是清万華鏡イルカお礼巡り編4その後の二人・カカ誕

 

 

(オフ本是清万華鏡イルカお礼巡り編4・カカシに三行半を突きつける編のその後の二人の話です。カカ誕)


9月15日夕方5時、夕日紅が任務から戻ると上忍待機所のソファに銀色が蹲っていた。

「ちょっとアンタ、何やってんのよ」
「……あ、紅、おかえり〜」

もさもさ、と銀髪の下から黒い口布が返事した。

「おかえりじゃないわよ。なんでまだここにいるかって聞いてんの」
「………うん」
「イルカんとこお呼ばれしてるんでしょ?」
「…………うん」
「やっとお許しが出たって浮かれてたじゃない」
「……………お許し…なのかな…」
「は?」

弱々しい声に思わず紅は銀髪の横に陣取っている男を見る。ヒゲはぷかり、とタバコの煙を吐いた。

「急に心配になってきたんだと」
「はぁ?」
「完璧なお断り宣言されるんじゃないかってな」

あ〜、と紅は額を押さえた。なんだか、有り得そうな展開なだけに否定の言葉が出ない。

このはたけカカシという男、木ノ葉の里きっての顔よし腕よしなトップ上忍である。暗部を引き、上忍師として里へ帰還した時、受け持った部下達のアカデミー時代の担任教師、うみのイルカに恋をした。ノンケのイルカを口説き落とし、仲睦まじい恋人同士となったはずであったが、それまでモテはしたが恋愛などしてこなかった男である。愛情のなんたるかをわかっていなかった。
三年目にして里外で出会った美女を本命と勘違いし囲った。なのに里内では周囲を憚らずイルカを甘やかす。口説き落とした手前イルカを捨てたら可哀想だという上から目線の勝手な言い分で里外と里内の二重生活を謳歌していたカカシはイルカの心痛には微塵も気づいていなかった。
五代目や親しい友人達がイルカの変調に気づいた頃、事件は起こった。パラレルワールド入れ替わり事件とでも言おうか、別な木ノ葉の里の、カカシよりも七才年上、三十代半ばのイルカとこの世界の二十八歳のイルカが入れ替わってしまったのだ。とんでもない事態になったが、カカシは「クール」にいつも通りの態度で接した。上手く行っていると思っていた。
だが、別世界では六代目火影となった「カカシ」と連れ添って十年、補佐官として古狸を相手に渡り合ってきた「おっさんイルカ」は桁外れだった。図太いわ図々しいわ、なのに鋭くて、結果カカシは上っ面を見抜かれあっさりと捨てられた。

そう、「捨てられた」のだ。

表向きはカカシがイルカを捨てる体裁を取ってくれたが、あれは立場を慮ってというよりはヘタにプライドを刺激してゴネられたら厄介だから、だった気がする。

捨てられて初めて気がついた。自分はイルカがいないと眠れない、飯も食えない。息すら出来ないほどイルカはなくてはならない存在だったのだ。友人のアスマや紅が散々カカシをたしなめてきたのは、このことがわかっていたからなのだろう。わからなかったのはカカシ本人だけだったのだ。

気づいた後はもうプライドも何もなかった。「おっさんイルカ」がいるうちに許してもらい、元のイルカが戻ってきた時には何事もなかったように穏やかに関係を修復したい。女との関係は解消し全力でイルカに縋った。
おっさんは厳しいが年下のカカシに甘くもある。なんとか懐に入れてもらえた。だが、おっさんは全てお見通しだった。「イルカ」との関係を続けたいなら元に戻ってから頑張るしかないと釘を刺された。

『オレのカカシさんはいい男だからなぁ』

ふふん、と鼻で笑われたが、自分だってカカシなのだ。負けはしない。
そうしておっさんは元の世界に戻り、「イルカ」が無事に帰って来た。帰って来たのだが…

「イルカがまともになって帰って来た時は安心したわぁ」
「別世界の『六代目火影様の』おかげだっつってたな」
「そうよね、別世界の『六代目火影様』に心酔しちゃってて」
「「別世界の『カカシ様』がいてくれるから一人でも大丈夫だと」」
「言うなぁぁぁぁ」

わぁ、とカカシはソファに突っ伏す。

そうなのだ。別世界の『カカシ』に心の傷を癒され生きる力を貰ったとかで、たくましくなったイルカはカカシをまだ受け入れてくれない。帰って来たその日、知らん顔で懐こうとしたら裏拳をくらった。心だけでなく忍びとしても強くなっていた。『カカシ様』直々に特訓してくれたそうだ。

「っつか、何なの別世界のオレ!オレに恨みでもあんの?」
「そりゃお前ぇに腹立てたんだろうよ、イルカを悲しませたってな」
「素敵な人らしいじゃない、別世界のアンタ」
「いや、オレだって負けないよ?ちゃんと思い知ったし反省したしマジで火影目指すし」
「でも今は大負けしてるわよね」
「してるな」

再びカカシはソファに沈んだ。
わかっている。別世界の自分に大負けしている自覚はある。この七ヶ月半、イルカの鉄壁の笑顔に撃退される度に、別世界の自分とイルカの絆を思い知らされる気分なのだ。ふぐぐ、とカカシは唸る。

「あの猫も全然味方してくれないしっ。向こうの猫の方がまだ優しかった気がするしっ」
「是清ちゃん?」
「まさかあの猫もこっちの世界にいたとはなぁ」
「私は嬉しいわ。是清ちゃんがいてくれて」

おっさんイルカにくっついていた赤ん坊サイズの子猫、実際は200才の化け猫だったのだが、入れ替わりが起こる前には存在しなかったその化け猫がこっちのイルカにもひっついていた。向こうのカカシに頼まれたとかぬかしてイルカの側を離れようとしない。その子猫がまた辛辣なのだ。なのに紅やアスマ、綱手にまで愛想を振りまいて気に入られている。甘えどころを押さえているというか、恐ろしい子猫だ。
一人でブルリ、と体を震わせているとアスマがポン、と肩をたたいてきた。

「まぁ、大丈夫じゃねぇのか?イルカの奴、誕生日プレゼント受け取ってくれたんだろ?」
「……うん」

イルカの誕生日は五月二十六日だ。確かに、受け取ってはくれた。

「赤い薔薇の花束だったわよね、確か…」
「………99本」
「そうよ、99本」

紅がピッと人差し指をたてた。

「永遠の愛、だっけ?ほら、アスマんとこの花屋の子、あの子に花言葉聞いて」
「オレとしては108本にしたかったんだけど、いきなり『結婚してください』は性急過ぎるかなって」

山中生花店にいたアスマの部下、イノをつかまえてあれこれ相談した結果、赤い99本の薔薇の花束にしたのだ。9本分価格が下がるのにもかまわず誠実なアドバイスをくれたイノに感謝している。次はまた花束買ってやろうと自然と思えるあたり、あの娘は本当の意味での商売上手なのかもしれない。

「あ〜、そういや受付所に派手な薔薇が飾ってあったな」
「アカデミーの職員室とここの待機所にもおすそわけって飾ってくれたわよ」
「五代目の執務机にもあったな」

アスマと紅が満面の笑みで言った。

「よかったわね、カカシ。受け取ってもらえて」
「有効活用されたじゃねーか、薔薇の花束」
「いっいいのっ、花束につけたスィーツ、食べてくれたからそれでいいのっ」
「職員室で皆とね」

声もなくカカシは沈んだ。要するに、個人的に受け取ってはもらえなかったのだ。

「やっぱりお断りされちゃうんだろうか…」

弱々しい声、アスマと紅は顔を見合わせる。ちょっとイジメすぎたかもしれない。

「お断りされたからって諦めるの?」

無言でフルフルと頭を横に振る。バシン、と背中を張られた。

「じゃあ覚悟決めて行ってらっしゃいな」

げし、とアスマが蹴っ飛ばしてくる。

「イルカは一年以上、辛い思い抱えてたんだ。音を上げんじゃねぇよ」

顔をあげれば昔ながらの友人二人がニッと笑った。

「「行って来い」らっしゃい」

いつもこうやって助けてくれる。胸が一杯になりながらカカシは一つ頷いた。





夜の七時、未だ残暑きびしい季節だが日が沈めば過ごしやすくなる。カカシはイルカの部屋の前に立った。このドアを勝手に開けることができなくなって久しい。素手で簡単にぶち破れるただの板一枚だというのに、閉じられたそれは絶対の拒絶の具現だ。ドアの横の小窓から暖かいオレンジ色の灯りが漏れている。夕食のいい匂いが漂っていた。
突然眩しい光が射した。

「何してるんです?」

ドアが開けられたのだ。黒髪の青年が怪訝な顔でこちらを見ている。

「えっと」

カカシは所在なげに髪をかいた。ふっと笑う気配がした。

「入ってくださいよ。誕生祝いって言ったでしょう?」

手を引かれた。ドキン、と心臓が跳ねる。イルカから触れてくれた、ただそれだけで喜びがこみ上げる。

「あの、これ…」

手ぶらでいいと言われたがそういうわけにもいかず、イルカの好きな銘柄の酒を差し出す。

「うわ、木ノ葉の誉れだ」

嬉しそうな声にホッと胸をなでおろした。

「ありがとうございます。飯の時にいただきましょう」

手を引かれたまま居間に通された。馴染み深い卓袱台の上にはカカシの好物が並んでいた。

「いいサンマがあったので塩焼きだけじゃなく刺し身も頼んだんですよ。はい、座ってください」

薄い座布団の上に座ればグラスにビールを注がれた。

「カカシさん、お誕生日おめでとうございます」
「あっありがとうござ…います…」

語尾が小さくなったのは仕方がない。なんだか、イルカの雰囲気が常になく柔らかい気がする。

「あれ…猫は…?」

カカシは居間を見回した。いつもならキーキーピーピー悪態がとんでくるのに静かだ。

「あぁ、なんかね、今夜は化け猫の集いがあるんだそうですよ」

くす、とイルカが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「カカシさん、なんだかんだで是清のこと、好きですもんね」
「いっいや、好きってわけじゃ…」

実は結構あの猫を気に入っている。おっさんイルカにくっついていた子猫をかまって以来、小さな温もりにハマった。元のイルカが帰ってきた時、子猫が肩に乗っているのに安堵した。この世界にも是清がいたのだと嬉しかった。まぁ、容赦ない物言いでグサグサ心を抉ってくる猫ではあるが。

「……可愛い…とは…思いますけど…」
「それ、好きってことですよ」

可笑しそうにイルカがまた笑う。今日のイルカはよく笑う。いや、いつも笑ってはいるのだ。ただ、普段の笑顔は鉄壁の受付スマイルで隙がない。なのに今日の笑顔はふんわりとしていて…

そうだ、付き合いはじめた頃のイルカはこんな笑顔だった…

ズキリ、と胸の奥が痛む。この笑顔を壊したのは自分だった。同時に帰る所を失った。なのにそのことに気づきもしないで…

「そんな緊張しないで足、崩してくださいよ」
「あ…」

気づけば正座した膝の上で両手を握りしめていた。イルカが眉を下げる。

「カカシさん、なんか勘違いしてませんか?」
「えっ」

思わず背筋がピンと伸びる。

勘違い?ええっ、もしかして誕生日のお祝いしてもらえるっての、勘違い?図々しくやって来てんじゃねーよ、とか?

青くなるカカシにイルカはますます眉を下げた。

「今夜はあなたの誕生日のお祝いなんだから、くつろいでくださいよ」
「おおおお祝いっ、ですかっ、絶縁宣言じゃなくてお祝いっ」
「絶縁?」
「なっなんでもないです〜〜〜っ」

あっぶな!

カカシは密かに胸をなでおろした。どうやら絶縁宣言は考えてないらしい。藪蛇になるところだった。

「カカシさん、オレと絶縁したいんですか?」
「とぉんでもないぃぃっ」
「そうですか」

疑問の方向性っ!!

なんでカカシが絶縁したいなどと思うのか。これほど任務の時以外、イルカにまとわりついているのに。

ダリダリと冷や汗まみれになっているとイルカがブハッと吹き出した。

「しょーがねぇなぁ。先に言わないとアンタ、飯も満足に食えねぇのな」

カカシはきょとんとイルカを見つめた。敬語なし、アンタ呼ばわり、なんだかあのおっさんイルカのようだ。それがちょっと嬉しい。気を許してくれているのか?
いやいや、とカカシは頭を振る。あまり期待すると落とされたときが辛さ倍増だ。ふっとイルカが笑うのをやめた。真面目な顔でじっと見つめられる。

「カカシさん」
「はっはい」

正座をしたまま、カカシはごくりと喉を鳴らした。やはりお断り宣言されるのか。

「色々考えたんですが」

がばぁ、とカカシは身を乗り出した。

「いいい色々考えなくていいですっ」

バタバタ両手を振る。

「結論、もうちょっと先延ばしでも、オレ、頑張りますからっまだまだイケますイルカ先生のこと絶対幸せにしますから、だから」
「カカシさんとのお付き合い、お受けします」
「オレ、絶対諦めませんからねっ…って…え?」
「だからね」

イルカが困ったように微笑んでいる。

「またオレの恋人になってください」

どこか呆然とカカシはイルカを見つめた。

オレノコイビトニナッテクダサイ

音だけが脳みそに響く。無機質な音は意味をなさずカカシはひたすらぐるぐると音を再生した。

コイビトニナッテクダサイ
コイビトニ

恋人に

バネ仕掛けの人形のようにカカシは飛び上がった。そのままイルカの傍らに移動する。

「せっせっせっせん…」
「はい」
「あのっあのっ」

言葉が出てこない。パクパクと陸にあげられた魚みたいに口を開け閉めしていればイルカがするりと口布を下ろしてくれた。

「息出来てます?」

コクコクとカカシは首を縦に振る。イルカはふっと目を和らげた。

「オレはねぇ、ずっとアンタのこと、好きでしたよ?」

はくっ、とカカシは息を詰めた。目の前のイルカは穏やかだ。

「出会った最初っから、アンタが女作った時も別な世界に飛ばされた時も」

わずかに小首をかしげる。

「カカシさんのことはずっと好きでしたよ」

黒い目に宿っているのは柔らかい光だ。

「クールにスカしていたあなたも、他の人が好きでオレなんか目に入ってないのに好きなふりしてくれてたあなたも」

ざぁ、と血が下る。今更ながらに過去の自分をぶん殴りたい。だがイルカの表情はどこまでも穏やかだ。

「こんな風になりふり構わず口説いてくるあなたも」

ふわりと微笑んだ。

「全部好きですよ」
「せんせ…」

ふと、イルカの目線が居間の本棚にむいた。つられるようにそこを見れば赤い薔薇のドライフラワーが一輪だけ瓶に挿してある。カカシは目を見開いた。あの赤い薔薇、もしかしてあの、誕生日に贈った薔薇なのか?いや、そんな都合のいいことは、でもドライフラワーに一輪だけなっているって…ぐるぐるしているとイルカがニコリとした。

「花束、ありがとうございました」
「え…でもあの花束…職員室とか受付とかに…」
「そりゃあ99本も薔薇を入れられる花瓶なんて持ってないですよ」

イルカは肩をすくめた。

「だから一本だけ自分用にいただきました」

そう言ってイルカはまた微笑む。涙が出そうになった。受け取ってくれていた、イルカはちゃんとカカシの薔薇を受け取ってくれた。

「オレは…」

上手く言葉が出てこない。任務ならあれほど口八丁で相手をたぶらかすのは得意だというのに、本音で話そうとすると舌がつったように動かなかった。だが、伝えなければ、イルカを失いたくないと伝えなければ。違う、失いたくない、など軽いものじゃない。カカシはイルカを失えないのだ。

「先生の側にいたいです」

口をついて出たのは幼子のように拙い言葉、イルカは黙って微笑んでいる。

「オレはダメなやつです。イルカがいないと生きられない…」
「はい」
「許してください。どうか許して…」

おずおずとカカシは指の先でイルカの手に触れた。

「オレを側においてください…」
「側におくだけでいいんですか?」

カカシは息を飲む。側にいたい。それは本音だ。だがそれだけでいいのかと己の欲を問われれば心の奥底が違うと叫ぶ。足りないとわめく。どこまでも自分は強欲だ。カカシは己自身に絶望する。だが、この期に及んで誤魔化すことは出来ない。

「……愛してください」

ぎゅっと目を閉じる。拒絶に慄きながらカカシは繰り返す。

「オレを愛して…」
「さっきから好きだって言ってるだろうが」
「いってぇっ」

ビシィっと額に衝撃がきた。

デコピンっ、っつか威力、綱手様並!

「え、あ、イイイル…」
「オレの話、聞いてました?」

ずい、とイルカが顔を近づけてきた。

「恋人にしろっつってんですよ」

目の前でイルカが明るく笑っている。受付スマイルではない。本当のイルカの笑顔だ。

「ほん…とに…?」
「ほんとに」
「こいびと…?」
「恋人です」
「イッイルカ先っぶへっ」

飛びつこうとしたら手の平で遮られた。

っつか、掌底、掌底の打撃だよねコレ。

鼻を押さえながら心の叫びをあげるカカシに頓着する様子もなく、イルカはきちんと正座した。

「ただし、一つだけ条件があります」
「はっはい」

大人しくカカシも正座し直す。せっかくイルカが恋人になってくれると言ったのだ。ワガママ通して気が変わられたらたまらない。

「あの…条件って…」

なんでしょうか、と問う声が消えそうになるのは仕方がないだろう。イルカに関してはカカシの自信はほぼゼロ、というよりマイナスだ。意志の強い目がカカシをまっすぐにとらえた。

「カカシさん、もしオレよりも好きな人が出来たら」
「そんな人は出来ないっ」

思わず声を張り上げた。思い知ったのだ、イルカがどれほど自分にとって大事なのか、なくてはならない特別なのか。だから絶対にそんなことは起こらない。だがイルカはわずかに苦笑した。

「あのね、人の心は約束出来ないんです。たとえそれが己自身の心であってもままならない。そういうもんです。それはあなたが一番よくわかってるでしょう?」

カカシは答えられない。ただただ血の気が引いていく。

「キサラギさん、彼女のこと、愛していると思った気持ちは本当でしょう?」
「それ…は…」

勘違いだったんです、イルカ先生に愛されているって安心しきっていたからなんです、そう言いたいが舌が引きつって何も言えない。

「まぁ、あれは結局アンタの勘違いだったわけですけど」

どぉ、と力が抜けた。

もしかしてセンセ、わかっててやってる?

がくりと畳に両手をついた。イルカにいたぶられても仕方がない己ではあるが心臓に悪すぎる。

「でもね、カカシさん。こと恋愛って奴に関しては心が変わるのか変わらないのか、それは当人にすらわからない。どうしようもないんです。家族や友人に対する愛情とそれは質が違う」
「でもイルカ先生、オレはもう決して…」
「だから、他に好きな人が出来たら、今度はちゃんと言ってください。そうなった時、オレはちゃんと別な人生を送りたい」

あぁ…

カカシは今更ながらに思い知った。これほど深く自分はイルカを傷つけたのだ。愛の誓いなど絵空事だと、人の心は変わるのが当然だと、この人は自然に受け止めている。恨み言でも何でもない、本心からそう思っているのだ。そして愛情深いこの人をそんな風にしたのは他ならぬカカシだ。

「……わかりました」

カカシは静かに頷いた。そうだ。自分に出来るのは、この先一生かけてイルカの心に訴えかけることだけだ。

「その条件を飲みます。でも、オレの唯一はイルカ先生です」

まっすぐにイルカを見つめる。

「一生かけて証明してみせますよ」

きっぱりと言えばイルカはニッコリ破顔した。

「そーんな、頑なに頑張らなくてもいいですって。オレも他にいい人できたらちゃんと言いますから」
「えっ」

あはは、とイルカは屈託なく笑う。

「まぁ、六代目様よりいい男なんていなさそうだから、オレ的には他にいい人なんて出来ないでしょうけど、カカシさんにいい人できたらちゃんと言ってくださいよ?別にオレはかまいませんからね」
「ええっ」

いくらなんでもあっさりしすぎだろう。カカシがそう文句を言う前にイルカはひらひらと手を振った。

「心配しなくったってオレは大丈夫ですって。オレには六代目様がいるし」
「はぁっ?」

今、聞き捨てならないセリフがなかったか?だがイルカはどこかうっとりとした目になる。

「六代目様がおっしゃったんです。二度と会えないけれど忘れるなって、いつだって六代目様は、どんな世界のイルカも大事に思っているって」

ほぅ、と息をついたイルカの頬は赤い。

「満開の桜でした。夕空を背景に、六代目様のその美しさったら、そりゃあもうイイ男ぶりでしたよ。そんな素敵な六代目様がですね、オレをこう、こんな風に抱きしめて」

何かに身を寄せるような仕草をする。

「アンタが別な世界のイルカだろうとオレなんか、とか言うな。イルカを貶めるのはたとえイルカ本人だろうとオレが許さない、だぁって。ぎゃー、六代目様、かぁっこいいーーっ」

真っ赤になってバシバシとカカシの肩を叩いた。カカシといえばあんぐり口を開けたままだ。

「そしてですね、わんわん泣くオレをぎゅーってしながら言うんですよ」

きゃー、と黄色い声をあげた後、カカシの、というより、三十代半ばだというカカシの口真似をする。

『もしお前が折れそうになったらオレを思い出せ。お前はイルカだ。どんな世界のイルカもオレが支える。二度と会えないけど、いつだって支えてやるから、だから強くなれ』

もう一度、ぎゃー、と悲鳴に似た嬌声をあげた。

「マジかっこいい、六代目様。こう、火影様の真っ白なローブがオレの体、包み込んで、そんでもってすっげいい匂いすんの。口布下ろしてたからめっちゃイケメンな顔がすぐ近くにあって、もーね、イケメンなのに落ち着いた貫禄っつーか渋いってなにあれ、最強、しかも声、甘い低音ボイスって犯罪レベルだろ、世界最強イケメンってああいうの?マジ悶え死ぬ、六代目様、マジいい男ーーーっ」

目の前に同じ顔の男がいるんですけど、っつか、絶対声も一緒なんですけど、若い分、肌綺麗だと思うんですけど…

言いたいことは山ほどあれど、カカシの感じたのは絶対的敗北感だった。白く固まるカカシの肩を再びバシバシ叩いたイルカは卓袱台の向こうを指差した。

「あ、すいません、つい六代目様のこと思い出したら盛り上がっちゃった。さ、食べましょう食べましょう、今日はお祝いですしね。あ、そうだ、忘れてた」

いそいそと立ち上がったイルカがご飯を飯茶碗によそってきた。

「はい、ビールもだけど、サンマにはやっぱり飯ですよね。ご飯茶碗、またこれ、使うことにしましたから。向こうのオレからの伝言で、恋人になったら夫婦茶碗使ってくれって」

あっけらかんとイルカは緑の夫婦茶碗をカカシの前に置いた。本来、これは感動的場面になるはずではなかろうか。先生、この茶碗、また使ってくれるんですね、とかなんとか、お互いの絆の再確認をするアイテムなのでは…

「向こうのオレ、夫婦茶碗捨てちゃったんですってね。カカシさん、拾ってくださったとか。ありがとうございます」
「イルカせんせ…」

少しは心を痛めてくれたのか。

「もったいないですもんね、結構これ、高かったし」

ずしゃ、とその場に崩れ落ちそうなカカシにイルカはきょとんと首を傾げた。

「大丈夫です、ちゃんと綺麗に洗いましたから」

そうじゃなくて!

ふと、向こうのおっさんイルカの顔が浮かぶ。あの時、ニタリ、と物凄く悪い顔で笑ったイルカは何と言ったか。

『オレのカカシさんはいい男だぞ?』

ふふん、と鼻で笑われた。そうか、あの性悪オヤジ、こうなることを見越していたか。

「サンマ、熱いうちにどうぞ。あ、改めて、カカシさん、お誕生日おめでとうございます」

心の中で滂沱と涙を流しながらカカシは笑った。

「ありがと。せんせ、これからずっとよろしくね」

負けない!

心の拳を固める。

中年のオレなんぞに負けてたまるかぁっ!

「焼き加減どうですか?」
「美味しいですっ」
「よかった。はい、茄子の浅漬けも召し上がれ」
「はいっ」
「今夜は泊まっていってくださいね」
「はいっ…って、はいいっ?」

飯を頬張ったままイルカを見れば頬を赤くしてポリ、と指でかいた。

「ま、恋人になったわけですし」

オレのイルカ、ドチャクソ可愛いっ

なんだかイルカの掌で転がされてる感100%だが望むところだ。一生かけてカカシの愛を思い知らせるのだから。
再びカカシは心の拳を握った。なんにせよ、受け入れてもらえた。手の中の緑の夫婦茶碗、またこれを使うことが出来た。カカシはじんわりと幸せを噛み締めていた。




 

「おい、イルカ、お前ぇカカシに何言った」
「あれ、こんにちは、アスマさん、紅さん」
「こんにちは、じゃねぇ。アイツ何とかしろ」

受付所へ向かう途中の廊下でげっそりとした顔の上忍二人にイルカは呼び止められた。

「カカシさんがどうかしましたか?」
「元サヤに収まるのはいいけど、とにかくカカシを何とかして頂戴」

紅がうんざりと額に手をやる。

「別世界の自分、六代目火影に負けまいって頑張ってるのは知ってるでしょ?」
「あぁ、アレですね、オレが六代目火影になってお前に繋ぐからお前は七代目火影ねってナルトと誓い合ってましたけど」

イルカがうんうんと頷く。

「ナルトの奴も皆との諸国訪問で色々刺激を受けたみたいで、七班のチームワークに磨きがかかったって五代目も」
「そこじゃねぇっ」

髭熊が唸った。

「お前が六代目火影のこと、惚気けるもんだからあの野郎、負けじとカッコつけやがるわやたらと低音ボイスで話しやがるわ」
「男の色気とか紳士とかなにあれ、キャーキャーもてはやされてるわよ。気色悪いっての」

あはは、とイルカは笑った。

「ファンクラブできたみたいですね」

上忍二人が怪訝な顔をする。

「アンタ、平気なの?」
「カカシ、モテまくってんぞ?」
「ですねぇ。そんでオレんとこ、すっ飛んで帰ってくるんですよ。誤解しないでくださいーって」

イルカは楽しそうに言った。

「バカですよねぇ。本気で張り合っちゃって、まぁ、そこが可愛いんですけどね」

アスマと紅はぽかんとイルカを見つめる。無理しているようではない。落ち着いたものだ。

「あんまりエスカレートするようでしたら押さえときますから。じゃ、オレはこれで」

会釈してイルカは受付へ行ってしまった。

「……変わったわよねぇ、イルカ」

しみじみと言えばアスマも大きく頷いた。

「向こうの世界で何があったんだ?」
「まぁ、上手くいってるんならそれでいいけど」

二人は廊下の向こうを生ぬるい目でみやった。凄まじいスピードでこっちへ駆けてくる人影がある。

「イルカ先生、もう受付入っちゃったよね。どうしよう、職員室に差入れするはずだったのに」
「バッカじゃねぇかい。女どもにヘラヘラしてやがるから、なーにが甘い低音ボイスでぃっ」

肩にのせた赤ちゃんサイズの子猫にどやされながらカカシが走り込んでくる。

「アスマ、紅、イルカ先生、見なかった?」

黙って二人は受付所を指差した。

「え、どうしよ、もう入っちゃったのか。やっぱ差入れヤバいかな、受付所は里の顔だから迂闊なことするなって言われてるんだけど、でもこれ、イルカ先生の好きな甘栗甘季節限定栗大福なんだよねっ、どーしよ、夕べ食べたいって言ってたのに」
「だーから急ぎやがれって言ったじゃねぇかい。あっしぁ夕方まで待たねぇぜ。出来たてが美味いんだ。ほれ、受付所へ行くぜぃ」

べし、と子猫の肉球がカカシの頬を打った。

「女に囲まれて鼻の下伸ばしてたのは黙っといてやらぁ」
「伸ばしてないからねっ、オレはイルカ先生一筋なんだからねっ」

ぎゃあぎゃあ言い合いながら受付所に消えていく。アスマと紅は一つため息をついた。しばらくはこの鬱陶しさは続きそうである。





バッカだなぁ、とイルカは思う。イルカが別世界のカカシに抱く感情は憧れと尊敬だ。綺麗な火影は夜空に輝く月とか星とか、そういう遥かな存在なのだ。カカシに愛されない世界で、自分はその輝きを指針にきちんと生きようと決意した。まさかカカシが自分の元へ戻ってくるとは思ってもいなかったのだ。

「誤算…っていっても、オレにとっちゃ嬉しいんだがな。そこんとこ、全然わかってねぇから」

内心イルカは、必死なカカシが可愛くてしょうがないのだ。ただそれを言うつもりはないし、今だって心なんてままならない、約束なんか出来っこない、と思っている。その考えに変わりはないが、ただ、カカシと子猫、二人と一匹で過ごすこの日々がイルカにとって幸せなのは間違いなかった。

おわり

 
オフ本「是清万華鏡イルカお礼巡り編4」の後日談です。無事におっさんイルカも自分の木ノ葉に帰れたし、女囲ってたカカシも猛省して収まる所に収まったようです。たとえアップが11月だろうがカカ誕だったらカカ誕なのだー!