寂しんぼハニー試し読み
     
     
 





うみのイルカ、二十五歳、アカデミーの教師を天職とする熱血漢で、火影の信頼も篤く受付業務のエキスパートである。
黒髪に黒い目、背は高く体つきは引き締まった筋肉質、あか抜けてはいないもののなかなか整った顔立ちの男だ。鼻の上に一文字の大きな傷があるので黙っているとかなりな強面にみえる。だが笑った途端その傷が愛嬌にかわるのだから不思議なものだ。加えて真っすぐな気性と愛情深く誠実な人柄に人気が集まり、密かに受付の花と呼ばれていた。
ただこの男、これだけ老若男女を問わず人気がありながら恋人選びが壊滅的に下手だった。本人の好みは可愛らしい女の子であるのに、何故か恋人はすべて男でしかもろくでなしばかり、そして不幸なことにイルカは恋人にとことん尽くすタイプでもあった。






3月15日、その日、うみのイルカに特別何かがあったというわけではない。
ただ、整理し終わったばかりの書類が風でバラバラにまき散らされ同じ作業をやり直さなければならなかったとか、一枚足りずに教頭から小言をくらったけど結局それはまだ作成されていない書類だったとか、受付でポカした新人のかわりに上忍に文句言われたとか、そんなことは日常茶飯事だ。
ズボンのチャックが開いていたのを受付のマドンナ、ミヤビさんに指摘されたとか、丁度居合わせた下忍の元生徒達から先生だせぇ、と笑われたこととか、帰る時に足の小指をカウンターの角にぶつけて凄く痛かったとか、それだって全然たいしたことではない。
だからうみのイルカは、一つくくりにした黒髪を元気よく跳ねさせながらスーパーに買い物に行ったのだし、なんとなく自分ご褒美に春のイチゴケーキとやっぱりちょっとお高かったけど大粒のあまおうイチゴを買ったのだし、そのイチゴが買い物袋から転がり落ちて歩道に散らばったとか、慌てて拾おうとしたらケーキの箱が逆さまに落ちて潰れてしまったとか、そんなこと全然悲しくなんかないのであって、だって拾えたイチゴはちょっと潰れたり泥がついたりしてても洗えば食べられるし、グチャグチャに潰れてもケーキの味は変わらないし、もう全然平気の平左っていうかへっちゃらだいって胸張って家へ帰って

「遅い、どこで油売ってだんだよ」

だから帰った途端、恋人に怒鳴りつけられたからってなんてことないし

「ったく、恋人が疲れて帰ってきてやったのに、気が利かないなぁ。飯の用意くらいしとけば?」

自分だって疲れているけど上忍である恋人を優先するのは里の忍びとして当然のことだし

「え?夕べ?付き合いってわかんないかな」

それがバレンタインデーのお返しホワイドデー合コンだったとしても

「泊まる必要ってお前ね、何勘ぐってんの、みっともない」

たとえ朝帰りどころか夕方帰りだったとしても

「あのねぇ、オレは上忍なの。任務に支障が出ないよう気を使わなきゃいけないわけ。ちょっとは理解しようよ、下の者を束ねる立場の苦労っての」

その下の者を束ねるための金がイルカの財布から抜かれたものだとしても

「まぁ、中忍じゃ上忍の苦労理解するのって無理か。悪い悪い」

毎度毎度中忍をバカにするけど確かに上忍の任務は大変だからしかたがないわけで

「しかもお前、内勤だしな。毎日書類めくってりゃ銭もらえるっていいご身分だよ」

後方支援のありがたみを感じないってことはそれだけスムースに事務仕事がなされている証拠なわけで

「とにかくさっさと飯の用意しろよ。腹減ってんだからさ。毎度食べてやる人間がいるってありがたいだろ?」

大雑把な男料理を食べていただけるんだしほんとにまったくおっしゃるとおり

「あ、そうだ、ほらこれやるよ。バレンタインのお返しだ」

投げて寄越されたのはスーパー木の葉大門通り店のホワイトデー値引き黄札がついた二個入りマシュマロだけどそれはやっぱり自分のことを思い出してくれたって証拠なんだし

「お前って見かけガサツなくせ結構女々しいじゃん。そういうお返しとか欲しい人」

ぴ、と人差し指がイルカの前に突き出された。

「だろ?」

したり顔で恋人が笑う、その時、イルカの中で何かが切れた。そう、盛大な音をたててブチ切れた。


 

 


 

「うみの中忍、お迎えですよー」

懲罰房の扉が開いて拷問部所属の係官が入ってきた。

「おっはよー」

肩まであるストレートの黒髪をさらりと流した細身細面の係官の後ろから茶色いくせっ毛が覗く。アカデミー兼受付同僚鱸ヒラマサだ。

「何食ってんだよイルカ、お前、上忍に怪我させたってんで罰受けてる身だろ?一応」
「あ、ヒラマサー」

には、と笑ったイルカはくるりとした鳶色の目の友人にどんぶりを差し出した。

「お前も食う?うまいぞー」
「カツ丼かよ、食わねぇよ、っつかよく食えんな朝からカツ丼、ってなんでカツ丼だよ」
「まぁまぁ」

怒濤の突っ込みをいれるヒラマサを係官がなだめた。

「実はですね、夕べ木の葉チャンネルで『忍び刑事24時』やってたじゃないですか。うみの中忍とここで観たんですけど」

懲罰房の中で観たんかい…

そう突っ込みたかったが係官が細い目を更に細めて穏やかに笑うのでヒラマサは口を閉じる。

「取り調室のシーンがありましてね」
「そうそう、すげー強情な容疑者なんだ」

カツ丼をほおばるイルカも混じってきた。

「で、困り果てた取調官が言うんです」
「「カツ丼、食うか?」」
「ハモんなっ」

思わず突っ込んだ。えー、と二人が口を尖らす。

「取り調べの定石なのに」
「カツ丼なしじゃ話進まねぇし」
「「ねー」」
「ねー、じゃねぇっ」

ヒラマサは叫んだ。

「だいたいな、毎度毎度お前を懲罰房に迎えにくるたび思うんだがなっ、そのくつろぎまくった態度は何だ、お前、一応曲がりなりにも罰受けてんだろうがっ、っつかいつからだ、いつから懲罰房がこんな明るくてレースのカーテン揺れてる快適な部屋になったんだ?朝陽射し込んでっし、ちょっと係官殿、係官殿も拷問部の精鋭なんですよね?イルカは一応曲がりなりにもとりあえずは罪人ですよ?その罪人となれ合っていいんスか?木の葉の拷問部ってそんなでいいんスかっ」
「まぁまぁまぁまぁ」

ぜいはぁと息を切らすヒラマサの前に瀟洒なティーカップが置かれた。ふわりと紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。上物だ。

「うみの中忍の懲罰房入りはもう木の葉名物じゃないですか」

どうぞ、と椅子をすすめながら係官はどこか楽しげに言った。

「普段から皆がくそったれって思っている上忍や特上を、あ、失礼、元とはいえ恋人でしたね」

もぐもぐしているイルカがピッと親指を立て、係官はにこやかにうなずいた。

「そのくそったれを年に一回、最近じゃ年に二、三回の割合でうみの中忍がぶちのめしてくれるんです。祭り認定してもいいと私は思いますよ?」

穏やかな笑顔でさらりと毒を吐くあたり、やはり拷問部の忍びなのだ。

それともこの人の性格か?

この係官に尋問とかされたらチビるかもしれない、エラい部署に関わった己の身を顧みてしみじみしているヒラマサとは別な意味で細面の係官はしみじみ言った。

「最初にうみの中忍がここへ来たのは私が二十歳の秋でしたか、私は拷問部に配属されたばかり、うみの中忍はまだ下忍で、確か十五歳でしたよねぇ」
「え〜、もう十年になるんですか?うわ〜」

イルカが目をまんまるにする。

「そっかー、オレ、十五ん時だったのかー」
「そうですよ、上忍が下忍に、しかも十五の少年に病院送りにされたって大騒ぎになって」

懐かしそうに係官は微笑んでいるがヒラマサは知っている。あれは木の葉の里を揺るがす大事件だったことを。
当時、イルカには二十も年上の上忍の恋人がいた。両親を亡くしたイルカの寂しさにつけ込んで恋人となった上忍は粗暴で横柄な男で、下の者達の評判もすこぶる悪かったが、イルカはひたすら恋人につくしていた。ヒラマサら友人達や三代目火影が心配し、穏便に別れるよう促しても首を横に振るばかりだったイルカ、それがある日、ブチ切れた。
付き合って一年目の秋に若干十五歳の下忍であるイルカが性格が悪いとはいえベテラン上忍をたこ殴りにして全治一か月の病院送りにしたのだ。限界まで我慢を重ねたが故の爆発的戦闘能力増大だったらしい。

「研究開発部がうみの中忍の爆発力に関心を示したものだから、慌てた三代目が上下の規律を乱した咎とかの名目であなたを拷問部にかくまったのが始まりでした。あの時は本当の懲罰房でしたよね」
「そうそう、ここの地下にあるくっらーい牢屋、オレ、三代目の配慮とかわかんなかったから悔しくって一晩中わめいたっけ」
「あのままだとモルモット決定でしたからねぇ。でもあなた、あんまり騒ぐからイビキ部隊長が参ってしまって、新米だった私に話し相手になれって」
「あ〜、その節はご迷惑おかけしました。なんか話聞いてもらって落ち着けたっていうか」
「いえいえ、私はお話していて楽しかったです。その間に研究開発部を追い払ってくださったのはイビキ部隊長でしたし」
「……昔話も結構っすけどね、火影様に言われて身元引き受け人になったオレも若干十五だったんスけど」

むぅ、と眉を寄せたヒラマサに係官はにこにこと笑顔を向けた。

「あんなに華奢だったのに、この十年で大きくなりましたねぇ、お二人とも」
「たはー、照れるなぁ」
「照れてんじゃねぇよ、バカ」

向かいに座るイルカに思わず目の前のクッキーを投げつける。ぱく、と器用に食われるのがまた腹立たしい。

「十年だぞ十年、いい加減お前、学べよ」

鼻先にビシリ、と指を突き付けた。

「毎度毎度クソみたいな男に引っかかりやがって、しかも揃いも揃って上忍か特上、そいつら毎度毎度病院送りにするから騒ぎがデカくなるんだよっ」
「確かに。恋人の趣味が悪すぎですね、うみの中忍」

うんうんと係官がうなずく。

「我慢に我慢を重ねたあげくとはいえこの十年、病院送りにした恋人は今回で何人目でしたか」
「十七人目ですっ」

ヒラマサがどんとテーブルを叩いた。

「最初は一年に一人のペースだったよな、お前」
「だからはじめは風物詩と呼ばれてましたね。懲罰室がここ、部隊長の私室に変更されたのが確か三年目、イビキ部隊長が三年目の浮気ならず三回目の懲罰だってお笑いになって」
「笑いこっちゃないっすよっ」

ははは、とにこやかに笑う係官にヒラマサが頭を抱えた。

「今じゃコイツもアカデミー教師なんですから、いい加減生徒達にシメしつきませんって」
「あぁ、確かに」

係官がまたうなずく。

「今回はまた特に短かったですよね。前回の恋人をぶちのめしたのがクリスマスの後でしたし、今回は二ヶ月半?ですか?」
「そうだ、お前、前回の特上ぶんなぐったの十二月二十六日だったよな。そんであの上忍と付き合い始めたのが二十八日…」

身を乗り出したヒラマサはがしり、とイルカの胸ぐらを掴んだ。ひぃ、とイルカが首をすくめる。

「だっだって、付き合ってくれって…」
「付き合ってくれって言われたらお前は付き合うのか、っつか後先考えろよ学べよ経験からさっ」

ブンブンとイルカを揺する。テーブルのティーカップがガチャガチャ音を立てた。

「バカだろ、ほんっとバカだろお前。好きでもねぇ奴と付き合ってんじゃねーよ」
「だってだって」

イルカが悲鳴のように叫んだ。

「年の瀬独りぼっちは寂しいじゃんかよ〜〜」

がくり、とヒラマサは脱力する。イルカの胸ぐらから手を離すと椅子に沈んだ。

「うみの中忍は寂しんぼさんですからねぇ」

係官が首を振った。

「で、今回の男には何がきっかけでキレたんです?」
「え…」
「そうだよ、今回まだ二ヶ月半じゃねーか」

ヒラマサが椅子から身を起こした。年一回のペースは三年目まででそれ以降は九ヶ月だったり半年だったり四ヶ月だったり、だんだんキレるスパンが短くなっているなとは思っていたが、二ヶ月半はまた異様に短い。

「あの野郎…」

ぼそぼそとイルカは口を開いた。

「オレには白耳義国御用達菓子店バレンタイン特別限定セット用意しろって、そんでもって受付所が一番込む時間に皆の前で渡せって注文つけたくせ…」

そういえばやらされてたな、ヒラマサは思い出す。
受付業務をしている時にそんな真似はできないとこの生真面目な友人は連日夜間受付してまでバレンタインの夕刻、シフトを外れたのだ。恥ずかしいのを堪えて恋人を待ち、イルカはチョコを渡したというのに、肝心のその恋人の態度はみているこっちが気の毒に思うほどそっけなかった。あの後、もう別れちまえと友人一同が騒いだのを、あの人は恥ずかしがり屋なんだとイルカは庇った。
今思い出しても腹立たしい。ぼそぼそイルカは続けた。

「なのに自分、いろんなくノ一達からもチョコもらってて、そんで三月十四日はお返しパーティするからってオレの貯金勝手に下ろしやがって、でも一番腹立ったのはオレに…」

じわ、とイルカが涙ぐんだ。

「オレはお返し欲しがるような人だろって、黄札のマシュマロ二つ…黄札、はがしもしないで…」

だんだん声が細くなる。

「スーパー木の葉大門通り店で値引きワゴンにマシュマロ…投げられたの同じ奴で…」

箸を握りしめたままイルカはうつむく。

「…オレイチゴ買った…自分ご褒美って…なのに落っことしちゃって…潰れちゃってオレ…ケーキ落っこちて…イチゴケーキ…」
「わかった、もういいイルカ」
「うみの中忍」

ヒラマサと係官は思わず立ち上がった。ぐずぐずと鼻をすするイルカの傍らに寄り背を撫でる。

「いろんなことが積み重なってたんですね。嫌な事を思い出させました、すみません」
「悪かったよイルカ、お前、いっつも一生懸命なのにな」

こくり、とイルカはうなずいた。そしてごしごし目元をこすると顔を上げる。

「ん、もういいんだ。アイツ、ぶん殴れたし」

ニカ、と笑った。

「今まであの野郎が使った金も取り戻したし」

ヒラマサと係官は顔を見合わせ、それからまじまじとイルカを見つめる。

「……そこがお前の凄いとこだよ、イルカ」
「それでこそ木の葉名物うみのイルカです」

きょとん、とイルカは目を瞬かせる。

「いい、いい、ソレ、食っちまえ」
「そうですね。カツ丼、さめちゃいますよ」

ヒラマサと係官は椅子に戻りそれぞれのティーカップに口をつける。目の前ではイルカがまずは腹を満たす事が先決、とばかりに再びカツ丼をかきこみはじめた。

「相変わらず拷問部のお茶は旨いっすねー」
「えぇ、配属されるとまず、おいしいお茶の淹れ方を仕込まれますからね」
「このクッキーも旨いっす」
「部隊長の手作りですから」
「あ、ヒラマサ、オレにもクッキーくれ」

イルカが箸をぶんぶん振った。さっき泣いたカラスがなんとやら、ヒラマサと係官は苦笑する。

「行儀悪ぃぞイルカ」
「うみの中忍のクッキーもありますよ」

良くも悪くもうみのイルカは単純な男だった。

 
     
 

『寂しんぼハニー」冒頭部分です。今回のイルカてんてはろくでなしの恋人に尽くしまくったあげくキレる人です。そんなイルカてんてが『怪しい覆面』と出会ったら、そら恋するしかないでしょー。だってカカイルだからv