はたけカカシが六代目火影となって一年が過ぎていた。
頭脳派と言われる当代は戦後処理と称して五影会談を開き、それぞれ忍びの里の完全な自治権を勝ち取り里運営に国が口を挟めない体制を整えた。
国の思惑に左右されないとなると選択肢が増える。里周辺の土地も戦後の混乱に乗じてあっさり里所有にしてしまうと、今度は大胆な里の改革に手をつけた。任務で外貨を稼ぐだけの里運営を改め、忍びの技を特殊技術としていかした技術立国を目指すというものだ。だから城壁外の広い土地が必要だった。
着手したばかりの計画は年寄りたちの反発やら里をコントロールしたい国の思惑やらが入り乱れて前途多難だが、戦後のどさくさが幸いして今のところ上手く運んでいる。この一年で着実に人や物の出入りが増え、城壁の周囲に新しい街ができ始めた。
もともと自由な気風の木の葉の里だが今ではより開放的だ。ただし、自由な人の行き来が出来るようになっただけ、厳重に管理、秘匿される区域を六代目は設けた。それは里人はもちろん、普通の忍び達には知らされていない。御意見番ら里の重鎮と言われる年寄り達にも情報を開示しない区域で、里の重要事項はこれまで以上に厳重に管理されるようになった。
世の中の血なまぐさい闇がなくなることはないと当代はよく知っていた。綺麗事が必要であるように、闇を御する血塗れた手も必要だとその二つを使い分けることのできる火影だった。のほほんとどこか抜けた顔に騙されて謀略を仕掛けた者達は、火影の奥に隠された冷徹さを思い知らされる。たった一年で裏の世界では六代目はこう呼ばれた。
銀の冷血と。
「補佐官殿ーーーっ、うみの補佐官殿ーーっ」
吹く風が肌に心地いい五月の昼下がり、書類仕事が一段落して昼食をと食堂に向かっていたうみのイルカ補佐官の元に護衛の暗部が降り立った。
「どうしました?」
うみのイルカ補佐官はまだ新米の若い暗部に穏やかな笑みを向けた。いまだ現役のアカデミー教師でもある補佐官にとって、二十歳までのほとんどの忍びは直接の教え子である。面をかぶっていても誰なのかわかるので、思わず口元をほころばすのだ。なので慌てたり焦ったりした時にはつい生徒に戻ってしまう者が多い。この六代目護衛について日の浅い新米暗部も相当焦っているのだろう、例に漏れずうっかり元に戻ってしまった。
「先生、どうしよう、六代目が逃げた」
教え子の慌てぶりにしかしうみのイルカは教師の顔でハハハと笑った。
「そんなわけないだろう。午後から各国重臣の奥方達との茶話会があるんだからしっかり封印札で出入口は塞いだんだぞ?あれは初代様の文献にあった特殊封印だから六代目でもそうそう解除することはできんはずだ。おおかた、部屋のどこかに潜んでお前たちをからかっているのさ」
だが教え子の新米暗部はおろおろと言った。
「その封印、破っちゃったんだ、解除の術式編んでたみたいで」
「……なに?」
「だから先生、ドアの封印札が全部焼き切れていた」
「…………な…に…?」
「破るとしても封印効力の弱い窓狙うってみんな思ってたから護衛のほとんどは窓側に回ってて、そしたら正面突破っていうかドアがドカンって」
「ぬぁにぃーーっ」
うみの補佐官の空気が一変した。
「あんの野郎、この間から妙に大人しいと思ってたら解除術編んでやがったか」
ゴゴゴゴ、と音を立てて怒りのオーラが立ち上った。
「せっ先生、どうしよう。六代目が見つからなかったら茶話会が」
教え子はただおろおろとしている。うみのイルカ補佐官はその肩にぽん、と手を置いた。
「心配するな。先生が必ず捕まえてやるから。お前は他の護衛暗部を呼んできてくれ」
こくこくと新米暗部の青年は頷いた。
「第二演習場へ行くぞ。気配を消したところで奴にはバレバレだから堂々としていろ。あ、そうだ、弁当忘れるなよ」
スッとうみの補佐官は表情を厳しくした。
「プランB発動だ。オレの歩いた跡だけをたどれ。でないと死ぬぞ」
「わっわかった、先生、伝えてくる」
しゅ、と教え子はその場から消える。うみの補佐官はくるりと食堂を背にした。
「まいどまいどオレの昼飯、邪魔しやがってっ」
中忍とは思えないスピードで補佐官は走りだした。
「今日こそ目にものみせてくれるわ、覚悟しやがれーーーー」
本部棟周辺に咆哮がとどろき渡った。
うみのイルカ、頭のてっぺんで一つくくりにした黒髪と鼻の上を横切る大きな傷がトレードマークの三十路アカデミー教師、六代目火影から直々に指名された補佐官である。
指名された当初、本人は己の器ではないと固辞したのだが、アカデミー教師と兼務していた受付業務時間をそのままスライドする形でいいから是非にと乞われて補佐官の任についた。
最初は内勤中忍風情に何が出来ると侮る輩もいた。だが一年が過ぎた今、うみの補佐官の存在は実働隊筆頭のテンゾウとともに六代目体制を支える欠くべからざる柱となっている。特に仕事から逃げ出した六代目を捕獲する際には。
というより、うみの補佐官以外に六代目火影を捕まえられる者はいなかった。なにせ六代目といえばずっと一線で戦ってきた忍びだ。同僚や後輩達では歯がたたない。教え子のナルトやサスケも戦闘力の凄まじさでは六代目を凌いでいるが経験値の差か、追いかけっことなるとてんで相手にならないのだ。しかも教え子との追いかけっこは六代目も楽しいらしく、逃げるだけでなく小技を効かせてちょっかいかけるものだから始末におえない。二人の教え子は六代目捕獲にはすっかり後ろ向きだ。そんな時の最終兵器ともいうべき人物がうみの補佐官だった。
今、うみのイルカ補佐官は第二演習場の真ん中、柔らかい草の上に腰をおろしている。五月の明るい日差しの中、のんびりとした風情で、しかし大きな声で独り言を言った。
「あ〜あ、こーんないいお天気なのに、火影様どこ行っちゃったんだろう〜。一緒にお昼ごはん食べたかったのになぁ」
イルカは空を仰いだ。
「空が高いなぁ〜。気持ちいいなぁ。食堂のA定食、折り詰めにして届けてもらうんだけど、六代目様いないし、寂しいなぁ」
ざわり、と空気が揺れる感触がした。だがそれに気がつかないふりをしてイルカはさらに独り言を続ける。
「今日は奥方様達との茶話会で大変だろうからお昼ごはん一緒に食べてがんばってって言いたかったんだけど、六代目様がいないんじゃしょーがないなぁ〜」
「イルカせんせーい」
そこへ先ほどの教え子、新米暗部が弁当箱を持って走ってきた。他の護衛メンバー五人もその後に続いてくる。それぞれが手に弁当を持っていた。
「お弁当持ってきたよー」
「おぅ、ご苦労だったな」
イルカはにこにこと手を振った。
「だがなぁ、六代目様がいらっしゃらないんだ」
「ええー、そうなんですかー。僕はまたてっきり先生とお昼ご一緒されるんだとばかり思ってましたー」
わざとらしい。かぎりなくわざとらしい。だがイルカは気にもとめずにこやかに言った。
「せっかくだし、みんなで一緒に食べるか」
「はーい」
わらわらと護衛暗部がイルカを囲んで腰を下ろした。新米暗部の教え子はイルカの隣だ。
それぞれが手にした弁当を広げたその時だ。キン、と辺りが張り詰めた。さんさんと降り注ぐ五月の陽の光はそのままに大気が凍てついていく。指一本動かせない重圧の中、目だけあげれば演習場の向こうに銀髪の男が立っていた。鼻の上まで覆った黒い口布の上には冴え冴えと冷たく光る青い両眼、六代目火影、はたけカカシその人だ。白い長衣の正装ではなく通常服を身につけている。背中に「六・火」と書いてある巻物ホルダーのついていない忍服のようなものだ。六代目火影はズボンのポケットに両手を入れ飄々とした風情でこっちを見ている。だがその全身からは氷のような闘気が立ち上っていた。その場にいた暗部の誰もが座り込んだまま指一本動かせない。
「六代目」
その中ですっくと立ち上がった男がいた。補佐官うみのイルカだ。
「お探し申し上げましたよ、火影様」
いつもと変わらぬ自然な態度だ。
「封印札を破られたとか。どういうおつもりですか」
火影は何も言わない。だがまとう気がいっそう冷たくなった。殺気だけで下位の忍びくらい本当に殺せるのではないだろうか。忍び連合を率いて戦い大戦を集結に向かわせた功労者の一人である六代目火影の放つ気はそれほどまでに凄まじい。
その殺気に怯えることなく対峙する補佐官は、転生者であり強大な力を操る若き里の英雄を守り育てた男だ。二人の視線がぶつかった。一歩も引かぬ補佐官の強い視線に六代目のチャクラが膨れ上がる。パチパチと大気が帯電しはじめた。雷属性の火影のチャクラの影響だ。護衛の暗部達は固唾を呑む。
「六代目様」
補佐官の静かな声が響いた。火影の体からぶわりと青白いチャクラの柱が立ち上る。
来るっ
護衛達は身構えた。
アレが来るっ
ドドーン、という落雷とともに悲痛な叫びが響き渡った。
「ひっどーーーーいっ酷い酷い酷ーーーいっ、イルカ先生酷いですぅーーーーっ。オレのこと、札で閉じ込めて自分は若い男達はべらせてご飯だなんてーーーっ」
きぃぃーっ、と六代目は身をよじって叫んでいる。びきり、と補佐官のこめかみに青筋が立った。
「人聞きの悪いことを言うな。仕事ほっぽらかしてオレの昼飯の邪魔したのはアンタだろうがっ」
演習場に響き渡る大音声だ。
「出た。うみの補佐官の大喝」
「うわ〜、先生、全然変わってないの」
「今回は六代目、どう対抗するかな」
「だんだんスキルアップしてっから」
エホンエホンと補佐官が咳払いした。護衛の暗部達は慌ててこそこそ話をやめる。
「六代目様」
事務的な口調だ。補佐官は至極真面目な顔で言う。
「茶話会の正装、どうなさったんです?ちゃんと着替えていただいたはずですが」
「なにその他人行儀な呼び方っ」
だが補佐官の冷静さとは裏腹に火影はきぃきぃ激昂した。
「若い男に走るだけじゃ飽きたらずオレのことそんな風に呼ぶんですねっ、イルカ先生ったらどこまでも残酷な人っ」
「ですから火影様、二時から奥方様達との茶話会が」
「いやっ、カカシって呼んでっ」
「火影さ…」
「カカシって呼んでくれなきゃいやっ」
補佐官は小さくため息をついた。
「カカシさん」
きゃっ、と火影は頬を両手で包んだ。
「も一回呼んで?」
「はいはい、カカシさん」
きゃあきゃあと六代目は黄色い歓声をあげる。
「で、カカシさん、火影の正装はどうしたんです」
「脱いじゃいまーした。ビラビラしてイヤなんですもん」
「しかし茶話会にですね」
「茶話会とかヤーです。おばさんたちの相手とか疲れるし、素顔だすのヤだし」
「カカシさん、今回の茶話会の意義はですね」
「やーだよ。どうしてもってんならイルカ先生、オレを捕まえてごらーんよ?」
演習場のふちで六代目はひょいひょい飛び跳ねてみせる。うみの補佐官は頭を軽く振るとくるりと背を向けた。
「じゃあしょうがないか。六代目ほどの忍びを捕まえるなんて中忍のオレにはどだい無理だし」
「へ?」
目をぱちくりさせる火影を無視してどかりとイルカは腰をおろした。
「あ〜腹減った。とりあえず飯だ飯。お前らも弁当食うだろ?」
「「「はい、補佐官殿」」」
暗部達も箸をとった。
「先生、今日のA定食は唐揚げだよ」
イルカの隣に座る教え子の新米暗部がイルカに折り詰めを渡した。
「おー、今日のA定食はアタリだったな」
「先生って唐揚げ好きなんだ」
「肉全般を愛しとるぞ」
「ちょっちょっと、イルカ先生」
うろたえたカカシが声をあげる。
「オレ放っといていいの?茶話会大事なんでしょ?」
「でも出ないんですよね」
「う…」
さらりと返されて火影は言葉に詰まる。
「えっと、あのっ」
「お、今日はポテトサラダだ。唐揚げにはやっぱりポテトサラダだよなぁ」
「イルカ先生〜」
イルカは完全無視だ。
「そっちは何だ?今日のB定食はシュウマイかぁ」
「せんせぇ〜」
「明日はBにしてみるかな」
「イルカせんせぇぇ〜」
火影の声がいよいよ消え入りそうになった時、補佐官はくるりと振り向いた。
「カカシさんも食べます?弁当」
にっこりと笑う。
「さ、カカシさん、こっちで一緒にお弁当食べましょう」
「イッイルカ先生…」
「さぁ、カカシさん、こっちへ」
満面の笑み、カカシはふらふらと演習場の方へ一歩踏み出した。しかし、すぐにハッと我に返る。
「だだだ騙されませんよっ、そうやってオレを誘い込むつもりですねっ」
びしり、とイルカに向かって人差し指を突き出した。
「オレもバカじゃありませんっ、そう何度も同じ手に引っかかるわけないでしょっ」
「心外だなぁ」
イルカは残念そうに首を振った。
「騙すとか、よっぽどオレは信頼されてないんですね」
「あ、え…」
「寂しいですねぇ、でもしょうがないか。オレはしがない中忍ですし〜」
「そっそんなわけ、いや、そんなつもりは」
目に見えてオロオロしはじめる。そんなカカシにイルカはまたくるっと背を向けた。
「ま、いっか。腹減ってるし食べよ」
「へ?」
ガラリと態度をかえられカカシは目をぱちくりさせた。イルカはもうカカシの存在を忘れたかのように今度は教え子の弁当を覗きこんでいる。
「お、お前のはハンバーグか」
「うん、チーズいりデミソース」
「先生の唐揚げ一個やるから一口味見させてくれ」
「いいよー」
「あああーーっ」
六代目火影の悲痛な声が響いた。
「酷いっ、他の男にあーんって、あーんって」
イルカはしれっと唐揚げを箸でつまんで教え子に差し出している。
「許しませんよーーっ、オレ以外にあーんって」
血相変えた六代目がイルカに向かって突進してきた。
「他の男とイチャイチャするなんて絶対に…」
カカシの足元で爆発が起こった。
「ぎゃ〜〜」
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