お嬢火影降臨
「五代目、いつもの兵糧丸いただきたいんですが…」
医療棟の中にある綱手の研究室に白い長衣の男が入ってきた。六代目火影、はたけカカシだ。
現役時代そのままに黒い口布で鼻の上までを覆っているが額当てはなく青い両目を露わにしている。大戦の時に写輪眼は失われた。だが膨大なチャクラを食う写輪眼がなくなったおかげで、現役時代よりも個々の忍術や体術の威力やスピードが増したともっぱらの評判だ。しかも頻繁に使っていた技は体が覚えているせいか写輪眼を失くした今でも使うことができ不自由はなかった。
ただ、チャクラ切れを起こさなくなったことがかえって仇となり少々オーバーワーク気味だ。六代目火影として戦後処理を行いながら里を潤すための外貨獲得、諸国や他里との外交と心身を酷使している。そして現在、六代目治世三年目の冬、木の葉では五影会談が開かれていた。休む暇なしだ。さすがに疲れを自覚したのか珍しく自分から兵糧丸を取りに来た。
「綱手様ー?」
十畳ほどの大きさの研究室は大量の本が積み上げられた窓際の机と真ん中に置かれた長方形の大きな作業台でいっぱいだ。薬品や器具が雑然と置かれた作業台の後ろ、壁は天井まである薬棚で部屋の片隅にお茶やコーヒー、電気ポットが置かれた机がある。その向こうには書籍や書類を収納した部屋へ続くドアがあった。
「あ、カカシ先生」
そのドアが開いてピンクの髪の若いくノ一が出てきた。元七班の教え子、春野サクラだ。六代目と呼ぶとカカシが寂しがるのでいまだに呼び方を「カカシ先生」で通している。
「あれ、サックラ〜?綱手様は?」
「え、入れ違いですか?師匠、カカシ先生に新しい兵糧丸を飲ませるって出て行ったんですけど…って、先生」
パタパタとサクラが駆け寄ってきた。
「もーっ、フラフラじゃない」
「え、そう?」
「顔色悪いですっ」
カカシはガシガシ銀髪をかいた。
「や〜、さすがに疲れが取れないか。オレも年かねぇ」
「違います。先生は働き過ぎなんです」
バシンと背中を叩かれカカシはよろけた。医療忍を目指して五代目に弟子入りした元教え子は師匠ゆずりの馬鹿力だ。
「だいたい、寝ないで火の国国境往復なんてするから」
火の国国境に隣接した小さな国の里同士がトラブルになった。一触即発、あわや戦争か、という状況で木の葉の火影が直接仲裁に乗り出したのが一週間前だ。互いの里のメンツをたて争いを回避できたのはいいが、五影会談の日程が迫っていた。カカシは事後処理を事務官に任せると護衛の暗部を置き去りにして一人で走って里へ帰ってきた。
「里長のくせに護衛置いてくるって無謀すぎ」
「や、だってねぇ、アイツらの足に合わせていたら遅くなっちゃうなぁって。ほら、会談の準備しなきゃいけなかったし」
「それでもですっ。先生、ずっと働きっつめなんだから疲れたまってるでしょう?なのにこんな真冬に夜、一人で走って帰るなんて、今何月かわかってます?二月ですよ二月の半ば、一年で一番寒い時期、途中で倒れたら凍え死んじゃいます」
腰に手をあて説教モードのサクラにカカシはたじたじだ。
「わかったわかった、もう無茶しないから」
「はい嘘!」
「えええっ」
「いっつも口ばっかりなんだからーっ」
周囲の者は皆、カカシの体を心配しているが、ここまでズケズケ言えるのは恋人のイルカと五代目綱手、そして教え子のサクラだけだ。降参、とカカシは両手を上げた。
「五影会談が終わったら休むから」
「約束ですよ?約束」
ブツブツ言いながらサクラは綱手の薬品棚の鍵を開けた。火影を退いた五代目は薬や医療術の研究に勤しんでいる。年寄りをいつまでこき使う気か、と文句を言いつつも楽しんでいるようだ。シズネは医療忍を束ねる地位についているのでサクラが綱手の助手として働いていた。もちろん、医療忍としての仕事をこなしつつなのでカカシに働き過ぎだという本人も働き過ぎのきらいがある。ただ、それを言うとさらに怒られるのでカカシは黙っていた。
「えーっと、兵糧丸ですよね。新しいタイプの」
サクラは薬棚の中をがさごそやっている。
「そうそう、執務室においてあったのがきれちゃったのよ」
現役時代に使っていたものは激しい戦闘に耐えるためのもので、デスクワークの多い今のカカシには向かない。なのでコリや疲れの軽減を目的とした兵糧丸を新たに綱手が開発した。それが事務方で大人気となり、在庫の確保が追いつかない状況だ。
「珍しいですね。いつもは切れる前にイルカ先生が補充するのに」
「イルカ先生はほら、雷影が来たから隠れてるの」
「あ〜それは大変」
以前、カカシは綱手と技術研究開発部が作り上げた「OJ10」という人格が「深窓の令嬢」になってしまう薬剤を誤って飲み、『可愛らしい性格のお嬢様』化してしまったことがある。その時はドレス姿のお嬢様だった。
最初、里人、忍び達皆、身長180センチを越すたくましい『お嬢様』にドン引いたが、清純かつ可憐な言動に感化され、「カカシお嬢様」は里のアイドルになってしまった。薬が切れて我に返ったカカシの落ち込みは激しかったが、こじれていたイルカや綱手との関係が修復されて結局はめでたしめでたしだったのだ。ちなみに、その時『カカシお嬢様』の執事に徹したイルカは『黒髪執事』様とくノ一の人気を攫っていた。
ある意味成功といえる「OJ10」の成果に気を良くした綱手と技術研究開発部は里人や忍び達の要望をうけて更に開発を続け作り出したのが「OJ10改」通称『和風お嬢様錠』である。この時の『お嬢さま』は毅然とした部分が表に出て凛とたおやかな『お嬢様』になった。そして、火の国の姫君護衛だったにもかかわらず、よりによって雷影に惚れられてしまったのだ。
木の葉の里にまで求婚しにやってきた雷影を諦めさせるため、『雷切姫』は他所へ嫁ぎ、従者であり恋人の『イルカ』も姫についていったと嘘八百を並べ立てたのは綱手だ。運悪く雷影と鉢合わせしたイルカのことは、双子の兄の『オルカ』であるとごまかした。その時はすぐにイルカが里から逃げ出したので嘘がバレることはなかったが、今回は五影会談、雷影はしばらく木の葉に滞在する。顔を合わせてボロが出ると話がややこしくなりそうなのでしばらく火影屋敷にこもって仕事をすることにしたのだ。
「せっかく屋敷に先生がいるのにオレの方が体あかないなんて」
はぁ、とため息をつくカカシにサクラは吹き出した。
「先生たち、何年たっても新婚さんですよねー」
言いながらサクラは薬だなから兵糧丸と書かれた小瓶を見つけたがふと首をかしげた。
「どしたの?」
「あ、いえ、兵糧丸の小瓶が2つあるんですけど錠剤が違う形なので」
どれどれ、とカカシが手元を覗きこめば確かに兵糧丸のラベルがはった2つの小瓶に白い錠剤と薄茶色の錠剤がそれぞれ入っている。
「綱手様、新しいもの好きだからまた開発したんじゃなーいの?」
カカシは薄茶色の錠剤の瓶を取った。
「これ、見たことない色だし新しい兵糧丸なんじゃない?」
「でも…」
「どっちも兵糧丸なら問題ないでしょ」
さっさと蓋をあけするりと口布を下ろすと数粒を口に放り込む。
「あ、先生、まだ処方箋が」
「へーきへーき、栄養剤みたいなもんでしょうに」
「もぅ、相変わらずなんだからぁ」
相変わらずのマイペースで相変わらずのイケメンぶりだ。最初に会った時にはあんなに胡散臭かったのになぁと妙な感慨を抱きながらカカシの手から小瓶をとりあげた。
「後で師匠にちゃんと聞いてから届けますからそれまで勝手な飲み方しちゃダメです」
小瓶を薬棚に戻す。
「それより先生、休憩時間とれるんですか?あったかいお茶煎れましょうか?」
薬棚の鍵をかけてからお茶セットの置かれた机へ向かった。
「ほうじ茶煎れますね」
「あ〜、うん、じゃあご馳走になろうかな」
サクラは電気ポットのスイッチを入れる。
「先生、そこの椅子に座ってて」
かぽんと茶筒を開けて急須に茶葉を入れた。
「会談、もめてるんですか?毎日終わるの、遅いですけど」
「まぁねぇ、みんな里人の要望抱えてきてるから」
「先生はまた仲裁役?」
シュンシュンと湯がわき始める。
「胃が痛いって顔、してますよー」
「そぉ?」
呑気な師の声にサクラはくす、と笑った。
「雷影様って強引そうですもんねー。風影様とは話し合いできても土影様と雷影様は引かなそう」
「サクラはよく見てるねぇ」
「そりゃあ、一応私も先生の健康管理任されてるんだから注意して周囲もみてるんです」
急須に茶葉を入れ湯を注ぐとほうじ茶の香ばしい香りがたつ。
「サクラがいると心強いなぁ」
「えー、小うるさいって言いたいんじゃないですかー」
「あれ、わかった?」
「もーっ」
白磁の湯のみにお茶を注ぎながらサクラは師との軽口を嬉しいと思った。上忍師の頃から厳しくも優しい人で、折に触れこうやって甘えさせてくれる。
「お茶菓子、塩せんべいありますよ。先生は甘いの苦手ですもんね」
「甘いのって何があるの?」
「えっと、モナカでしょう?それから栗ようかんに黒糖蒸し」
菓子皿にあれこれのせながらこたえればクスクス笑う声がする。
「和菓子ばっかりですわね」
「綱手様は和菓子党なんです。私はたまにケーキとかほしいんですけど」
「おばさまらしいわ。綱手のおばさまは生クリームが苦手でいらっしゃるから」
「そうなんですよ。洋菓子の醍醐味は生クリームだと思うんですけどいっつもタルトとかで…」
「わたくしもそう思いますわ。上質な生クリームの良さを味わってこそのケーキですわよね」
「…………」
お盆に茶器をのせる手が止まる。
「あのぅ…」
ギギギ、と首を動かしてサクラは振り向いた。白い長衣を着た里の長は椅子にかけてニコニコしている。
「せっ先生…?」
「なぁに?」
ふわり、と花がほころぶように里長は微笑んだ。この柔らかな雰囲気、匂い立つ清廉な色気、よく知っている。これは、この春の光のような空気は。ざぁぁ、とサクラの顔から血の気が引いた。
「ああああのっ…」
「ねぇ、サクラさん、わたくし、何故こんな無粋な服を着ているのかしら」
銀髪の男は白い火影の正装を引っ張り困惑したように首をかしげた。
「イルカったら、今日はマダム モリノのドレスにすると言ったのにうっかりさんですわね」
小首をかしげたまま人差し指を口元に当てた。
「サクラさんまでそんな質素な服を着て、どうなさったの?」
サクラは口をパクパクしたまま動けない。カカシはにこ、と笑った。周囲に春の花々が舞い散るのが見えサクラはブンブンと頭を振った。にこにことカカシはサクラを促す。
「着替えはイルカに持ってこさせます。サクラさん、お茶いただきましょう?わたくしね、いつもは紅茶なのだけれどおばさまのところでいただくほうじ茶は大好きですのよ」
花の笑顔にイタズラっぽい色が加わる。
「おばさまの栗ようかん、わたくし達でいただいてしまいましょうか」
「つつつ綱手様ーーっ、たたたたた大変ですーーーっ」
サクラは研究室を飛び出した。えらいことになってしまった。カカシが飲んだあの小瓶の薬、あれは兵糧丸なんかじゃなくあれは
「綱手様ぁぁぁっ、イルカせんせぇ〜〜〜い」
今のサクラに出来るのは綱手とイルカをカカシの元へ連れて行くことだけだ。
「イルカせんせぇぇぇぇっ」
悲痛な叫びが本部棟にこだましていた。
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