是清万華鏡イルカ編完結試し読み
 



「とりあえず起きませんか?」

銀髪の男が手を差し出してくる。その手は馴染み深い見慣れた手で、黒い革の手甲から伸びるすらっとした指は間違いなくオレの大好きなカカシさんのもので。見上げれば青い瞳とかちあった。鼻の上まで覆う黒い口布に斜めがけして左目を隠した額あて、右目しか見えていないのにえらくイケメンなその顔はオレの大事なその人より随分若かった。

「冷えるし」

手を差し出したまま銀髪の男はじっとこっちを見下ろしている。掴んだ手は酷く冷たかった。

あれ、カカシさん、こんなに冷え性だったっけ?

 

また別な世界に飛ばされてしまった。
見知らぬ世界だ。
あああ〜〜、こんなんでオレ、自分の木ノ葉に帰れるのかしらん。

 

うみのイルカ今年の5月で36才男性。
見てのとおり、トレードマークは頭のてっぺんで一つ括りにした黒髪と鼻の上を横切る傷跡だ。もっさりだがよく見れば整った顔立ちで、はたけカカシに言わせると「最高に可愛らしい顔」なのだそうだ。
木ノ葉の里の中忍でありはたけカカシの伴侶となって十年になる。はたけカカシの六代目火影就任後は補佐官として主に外交方面で辣腕をふるったこの男、快活な笑顔と穏やかな性格とは裏腹に現実的かつ迅速な事務処理は時として冷酷で、暗部総隊長のテンゾウとともに六代目の懐刀として内外から恐れられている。昨年春から教育機関の抜本的改革に取り組むためアカデミーの教頭として教職に復帰したが、政治的影響力はいまだ大きく、相談役として各部署のスタッフから頼りにされている。
六代目との仲の良さも有名で、そのバカップルぶりは火の国のみならず各国に知れ渡っており、また七代目候補、うずまきナルトから兄のように慕われ、有力な上忍達の恩師であるため、『史上最強の中忍』『うみのイルカを落とせば国が落ちる』とまで言われるように…

「待て待て待て待て、ボロ、お前、その持ち上げ方は何だ、っつかお前が言うと気持ち悪いだろうが」
「あっしぁ巷で流布されてる話をそのまんま、五代目にお伝えしているだけでやすぜ?」
「巷って、えええっ、何だソレっ」
「あにさんが知らねぇだけでやすよ」
「えええええーーっ」

執務室の応接テーブルの上、きぃきぃと甲高い声でイルカのことを説明していたのは灰色に茶と黒と白が微妙に混じったサビの赤ちゃん猫だ。生後10日ほどの手の平サイズで目の明いていない赤ん坊猫特有の藍色一色の目をしている。ただし、見た目は赤ちゃん猫でも齢二百才の化け猫であるからしっかり目は見えているしイルカよりも口が達者だ。魔力においては言うに及ばず、だが化け猫の掟に従っているので滅多なことでは魔力を使わない。名を千手院是清という。イルカからはボロ雑巾にみえるからボロだ、とあだ名で呼ばれていて、そのことで喧嘩が絶えない。ただし非常時の現在はあだ名については休戦中だ。

実は十年前、カカシとイルカが恋人同士になるきっかけを作ったのがこの子猫である。化け猫の恩返しとしてイルカの嫁を世話するはずがカカシを連れてきてしまった。結果的に生涯の伴侶となった二人だが最初はそりゃあドタバタした。それを収めたのも是清で、以来、二人の家族として木ノ葉の里に暮らしている。

その化け猫是清とうみのイルカは五代目火影、綱手の執務室にいた。イルカのいた「木ノ葉の里」ではない。別次元の木ノ葉だ。今日は11月20日、この世界のカカシの年齢は二十九歳、イルカの世界のカカシが別世界に飛ばされた時と同じ年の頃である。そのカカシに案内されて五代目火影に状況を説明しているところだ。

「じゃあ何か?お前とその猫、別世界巡りをしてきたっていうのかい?」

執務室のソファにどっかと腰を下ろした五代目火影綱手は見た目二十代後半の金髪美女だが実際には五十代半ばの年である。変化の術で二十代の姿を固定しているのだ。聞けば、その頃恋人を戦争で亡くしたのだとか。ただ本人に湿っぽいところはなく、緋色の双眸は常に力に満ちている。100は有に越しているだろうバストは男性達のロマンの象徴であった。この世界の五代目火影綱手はイルカの世界の綱手とほぼ変わらぬ姿だ。今、イルカはその綱手の向かい側に座っている。

「はい、自分の世界から飛ばされてこれで6つめの世界になります」
「今度こそ帰れると思ったんでやすけどねぇ」

はぁぁ、と子猫がため息をついた。

「七年前、あっしとカカっさんが巡った四つの世界に飛ばされたのはまだいいんでさ。なんとなく帰れるって気楽さがありやしてね。だけど今度であっしの知らねぇ世界、二つ目でやす。気が重くもなりまさぁ」
「だよなぁ」

イルカも肩を落とす。

「最初に巡った四つの世界のカカシさんとは七年前、オレの世界に飛ばされてきてたから再会出来て嬉しかったし不安もなかったけどなぁ、知らねぇカカシさんに会うの、これで二人目だよ」
「ちょっと待ちな」

綱手がずい、と身を乗り出した。

「なんだ、カカシの性格ってのは世界ごとにそんなに違うのかい?」
「違いますよ、最初はクールイケメンのカッコいいカカシさんで、二人目は人たらしで仏のカカシさん、三人目は中忍で気弱で可愛いカカシさんだったし四人目は育ちのいいお坊ちゃんカカシさんでしたね」
「あにさんの性格も全然違いやしたぜ?最初のあにさんなんてしおらしくって、あっしのこと『是清さん』って呼ぶわ浴衣姿でカカっさんの背中流そうとするわ、カカっさんが悶絶してやしたし、二人目のあにさんには萌えー、とかなんとか叫んでやしたし」
「……あの野郎、やっぱり鼻の下伸ばしてやがったんじゃねぇか」
「あ…」

ごぉ、とイルカから不穏なチャクラが立ち上る。子猫が小さな前足で己の口を塞ぐが時すでに遅しだ。

「帰ったらとっちめる」
「あっあっしがバラしたってこたぁ黙っててくだせぇよ?」

テーブルの上で子猫がシッポをピンとたてオロオロと動き回る。

「黙ってたってバレるだろうが。お前しか知らないことなんだし」
「そりゃそうでやすが、カカっさん、あれで繊細でやすからね、泣きやすぜ?」
「知るかっ」

ブッと綱手が吹き出した。

「なんだい、お前たち三十六と三十七か、その年でも随分とお熱いじゃないか」
「だからバカップル呼ばわりされてんでさ」

子猫はパタパタしっぽを振った。イルカはきまり悪げに頭をかいている。

「どの世界のオレとイルカ先生もそんな風に仲がいいの?」

横合いからふいに声がした。気配を消していたせいか今まで忘れていた。ソファの横のイスにはカカシが腰をかけていたのだ。

「あ〜、そりゃまぁ…」

イルカは赤くなる。なんというか、この世界のカカシは妙に気配が静かでやりにくい。

「どの世界のカカっさんとあにさんもバカップルでさぁ」

イルカのかわりに子猫がきぃきぃ答えた。

「性格が違うってぇも、結局根っこは一緒っていいやすかね、そこの乳ババアも賭け事やらねぇ真面目な性格から変化で年誤魔化さねぇ肝っ玉母さんみてぇな性格まで色々でやしたが、中身は同じでやした」

まぁ、あっしは変化なんぞしねぇ乳ババアを気に入ってやしたがね、と言えば綱手が苦笑する。イルカが慌てて子猫の額を指で押さえた。

「バカ、お前、ここの綱手様はオレ達の綱手様じゃないんだから、乳ババアとか言うんじゃないっ」
「乳ババアは乳ババアですぜ」
「こっこらっ」

青くなるイルカに綱手は楽しそうな顔で手を振った。

「かまわん。なんだ、お前の世界の私は随分と仲がいいようだね」
「そりゃあ、あっしの呪いのおかげで乳ババアは賭場で大儲けでやす。人生これ以上ないツキ方だって重宝されてまさぁ」
「賭場?向こうの私は賭け事が好きなのかい?」
「おや、こっちの五代目は賭け事、しねぇんで?」

きぃきぃと言う子猫の額をもう一度イルカは押さえた。

「五代目、悪いことは言いません。絶対に賭け事なさっちゃダメですっ、是清がいないのに手、出したらダメですからっ」
「面白い奴らだねぇ」

くっくっと肩を揺らした五代目は応接テーブルの上に置かれた書類に何かをサラサラ書きつけた。

「とりあえずこのイルカが別世界から来たことは極秘事項だ。カカシ」

ぴらり、とその紙を横にいるカカシに突き出す。

「お前はイルカの面倒をみてやりな。任務は日帰りのみにしてやる。くれぐれも他の連中に気取られるなよ?」

カカシは書き付けを懐にしまうと黙ったまま目礼した。イルカと子猫があんぐりと口を開けてそれを凝視する。

「どうした?」

怪訝な顔をする綱手に慌てて手を振った。

「あの、なんていうか」
「こんな礼儀正しいカカっさんを見るのは初めてでして」

今度は綱手が目を見開く。

「お前の世界のカカシは無礼なのかい?」
「いえ、無礼とかじゃなくてですね、素直に言うこときかないっていうか、ああ言えばこう言う、みたいな感じ…って、それって無礼か…」

あれ、あれ、と首をひねるイルカにかわって子猫が言った。

「要はどの世界のカカっさんも五代目に甘えてるってヤツでさ」
「だな、ありゃ甘えてんだよな。綱手様もカカシさんには無茶振りするし、仲いいよな、あの二人」

横の椅子に座るカカシの目がわずかに驚きの色を浮かべている。だがそれは本当にわずかな変化で、他の者達にはただの無表情にしかみえないだろう。そんなカカシを綱手はどこか面白そうに眺めている。

「ますます興味深いな、お前の世界は」

よし、決めた、と綱手は手を打った。

「イルカ、お前、二十八歳の自分に変化して普通に働きな。なに、仕事内容はだいたい同じようなモンだろう。聞けばお前、随分と海千山千じゃあないか。同僚連中だまくらかすなんざわけないだろう?」

チラリとカカシに目をやる。

「カカシ、イルカの受付シフト表とアカデミーで何やってるかわかる書類、すぐに調達してきな。バレんじゃないよ?」

再びカカシは目礼するとすぐに掻き消えた。イルカと子猫はそれをポカンと眺めている。

「ん?」
「いっいやぁ」

きまりわるげに頬をかいた。

「オレの世界のカカシさんってホント、態度デカかったんだなぁって改めて」
「あっしらのカカッさんならここで必ず文句の一つや二つは」
「え〜、普通執務室にそういう書類ってあるんじゃないんですかぁ、とか」
「バレるとかあるわけないでしょ、オレなんだし、とか」
「「絶対減らず口たたいてから消える」」

あっはっは、と綱手は声をあげて笑った。

「お前の世界のカカシは楽しいヤツだな」

ゲラゲラ笑う五代目にイルカはおそるおそる聞いてみた。

「……あの、こっちのカカシさんって」

どんな感じなんですか、と言う前にポンと煙が上がってカカシが現れた。

「イルカ先生、これが受付のシフト表とアカデミーの担当時間割に部署割です」
「仕事早っ」
「流石でやすな」

カカシは淡々と書類を置くと椅子には座らず控えるように立っている。

「……真面目」
「カカっさんも根は真面目でやすが、こっちのカカっさんは生真面目でやすな」
「ほう」

綱手はますます面白がる。

「お前の世界のカカシはこんな時どんな態度をとるんだい?」
「そうですねぇ、話し長くなるならオレ、帰りますよ、からはじまって」
「え〜、オレも話、聞くんですか?だったらお茶いれましょうよ、とかなんとか言い出しやして」
「確か大名からの心付け、来てましたよね、お茶請けに出しましょう出しましょう、なーんて図々しいこと言い始めて」
「乳ババアが、お前は目端がきくねぇ、とかなんとか呆れ果てて」
「「結局お土産までゲット」」

ぶはっ、と綱手が吹き出した。

「お前んとこのカカシはバカだねぇ、それでも火影になるんだからたいしたもんだ。なぁ、そうは思わないか?カカシ」

綱手の斜め後ろに立つカカシは何も言わず微かに微笑んだ。口布をしているから口元は見えないが、わずかに目を細めたのは微笑んだということだろう。

っつか、こういう時微笑むのかよ

これまで会ったどのカカシとも空気が違う。どうにもとらえどころがない。

「イルカ、お前の世界のことをもっと詳しく聞きたい。そうだな」

笑いながらも綱手は再び手元の書類にサラサラとサインした。

「受付業務の一部を火影執務室業務に変更する。三時のお茶だと思ってここへ来て話をしてくれ」

ぽん、と印をついてイルカに差し出す。受け取ったイルカは書面を確認して頷いた。

「では、午後の業務から受付に入ります。ただその…」

ん?と綱手が首をかしげる。イルカは頬を指でかいた。

「昼飯食ってきていいですか?ここのアカデミーにも食堂、あるんですよね?」

綱手がまた吹き出した。

「お前の世界のカカシもたいがいだが、イルカ、お前もこっちのイルカとは随分違うようだな」
「えっとぉ…」

綱手が悪戯っぽい目をした。

「こっちのお前もかなりな生真面目君ってことだ」

ヒラヒラと手を振る。

「アカデミーの食堂は知り合いだらけだろうから、もう少し様子を見てからにしたらどうだ?カカシ、飯に連れて行ってやれ」

了承の意味だろう、カカシが目礼する。

「あ、いや、でもカカシさんも任務があるんじゃ」
「丁度帰って来たばかりですから大丈夫ですよ」

喋った!

イルカと子猫は同時に呟き顔を見合わせた。なんだか、目でしか意志を伝えないような気がしていたのだ。最初に会った時にはちゃんと会話をしたのに。
っつーか妙に気まずい。

「あのぅ」

おずおずとイルカがきりだす前に子猫がきぃきぃ声で質問した。

「聞くのを忘れてやした。こっちのカカっさんとあにさんは付き合ってるんで?」

そう、それを聞きたかったの。でかした、ボロ!

子猫が前足を小さくあげてイルカに合図する。イルカもこっそり親指をたててこたえた。

「オレとイルカ先生?付き合ってますよ?」

あっさりと言われた。

「付き合い始めて三年になりますね。あなたの世界と同じですよ」

三年…

イルカと子猫はマジマジとカカシを見つめる。

付き合って三年目のカカシさんってどうだったっけ?

カカシが是清と別世界に飛ばされる前あたりの記憶を手繰り寄せる。任務から帰って報告行くからついでに買い物してくるよーって、子猫が春の苺フェア始まったって騒いだら一緒におやつ買いに行くかって、じゃあカレーの材料をついでに買ってきてって、いってきますチュって…

「っつか、所帯臭ぇよなっ」
「ラブラブでやしたが所帯臭えでやす」
「どうかしました?」

ふっとカカシが首をかしげる。

「「いいいいええ、何でも」」

一人と一匹は同時に手と前足をブンブン振った。これまで五人の違うカカシに会ったが、こんなに馴染みにくいのは初めてだ。それが何故なのかイルカも子猫も釈然としないまま、執務室を出るカカシの後を追った。とりあえずは受付業務につきながらこの世界の様子をみよう。

その前に飯だ飯!

5つの世界で散々苦労を重ねた一人と一匹は相当図太くなっていたが、そのことを自覚してはいなかった。

〜中略〜

「千手院是清と申しやす。以後、お見知りおきくだせぇ」
「きゃー、喋った」
「渋い名前じゃねーか」

子猫はすっかり人気者だ。こつん、とカンパチが肘でイルカをつついた。

「お前、昼から随分元に戻ったと思ったら忍猫を手にいれたからか」

うん、なんかそんな反応されると思ってた。

入れ替わりを秘密にしてその世界のイルカになりすました時、必ずそれらしきことを言われる。つまりは

『なんだかイルカ、元気になってね?』

ということだ。五つの世界を巡って身にしみた。その世界のイルカに問題ありの場合、必ずそれに似たことを言われる。言われなかったのはカカシの気持ちに問題ありだった四つ目の世界だけ、ということは、この世界でもイルカに問題ありなのだろう。

「オレ、元に戻ったって、オレってそんな元気なかったか?」

わかっていてあえてカンパチに聞く。ちょっとでも情報が欲しい。

「元気ねぇってわけじゃなく、なんかほら、静かにニコニコしてたっていうかさ、夏休みくらいからさぁ、それまで結構落ち込んでたと思ったんだけど」

いったいここのイルカとカカシの関係はどうなっているんだろう。

「そっそうかぁ、静かにニコニコなぁ」

意味わからん。

ぽり、と指で頬をかいた。

「カカシさんが結構静かだからそれに影響されたとか」

あははは、と頭をかけばカンパチが辛そうに顔を歪めた。

「バカイルカ、オレには無理すんなよ」

ええええー、無理って、いったい何があるんだ、この世界のカカシとイルカに!

リアクションがとれない。ピキ、と固まっているところに是清がぴょいと割り込んできた。

「カンパチの旦那、まだ受付は混んじゃいねぇし、食後のスィーツタイムってぇのはどうでやす?」
「えええー、猫なのにスィーツ?」

カンパチの関心が是清に移る。

グッジョブ、ボロ!

子猫をかまいたい忍び達が、お茶飲めるのかだの、受付所に何があるかだの、ワイワイ言い始めたので奥のソファに移動してもらう。丁度、里外からの依頼者も何人かやってきたのでそのままイルカとカンパチは業務に専念した。問題は見えず、謎は深まるばかりだった。

 

イルカの担当が終わる五時、カカシが迎えに来た。少し意外だ。だが同僚達や周囲の忍び達の反応を見るに、これは日常のことなのだ。相変わらずお熱いねぇ、などとカカシの同僚上忍からも声がかかった。

「お疲れ様、先生」

ニコ、とカカシが目を細める。

「帰りましょうか」

本部棟を出るとごく自然な動作で手を繋がれた。

「はぇ?」

驚いて変な声が出た。

「どうしました?」
「いっいやぁ〜」

カカシは不思議そうにイルカを見つめ、ハタと何かに思い当たった顔をする。

「そちらの世界では手を繋いだりしないんですか?」
「いや、しますけどね、っつかヤツがしたがるんですけどねっ」

イルカの世界のカカシも昔から手をつなぎたがって、若い頃は天下の公道で何しやがる、とかなりモメたものだ。今はすっかり慣れてしまったし、火影の責務を思えば甘やかしてやりたくて好きにさせているが、こんな風に自然に手を繋いでくるのにはちょっとビックリだ。

「あっしらの世界のカカっさんが手を繋ぐ時ってなもっとキャッキャしてるんでさ。こっちのカカっさんがナチュラルすぎてあにさん、ビックリしたんじゃねぇですかい?」

イルカのかわりに子猫がこたえてくれた。相変わらず気の利くヤツだ。

「えっとカカシさん」

やはりこっちのオレが拗らせているパターンなんだろうか。

「任務がない時ってカカシさん、こっちのオレを迎えにくるんですか?」
「そうですね、特に用がないかぎりは迎えにきますね」

カカシは穏やかに微笑んだ。

「成人男子のオレを何故迎えに?付き合いはじめならまだしも、三年ですよね。わざわざ家からここまで迎えに来るんですか?」

そうだ。付き合いはじめで浮かれている時期ならまだしも、三年といえば落ち着いている時期だ。しかも最初から同居(カカシは同棲だと主張していた)しているわけだし、報告書を出したついでに一緒に帰ることはあっても、わざわざ律儀に迎えに来ることはなかった。それは別に飽きたとか愛情がなくなったとかいうことではなく、お互いに日常を無理なく大事に過ごしているからだ。先に帰っていた方が食事の支度をしていたし、寒い日にコタツにもぐったカカシからおかえり、と言われるのが好きだった。イルカにとって暖かい部屋で待っていてくれるカカシの姿は幸せな家族の風景だ。探るようにじっとカカシを見つめればわずかに首をかしげられた。

「オレが告白して付き合ってもらいましたから、なるべく誠意をみせたくて迎えに行くんです」
「誠意…ですか」
「ええ」

カカシがニコリ、と目を細める。

「イルカ先生は里で一番大事な人ですから」

沈みかけた夕陽を浴びてカカシの銀髪がきらめいた。木枯らしの吹く道を手を繋いで帰る。朱に染まった西空に長く伸びた二人の影法師、そして熱烈な愛の言葉、それはとても温かくて幸せな風景のはずなのに、この薄ら寒い感覚は何だろう。肩の上で子猫はただしっぽをゆらゆらと揺らしていた。


〜中略〜


わからん!

この世界に飛ばされてから二週間がたった。なのにこっちのカカシとイルカの何が問題なのかがさっぱり見えてこない。

仕事は順調だった。やり慣れた仕事だ。28才の自分に変化して言動にちょっと気をつけさえすれば、スムーズに事は運んだ。特にアカデミーでの授業は楽しかった。六代目の補佐官となってからはすっかり遠のいていたし、アカデミーに去年から復帰したといっても教頭として改革に着手しているところだから、子供達と密に触れ合えなかったのだ。

受付業務もある意味新鮮だった。なにせあの「うちはイタチ」が通常の忍服を着て任務を受け取りにくるではないか。しかも当たりの柔らかいことといったら。サスケの担任をしていたせいか、イルカには特に気安いらしく、よく世間話を振ってくる。あのイタチに世間話されるとは、最初は内心、腰が抜けた。
アスマやガイ、紅達はイルカの世界と同じような感じで、変わりがないのにほっとする。この世界でもカカシの友人であるようだ。ただ、妙にイルカを気遣うのは何故なのか、直接聞けないのがもどかしい。

そうなのだ。絶対問題を抱えているはずなのだ。でなければカンパチやアスマや紅があんな風にイルカの様子を気遣うわけがない。ただの仕事仲間や顔見知りは普通なのだが、というより、カカシとラブラブで羨ましいだの何年たっても仲がいいだのとからかわれることが多いが、カンパチや幼馴染のタニシとかトリモチ、親しいのであろうアスマや紅が妙にイルカを心配している。

「これまでのパターンだと、カカシさんのこと考えてこっちのオレが身を引こうとするってやつだよな」

誰もいない時、子猫に問えば珍しく子猫も難しい顔で考え込んだ。

「そうなんでやすが、どうにも釈然としねぇってぇか、外野の嫌がらせもねぇみたいでやすし、もしあにさんが別れるって騒いでんだったらカカっさんの態度がもっとこう、違う気がするんでさ」
「だよなぁ、今までは真剣に相談してきてたよなぁ」

カカシは実に優しい。違う世界のイルカなのに、任務が終われば必ず迎えに来るし、遅くなったときにはその旨を記した式がとんでくる。家事もマメにやってくれる。二人で食事に行く時や歩く時には優しくエスコートしてくる。

そう、エスコートだ。大事に優しく慈しむような態度を崩さない。なのに…

「妙にカカシさんの雰囲気、静かだと思わねぇか?」
「でやすよねぇ。綺麗系カカっさんってなぁ静かなお人なんでやすかね」

うーん、と一人と一匹は考え込む。
実はイルカと子猫、それぞれに直接カカシに聞いたことがあるのだ。この世界のカカシとイルカはうまくいっているのかと。
返ってきたこたえは一緒だった。

「なんの問題もないですよ?何故?」

いやこっちが聞きたいし!

「オレのイルカ先生のこと?もちろん愛してますよ?里の誰よりも大事な人ですから」

真面目に言われると恥ずかしいんですけど!

カカシ自身がトラブルを自覚している気配がまったくない。イルカと子猫はただ途方に暮れるばかりだ。

「どうしやしょう、あにさん、問題を見つけねぇことには解決のしようがありぁせんや。帰れねぇですぜ?」
「オレに聞くな。帰りたいのはやまやまだがどうしていいかわからねぇんだよ」

埒が明かず、とうとうイルカと子猫は綱手に直接疑問をぶつけることにした。毎日三時から一時間ほど、執務室での手伝いという名目で綱手にイルカの世界の話をしにいっている。フカフカの応接ソファでお茶と上等の茶菓子付きなものだから、イルカも子猫も毎日のちょっとした楽しみになっていた。イルカの世界のカカシが聞けば、また食べ物で釣られて、と呆れるに違いないが。

その日は受付のシフトが入っていなかった。毎日の業務扱いなので執務室に行っても不自然ではないし、時間の制約がないからじっくり話が聞ける。イルカは子猫を連れて執務室を訪れた。

「お前達が別世界に飛ぶ条件だと?」

初耳だ、という綱手にイルカはこれまでの経緯を説明した。飛ばされた世界のカカシとイルカは必ず何かしら問題を抱えていたこと、それを解決すると別な世界に飛ばされること、だから帰るためにはこの世界の二人の問題を片付けなければならないのに、全く見えてこないこと、それらをじっと聞いていた綱手はどこか重苦しい顔になった。

「確かに、何かあるんじゃないかと私は思っている。私だけではない。お前の友人達もな」
「それはいったい…」

思わず身を乗り出せば綱手は難しい顔のまま首を振った。

「それがよくわからんのだ、いったい何にお前が追い詰められていたのか」
「追い詰められていた、ですか?」
「そうだ」

緋色の双眸がまっすぐにイルカを見つめた。

「こっちの世界のお前は限界まで追い詰められていたと思う」

はっきりと言い切った綱手はふと、表情をゆるめた。

「どうだい?カカシは優しいだろう?マメだろう?」
「はぁ、びっくりするくらい優しいです」
「明日はクリスマスイルミネーションを見に行こうと誘ってきやしたな」

12月に入り、里はすっかりクリスマス一色だ。広場に大きなツリーがたち、様々に趣向をこらしたイルミネーションに彩られている。それを見に行った後、外で食事をしようと誘われたのだ。

「まだたったの半月ちょっとなのにびっくりすることばっかりですよ。こっちのカカシさん、静かだから結構淡泊かと思ったらマメで」
「あっしらのカカっさんはあにさんなんかよりよっぽどロマンティストでイベント男なんでやすがね、ありゃあ越えてやすぜ。こっちに来て一週間目だって花束持ってきたときゃあっしぁヒゲが抜けるかと思いやした」
「そうなんですよ。日帰り任務だからって夕飯作ってくれるんですけど、オレ…私の好きな肉料理ばっか、しかも凄い上等の肉で」
「ホントはカカっさん、魚好きの和食好きだってのに、ちぃとばっか度が過ぎてるってぇか」

綱手が頷いた。

「そうなんだよ、任務から帰ってくればイルカを掌中の玉のように大事にする。迎えにも来るし季節ごとのイベント事も欠かさない。だが」

重い溜息をつく。

「こっちのお前は壊れた」
「壊れた?」
「そうだ、あれは壊れていた」

イルカは訝しんだ。落ち込む、ではなく壊れたとはどういうことか。

「こっちのイルカもな、受付事務の要だしアカデミーじゃ主任だ。だから余計に目についたのかもしれんが」

綱手は眉間のシワを深くした。

「去年の今頃だった。こっちのお前の表情がどんどん暗くなっていってね、元気がなくなった。アタシだけじゃなくお前の友人達やアスマ、紅も心配するほどな。それが」

ふっと瞳が陰る。

「アカデミーの花壇のヒマワリが満開だったよ。夏休みの職員研修ってやつに顔を出した時だからよく覚えている。7月の半ばくらいからか、イルカの様子が急に明るくなってね、びっくりするくらいの変化だった。だからきっと問題は解決したんだろうと、大丈夫になったんだろうと思っていた。その日はお前が研修を取り仕切っていてね、全部終わってから声をかけた。そう、丁度ヒマワリの花壇の前でな」

イルカの背に嫌な汗がつたう。

「イルカ、もう大丈夫かい、とな。アイツは振り向いてにっこり笑ったよ。何がですか?五代目。オレはずっと元気ですよ?そう言ってイルカは笑った」

子猫のしっぽの毛がふくらんでいる。

「笑った目がな、澄み切っていた。満開のヒマワリの前でお前の目は異様なほど澄んでいて」

綱手ははっきりと言った。

「あれは狂人の目だ。静かにアイツは狂いかけていた」
「「ーーー!」」

衝撃で言葉が出ない。こっちの自分は狂っていたというのか、しかも静かに。

「個人的にイルカと付き合いのない連中はわからないだろうさ。アイツは完璧に仕事をこなす、受付スマイルも世間話も完璧だ。私とて医療忍者でなかったら気が付かなかったかもしれない。だがお前の友人は、カンパチとかいったか、アイツやアスマ達はわかっていたな。目がイッちまってると言ったよ」

いったい何があったのだ。イルカは呆然となる。この自分が狂うほどとは、本当に何があるのだ。子猫が真剣な声で言った。

「この図太くてガサツなあにさんが狂うとか、よっぽどでやすぜ」
「……おい」

デコピンしかけたが、同意見なので思いとどまる。イルカとて己がどんな人間かある程度は自覚しているつもりだ。なにより…

「カカシさんは全く問題ないって思ってるようですけど、それって余計にヤバくないですか?」

綱手が顔をしかめた。

「やはりお前にもそう言ったか」

表情は苦々しい。

「何を聞いても自分達はうまくいっている、イルカを大事にしているとしか言わん。しかもなんでそんなことを聞くのかって態度でな」
「カンパチの旦那や紅の姐さん達ですら気づくのにカカっさんが気づかねぇってなぁ、不自然じゃありぁせんか?」

子猫の言うことはもっともだ。綱手は身をのりだすと声をひそめた。

「だからな、一つの可能性に思い至ったんだよ」

息をつめてイルカと子猫もソファから身を乗り出す。

「もしかしたらな」
「はっはい」

ずい、と綱手が指を突き出す。

「夜の生活に行き過ぎた変態プレイがあるんじゃあないか?お前の世界のカカシはどうだい?」

ドチャ、とイルカはそのままテーブルに突っ伏した。

「お前のところも変態プレイしているのか?いや、カカシは幼い頃から優秀だし、そういう嗜好があっても不思議じゃな…」
「ノーマルですよっ、オレ達、いたってノーマルですっ」

思わずイルカは叫んだ。顔が熱い。だが綱手は疑惑に満ちた目を向けてくる。

「ソイツぁあっしが保証しやすよ。いや、別に覗き見てるわけじゃあねぇでやすがね、変態ごっこしてりゃあわかりやすぜ」
「だろっ、オレ達、別に妙な遊びしてないよなっ」
「まぁ、せいぜいカカっさんがあにさんに浴衣着せたり眼鏡かけさせたり」
「それは七年前の別世界で会ったオレのカッコ、させたがっただけだろっ。ただのノスタルジーっ」
「でもあにさん、ぶん殴ってたじゃねぇですかい」

ふーむ、と綱手が腕組みした。

「お前たちはノーマルでもこっちのカカシはどうなんだろうねぇ」
「わー、まさかのシモネタ」
「なに言ってんだい。シモの問題は根深いんだよ?」

緋色の目が悪戯っぽい色を浮かべる。

「お前、三十半ばだってのに純情だねぇ」
「ほほほっといてくださいっ」

イルカは真っ赤になったまま顔をおおった。こういうのはホントに慣れない。ましてや相手は美貌にナイスバディな五代目だ。

「いや、その線も探ってみる価値あるかもしれやせんぜ」
「だろう?」

冗談抜きで真剣に子猫と五代目は検討し始める。

「イルカ、お前、こっちのカカシを誘…」
「誘いませんっ」
「同じカカシだろうが。元の世界に帰りたいんだろ?」
「断じて誘いませんっ」

くふくふ笑う子猫をイルカはじとりと睨むしかなかった。

〜中略〜

翌朝一番にイルカは綱手へ面会を申し込んだ。ことの次第を説明し、カカシが里外の恋人の所を拠点にできるようはからってほしいと頼み込む。ついでに、こっちのイルカが落ち着くまでは、里内に女を連れてくるのは遠慮させてほしいことも。この世界に帰ってきていきなりではキツすぎるだろう。

「まさか里外に女とはねぇ」

綱手が呆れ果てたといった風にため息をついた。

「いえ、女か男か聞いてはいないんですが、あの人、元がノーマル嗜好だから多分女じゃないかなぁって」

それからイルカはがばりと頭を下げた。

「申し訳ありません」
「なんだい」

綱手が目を丸くする。

「本来ならこんな個人の色恋沙汰を火影様のお耳にいれる事自体、間違っているのに、こっちのオレが不甲斐ないばかりに」

里を背負って立つ火影に一介の中忍の色恋沙汰で手を煩わせるなど本来あってはならないことだ。ただ、相手が「はたけカカシ」という里の要人だったのが災いした。里のトップ上忍がどこに拠点を置くか、これは重要事項である。身の縮む思いでイルカは謝罪した。

「一介の中忍が本当に申し訳…」
「イルカ」
「はい…いっでぇーーーっ」

顔をあげたところをデコピンされイルカは吹っ飛んだ。

「あのなぁ、イルカ。火影にとって里の皆は家族とはいうが、実際の所、個人の事情に直接関わるわけじゃない」

尻もちをついたイルカの前に綱手がしゃがむ。

「確かに私は里長だ。だがな、カカシだけじゃなくお前も随分とちかしい人間なのさ。私がお前のことを心配するのは火影としてではなく綱手個人としてだ」
「綱手様…」

どこかぽかんとするイルカに綱手は苦笑した。

「自己評価が低いところはこっちのイルカもお前も変わらんようだな」

さて、と綱手は立ち上がった。

「お前の希望はきくが、こっちでも調査させてもらう。カカシの相手がただの女だとしてもその周辺まではわからんしな」

どすん、と執務椅子に腰をかける。

「で、別世界のイルカ、お前はこれからどうする」
「オレの部屋からカカシさんの痕跡を全て消します」

ほう、と綱手が面白そうな顔をした。

「こっちのオレが帰ってきた時、未練が残らないよう徹底的に」
「お前、随分あっさりしているな。別世界とはいえ愛しのカカシと別れるのに感傷とかないのかい?」

ニヤニヤとからかってくるのにイルカは肩を竦めた。

「オレももっと辛いかな、と思ったんですけど」

困り顔で笑う。

「所詮はオレのカカシさんじゃないし、なんたってもう六人目じゃ割り切りもしますよ」
「違いない」

綱手は愉快そうだ。

「カカシの顔が見ものだね」
「いや〜、一番好きな人のとこに遠慮なく行けるんですからいいんじゃないですか?」

ケッとイルカは吐き捨てた。

「なにが捨てないでいてやっただ。けったくそ悪いったらありゃしねぇ」

とうとう綱手が吹き出した。

「こっちのお前がそのくらい図太かったらよかったんだがねぇ。ときにあの子猫はどうした」
「あ〜、アイツなら」

ニタ、とイルカは悪い顔をする。

「ATMで『イルカ』の貯金を下ろしてますよ。こっちのオレの金で豪遊しようかと思って」

今度こそ綱手は爆笑した。このイルカの清々しいほどの図太さはどうだ。こっちの世界のイルカが帰ってきてもなんだかうまく事が回っていくような気がした。

 

その日の午後、里に激震が走った。震源は受付所だ。シフト交代で受付カウンターに座った黒髪の中忍が隣の友人にさらりと宣言した。

「オレ、カカシさんと別れたから」

一瞬のうちに凍りついた忍び達に中忍はさらなる爆弾を投下した。

「でな、婚活しようと思って」
「「「えええええーーー」」」

居合わせた忍び達がカウンターに殺到する。

「それ、ホントなの?うみの中忍」
「あんなに仲良かったじゃねぇか」
「昨日だってクリスマスイルミネーション見に行ったんだろ?」

皆の勢いにイルカはのけぞった。

っつか、なんでイルミネーションのこと知ってんだよ!

さすがはカカシ、里の有名人は違うな、と妙に感慨深い。

「あ〜いやぁ」

ははは、とイルカは頬をかいた。

「カカシさん、外に好きな人いて」

ピキ、と今度は全員が凍りつく。

「なかなかオレにそれ、切り出せなかったみてぇで、ほら、基本優しい人だからさぁ」

明るく言う。

「でもちゃんと別れてオレも新しい人生歩まなきゃっていうかな、カカシさんも好きな人のとこから任務いけるよう、火影様が取り計らってくれてるし」

あはは、と笑った。

「今オレ、家を片付けてるんだ。カカシさんの荷物は忍犬君が取りにくるっていうから纏めとかないとだし、まぁ、忍服とか本くらいなんだけどさ、日用品捨てたりとか結構やることあって」
「うっうみの中忍…」
「うみのさん…」

痛ましげに名前を呼ばれる。

「だよな、辛いよなうみの中忍」
「日用品って見ると辛くなるから」
「荷物整理とか残酷だな…」

すすり泣きまで聞こえた。

ええええ〜〜っ、なっなんでもらい泣きっ。

内心イルカは大慌てだ。サラリと「別れたから婚活します」アピールしとこうくらいに考えていたのに、この共感の渦はなんなのだろう。第一、ただの受付中忍が失恋したからってもらい泣きなどしないだろうに。

「あっあの、オレ全然大丈夫だから。家の片付けとか色々整理してから婚活はじめちゃおうって思うくらい元気だから」

言えば言うほど逆効果で、ますます人は集まってくるわ励ましの言葉がかけられるわ、なのでイルカは婚活アピールも含めて締めくくろうとした。

「えっと、こんなオレだけど、それでもいいって人、紹介してください」

ぽり、と頬をかき照れくさそうに笑う。一瞬、居合わせた者達が息を呑むのがわかった。次には怒涛の勢いでハイハイハイ、とあちこちから手があがる。

「うみの中忍、私、立候補します。絶対うみの中忍のこと幸せにするから」
「ちょっと抜け駆けしないでよ。うみのさん、私も、私、結構尽くすタイプなんですよっ」
「イルカ先生、あの、私、教育実習のときに担当クラスにいたんですけど、もし先生がよければ今度」
「なぁ、男はダメかな。オレ、絶対うみののこと、大事にするし」

ええええええーーーーっ。

案外イルカはモテていたらしい。綱手がやってきて一括するまで騒ぎは続いた。困惑しながらも受付業務に取り掛かっていると、隣のカンパチがとん、と肘で突いてきた。

「よかったな。ホント元気になったし」

にへ、と眉を下げる。

「タニシ達とさ、別れておめでとう打ち上げやろうぜ」
「なんだそりゃ」

ぶっとイルカが吹き出せばカンパチはますます眉をさげる。

「辛いときゃ我慢すんなよ。もうあんなお前はゴメンだからな」

こっちのオレ、どんなだったんだーーーーっ!

今更ながら震えがくる。もし自分達が入れ替わらなかったらこっちのイルカはどうなってしまったんだろう。

「色々ありがとな、カンパチ」

イルカも肘で突く。

「これからもよろしく頼むわ」
「バッカ、当たり前だろ」

鳶色の目をくりっとさせて友は笑った。

「オレがどうかなったときゃイルカ、頼むわ」
「まかせろ」

へへ、と笑いあって仕事に戻る。ニコニコと業務をこなしながらイルカは内心情けなくてたまらなかった。
これまでトラブルを抱えていた別世界のイルカ達、一つ前に飛ばされた世界の、カカシに女作られていたイルカは特にだが、どうにも周りが見えていなさすぎる。親身になって心配したり世話をやいてくれる友や上司達がこんなにいるのに、親しくなくても柔らかい好意を向けてくれる人達がたくさんいるのに、『イルカ』は自分の世界に閉じこもって一人で追い詰められていた。

まぁ、どの『イルカ』もカカシさんが好きでたまんないんだろうな…

恋とはそういうものなのだ。迷いなくカカシと添うてこられた自分は幸せ者だ。そしておそらく、どの世界のイルカよりも図太い。それはカカシの揺るぎない愛情がイルカを支えてくれているからこそだ。ならば、別世界に干渉しろというのなら、この世界でもきっちりカタをつけねばなるまい。

対価もちょいともらっちまうがな。

『イルカ』の口座から金を下ろした子猫が里一番のステーキレストランに予約を入れている。しかも一番高いコースをだ。

旨いモノも食わず病んでたことを後悔するがいい、こっちのオレ

図太いだけでなく補佐官を経てかなり性格が悪くなっているイルカだが、本人はどこ吹く風であった。

〜中略〜

そう、愛おしかった。今だって愛おしい。キサラギは何よりも大事な恋人だ。

「ねぇ、受付のうみの中忍、はたけ上忍と別れたんだって」
「なんか婚活するって聞いたよ?」
「マジ?アタシ、立候補する」
「あたしも。なんか、いい旦那さんになりそうだよね」

ちょっと、あの中年イルカ、何やってくれてんの。勝手に婚活とか、こっちの『イルカ』が帰ってきた時困るんじゃないの?

「おい、うみのがカカシと別れたんだってよ」
「全部片付けたら婚活するんだと」
「男の恋人はいらないっつってっけど、オレ、立候補してみようかな」
「だよな、うみのって癒し系ですげーいい」
「ほらアイツのファンって隠れだからさ、結構狙ってる奴って多いんだよな」
「お目付けいなくなったしなぁ、解禁ってわけか」

誰がお目付けよ。
なんだかイライラする。
あの中年、きっと受付で余計なこと言ったに違いない。だから変化して仕事させるなんて反対だったんだよ。イルカがこんなにモテてるってのは意外だけど、物珍しさだろうね、有象無象が群がってきてるじゃないの。振った手前、こっちのイルカが迷惑被るのは困るんだよね。なんか、オレの責任みたいじゃないの。
ムカムカしながら上忍待機所にいけば顔をあげたヒゲがオレを見つけた。

「おぅカカシ、新しい女はどーよ」

ニヤニヤと言う。

「なんだ、随分不機嫌じゃねーか。よくねぇのか?その女」
「ちょっと、下品なこと言わないでよね、ヒゲ」

どかり、とソファに腰を下ろせばななめ向かいで爪を塗ってる紅がこっちを見もせずふふんと笑った。

「ゆっくりくつろげるお家なんでしょう?じゃあいいじゃない」
「だよねぇ、末永くお幸せに〜」

だからアンコまで何絡んでくんのよ。わけわかんない。

「カカシぃ、勝負だ」
「うわ」

オレの座ったソファの後ろからぐい、と七三分けが出てきた。

「貴様、イルカとの熱愛は全て芝居だったというのか。見損なったぞ。親友としてその性根、叩き直してくれる」
「…お前が一番わかりやすくていいわ、ガイ」

盛大に溜息をつけばアンコがケラケラ笑った。

「アンタと別れてからイルカ、すっごいモテてんの知ってる?クリスマスを一緒にってそりゃもう争奪戦勃発」
「イルカ、年が明けてから新しい気持ちで恋人募集です、なーんて言ってるけど、お試しで順番に付き合っちゃえばいいのよ」

紅が塗った爪に息を吹きかけながらふっと口元をあげる。

「あぁ、アンタにはもう関係ないことよね。クリスマスは新しい彼女とお家で過ごすんだもの」
「……オレがどう過ごそうとそれこそ関係ないでしょ」
「そりゃそうよねぇ」

ひらひらと赤い爪が揺れる。

「ところでカカシ、五代目が呼んでたわよ。荷物を早く取りに来い、ですって」

そういうこと、先に言いなさいよ。

ソファから身を起こしたオレにくす、と紅が笑う。

「忍犬に荷物取りに行かせるって言ってたんでしょ?一週間何やってたのよ、忍犬使いさん?」

黙って立ち上がり待機所を出た。オレも色々忙しかったの。

あぁ、イライラする。




執務室のドアをノックすれば、不機嫌極まりない顔の五代目から荷物を指さされた。

「とっとと持って行きな」

部屋の隅に任務用リュックが一つ置いてある。

「忍服と本と写真だそうだ。私服やパジャマは処分したから心配するな、だと」

あんの中年イルカ、オレの忍犬が荷物を取りに来ないって理由でフツー五代目の執務室に持ち込むか?
里長に伝言させるって、しかもとんでもなくプライベートなこと、なに公私混同してんの。
っつかこういうの、不敬罪じゃないの?五代目もなんでナチュラルに預かってんの?第一まだ一週間でしょ?
こっちだってなんだかんだあったの、忙しかったの。ちょっとくらい置いていたってかまわないじゃない。
そんな大荷物じゃあるまいし!
リュック一つだし!

「大掃除してるんだと。だから荷物が邪魔だとさ。こっちのイルカが思い切れるよう、お前の痕跡を全て消すそうだ。よかったなカカシ」

何がよかったわけ?そもそもオレ、もう関係ないし。

「ここだったら絶対お前が顔を出すだろうからって預けにきた。グダグダしてないでとっとと忍犬行かせときゃよかったんだよ」

いやだから、さっきから言うけどまだ一週間しかたってないし。そもそも里長の執務室に荷物預けにくるのが間違ってるし。

「別な世界のイルカってのは実に思い切りのいい男だな。まったく、気持ちがいい」

カッカッカ、と高笑いされた。だから何、関係ないでしょ。オレはもう新しい生活をはじめてるんだから。

「ま、同じイルカだ。こっちのイルカも案外同じノリで帰ってくるかもしれんぞ?『別世界の素敵な六代目カカシさん』に癒やされてるだろうからなぁ」

知らないよ。なにこの人、何を面白がってるわけ?

「……ご迷惑おかけしました」

だが迷惑をかけたのは事実だ。文句を言うわけにもいかず、オレはリュックを持って退出しようとした。

「あぁ、そうだ、カカシ、伝言だ」

呼び止められた。だからさ、だからさ、そういうの、先に言ってよ。

「封がされてて動かせない箱があるので早急に取りに来られたし、うみのイルカ、だそうだ」

にやり、と綱手が口元をあげる。

「ほんっと迷惑なんですけど、だとよ」

ムカつく、あの中年。

黙ってオレは頭を下げた。そういうわけでキサラギの家へ帰る前に箱をとりに行かなければならない。勝手に持っていってくれ、だそうだが、こっちだって家主がいないのにあがりこむほど非常識じゃない。人様の家を勝手に漁るのは任務ではザラなわけだから、普通に生活している時はやらないようにするべきだと思っている。
とりあえずリュックを上忍寮に置き、イルカの仕事終わりまで待機所で時間を潰そうと思っていたらガイから勝負を挑まれ五代目から暇ならと雑用を押し付けられ、結局夜の十時になってしまった。腹も減った。これはもう、箱を取りに行ったら適当に食べて上忍寮で休んでしまおうか。この時間から里外に出てキサラギの家まで帰るのは面倒くさい。

いや、居心地いいよ?キサラギの家はオレの家だからね。料理もうまいし大人しい女だから鬱陶しくないし、静かに過ごせるって良いことだ。そう、イルカとは大違い。特にこの中年とは。今もほら、ドアの外にまで聞こえるほどの笑い声だ。ったく、夜の十時に何騒いでるんだか。

トントン、とドアを叩くとはーい、と声がした。ドタバタ響く足音、この人、ホントに忍びなの?しかも別世界じゃ火影の補佐官だったっていうじゃない。こんなんでやってこられたの?

声が聞こえる。子猫に何か言っているようだ。

「おいボロ、流れ◯の点数みとけよ。オレ的には決勝行ってほしいんだけど」

あぁ、日曜の十時、あのお笑い番組を見ていたのか。そういえば付き合いはじめの頃、こっちのイルカも見ていた。お笑い番組が好きだとかで、仕事入った時用に毎週録画までしていた。

「はーい、あぁ、アンタか」

アンタよばわり!

少しムッとなるがこんな中年、真面目に相手するほうが馬鹿げている。

「困るんですよね。あんな封印術とか中忍のオレじゃ手ぇ出せないじゃないですか。せっかく掃除したのに」
「………」

 


 
     
 

(こんな感じでカカシが外に本気の恋人を作っています。もちろん、おっさんイルカに三行半突きつけられました。まぁ、うちの話なんでカカシ、ソッコー戻ってきますが、おっさんは手強いです。本当は最後までスカしてて感情を露わにしない、カカイル初期型とでもいいましょうか、そういうカカシにしようかと思ったのですが、そんなカカシはうちのイルカ、絶対捨てるからダメだなと。七才も年上で図太いイルカに殺気を放ちながらも目だけが寂しげなんてことやらかしたらソッコー捨てられるの間違い無し。中年イルカは目を潤ませて愛しいって全てを受け入れる、なんて甘いことはしないタイプでした。一人で浸って伝わるなんて甘えてんじゃねぇ、と蹴倒すな、おっさんだもの…)