木の葉の受付に「天使」と呼ばれる男がいる。
けっして華奢というわけではない。どちらかというと背は高いしガタイもいい。顔立ちも整っているが美青年というわけではなく、鼻の上を一文字に横切る大きな傷跡まである。
無造作に黒髪を頭のてっぺんで一つ括りにしているその青年は本職はアカデミー教師であり受付はヘルプで入っているにすぎないからカウンターに座るのは午後の混み合う時間だけである。たまに午前中、授業の合間にヘルプに入ることがあり、彼から任務書を受け取ることの出来た忍びは皆からラッキーマンと呼ばれ幸運を讃えられた。
そんな天使の名はうみのイルカ、階級は中忍、今年二十三歳になる。
元々、木の葉の里の受付はレベルが高いと評判だ。
里の中枢として諸事を切り盛りする能力が高いという意味ではない。いや、もちろん、木の葉の受付職員は非常に高い能力を有しており、彼らの働きがあってこそ、里の忍び達は存分に任務を遂行することが出来るのだが、ただ、それ以上に木の葉の受付職員を有名にしているのは、その「モテっぷり」であった。
五大忍びの里の中、並ぶものなしと評される職員のモテ度の高さ、その職員たちに会うためだけに各国の大名夫人や息女、子息達が直接依頼に赴くとも言われている。
ここで一つ、明言しておきたい。
レベルが高いといっても顔立ちのことではない。
確かに職員全員の顔立ちは整った部類に入る。しかしそれは『中の上』であってけして美男美女が揃っているわけではない。だが、一度この職員達と言葉を交わすと何故か皆が虜になるのだ。まして毎日任務書を受取り報告書を提出している里の忍び達に至っては受付所職員に会いに行くために任務を遂行しているといっても過言ではない。その中でもダントツの人気を誇っているのが先にあげたうみのイルカ中忍であった。
今日もうみのイルカ中忍に一言でも声をかけてもらいたいと受付カウンターに長い列が出来ている。もちろん、両隣に座る受付職員のモテ度も非常に高いので常に人が並ぶし推しがファンクラブを作っていたりするのだが、うみのイルカ中忍は別格なのだ。
報告書を提出する時、一言二言言葉をかわし、お疲れ様でしたとにっこり笑ってもらえれば忍び達はそれだけで幸福になれた。うみのイルカ中忍は皆の天使なのだ。
ただ、ここ最近、そんなうみの中忍の周辺に微妙な変化が現れている。
なぜなら
「ね、誕生日、食事に行きましょうよ。私がごちそうするわ」
するりとうみの中忍の頬を撫でるのは閨房部隊一の美貌を謳われる鈴蘭特別上忍だ。漆黒の真っ直ぐな髪は腰までありボン・キュッ・ボンな肢体と知的でありながらどこか妖艶な瞳を持つ美女はさくらんぼのような艶やかな唇を半開きにしてうみのイルカを誘っていた。
「やめたまえよ君。受付で不躾じゃないか」
それを遮るのは里一番の美青年と言われる夕霧特別上忍だ。鳶色の切れ長な目に紅茶色の髪は柔らかで、スッと通った鼻筋と形のいい薄い唇の美しい顔をしている。美しいだけではなく剣技においては月光ハヤテと並び立つと称される実力者だ。
「うみの君、迷惑でなければ君の誕生日を祝わせてもらいたいな」
ニコ、と笑えばどことなくあどけない雰囲気が漂う。
「いや、うみの、オレと飲みに行こうぜ」
ずい、と進み出たのは野性的なマッチョイケメン、神代上忍だ。最近封切られたアクション映画アベ◯ジャーズの雷を操るマッチョキャラによく似ているとも評判の金髪碧眼の男だった。もちろん、見た目だけではなく体術を得意とする剛の者だ。
そう、うみのイルカ中忍の誕生日は五月二十六日、その日まで一ヶ月を切った今、我こそはと思う者たちが恋人候補として名乗りをあげている。
これまでうみの中忍に恋人がいたことはない。現在ももちろんフリーである。
今までは気を配ってやらなければならない生徒が二人もいるという理由で告白を全て断っていた。その教え子、うずまきナルトとうちはサスケが去年の春、めでたく下忍となり上忍師の元についたため、ならば恋人にと名乗りを上げる者が増えたのだ。
そしてここ最近は誕生日をきっかけにしようと告白合戦が続いている。
今日も里でトップクラスのモテる美男美女イケメンの三人が競ってイルカを口説いていた。
「ありがとうございます。私みたいな者の誕生日を覚えていてくださったなんて、本当にうれしいです」
だが、うみのイルカは穏やかに微笑むばかりだ。
「そんな、どなたかお一人となんて恐れ多いです。お気持ちだけで私は十分ですから」
綺麗な微笑み、だが確固として揺るがぬ笑みでもあった。普通の者達ならばここで引き下がる。だが、さすがはトップクラスのモテ度を誇る美男美女マッチョイケメン、今日は引き下がらなかった。
「じゃあ何か欲しい物ないかしら」
「そうだ、プレゼントさせてくれないか?」
「遠慮なく言え。どんなものでもお前のためなら手に入れよう」
「そんな…」
ふっとうみのイルカは目を伏せた。
「そんな申し訳ないこと出来ませんよ」
どこか憂いを含んだ表情、それから顔をあげふわりと笑った。
「でも、ありがとうございます。そのお気持ち、とってもうれしいです」
パァァァ、と受付中に何かが鳴り響いた。天使のラッパもかくやという神々しい音が確かに皆の耳に聞こえた。そして皆にむけられた笑顔は花が綻ぶよう。あちこちではぅ、だのぐはっ、だのと呻きにも似た声があがった。真っ赤な顔でヘナヘナとへたり込む忍び、倒れ伏す者までいる。笑顔を向けられた美男美女マッチョイケメンもどこかぼぅっと忘我の表情のままだ。
これが、この笑顔こそが彼をして受付天使と言わしめるスーパーエンジェルスマイルである。このスーパーエンジェルスマイルが発動されると居合わせた者は皆、ただただ、ぽぅっとその笑顔に見惚れるばかりで動けなくなるのだ。
「では、次の方、報告書をどうぞ」
その間にうみのイルカは事務仕事に戻っていた。列に並んでいた忍びがハッと我に返っておずおずと報告書を差し出す。頬が赤くなっているのも無理はない。
またガラリと受付所のドアが開かれた。突然、ズシリと空気が重くなる。冴え冴えとした冷気を纏い、銀髪の忍びがのっそりと入ってきた。背は高いが猫背気味でポケットに手を突っ込んでいる。鼻の上まで黒い口布をして左目には額当てを巻いているので露わになっているのは右目だけ、なんとも薄気味悪い男だ。
「はたけカカシだ」
「はたけ上忍」
「写輪眼のカカシだぞ」
周囲の忍び達から恐怖の眼差しを向けられているその銀髪はゆっくりと受付カウンターに歩み寄ってきた。自然と人波が割れ銀髪の男の前に道が出来る。
「…はたけ上忍」
うみのイルカがその男の名を呼んだ。
「おっお疲れ様です、はたけカカシ上忍」
はたけカカシ、元暗部の凄腕上忍、去年からナルト、サスケ、サクラの七班を担当している上忍師でもある。当然、アカデミー教師であるイルカとは顔見知りだ。そのはたけカカシはイルカの前に立つとぬっと手を差し出した。
「これ、あげます」
黒革の手甲をした手の平にのっているのはゴツゴツした灰色の石ころだ。ところどころ、透明な緑色がのぞいているが、とにかくゴルフボール大の石ころだった。
「えっと…」
戸惑うイルカに向かって更に手を突き出す。
「あげます」
「………あっありがとうございます」
気圧されたようにうみのイルカはその石を受け取った。ふっとはたけカカシの濃紺の瞳が満足気に細められる。そのまま銀髪の上忍は背を向けて受付所を出ていった。
すぅっと冷気が去り重苦しかった空気がもとに戻る。はぁ、と忍び達は息をついた。件の三人もほっと体の力を抜く。いかにトップクラスの特別上忍や上忍でもはたけカカシの持つ圧力には抗しきれないらしい。暗部の隊長を務めていただけあってはたけカカシは別格なのだ。
「ちょっと、なにアレ」
最初に声を発したのは閨房部隊のトップ、鈴蘭特別上忍だった。
「気味悪いったら」
「大丈夫かい?うみの中忍」
心配そうに問うてきたのは夕霧特別上忍だ。
「妙な奴に目をつけられたね」
「まぁ、うみのだからな。誰だって気を引きたがる」
丸太のような腕を組み神代上忍は唸った。
「だが、石ころを人に押し付けるってのはなぁ」
「ズレてるんでしょ、暗部あがりだもの」
鈴蘭は眉をひそめる。
「捨てていいんじゃないか?一応受け取って形だけの礼はつくしたんだし」
「そうだな、ゴミになるだけだしな」
「もうっ、私なら石ころなんかじゃなくてもっといいもの、プレゼントするのに」
鈴蘭がぷぅっと可愛らしい顔でふくれてみせた。
「そうだよ、うみの君、僕だってプレゼントしたいな」
「それを言うならオレこそだ。酒でも何でもやるぞ」
イルカはわずかに肩をすくめてみせた。
「教師は誰からも物を受け取っちゃいけないんです。受付職員もですけど、規約にあるので」
「あら、じゃあ石っころはいいの?」
茶目っ気たっぷりに鈴蘭が言えば周囲がどっと沸いた。
「石っころじゃな」
「受け取るしかねぇよな」
他の忍び達も笑い出す。石をポケットに入れたイルカは困ったように眉を下げた。
「事務処理を中断して申し訳ありませんでした。では、次の方、どうぞ」
さりげなく業務再開だ。美男美女マッチョイケメンの三人はまた明日、と言って帰っていった。普段モテているだけあって引き際を心得ている。他の忍び達も世間話に興じはじめた。イルカは心の中でため息をつく。交代まであと三十分、それまでの辛抱だ。
「お疲れ様でした。どうぞゆっくり休んでくださいね」
にっこりと笑顔で報告書をさばいていく。開け放した窓から春の宵の心地よい風が流れてきていた。
「おつかれ、イルカー」
受付所控室でぐたーっと机に突っ伏しているのはカウンター業務を終わらせたイルカだ。同僚にして幼馴染のヒラマサがとん、とお茶を置いてくれた。
「ヒラマサぁ」
「おう」
「オレ、受付部隊やめてぇ」
「おぅおぅ」
どすん、とイルカの横の椅子に腰を下ろすとヒラマサはずず、と茶をすすった。
「素の自分に戻りてぇ」
「そりゃオレだって同じだ」
はぁ〜、と大きなため息をつく。
「何の因果でオレら、秘密部隊に放り込まれたかなぁ」
〜中略〜
「この前はなんだったっけ」
「やっぱ石ころ。これより一回り大きかった」
「その前は確か…」
「八重桜の枝。任務先でもらったって」
イルカは眉を寄せる。
「んで、その前がキツネノボタン、合間に石っころ、んでもってスミレだったりユキヤナギだったり山吹だったり」
「はたけ上忍、何がしたいんだ?」
「わからん」
基本、受付職員は個人としてプレゼントを受け取らない。土産に食べ物や酒がきた場合は、皆でいただくと明言してカウンター後ろの箱に入れる。ひっそりと高級品が置かれることもあるが、それは事務局の方で換金して里の臨時収入になっている。だが、はたけカカシ上忍の持ってくるものはことごとく石ころだの雑草だの木の枝だのなので、事務局長がものすごーく微妙な顔して言った。
『うみの君、それは自宅に持って帰ってね』
いや、オレもいらねぇし。
どれほどイルカはそう叫びたかったことか。実際には心の中でしか叫べなかった。
基本、イルカはお人好しである。しかも根っからの教師気質、たとえそれが雑草でも受け取ったものは大事にする。なのでイルカの部屋には今、カカシから押し付けられた石ころが引き出しを一つ占拠しているし、押し花にしている雑草の花が部屋の隅で分厚さを増している。さすがに枝はどうしようもなくて枯れたら捨てているが。
「いりません、って拒否れないの?」
「無理、圧すげぇし」
「あ〜」
「片目だけどすげぇし!」
濃紺の瞳でじっと見下されるととてもじゃないが拒否など出来なかった。
「やっぱイルカのこと、好きなんじゃね?」
「いや〜、それは考えにくいっつーか」
「嫌がらせには見えねぇけど」
「でもなぁ」
イルカは首を振る。
「だってあの人、オレに言った第一声がアレだぞ?」
アンタのその笑顔、嘘くさくて嫌い。
そう、去年の春、ナルト達が世話になる上忍師の先生だし暗部あがりの怖い人だと聞いていたイルカは最大限の「スーパーエンジェルスマイル」で挨拶したのだ。そうしたらしばらくじっとイルカの顔を見つめた上忍は一言、そう言った。そして呆気に取られたイルカに背を向け立ち去ったのだ。
正直、ぞっとした。見透かされたのだと思った。以来、受付所での依頼書と報告書のやり取りだけで関わるまいと決めていたのに。
「中忍試験のときに噛み付いちゃいましたもんね、イルカ先生」
イルカは頭を抱えた。そうなのだ。ナルト達ルーキーを中忍試験に推薦したカカシに噛み付いて返り討ちにあった。
冷静になったらあれは完全にイルカが悪い。ルーキーを推薦したのはあと二人の上忍師、猿飛アスマと夕日紅も同じだったのに、自分は我を忘れてナルトのことだけに言及した。
後で三代目にこってり叱られ更に反省した。普段、孫のようにかわいがってくれる三代目だからこそ、何かやらかすと本気で怒られるから怖い。一瞬だが『アカデミーのイケメン教師にして受付天使のうみのイルカ』の仮面が外れてしまったことも怒られた。幸い、はたけカカシが相手だったので皆、そのことに気づかなかったから結果オーライなのだが。
「でもさ、はたけ上忍のプレゼントが始まったのって去年の中忍試験以降じゃね?」
ヒラマサに言われてイルカもそうなのだと思い至る。大蛇丸の襲撃があり三代目が酷い怪我を負ったせいでしばらく大忙しだった。今、初代様の孫にして三代目の直弟子、綱手姫を五代目に据えるべく使いを送っている最中だ。三代目は時折執務室に顔をだすがかなり弱っており屋敷で寝付いていることが多い。
「はたけ上忍って暗部あがりだし怖がられてるけどさ、今は上忍師やりながら三代目のサポートもやってるって」
そうなのだ。結果的に中忍試験には合格できなかったが子供達は着実に力をつけており、引き続きはたけカカシが面倒を見ている。その上で上忍としての任務をこなし三代目のサポートもやっている忙しい人が任務から帰る度にイルカの元を訪れる。そう、石ころとか雑草とか木の枝を持って。
『これ、あげます』
ただそれだけ言って帰ってしまう。
「わっけわからん」
「確かに」
「あ〜、もう帰るわ」
「オレ、今から受付」
「……友よ」
イルカはグッと友の胸に拳を当てる。
「イルカ、代わって」
「ヤダ」
とん、と胸を突けば茶髪の友人はふぅぅ〜っと大きく息をした。ベストのジッパーを胸元まで下げさらりと髪を指で流す。表情が変わった。カッコ可愛い系イケメン鱸ヒラマサの出来上がりだ。
「んじゃ行ってくる」
「おぅ」
見送るイルカも呼吸を整える。まとう空気が変わった。控室を出て帰宅する時も誰が見ているかわからない。受付天使にして黒髪イケメン教師うみのイルカは颯爽とドアを開け廊下に出た。出会い頭のくノ一にふわりと微笑み会釈をすればぽぅっとイルカを見つめている。
後で?化して一楽行こうっと
イケメンオーラ全開のままイルカは家路を辿った。
とても疲れた。
(こんな感じのオフ本です)
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