こひぶみ
     
     
 



こひぶみ


木の葉の上忍、はたけカカシ。

「秋の日のヴィオロンの…」

元暗部、写輪眼のカカシとしてビンゴブックに名を連ねる一流忍者。

「山のあなたの空遠く、幸いすむと人の言う…」

雲の上すぎて並の上忍など側に寄ることもできない。

「国破れて山河あり…って、違うな…」

そのはたけカカシが里に帰ってきた。上忍師として、後進を育成するため。

「む…難しい…こんなに難しいものだったとは…」

 

 

そしてカカシが恋をした。

 

 

 

 

 

 

上忍待機所の一角で、鉛筆片手にうんうん唸っているのは、件の上忍、写輪眼のカカシだ。
長身を丸めてぶつぶつと呟いては紙に何かをかきつけ、それを破り捨てては新しい紙に向かっている。あまりの集中ぶりに、殺気に近いものまで流れだし、待機所の空気はピンと張りつめていた。運悪くその場に居合わせた上忍達は一歩も動けない。
出ていくこともかなわず、かといって、写輪眼のカカシに声をかけられる剛の者がいるはずもない。皆、強ばったまま、ひたすらこの有名上忍の怪しい行動を見つめている。その時、開け放たれた窓から、ざぁっと暑苦しい風が舞い込んできた。

「勝負だ、カカシィーっ。」

それまで待機所の張りつめた空気に緊張を強いられていた他の上忍達は、暑苦しいオーラにさらなるダメージを受けた。

「忙しい。」
「なんだ、たるんどるぞぉっ。」
「ん、悪いね。」
「我がライヴァールッ、いったい何を」
「だから忙しいって。」

窓から飛び込んだ、自称「はたけカカシの永遠のライヴァルにして親友」マイト・ガイは片足立ちで両腕を振り上げたまま首を傾げる。マイライヴァルの様子がおかしい。この永遠のライヴァルにして親友、はたけカカシという男は、とっても照れ屋さんであるがゆえに普段の態度はそっけない、とマイト・ガイは思っているが、今のこれはそっけない、というよりは、他に気をとられることがありすぎて、自分に注意を向けていない、といった感じだ。

「どうしたカカシィ。お前がこのオレ以外に心奪われるとは。」

一瞬、待機所の寒風が吹きすぎた。

「……ちょっと、誤解招くような言い方、しないでくれる。」

ようやく顔をあげたカカシが、ものすごく嫌そうに眉をひそめているのをみて、周囲はホッと息をついた。今、すごく想像したくないものがよぎったような気がする。

「はっはっは、相変わらずの照れ屋さんだな、マイライヴァルは。」

周りに頓着しないガイは、片足立ちのまま、つつつ、とカカシの傍らに寄った。

「それで何だ?お前が最重要であるオレとの勝負を忘れる程熱くなっているものとは。」
「いつ最重要になったの。初耳だけど。」

ますます嫌そうに顔をしかめるカカシに、ガイはびし、と親指をたててみせた。

「シャイな奴め。」

実力もさることながら、このめげない性格のおかげで、ガイはカカシの友人でいられるのかもしれない。カカシは一つため息をつくと、手元の紙をぴらり、と掲げた。

「オレね、今、コイブミ書いてんの。」
「鯉を踏む気か?」
「恋文、ラブレター。」

ガイのお寒いボケが天然だと知っているので、これには別段嫌な顔をしない。さらりと流して、カカシはもう一度、大きくため息をついた。

「オレ、好きな人が出来たのよ。」
「おおっ。」

ガイの目が煌めいた。

「我がライヴァルよ、ついにお前も甘酸っぱい青春の扉をあけたのだなっ。」

さっきとは別の意味で待機所を寒風が吹き抜ける。いちいちポーズを決めるのがまた暑苦しい。それを気にせず淡々としているカカシは流石写輪眼、と皆、妙に納得した。そして…

写輪眼に好きな人?

待機所の全員が耳をそばだてた。緊張してもダメージ受けても、人間、好奇心には勝てない。カカシはガイに向かって眉を下げた。

「まぁね、初恋って奴、なのかなぁ…」

写輪眼のカカシの目元がほんのり赤くなっている。

「お前もレモンキャンディの味を知る時がきたのだ。実に素晴らしいことではないかっ。」
「ん〜、で、好きってこと伝えたいんだけど、直接本人を目の前にするとさ、もう緊張しちゃってダメなんだよね、何にも言えなくて。」

聞きたくない単語は脳細胞を通り過ぎるよう鍛えられているらしい。ナチュラルにすすむ会話に、外野の上忍達は改めてはたけカカシへの尊敬の念を深めた。

「はっはっ、わかるぞ、お前は昔から恥ずかしがり屋さんだったからなっ。」
「うん、オレ、結構気が小さいからさ。」

突っ込みどころが満載すぎて、誰も何も言う事ができない。二人の会話以外、シンと待機所は静まり返っている。はたけカカシはパタリ、と書きかけの紙をテーブルに置いた。

「で、手紙ならなんとか気持ちを伝えられるかなって思ったんだけど、これがねぇ。」

カカシはがっくり肩を落とす。

「難しいもんだね、恋文って。もう、藁にもすがりたい気分だよ。」
「水くさいぞ、カカシィっ。」

がしり、と肩をつかまれ、カカシは眠そうな目をあげた。

「恋文の書き方ならば、何故おれに聞かんっ。」
「え?書けんの?」
「これでもおれはお前より里に長くいるからなっ。」

白い歯がきら、と光った。

「万事おれに任せろっ。」
「あ〜、」

びっ、と親指をたてて大きく頷く自称、永遠のライヴァルに、カカシは目を瞬かせた。

「じゃあ、お願いしようか…な。」

言い方は素っ気ないが、唯一見えている右目が期待に輝いている。

いやカカシさん、まだ藁に縋った方がいいんじゃねぇですかっ。

待機所にいた全員が心の中で突っ込んだ。もちろん、声に出せる者はいない。
上忍達が固唾をのんで見守る中、ガイは腰に手を当て仁王立ちになった。

「よ〜し、マイライヴァル、鉛筆をとれっ。」

鉛筆かよ。

だがカカシは素直に従っている。

「まずはカカシよっ、こんな詩集など捨ててしまえっ。」

ガイは机の上に積んである詩集をぶわっと放った。『火の国名作選』だの『古歌集』だの『愛の歌特選』だのが宙に舞う。

「人の言葉に頼ってどうする、カカシィ。」
「それもそうだね。」

だが、次の瞬間には、宙に舞ったはずの詩集は全てカカシの手の中にあった。

「でも捨てちゃダメでしょ。」

待機所の上忍達はぽかんとその姿を見つめた。ぽそっと誰かが囁く。

「おい、見えたか?」
「いや、全然…」

空中の本を回収したカカシの動きは全く見えなかった。ものすごくどうでもいい場面だが、写輪眼のカカシの実力を目の当たりにした上忍達は感慨新ただ。流石、ビンゴブッククラスはけたが違う、感動にも似た気持ちでみやると、里の誉れは鉛筆を握って行儀良くガイの講義を受けていた。

「はじめの挨拶だとぉ?てぬるいっ。」
「え、でも四代目は挨拶をちゃんとしないヤツはクズだって…」
「カカシィ、お前が書いているものは何だっ、恋文だろうっ。お前の熱き心を挨拶などというオブラートに包むのはよせっ。」
「そういうもん?」

ダメっすよ、カカシさん、挨拶は大事です…

上忍達の小さな呟きはガイの熱烈な指導にかき消されている。

「なんだその「です、ます」調はぁっ、貴様の燃える恋情は丁寧語レベルか、ここはビシッと命令形だ。」
「そうなの。」

カリカリカリ
カカシは紙に書き付ける。

いや、カカシさん、命令しちゃだめなんじゃ…

カリカリカリ

「そうだ、どこまでも愛を貫き通すという決意を表現するのだっ。」
「決意ね。決意。」

カリカリカリ

飄々と見えても、鉛筆を握る手に力が込められているのがよくわかる。

「出来た…」
「よーし、カカシッ、合格だぁっ。情熱のおもむくまま、今すぐこれを渡してこいっ。」

ガイが親指をびしっと立てる。カカシは立ち上がって目を細めた。

「ありがとね、ガイ。」
「青春してこい、カカシィッ。」

滂沱と涙を溢れさせるガイに見送られ、浮き浮きとはたけカカシは待機所を後にした。里でトップクラスの上忍の、去っていく背中を眺め、木の葉の上忍達はしみじみと思った。

おれらが知らなかっただけで、もしかしたら木の葉のトップクラスってのは、とんでもなく純情一直線なのかもしれない…
ずれてるけど…

「なぁ…あの手紙さぁ…」

誰かがぽつりと言った。ふるふると皆、頭を振る。ガイの指導を聞いている限りでは、あの手紙が恋文になったとは思えない。

「あれじゃあカカシさん…」

気の毒すぎて、みなまで言えない。

「鉛筆だしな…」
「……だな。」

恋の相手が誰だか知らないが、あの恋文を渡されて喜ぶとは思えない。里一番の凄腕上忍の、おそらくは初めてであろう恋に、待機所の上忍全員が同情していた。

















受付所は水を打ったように静まりかえっていた。写輪眼のカカシが、すさまじい殺気を放ちながらドアを開けたのだ。じろり、と見回されて、受付所にいた全員が、ひっ、と息を詰めた。はたけカカシはある一点に目を留めると、真っ直ぐにそこへ向かう。
カカシが目を留めた一点、そこにはアカデミーと受付兼務の中忍、海野イルカが座っていた。カカシの鋭い眼差しがイルカを射抜く。ツカツカと、カカシは受付机をはさんで、イルカの正面にたった。ぎろり、と睨みおろされ、イルカは真っ青な顔で硬直した。何か言わねば、と思うものの、恐怖のあまり、声が出ない。

「海野イルカ。」

ひ〜〜〜〜っ。
冷たい声音で名前を呼ばれ、イルカは引きつったままコクコクと頷いた。

「これ。」

カカシの長い 指が二つに折り畳んだ紙をイルカの前に放る。がちがちに固まったイルカは咄嗟に動けなかった。だが、カカシが厳しい顔で自分を見ている。震える手を伸ばし、イルカはその紙を手に取った。カカシの気配がふっと揺らいだ。

「渡したからね。」

イルカがもう一度、コクコク首を振ると、カカシは冷たい一瞥をくれ、踵を返して出ていった。






カカシが受付所を出てからしばらくの間は、誰も口をきかなかった。すっかりカカシの気配が消えてはじめて、体の力が抜ける。一息つくと、今度は騒然となった。誰もがイルカの手元にある紙片に興味津々だ。隣に座る同僚がまだ硬直したままのイルカをつついた。

「なぁ、お前、はたけ上忍になんかしたのか?」

心外だとばかりにイルカはぶんぶん首を振った。

「じゃあ、なんではたけ上忍、あんな怒ってたんだよ。」
「しっ知らねぇよっ。」

イルカは悲鳴を上げた。

「俺、ナルト達の元担任ってことで、たまに挨拶するくらいでっ。」

しかし、実はイルカには思い当たることだらけだった。最近、やたらとカカシに遭遇する。昨日は階段の踊り場でカカシにぶつかってすっころびそうになったし、廊下でぶつかりそうになったことなど数知れず、そして何故か必ずはたけカカシなのだ。イルカとて中忍、どんなに荷物を抱えていても、ここまで誰かとぶつかりそうになったことなど一度もない。変だなぁ、とは思うものの、ぶつかりそうになる度に、凍り付くような目で睨みつけられ、恐ろしくて誰にも言うことができなかった。

「ほんと、しゃべったりとかしたことねぇし…」

思い出してぶる、と体を震わせていると、隣の同僚が身を乗り出してきた。

「なぁ、とにかく、その紙、開けて見ろよ。」

隣の同僚だけでなく、受付所に居合わせた連中や、後の事務室からも野次馬が出てきて、イルカの周りに群がった。だが、肝心のイルカはすっかり恐れをなして、紙片を開けようとしない。

「いっいやだっ。」
「イルカぁ、中、開けねぇとわかんねぇだろ。」
「怖ぇよ、見ただろ、はたけ上忍のあの顔っ。」
「読まねぇほうが怖ぇだろーが。」

同僚が手を伸ばすと、イルカは紙片を押さえて抵抗しはじめた。

「いやだぁ〜〜っ。」
「ほら、開けろって。」
「爆発したらどうすんだよっ。」
「んな馬鹿な。」

後の同僚達ががしっとイルカを押さえつけた。その隙に隣の同僚が紙片を取り上げる。イルカはじたばたもがきながら悲鳴を上げた。

「祟られるぅっ。」
「どんなだよ、はたけ上忍…」

紙片を取り上げた同僚が呆れたように言った。いつしか外野はシンとして耳をそばだてている。聞こえるのは、やめろと騒ぐイルカの声だけだ。

イルカの必死のこの様子、もしかしたら本当に何かあるのかもしれない。まさか、マジ爆発?、もしくは何かの術?
野次馬達の間に一瞬、恐怖がよぎった。しかし、悲しいかな人間の性、好奇心には勝てない。なにせあの有名な上忍が殺気をみなぎらせながら渡したものなのだ。恐る恐る、隣の同僚が紙片をひろげた。全員、びくっと体を強ばらせる。だが、何も起こらない。ほっとして、同僚は紙片に目を落とした。そして、今度こそ真っ青になった。

「イイイイルカッ。お前っ、いますぐ荷物まとめて逃げろっ。」
「何だよお前、何イルカびびらせてんだよ。」

他の同僚がひょいと横から覗き込む。次の瞬間、がばりと顔を上げた。

「ほっ火影様にっ。」
「とっとにかくイルカっ、逃げろっ。」

同僚二人はほとんどパニックだ。紙片には、筆圧の強い強ばった文字でこうあった。

『海野イルカ、午後六時、受付所裏庭に来い。貴様に言い渡すことがある。断れば命はないと思え。はたけカカシ。』

ひぃぃぃぃっ。

イルカが恐怖の叫びをあげた。

はたけ上忍、ご乱心。

暗部中隊が出て上忍待機所になだれこみ、はたけカカシを拘束したのは、そのわずか数分後のことだった。












「恋文じゃとぉぉっ。」

火影は椅子から転げ落ちそうになっていた。さしたる抵抗もせず、大人しく拘束されたカカシの様子を訝しんだイビキが、直接火影の執務室へカカシを連行したのだ。

「これのどこが恋文じゃっ。」

カカシはきょとんと首をかしげた。

「やだなぁ、三代目、ここに書いてあるじゃないですか。今日の六時に裏庭であなたに告白しますって。」
「命はないと脅しとるじゃろうが。」
「いや、断られたらオレ、死んじゃうくらい悲しいなって。」

ぐらぐらと目眩を感じながら、それでも火影は詰問した。

「では、受付所での殺気はなんじゃっ。」
「オレ、殺気なんかだしてませんよ。緊張してそれどこじゃなかったです。」
「おぬし…」

ぽけっと首を傾げている里一番の凄腕忍者に、三代目はがっくりと手をついた。それから、ふっと目頭を押さえる。

「不憫な子よ。」
「は?オレですか?」

火影ははらはらと落涙した。

「いかにもそうよの。幼い頃より任務任務にあけくれて、恋の一つもせなんだか。」
「はぁ、面目ない。」

ぽりぽりと頭をかく銀髪の上忍は、実はかなり呑気な性格だった。ただ、それを知るのは火影と極少数の友人達のみで、勝手に作られた偶像が一人歩きしているのは本人の責任ではないだろう。火影はくわっと目を見開くと、カカシを手招きした。

「カカシよ、恋の手ほどきはわしにまかせい。なに、若い頃は花魁千人切りの異名をとったこのわしじゃ。すべて伝授してくれよう。」
「あれ、四代目がそれ、ホントは嘘だって、奥様怖くて三代目は遊びに絶対いけなかったって…」
「だまらんか。」

後でぶっと吹いた暗部は火影に睨まれ慌てて姿勢を正した。

「まずは恋文の書き方からじゃ。おぬしは基本からなっとらんっ。」
「はぁ。」
「これ、しゃきっとせんかいっ。」

はたしてこの一時間後、受付所に再び緊張が走った。殺気を漂わせた銀髪の上忍が、厳しい顔つきでイルカに封筒を差し出している。パステルピンクの封筒だ。しかも、何やらいい香りまでしている。息も出来ないような殺気と、可憐な色合いの封筒の取り合わせはひどく不気味だ。イルカが恐怖で竦んでいると、銀の上忍が地を這う声でこう言った。

「ピーチの香りは好きですか。」
「はっははははいっ。」
「そうですか、よかった。」

写輪眼のカカシにすごまれ、どうして「いいえ」と答えられよう。カカシはぐっと顔を突きだした。

「手紙、読んでください。」

それから踵を返し、里一番の凄腕忍者は受付所を出ていった。そこにいた一同、固まったイルカから手紙をとりあげ、こわごわ中身を取り出してみる。。パステルカラーの小花が散った便せんが出てきた。やはり桃の香りがする。可憐な便せんにはピーチの香りつき蛍光ペンを使ってこう書かれてあった。

『海野イルカ様 あなたは僕のピーチです。ピーチは桃です。いつかあなたの桃を食べさせて。 はたけカカシ。』

なんのこっちゃい。

その場にいた全員が首を捻った。
はたけ上忍、イルカに桃をおごらせたいのか?

「……桃尻?」

誰かがぽつっと呟いた。

「尻…?」

受付所がシーンとなる。

「えーっと、イルカぁ…」

受付所の床には、魂の抜けたイルカが呆けて座り込んでいた。






木の葉の上忍、はたけカカシ、ビンゴブックに名を連ねる凄腕忍者。やっと訪れた春だったが、まだまだこの恋、道のりは遠かった。