はたけカカシ二十六歳、子供の頃から里を背負ってたつエリート上忍、四代目の秘蔵っ子と呼ばれ今はその遺児の上忍師を拝命している次期火影候補、この度、一世一代の恋に落ちました。
「ってことで知り合って半年、つまり恋に落ちて半年、ゆっくりじっくり距離をつめ気さくな上司から飲み友達、そして更に一歩すすんだ友達以上恋人未満の関係にまで持ち込むことに成功した!」
「「「ッス、先輩」」」
拳を握り仁王立ちしているのは斜めがけの額当てに黒い口布をした銀髪の忍び、写輪眼のカカシだ。暗部詰め所備品の机の上にすっくと立つ。その前には後輩たちが整列している。全員小隊長クラス、暗部きっての精鋭たちだ。そして別名、『カカシ一番隊』との異名を持つ集団でもある。その一番隊を前に銀髪の忍びは熱弁をふるった。
「何を根拠に友達以上になったと断言できるか、それは彼の人のオレを見つめる眼差しが変わったからだ。温度が変わったのだ。あの熱っぽさはけして夏の暑さのせいではないっ」
「「「その通りッス先輩」」」
野太いエールが暗部詰め所に響き渡る。
「おしぼりを取ろうとした彼の人の手に触れた時、頬が赤く染まってみえたのは夕映えのせいではないっ」
「全くだ先輩」
「ッス先輩」
「…と思うんだけど…」
野太いエールを受けながら熱弁をふるっていたはずの元暗部部隊長は自信なさげに声を小さくした。
「どっどうかな、間違ってるかな…」
逆だった銀髪がぺしゃんとなっている。両手の指をモジモジこすりあわせるカカシに後輩達は慌てた。この元部隊長、任務では冷静沈着、怖いものなしのくせにプライベートになるとてんで意気地がない。イチャパラ片手のポーズとは裏腹に恋愛などしたことがなかった男は生まれて初めての恋に右往左往するばかり、ともすれば逃げ出そうとする。なので後輩達はこれまであの手この手で盛り立ててきた。なんたって敬愛するはたけカカシ先輩一世一代の恋、一肌脱がずにカカシ一番隊を名乗る資格があるものか。もちろん、相手の素性、性格まで入念に調べ上げ合格がでたうえでの応援である。
実は一番隊の構成員は『後輩』といっても年齢はカカシより上の者達ばかりだ。カカシは若くして部隊長となったため、直接の部下は一番隊副長のテンゾウを除いて皆年上である。そして、直属の部下であった後輩達と、カカシより先輩ではあるが死線をともにくぐるうち心服した者達が集まって結成されたのが『カカシ一番隊』だ。ちなみに一番隊隊長は四代目の同期で、幼い頃からのカカシを知っている。気分はおそらく父親だろう。その一番隊隊長が拳を突き上げた。
「自信を持て、お前は凄い奴なんだぞカカシ」
「そうッスよ先輩、気弱になっちゃダメです」
「絶対大丈夫っすよ先輩」
「そっそうかな…」
「「「そうっス!!」」」
全員でエールを送ればカカシは再び勢いを取り戻す。キッと顔をあげ拳を固めた。
「中忍試験での諍いも今にして思えば親密になるきっかけ、恋のスパイス」
「そうッス」
「その通りっス」
一番隊の声に背中を押されカカシはその拳を振り上げる。
「機は熟した」
全身からパチパチと青白いチャクラが迸った。
「オレはイルカ先生に告白する」
「「「ウィッス」」」
「そして二十七歳の誕生日はお付き合い記念日となるのだっ」
うぉぉ、と歓声があがり拍手が沸き起こった。
「いいぞカカシー」
「最高っす先輩ー」
「その調子ッスよーっ」
「でっでも…」
ぺしゃん、と銀髪がしおれた。机の上にしゃがみこむ。
「ふっふられ記念日になったらどうしよう…」
俯いたカカシは指で机の表面を擦った。
「誕生日のたびに悲しくなってオレ、生きてられないかも…」
キュッキュッと机が軋む。
「あわわ、先輩っ」
「先輩、元気だして」
「大丈夫だって、カカシー」
一番隊は必死で励ました。
「先輩の素顔みせたらイチコロですっ」
「そうだぞカカシ、まだ素顔みせてないんだろ?」
そう、繰り返すがこのはたけカカシという男、一見飄々と何事をも超越しているようでプライベートではチキンなのだ。誰がみてもとんでもない美貌の持ち主であるにもかかわらず今ひとつ自信が持てず、想い人相手にいまだに素顔を出していない。何度も食事や酒の席をともにしているのに、である。
「でもオレ、忍びの技ならちょっとは自信あるけど素顔には自信ないしイルカ先生の好みじゃなかったらホント、生きてられないし」
殉職…
しゃがみこんだカカシは小さくぶつぶつ呟き始めた。
殉職しよう、そうだ、殉職すればいいんだよね、ふられたオレなんて殉職しちゃえば…
元部隊長、ネガティブになったら奈落へまっしぐら、立ち直るのに時間がかかる。再び一番隊は大慌てだ。
「せっ先輩、しっかりしてください」
「大丈夫っすよ先輩っ」
「戻ってこいカカシーッ」
その時だ、バタン、と暗部詰め所のドアが勢い良く開いて一番隊副長のテンゾウが入ってきた。
「遅くなりましたー、ってあっ、あれ?先輩?」
机の上でしゃがみこんでいるカカシに目を瞬かせる。
「テンゾウ、お前ぇ遅ぇじゃねーかっ」
「カカシ先輩が今大変なことになってるんスよっ」
「早く早く、テンゾウ先輩っ」
テンゾウは大きな目をぱちくりさせたあと、ふっと不敵に口元を吊り上げた。
「だいたい察しました」
「さすがっス、テンゾウ先輩っ」
「だてにカカシ歴、長くねぇなお前」
ふふふ、とテンゾウは腰に手をあて額には指を当て、要はポーズを決めると机の上にうずくまるカカシに呼びかけた。
「ご心配にはおよびませんよ、カカシ先輩」
チラ、とカカシが顔をあげる。すかさずテンゾウは両手を広げてアピールした。
「僕達カカシ一番隊がただの傍観者をきめこんでいたとお思いですか?さぁ、皆、わかっているね?」
ぐるりと一番隊隊員達を見回す。
「報告してカカシ先輩のお心を軽くするのだ」
おおーっ、と一番隊は腕をつきあげテンゾウに応えた。ファイルを抱えた隊員が数名、前に躍り出る。
「件の中忍の好みをリサーチしたところ先輩の素顔は好みに合致することが判明しましたぁっ」
「うみの中忍へのセックスアピールは口元のホクロです、口元ホクロを見ると背筋がゾクゾクするそうですっ」
「左口元がベストっス」
「同僚の中忍達にも確認済みッス」
「恋愛に関してはロマンティストでありバイオリンを奏でながらの告白にゾクッとくるとの情報ありっ」
「推奨サラサーテ作曲、ツィゴイネルワイゼン」
「「「カカシ先輩、これでうみの中忍を攻略出来ますっ」」」
ビシッと一番隊全員が親指をたてた。一瞬、カカシがパッと明るい顔をする。
「でっでも…」
だがすぐにまたしおれた。
「オレ、口元にホクロとかないし…」
「先輩、この僕が、カカシ愛では誰にも引けをとらないこの僕が大事な集会に何故遅れたかおわかりですか」
腰に手を当て胸を張るテンゾウを一瞥するとボソリと言った。
「任務でしょ」
「とーんでもなーい。任務ごときで大事な集会を放り出すほどこのテンゾウ、耄碌しちゃいませんよ」
じゃじゃーん、とテンゾウは口に出して言いながら小さな布張りの箱をかかげた。
「この僕にぬかりはありません。仕上げさせていたんですよ、これを」
指輪の箱のようにぱかりと上蓋が開く。中には黒く小さな丸いものが入っていた。
「これは僕達一番隊が研究開発部を脅し…依頼して作らせたチャクラホクロです。なかなか仕上がらないのでクナイを突きつ…丁重にお願いしてなんとか間に合わせました」
ニヤリとする。
「このつけボクロ、一度チャクラで吸着させれば倒れるくらいのチャクラ切れにならないかぎりくっついたままです。つまり」
カカシがハッとなった。
「そうです先輩。うまくやれば絶対につけボクロだとはバレない」
テンゾウが頷く。
「一生バレないんです」
カカシのあらわになっている右目が見開かれた。後輩達も力強く頷く。
「先輩の美貌にくわえて口元ホクロがあればうみの中忍へのセックスアピールは完璧ッス」
「もう何も恐れるもの、ないじゃないスか」
「カカシ先輩、告ってください」
「告ってください、カカシ先輩」
「おっお前ら…」
感極まってカカシは声を震わせた。
「ありがとう、本当にありがとう」
すっと目元を拭うと立ち上がった。
「お前らの好意をムダにはしないよ」
カカシの目に力が戻っていた。眼光鋭く立つ姿は皆を率いて死地を駆け抜ける部隊長のものだ。
「見ていてくれ、オレは立派に告白してみせる」
静かな闘気が立ち上った。青白いチャクラをまとった男の銀髪が逆立つ。
「誕生日を結婚記念日にしてみせる」
「その意気です、先輩」
「いいぞカカシー」
「カカシ先輩、カッコイーッ」
ワラワラと皆がカカシの足元に集まった。
「先輩、これは太古の昔よりつづく同性への愛の告白の手順書ですっ。火の国博物館の古文書、及び発掘品である壺や石版に記されていることは確認しましたっ」
「先輩、決行しましょう。すでに準備万端整えてありますっ」
「山中花店へも話は通してありますっ」
「これ、ツィゴイネルワイゼンのDVDですっ」
「時は満ちた」
決然たる声が暗部詰め所に響き渡った。
「決行は明日の朝、皆、よろしく頼んだよ」
「っス先輩ーっ」
カカシを中心に皆の闘気が渦を巻く。ひっそりと静かな、しかし強大な闘気、その様はまさに暗部カカシ部隊が一丸となり死地を突破するときのものであった。
カカシと一番隊がいなくなり、詰め所の隅っこに固まっていた若い暗部達はようやく息を吐いた。噂には聞いていたが「カカシ一番隊」とはなんと凄まじい部隊だろう。ダンゾウの『根』に対抗しうる勢力として三代目が頼りにするはずだ。なにせ構成員は手練のベテランばかり。
「オレんとこの隊長もいた…」
「オレんとこも…」
「でもさぁ」
若い暗部の一人が呟いた。
「アレで告白って大丈夫かなぁ」
「………」
全員が顔を見合わせ首を振った。後のことを考えると恐ろしいが、ペーペーの自分達が口をはさめるはずもなく、若い暗部達はただため息をつくばかりだった。
9月15日の朝、うみのイルカは煩悶していた。
今日は最近親しくしてもらっているはたけカカシ上忍の誕生日なのだ。
次期火影候補であり里を背負って立つ上忍と知り合ったのは早春、卒業生を送り出した時だ。自分が卒業させた生徒達の上忍師の一人がカカシだった。この名高い上忍は偉ぶるところもなく気軽に卒業生の話を聞かせてくれる人で、子供達と真摯に向き合うよき指導者でもあった。中忍試験では子供達のことで熱くなり、上忍の言葉に楯突いてしまったが、カカシの叱責は実に的を得ており、ほどなくイルカは子供達自身から己の浅慮を思い知らされた。そのことを謝罪にいけば上忍は気さくに飲みに誘ってくれ、しかも言い方が悪かったと向こうから謝罪してきたのだ。イルカは心底、この人こそ尊敬に値する人物だと感服した。
その気持ちに別な色が混じるようになったのはいつからだろう。ちょっとした仕草が子供っぽかったり、七班の部下たちの話をする時の目がとてもやさしかったり、高給取りなのにサンマやおナスを喜んだり、小さなことだがそんな一つ一つがかけがえのないものに思えてきて、カカシと一緒にいると胸がドギマギするようになった。尊敬が恋慕に変わったのだと自覚した時の衝撃は今でも鮮明だ。
「オレ、まだ素顔もみせてもらってないのになぁ…」
ベッドに転がったまま黒髪の中忍はハァ、とため息をついた。
「もう恋愛は懲り懲りだって思ったのに…」
この想いを伝えようとは思わない。でも、好きな人の誕生日なのだから祝いたい。今日は昼に敬老会の手伝いをすればあとは休みだ。カカシに任務が入っていないのも確認してある。
「……誘ってみようかな」
付き合っている恋人がいないのも確認済みだ。だったら『気のおけない飲み友達』であるイルカが誘ってみてもいいのではないか。もう恋愛はしないと決めたのだし、どうせ相手は雲の上の人、手は届かない。いずれは誰かのものになるだろう人の誕生日を今年くらいイルカが独占してもバチは当たらないのではないか。
「よし、今のうちに誘っておこう」
がば、と起き上がり忍服に着替えた時だ。ドンドンとドアが叩かれた。
「イルカー、おい、イルカ、大変だイルカー」
友人、ヒラマサの声だ。のんびり屋のヒラマサがえらく切羽詰まっている。
「イルカーイルカーイルカはいるかー」
切羽詰まった声だがダジャレを言う余裕はあるようだ。頭のてっぺんで髪を括りながらイルカはドアを開けた。
「なんだよヒラマサ、朝っぱらから…」
そのままイルカは固まった。ドアの外、くせっ毛茶髪の友人が真っ白なユリの花の中に立っている。
「……」
アパート二階の廊下が白いユリで埋め尽くされていた。しかも手すりに黒いリボンと十字架が飾られて。
「……お前の葬式?」
「なわけねーだろっ」
指差せばヒラマサに怒鳴られた。
「葬式になってんのはお前の部屋だよ、お前の」
慌てて外へ出たイルカは絶叫した。
「なっなんじゃこりゃーっ」
黒と十字架のあしらわれた大きなユリの花輪がドアにかかっている。周囲もやはり黒いリボンのついたユリの花束だらけ、まるで弔いの飾りだ。
「イルカ、お前誰かに恨まれるとか呪われるって心当たりはないか?」
「ねっねぇよっ」
ここまで根暗な恨まれ方をした覚えはない。呆然としているとアパートの下から同僚の呼ぶ声がした。
「イッイルカはいるかーっ」
「いるよっ」
ダジャレに突っ込む余裕などない。数人の同僚、今日の敬老会の手伝いをする同僚達がアパートの下でブンブンと両手を振り回していた。
「大変だ、イルカ」
「とっとにかくこっち来い」
二階の廊下から階段まですべてユリの花なのでイルカは下へ飛び降りた。ヒラマサがそれに続く。同僚達はひどく慌てていた。
「イルカ、お前、誰かに恨まれるとか呪われるとかしてないか?」
「してねぇよっ」
なんなんだ、どいつもこいつも。むっとしているイルカに同僚達はアパート一階のドアを指さした。
「あれ、あれあれあれあれ」
「あれ?」
「だからあれだって」
振り返ったイルカは唖然となった。ドアというドアに「うみのイルカ」と自分の名前が書いてある。しかもデカデカと。
「なっなっ…」
「ここだけじゃないんだ。街中ほとんどの家のドアにお前の名前が書いてある」
「敬老会の会場のドアにまで書いてあんだよ」
呆然とするイルカにヒラマサと同僚達は再び尋ねた。
「お前、誰かに恨まれるとか呪われるとか心当たりは…」
ない、と即座に言い切れなくなった。たしかにここまでされると『呪い』じゃないかとイルカも思う。
「いったいこれは…」
「なぁイルカ、とにかく三代目に報告して相談したほうがよくね?」
「絶対呪いだよコレ、なんかの呪術だって」
「受付担当だしさ、自分の知らないとこで恨みかったのかも」
そうかもしれない。自分では気づいていないが、受付業務をやっていれば何かの拍子に恨みをかうおそれは十分にある。
「わっわかった。すぐに三代目のところに行く」
「オレ達も一緒に行くよ。状況報告しないと」
「あぁ、頼む」
全員が本部棟へ向かおうとした時だ、突然バイオリンの音色が響き渡った。同僚達とヒラマサがひゃあ、と小さく声をあげる。だがイルカは驚く前にビキ、とこめかみをひくつかせた。
この曲、知っている。
アカデミーで基礎知識を教えているからではない。この曲、名曲ではあるが忌々しい思い出に直結しているせいで聞けば背筋にゾクリと悪寒が走るのだ。
いったい誰がこんなところで。
ギラリと音の方へ目をやり、ふたたびイルカはぽかんとなった。道の真ん中で長身の忍びがバイオリンを奏でている。逆立つ銀髪に斜めがけの額当てと鼻までおおう口布の忍び
「カッカカシ先生…」
イルカが想いを寄せるはたけカカシその人ではないか。しかし何故こんなところでバイオリンを弾いているのだろう。しかもよりによってイルカが最も忌み嫌う曲を。呆然とカカシをみつめているうちに演奏が終わった。
「おはようございます、イルカ先生」
カカシがバイオリンを下ろした。
「いかがでしたか、オレの演奏」
イルカに向かって目を細める。
「あなたのために弾きました。サラサーテのツィゴイネルワイゼン、あなたに捧げる曲です」
カカシがゆっくりと歩み寄ってきた。
「あなたへの情熱と官能を音にのせました。そして」
歩み寄りながらカカシは額当てをはずす。色違いの両眼があらわになった。ひゃっと声をあげて同僚達が後ずさる。イルカはただ呆然と見つめるばかりだ。
「ドアに飾った白百合はオレの真心」
カカシが口布に指をかけた。イルカは目を見開いた。想い人が素顔をみせてくれるというのか。忌々しい曲のことも葬式の花のことも頭からふっとんだ。ただひたすらカカシを凝視する。
「イルカ先生」
甘く低いカカシの声、するりと口布が下ろされた。
うしっ、掴みはオッケー!
カカシは心の拳を握った。
火の国博物館の資料にあった『同性に愛を告白する作法』どおり、ドアに花輪を飾った。それだけでは寂しいので周囲に花を敷き詰めたのは愛の深さを表わすためだ。純潔、無垢を表わす白百合に後輩達の調べでイルカの好みだという『ゴスロリ』風飾りをつけた。これは山中イノイチが気合い入れて飾ってくれたのだ。どうやら年かさの上忍達もカカシの恋を陰ながら応援する気満々らしい。
木の葉の街中の家々のドアにイルカの名前を書くのはカカシ一人でやった。カカシがやらなければ意味がないのだ。受け入れてもらえるまで愛を乞う相手の名前を街の家々のドアに書く、これも古式ゆかしき作法だと書いてあった。
予想通り、カカシの行った愛の作法にイルカは言葉もなく感動してくれたようだ。愛の勝利を予感したカカシはふふふふ、と小さな笑いを漏らした。そして高々とバイオリンの弓をかかげる。愛の歌を奏でるのだ。
響け、イツァーク・パールマン!
写輪眼があってよかったとここまで思ったのは初めてではなかろうか。優れた弾き手の演奏をコピーするのは忍術をコピーするよりもはるかに充実感がある。バイオリンは名器と名高いものを後輩達が調達してきた。すぐに返すから勘弁してほしいとこっそり謝る。ピアノ伴奏は物陰でピアノの得意な後輩の一人がやってくれた。
カカシは高揚した。八分ほどの演奏の間、イルカの目は自分に釘付けだ。イルカの視線を独り占めしている、その眼差しはなんと甘美な陶酔を運んでくれるのだろう。
弾ききった…
ほぅ、と息をつきカカシはバイオリンをおろした。ささ、と黒子スタイルの後輩がバイオリンを回収する。
「イルカ先生」
想いをこめて名前を呼んだ。イルカはカカシを見つめている。
そう、これはあなたへ捧げる愛の歌、白百合の純潔に愛の情熱と官能をのせてオレの心をあなたへとどける。
カカシはするりと口布をおろした。あらわれた端正な美貌につけボクロでセックスアピールだ。
「先生、あなたを」
柔らかく甘く微笑む。
「あなたを愛しています」
イルカが大きく目を見開いた。頬が真っ赤に染まる。カカシは愛の勝利を確信した。
「イルカ先生」
「きっ…」
「き?」
キスして?キスなの?え、ちょっとそれって早くない?
心臓が飛び出しそうに高鳴るのを必死で押さえクールな素振りで手を伸ばした。
「せんせ…」
「きさま何者ーーーーっ」
ガガガガ、とクナイがカカシの立っていたところに突き立った。
「えっ?ええっ?」
「きっさまー、よりによってあの高潔なカカシ先生を騙るとは不届き千万」
「えええっ?」
「許さん。しかもオレに対する数々の嫌がらせ、さては受付で逆恨みしたクチだなっ」
「ええええーっ」
鬼の形相でイルカが攻撃してくる。それをかわしながら慌ててカカシは自分を指さした。
「いや、落ち着いて先生、オレです、カカシですよ、はたけカカシです」
「まだ言うかーーーっ」
ガガガ、と再びクナイが襲ってきた。
「この期に及んでまだカカシ先生の名を騙るか、不埒者め」
攻撃の手を休めずイルカが怒鳴った。
「だいたいだな、あの素晴らしい忍びにして人徳者であるはたけカカシがそんなホスト顔なわけないだろうっ。マダムシジミにならいざしらず、このオレに通用すると思ったか。舐められたもんだぜ」
ビシリ、とイルカが指をさす。
「それになぁ、オレぁその口元のホクロ、背筋がゾクゾクするほど嫌いなんだよ」
イルカの形相が凄みを増した。悪鬼羅刹もかくやという顔だ。
「あぁ、そうか。オレへの嫌がらせだったな。よく調べたもんだ。オレの純情を弄びやがったあのゴスロリ女と同じホクロをつけりゃ動揺するとでも思ったか。ご丁寧にあの女がいつもかけてた曲まで弾いてなぁ、落書きに葬式の花ときたもんだ。その程度でオレの傷を抉ったとでも?」
ケッとイルカが吐き捨てる。
「いいや、違うね。オレぁ今、忌々しい記憶を思い出させてくれたキサマに礼をしたくてたまんねぇのよ」
バキバキ、と両拳を鳴らした。
「だがなぁ、キサマは唯一つ、許されねぇことをした」
漆黒の瞳の中に怒りの炎が荒れ狂っている。
「オレが何より尊敬してやまないお方、はたけカカシ上忍を貶めた罪」
すぅっとイルカの指がカカシをさした。
「その罪、万死に値する」
ゴゴゴゴ、とイルカの体から憤怒のオーラがたちのぼる。
「このうみのイルカ、カカシ先生の名誉のために命を賭してキサマを殺すっ」
「わ〜〜〜、タンマタンマ、ここで大技使っちゃダメーッ」
水遁水龍爆の印を切り始めたイルカにカカシは慌てて手を振った。このままでは一帯が水浸しになる。
「ごっごめんなさーいっ」
瞬身でカカシは逃げた。卑怯者、正面から戦えというイルカの罵声を背中に浴びながら。
ヨロヨロとカカシは歩いた。後ろに続くのはうなだれた一番隊の面々だ。
「すみません、先輩。まさか火の国博物館の資料、古代都市国家でのみ行われていた風習だったなんて…」
「その…若くして女に騙されたうみの中忍の心の傷を慮った三代目が情報流出をおさえていたらしくて…」
「背筋ゾクゾクがまさか嫌悪だったとは…」
「いや、オレが悪いの」
カカシは首を振った。
「お前らはよくやってくれたよ。悪いのは意気地なしなオレだ」
力なく笑う。
「「「せっ先輩〜〜」」」
後輩達は号泣した。
ちょっと考えればおかしいと普通はわかりそうなものなのだが、実際、集会の場に居合わせた若い暗部達は気づいていたのだが、戦場ぐらしの長い一番隊メンバーに普通を求めるのは酷なことだ。そこへカカシ先生、と声がした。道の向こうからイルカが駆け寄ってくる。
「ご無事でしたか、カカシ先生」
「え…」
イルカはカカシの目の前までくるとホッと安堵の息をついた。
「よかった、ご無事で」
それからキリリと表情をひきしめる。
「用心してください。カカシ先生の偽物があらわれました。どうやらオレに対する逆恨みのようですが、何があるかわかりません。同僚がすでに三代目のところへ報告に行きましたがカカシ先生も十分ご注意なさってください」
げげっ、と全員が青ざめた。
三代目に報告が行ったのかー
だがイルカは暗部達の動揺には気づきもせず大まじめに頭を下げた。
「暗部の方々、カカシ先生はお強い方ですが敵の出方がわかりません。警護をよろしくお願いいたします」
「は…はぁ」
返答のしようがない。
「敵はカカシ先生の姿を真似ています。あまっさえ、素顔が隠されているのをいいことに偽りの顔を晒してまわっています。口布姿は完璧にカカシ先生ですが、口布を下ろせば軟弱な色男、口元にホクロがあります」
「そっそうですか…」
暗部達はしどろもどろだ。カカシは俯いたまま声も出せない。
「しっかし、敵も迂闊ですよね」
ははは、とイルカは笑った。
「カカシ先生ほどのお方の素顔があんなホスト顔なわけないじゃないですか。あれでオレ達をだませると思ったとは、木の葉の中忍も舐められたものです」
「ホッホスト顔…ですか」
ずずーん、と落ち込む音が後輩達の耳には確かに聞こえた。だがカカシの想い人は明るく笑う。
「安心してください。誰もあんな軟弱者に騙されやしません。なによりオレが許しませんよ」
どん、とイルカは己の胸をたたいた。
「このうみのイルカ、カカシ先生の名を汚す奴を必ず見つけ出してみせます。厳罰に処してやりますよ」
ピシリと直立不動で一礼する。
「では、オレはこれから本部へ参りますので」
踵を返そうとしてイルカは立ち止まった。
「あ、カカシ先生、お誕生日おめでとうございます。偽物捜索がなければ今夜、お祝いしたかったんですけど」
ちょっと寂しそうな笑みを浮かべる。だがすぐににっこりとお日様のような笑顔になった。
「是非今度オレにお祝いさせてください」
じゃあこれで、と黒髪の中忍はさわやかな笑みを残して駆け去った。道の向こうに消えるまでカカシはぼんやりとその背を眺める。イルカが視界から消えた途端、がくり、と膝をついた。
「せせせ先輩っ」
「しっかりしてください、先輩」
「どうしよ…」
「えっ」
カカシがつぶやく。
「つけボクロ」
全員がサーッと青ざめた。
「オレ、これつけてたら一生素顔出せない…」
木の葉の研究開発部総力をあげて作ったこのつけホクロ、死ぬ寸前ギリギリのチャクラ切れ状態にならないかぎり取れないのだ。
「ねぇ、どっか負けのこんでる戦場ってなかった?」
「せっ先輩」
バッとカカシが立ち上がった。
「オレちょっと行ってくる。行ってチャクラ切らしてくる」
「えええっ、先輩」
「だっだめですよ」
「ついてくるな。一人で行ってくるから」
駆け出そうとするカカシの足に皆が取りすがった。
「離せっ、オレはホクロをとらなきゃいけないんだ」
「早まっちゃだめです〜〜」
「方法考えましょう、先輩、ね?考えましょう」
「離せ、武士の、いや忍びの情けだ、離せー」
「ぎゃ〜〜、先輩、だめですってば」
「誰かっ、隊長とテンゾウ副長よんでこーいっ」
カカシの恋は何の迷宮なのかよくわからないがとにかく迷宮に迷い込んでしまった。ホクロが無事にとれるのかどうか、まだ誰にもわからない。
きさま何者、おわり |