、腹を抱えている。
「おい、お前ら、聞いたか。オレらに勝てる気でいやがるぜ?」
「頭ぁ、どうしてやりやしょうかね。」
ひぃひぃ腹を抱えていた男は、スッと身を起こすと残忍な笑みを浮かべた。
「ちぃっとばかし遊んでやれ。ただし殺すな。そうだなぁ、足の腱でも切って転がしとけ。写輪眼をおびき寄せるエサだ。皮でも剥いで悲鳴あげさせながらゆっくり殺すさ。」
「おっしゃ、一対一で遊んでやらぁ。」
なんたる傲慢。だが自惚れは隙を作る。この機を逃さず一気に形勢を立て直そう。余は近衛隊に目配せした。幸い、リーダー格の忍び以外は小さな刃物しか持っていない。あれで刀身の長い我らの太刀に勝てると思っているのだからどっちが目出たいやら。先手必勝、我らはどっと踏み出した。
勝負は一瞬にしてついた。何が起こったのか未だよくわからない。我らの刀はすべてはじき飛ばされ、隊士達は地面を這い呻いている。我が師も足の腱を切られ倒れ伏していた。何故だ。連中は忍術を使えないはずではなかったのか。
「おのれ、たばかったな。」
いや、きっと忍術だ。でなければ我が精鋭達が一瞬でやられるはずがない。ところが、背の高い忍びが呆れたような顔をした。
「おいおい、冗談いっちゃいけねぇぜ、若様。オレ達は体術だけしか使ってませんぜ?」
痩せた忍びが吐き捨てた。
「バッカじゃねぇの?忍び舐めんのもほどがあるってもんだ。チャクラなしでこれくらい動けなきゃ、忍者やってられませんっての。」
皇太子は忍びの恐ろしさを知らぬ
父王の言葉が蘇る。こやつら、なんたる手練、忍術なしでこの技だ。そこで余はゾッとなった。これは写輪眼のカカシを殺るための結界といった。すでに余を探してここへ入り込んでいたら、写輪眼殿は殺される。
「さぁって、じゃあ、写輪眼をおびき寄せるため、ちょいと悲鳴をあげてもらいましょうかね。」
残虐な笑みのまま、痩せた男が我が師の襟首を掴んだ。
「やっやめよっ。」
「なぁに、ちょいと背中の皮を剥ぐだけでさぁ。」
ぎらり、と刃物が陽光をはじく。
「よせっ。」
余が手を伸ばすのと血飛沫があがるのが同時だった。断末魔の絶叫が響く。
「我が師っ。」
「ふ〜、あっぶねぇ、間に合った。」
余の目の前に黒髪の男が立っていた。腕に我が師を抱えている。その足下にはさっきの痩せた忍びが首を落とされ転がっていた。
「そっそなたは…」
黒髪に鼻の上の一文字傷を持つ男はじろ、と余を睨むと、どさりと師を足下に放った。
「ったく、手間かけさせやがって。まさか抜け道あったとはな。おかげでこちとら、手筈狂って大わらわよ、このスットコドッコイ。」
「てめぇっ、木の葉のっ。」
敵の忍びが襲いかかってくるのを、イルカとかいう木の葉の忍びはあっさり返り討ちにした。そこには余の弟、妹達と遊んでいた呑気な男の面影はない。
「殺れっ。」
リーダー格の男が鋭く命じる。跳躍して襲ってくる敵を黒髪の忍びは両手に持った短い刃物と中程度の長さの刀で一閃する。
「基礎がなってねぇなぁ。アカデミーからやり直しだ。」
ふん、と口元をあげる顔はむしろ凶悪といっていいかもしれない。敵が一斉に襲ってきた。
「イルカとやら、余も助太刀を…」
「邪魔だ、すっこんでろっ。」
抱えていた我が師ごと、余は後ろに蹴り飛ばされた。鮮やかな太刀捌きで黒髪の木の葉の忍びは敵を屠っていく。この男、強い。ある程度敵を倒したところで、背の高いリーダー格の忍びが大刀を抜き放った。
「貴様、調子にのりやがって。」
すると黒髪の男は傍らの木の枝に向かって呼びかけた。
「カカシさん、さっきから見てないで手伝って下さいよ。いくら隊長だからって楽しすぎです。」
「だぁって、イルカ先生、かぁっこいいから。」
のんびりとした声が落ちてきた。ストン、と銀色の忍びが降り立つ。
「でも依頼主を蹴っ飛ばすってのはいかがなものかと思いますよ〜?」
「いいんです。アイツら、カカシさんを馬鹿にしたから。」
ぶぅ、と黒髪の男が頬をふくらませた。写輪眼のカカシは楽しげに肩を震わせている。この非常時になんて呑気な連中だ。なにより、この結界内では写輪眼のカカシは術を使えないはず。いくらあの黒髪の男が剣術に長けているからといって、敵のリーダーはビンゴブッククラスといっていなかったか。
「写輪眼殿、ここでは忍術は使えない。そなたは逃げろ。奴は…」
余の言葉は黒髪の男に遮られた。
「アイツ、強いです。オレの手にはあまりますから、後はカカシさん、よろしくお願いしましたよ。」
「りょーかい。センセは依頼人達を守ってて。」
「わかりました。」
スッと黒髪の忍びが余の前に立った。ほとんどの敵は倒れていたが、油断なく周囲を警戒している。
「イルカとやら、写輪眼殿を止めよ。奴はビンゴブッククラスの使い手だ。写輪眼殿の剣術ではとても」
「黙ってみてなさいよ、若様。」
余を斜めに見下ろし、黒髪の男は不敵に笑った。
「オレ達、木の葉の誇りであるあの人がどれほどのものか。」
敵の忍びは大刀をふりかざし凄まじい早さで写輪眼殿に肉薄している。剣圧で周囲の木々が薙ぎはらわれた。写輪眼殿がまっぷたつになる、そう思った瞬間、スッとその姿が消えた。敵の忍びは大刀を振りかぶったまま動きを止めている。その体からゆっくりと首が滑り落ちた。どぉ、と敵が地に倒れる。その後ろには返り血ひとつ浴びていない写輪眼のカカシが悠然と立っている。
「あの人は写輪眼のカカシ、死線をくぐり他国にまでその名を轟かせる忍びですよ。」
黒髪の男が誇らしげに言った。
「体術も剣術も並外れていなきゃ、生き残れるわけないじゃないですか。」
息を飲む余に男はにこり、と人好きのする笑みを向ける。
「先程は蹴飛ばしたりして申し訳ありませんでした。」
その時、空気がバリン、と割れるように震えた。
「カカシさん。」
金髪の副隊長、ゲンマとかいった軽薄な男が写輪眼のカカシの前に降り立った。他の四人の部下もその周囲に立つ。
「首尾は?」
「上々。」
金髪男が楊枝を揺らして笑った。
「黒幕もすべて始末しました。カカシさんの読みどおりです。後は…」
すっと森の向こうを指差す。
「アレだけなんスけどね。薬でちょっとイッちまってて、カカシさん、潰しちゃあいただけませんかね。」
「ちょっとちょっと、なんでオレばっかりこき使うのよ。ゲンマにだってやれるでしょ?」
「いやぁ〜。」
金髪男はニンマリとこっちを見て口元をあげた。
「カカシさんは里の顔っスからね。そいつをコケにされて、オレらもちょっと頭きてるんで。」
四人の部下達も大きく頷く。はぁ、と写輪眼はため息をついた。
「しょうがないなぁ。でもねぇ、あれはあれで敵さんたばかるのに役にたったでしょうが。」
「役に立とうがなんだろうが、頭くるもんはくるんッスよ。」
金髪男は口を歪めて楊枝を揺らす。もう一度写輪眼はため息をつくと、両手をスッと広げた。森の奥からどぉん、と何かを潰す音がする。爆音に混じってチチチ、と小鳥が鳴くような音が響き始めた。写輪眼の両手に青白い光が集まり始める。バリバリと木々をなぎ倒し、化け物が現れた。あれは人か、人であったものなのか。薬とか聞こえたが、巨大化した人型の化け物が大きく口を開け迫ってくる。大木がいとも簡単になぎ倒された。写輪眼の両手の光はもう目を開けていられない程輝きを増している。青白い光が動き、銀色が閃いた。大地を裂くような轟音が響き渡り、思わず余は目をつぶる。それは一瞬のことで、すぐに辺りは静かになった。
余はおそるおそる目を開ける。そこにはもう森はなく、ぽっかりと大きな穴が空いていた。化け物の姿は微塵もない。広がる空き地にさんさんと初夏の陽光が降り注いでいる。その中に銀色の忍びが立っていた。抜けるような青空のもと、銀色の髪を煌めかせ、はたけカカシが立っている。これが忍びか。これが写輪眼のカカシなのか。
欲しい。
突如、強烈にそう思った。かくも鮮やかな男がこの世に存在するとは。奇跡のような男は、しかし今ここに、余の目の前に存在しているのだ。この男が欲しい。
「やらねーよ。」
冷たい声がした。黒髪の男が余を見下ろしている。
「あの人はオレのもんだ。アンタがやんごとなき御方だろうが皇太子様だろうが、やらねぇよ。」
冴え冴えとした目で見下ろしてくる男からは、あのもっさりとした目立たない雰囲気は一掃されている。まるで黒曜石で出来た刃物のようだ。
仲間の忍び達がこちらへやってきた。頼むな、と一言いいおき、黒髪の男は写輪眼のカカシの側へ歩み寄っていく。煌めく銀髪の男が手を伸ばした。黒髪の男の体を囲い込む。二人の顔が重なった。余はそれをただ呆然と眺める。
青嵐。
あまりに鮮やかな彼らは余の上を吹きすぎていく青嵐だ。青々と茂り天へ伸びていたはずの木々の若葉はあっけなく散らされた。一瞬にして通り過ぎた風はもう二度と掴むことは出来ない。永久に失われた風を思い、ただ余は悄然とするばかりであった。
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