「おーイルカ、あけましておめで…うおっとい」 一月七日の朝、アカデミーに出勤してきた男は黒髪の同僚の顔をみて一歩下がった。職員室で隣の席に座るうみのイルカ、見た目は標準的な体ながらアカデミー随一のタフさを誇る男がどこかげっそりとなっている。 「なに、お前、やつれてね?」 「風邪ひいて寝込んでた」 「え?どのくらい?」 「元日から39、5度の熱が三日間」 「うわ〜、そりゃあまぁ」 やつれるはずだ、男はガラ、と椅子を引いてイルカの隣の席についた。 「頑丈なお前が珍しいな。年明け早々鬼の…」 撹乱だと笑おうとして固まる。うみのイルカの黒い目がじっとりとこっちを見つめているのだ。 「えっと…」 「聞け、まぁ聞け、オレの話を」 有無をいわせぬ迫力でイルカが体ごとこちらを向いた。 「オレのこの無念さを」 「おっおぉ」 なんか知らんが怖い。ここは言うことを聞いたほうが賢明だろう。観念した男が椅子をまわしてイルカに向き合うとずい、と膝を詰められた。 「ことの起こりはな、オレぁカカシさんだと思っている」 「は?」 「いや、カカシさんだ、絶対にそうだ、間違いない」 イルカは無念そうに拳を固めている。この黒髪の同僚、数年前から里の誉れと謳われる凄腕上忍、はたけカカシと恋仲で、すでに同居しているのだが、時折派手な痴話喧嘩をやらかしては五代目から絞られていた。この間も映画がどうたらと中忍アパートを半壊させ罰としてゴミ置き場掃除を終えたばかりだ。懲りずにまた何かやらかしたのだろうか。本音を言えば関わりたくない。だが目の前の黒髪は己を離してくれそうもなく、男は渋々相づちを打った。 「なんではたけ上忍なんだ?っつかことの起こりって何だ」 「オレの風邪に決まってるだろうっ」 一つ括りにした髪をぶん、と振ってイルカが吠えた。 「クリスマスの頃さ、カカシさん、珍しく風邪ひいたんだよ。なんか上忍待機所にガイさんがその風邪持ち込んだとかで、ほら、覚えてねぇか?結構な数の上忍がやられて任務滞りそうになっちまったアレ」 言われて思い出した。去年の二十日過ぎ、軒並み上忍達が風邪で倒れて受付所がパニックに陥ったことがある。受付兼務の自分やイルカは連日残業で調整に苦労した。あれはマイト・ガイ上忍が発端だったのか。激眉上忍に罪はないが、それでも沸き上がる恨みにギリギリと歯を噛み締めていると、ぐっと手を握られた。 「わかる、わかるぞ。オレもあれの発端が無茶な修行のせいで風邪こじらせたガイ上忍だったって聞いたときゃ外地に飛ばしちまおうかと思った」 いや、そこまでは思ってない。 ぶんぶん首を振った男にイルカは頷いた。 「皆まで言うな。オレもお前と同じ気持ちだ」 だから違うって。 男の否定の言葉をイルカはさりげなく遮った。 「ガイ上忍のこたぁ置いといてだな、問題はカカシさんだよカカシさん」 話が元に戻った。男は首を傾げる。 「だからなんではたけ上忍だってさっきから聞いてんだろ?」 黒髪の同僚は神妙な顔つきになった。 「風邪ってさ、なんつーか、体の強ぇ奴の体内で培養されっと次の奴に移る頃にゃ毒性、すげぇ強くなってると思わね?」 「?」 なんの話だ? うみのイルカは至極真面目な表情だ。 「つまりさ、桁外れの体力を誇るガイ上忍の体内で培養された風邪菌だったからこそ、木の葉の上忍、特上が軒並み熱出して倒れたんだ」 「たっ確かに…」 言われてみればそうかもしれない。あの時は下位の忍びは接触禁止とのふれまで出た。 「流石のカカシさんも激眉風邪菌にやられてさ、ただカカシさんって腐ってもトップ上忍なんだよな、ちょっと熱っぽいかな、鼻水でるな、くらいで回復しちまったんだ」 そうだった。すぐ元気になったカカシが穴の開いた任務を全てこなしてくれたのだ。 「うん、はたけ上忍のおかげで助かったんだった。オレぁ一生感謝を忘れねぇよ、あんときゃ後光さして見えたもんな」 「感謝なんかしなくていーんだよ」 けっ、とイルカが吐き捨てる。 「おいおい、仮にもイルカ、お前、恋人がそんな…」 「そう、恋人なんだよオレぁ」 黒髪の中忍から怒気が噴き出した。 「恋人だからいっつも一緒にいるわけ。あの人、くっつきたがりだしよ、まぁ、そりゃいいんだ、別に普段だったらな。でもあんときゃ激眉風邪菌の保菌者なわけじゃね?なのにぜんっぜん自覚なくてさ」 語気が次第に荒くなる。 「だから最大限、注意してたんだ。激眉菌が更に写輪眼のカカシの体内で培養されたなんて、そんなの猛毒だよな、ゼッテーうつりたくねぇじゃん。手洗い、うがい、徹底したね。爪の先から手首まできっちり。そんでもって免疫力高める食品とるよう心がけてさ、体も冷やさねぇようにして、もちろんチューもHも絶対拒否、オレの半径二メートル以内に侵入すんなって、でもよ、オレの部屋って狭いじゃん。無理なんだよ接近せずに生活するってさ、こんなことならとっとと広いマンションか一軒家、買わせとくんだった」 一般的風邪対策の合間になにやら恐ろしい言葉が混じっていた気がしたが、精神衛生上男は無視を決め込んだ。イルカは一つ括りにした黒髪を揺らし首を振る。 「しかもあの時期、忙しかったじゃん。激務だったじゃん。ちょっとやべぇかな、って感じだったんだよな。だから早めに薬も飲んでさ、オレなりに対策とってたわけ」 くっ、と眉を寄せた。 「年末のお楽しみ、三十日の中忍忘年会だけはオレ、はずしたくなかったしさ、その日も風邪薬に抗生物質まで飲んで、なんとなく乗り切れた感あったんだわ」 受付所に仕事納めはない。ただ、三十日は念に一度、費用は里持ちで慰労会が行われる。アカデミーや受付の中忍と事務方だけの飲み会は一年に一度の楽しみだった。 「おっおう、お前、結構飲んでたよな。元気に見えたぞ?」 「元気だったんだよ実際。で、これはもう大丈夫だなって、激眉風邪菌、オレは乗り越えたって思って、三十一日、大掃除したよ、正月くんだもんな。オレぁアパート周りの枯れ枝まで撤去して綺麗にして、おせちはほとんど出来合いだけど煮物くらいは作ったしさ、年越し蕎麦も作って食ったよ」 「……マメだなお前」 「これでも世話女房なんだよオレぁ」 180越えのガタイの男に『世話女房』だと胸を張られてもリアクションに困る。だが自称「世話女房』は同僚の困惑をよそに男らしい顔を悲しげに曇らせた。 「正月もな、姫始めとかアホ抜かす上忍を蹴倒してちゃんとおせちと雑煮食わせてようやく一息ついたわけよ。あのアホもお屠蘇で機嫌よくなっててさ、初詣は昼からってオレぁちょいと横になったわけだ」 蹴倒したんだ…っつかアホとか言っていいのか、一応あの人、次期火影じゃなかったっけ… そこまで考えて突っ込むのをやめた。まともな感覚でこのバカップルに対応してはいけないのだ、己の精神衛生を考えると特に。 そのバカップルの片割れは目の前でフルフルと拳を震わせている。 「ちょっとのつもりが結構な時間、爆睡しちまってて、なんだかんだでオレも疲れてたんだよな。だがな、問題はそこじゃねぇ」 イルカの黒い瞳に凶暴な色が浮かんだ。 「目ぇ覚めたのって寒くてなんだよ、オレの体、冷えきっててガッチガチでさ、見るとストーブ消してあんの。クソ上忍の姿はどっこにもなくてよ、部屋ん中、薄暗いってかもう夕方五時でさ、さみ〜ってごそごそストーブつけてたらやっとあのバカが帰ってきやがって、あれぇ、目ぇ覚めた?よく寝てたねぇ、だと。なんか五代目から呼ばれて年賀に行ったって、ついでにまた飲んできてやがってさ、いや、そりゃ別にかまわねぇんだ、アホとはいえ腐っても火影候補だもんな、そりゃかまわねぇ、だけどよ、この寒空、ストーブ消していくか?百歩譲って火事になんねぇよう気ぃ使ったとしてもだ、毛布一枚オレに掛けてくれたってバチ当たんねぇよな、だろ?新年早々、オレぁあやうく自宅で凍死するとこだったんだぞ」 確かに、黒髪の同僚の怒りはわかる。次期火影といえどけちょんけちょんにけなしたくもなるだろう。 「それだけじゃねぇ」 「まっまだあんのか?」 「ったりめぇだ。だから腹立ててんじゃねーか」 ぐっとイルカは顔を歪めた。 「飯くって風呂はいって、あのクソ上忍はヘラヘラ新年番組とか観てたけどさ、なんかオレ、さすがに調子悪くなってきて早々布団に入ったんだよ。でもさ、夜中三時頃、すげー寒気と頭痛で目ぇ覚めて、もう全身が軋むわ目眩するわでな、あんまり苦しくて布団の中で呻いてたんだよ、なのにだ、なのにっ」 怒りに目をむきイルカは叫んだ。 「あのクソ上忍、ガーガー鼾かいて寝てやがんの、隣だぞ、横に寝てたくせ、オレが呻いてもがいてても高いびきで目ぇ覚ます気配もねぇの。マジあの野郎、上忍?隣で大事な恋人が苦しがってるってのに爆睡してる上忍ってどーよ、あんなん火影にして木の葉大丈夫なのか?今からでも遅くねぇからもっと忍びらしい奴、火影候補にしたほうがよくね?いや、木の葉がどうなろうとオレが知ったこっちゃねぇ、腹立つのはオレの危機にあの野郎、気付きもせず寝てやがったってことだよ」 ぐぉぉ、とイルカは拳を突き上げた。 「もうな、このまんまじゃ死ぬってオレ、薬箱んとこに這ってってさ、解熱剤飲んだんだけどな、それでも38、5までしか下がんねぇわけ。朝までうんうん唸ってたら、ようやく目ぇ覚ましたクソ上忍がな、あれぇ、風邪引いた?だとよ、見りゃわかんだろ見りゃ、風邪でなきゃなんだっつーの、風邪の熱で倒れてたんだよオレぁ」 怒りに震えるイルカは更に吠えた。 「そっから三日間、薬飲んでもほとんど熱下がんなくてな、イオン飲料だけでオレぁ命繋いだわけよ。四日目にやっと熱が37度5分まで下がったけどな、寝てるしかねぇ、ってかようやく普通に眠ることが出来たっつーかな、そんでもって今日だよもう七日だよ、外歩いても巷じゃ七草がゆだよ、オレの正月どこ行った、福袋は、初売りは、正月のしょの字も味わえねぇうちに世の中七草がゆになっちまってたんだーーーっ」 悲痛な叫びだった。この男のイベント好きは昔からよく知っている。そりゃあ無念だろう。にしても、あのはたけカカシが隣のうめき声にも気付かず爆睡するとは、イルカに気を許している証拠なのだろうが、それはそれで凄すぎる事実だと思う。黒髪の同僚は再燃した怒りにわなわなと震えている。と、職員室の窓から銀髪がひょこり、と覗いた。 「あ」 思わず指差すとイルカも振り向いた。 「あ」 こちらは眦吊り上げる。銀髪の覆面忍者がおずおずと窓から顔を出した。 「あのぅ、イルカせんせ」 ぷい、とイルカがそっぽを向いた。おぉ、と職員室のあちこちで声が上がる。激昂するイルカの話は職員達に丸聞こえで、すでに皆がイルカの方を注視していた。 「イッイルカせんせぇ」 つーん 音がするほどイルカがそっぽを向く。 「しっ失礼します」 職員室の皆に片手をあげると、里の誉れはあたふたと窓を乗り越えてきた。 「せっせんせ、体大丈夫?御仕事出来るの?」 つーん カカシとは反対の方向にまた顔をそむける。あわあわと上忍は正面にまわりこんだ。 「あっあのね、今日は職員会議だけでしょ?オレ、迎えにきますから」 ガタ、と椅子を鳴らしてイルカが立ち上がろうとする。中忍が逃げないよう里の誉れは慌ててその手を取った。 「えっとね、お正月気分、味わえなかったでしょ?花月楼予約したから、もちろんお正月料理、ね、一緒にお正月、やりましょ?ね?」 花月楼って言葉にぴく、と反応が返ってきた。銀髪の上忍はわずかに安堵の表情を浮かべるとぎゅ、ともう一度黒髪の恋人の手を握る。 「オレ、急いで任務片付けてくるから、イルカせんせ、待ってて、ね?」 「……任務、終わるんですか?」 「大丈夫大丈夫、今日はお忍びで遊びにきた貴族様一家の相手だから、とっとと切り上げるし」 いいのか、お得意様のお相手切り上げて… 同僚の男だけでなく職員全員がそう思ったが、里の誉れは全く気にしていないらしい。 「会議終わったら式飛ばして?そしたらすぐ駆けつけるよ」 やめて、里のお得意様、優先したげて! 職員達の心の声とは裏腹に、イルカがふっとカカシを見つめた。 「ホントに?ホントに優先してくれるんですか?」 「当然です。あなた以上に大事なものはないんだから」 自分優先させんなやバカイルカ、っつか頼むからこのバカ優先せず仕事して下さいはたけ上忍っ 教職員達の、特に受付兼任職員の声なき叫びが聞こえるはずもなく、里の誉れは嬉しそうに笑うと恋人の頬にキスを落としてからかき消えた。バカップルの片割れはというと、さっきまでの鬼の形相はどこへやら、口元がへら、と弛んでいる。 「おおおい、イルカ、まさかお前、マジで式飛ばす気じゃないだろうな」 「え?なんで?カカシさんが飛ばせって言ったんだから飛ばすぞ?」 花月楼かぁ、楽しみだなぁ、鼻歌混じりにそう呟くと黒髪の中忍はバサバサと職員会議の資料を机に広げた。 「あ、時間だ、教頭先生、さっさと会議はじめましょう」 上機嫌なこの男に忍びの任務の理を説いても今は聞く耳を持っていまい。かといって式を止めれば後々、写輪眼のカカシの機嫌を損ねるのは火を見るより明らかだ。 誰も口を挟めぬまま、会議は滞りなく終わってしまった。引き延ばしを計った教頭は、無駄に優秀な学年主任、うみのイルカに撃破されて水底だ。 結局式は飛ばされ、言葉通り迎えにきた写輪眼のカカシとともに黒髪の同僚はイチャイチャ帰っていった。 貴族様の接待がどうなったのか、アカデミー職員達にはうかがいしれない。 ただ数日後、再び本部敷地内のゴミ置き場の掃除をしている里の誉れと黒髪の同僚の姿をみて、皆、なんとなく理解した。また、蝶番が破壊されてしまった火影執務室のドアの修理はいまだなされていないという。 木の葉の里の初春は、一応穏やかにすぎていった、ことになっている。
風邪を引いた経緯と夜中、金角が苦しんでいる隣で亭主がガーガー高いびきだったのは実話です。カカシが高級料亭を予約してやるくだりだけがね、憧れっつーかファンタジー?現実は悲しいよね、腹立ったから亭主、蹴倒したのは事実だけどね、うん、現実は悲しいもんなのさっ