鬼神
     
     
 

木の葉のアカデミーでは教科書以外に数種類、副教材を使用する。それは地図帳であったり漢字、計算ドリルだったり、術のワークブックだったりするわけだが、その中で最も生徒に人気の高いのが読み物教材「戦いの木の葉史」であった。

これは木の葉の歴史において重要、かつ有名な戦いの数々を初代火影の時代から年代順にまとめたものである。授業では主に、実戦における忍術の使用例や戦術の練り方を解説する時に用いられた。また、優れた忍びの戦いぶりは規範となる理想像を培うとして道徳の授業でも使われている。この「戦いの木の葉史」が今、火の国でちょっとしたブームになっていた。

きっかけは火の国大名のアカデミー視察だった。視察の取材に同行していた番組制作会社のスタッフが、たまたま『戦いの木の葉史』を使った授業を見た。そして、大河ドラマ化の話が持ち込まれたのだ。
上層部は二つ返事で承諾した。もとより、教材になるくらいだから、機密性など微塵もない。他里の忍でも知っているような話ばかりである。ドラマ化されて困るようなものはない。それどころか、脚色という形で情報を氾濫させることにより、色々利点がうまれてくる。原作に対して提示された金額も満足いくものであった。

話がまとまった翌年の正月から、日曜八時台の歴史ドラマ枠での放映がはじまった。初代火影を高橋英雄、二代目を南大路欣哉、火の国の国主を松平健人、と時代劇大物俳優が演じている。
初回から高視聴率をたたき出したこのドラマは、もう一つ嬉しい誤算を産んでくれた。副教材として監修したにもかかわらず、この本は読み物としての質も高かったため、ドラマの勢いにのって一般書店にも出回り、ホムラを中心とした「戦いの木の葉史制作委員会」へ思わぬ印税収入をもたらしたのだ。
いつもしかめ面のホムラの口元がここ最近弛みっぱなしだともっぱらの評判である。当然、里での盛り上がりも大きく、月曜の朝は歴史ドラマの話題一色だ。
アカデミー教師、うみのイルカが午後の受付勤務についた時も、その話で盛り上がっていた。

「なぁ、見たか。昨日ついに三代目でてきたな。」

まだ混む時間ではないので、報告書を提出にきた忍達はカウンター前にひっかかって動かない。受付職員も忙しくないのでドラマの話にのっている。
「あ〜、見た見た、若かりし頃の三代目だろ?っつか、いくらなんでもヲダジョーはねぇよなぁ。イケメンすぎね?」
「あれなぁ、ここだけの話、三代目直々のご指名だったらしいぞ。」
「うっわ、マジ?いくら若い頃だからってドリームはいりすぎだよ、火影様〜。」

現里長に対して無礼千万だが、本人がここにいないので皆言いたい放題だ。

「来週は美男美女のホムラ様とコハル様が出てくるらしい。」
「うひゃ〜〜。」
「誰がやるのか、ある意味こえぇよ。」
「だよな〜。」

皆ケラケラと笑い合う。ドラマ構成は初代、二代目の時代を中心にすえており、現代の木の葉はあまりやらないらしい。現役の忍の話になると、やはりよく知られた逸話でも好ましくないと上層部が判断した結果だそうだ。

「なぁ、イルカー、お前、ホムラ様と番組制作会社の間にたってんだろ?やっぱ現代の木の葉、やんねぇのかよ。」

子供の頃から火影に可愛がられていたイルカは、一人前の忍となってアカデミー教師と受付業務をこなすようになってからも、私設秘書のようなことをやらされている。今回のドラマ化のことにしても気難しいホムラでは話が進まないと、里側のスタッフとして実質イルカが会社側と話をしている状態だ。ただでさえ忙しいのに、余計な仕事が増えてイルカはいささか機嫌が悪い。

「ホムラ様が頑固なんだよ。まぁ、要望が多いってんで、鬼が原の戦いだけ、年末スペシャルでやることになってさ、撮影はいったはずだぞ、もう。」

ぼそり、と漏らすと受付所にいた全員が集まってきた。

「おっわー、鬼が原の戦い。」
「キターっ。」
「やっぱ現代の木の葉っつったら写輪眼のカカシでしょうーーっ。」
「偉いぞイルカ、よくやったぁっ。」

鬼が原の戦い、とは、現代の木の葉史で最も名高い戦いだ。この戦いで写輪眼のカカシはその地位と名声を不動のものにしたと言われている。
当時、霧隠れの里に、他里の有能な忍が経験を積まないうちに潰してしまおうとする計画があった。霧隠れの里は、他里の暗部の新人達が研修の意味でチームを組みやすい任務をでっちあげ、そこを潰すという事を繰り返していたのだ。そして、例に漏れず木の葉のチームも襲われた。
その時、若干十八でチームの隊長だったはたけカカシが、たった一人で敵を殲滅したのだとという。まさに鬼神のごとき戦いぶりで、この戦いで写輪眼のカカシの名はますます畏怖され、霧隠れの里の陰謀は暴かれ潰された。

「タイトルは『鬼神ー鬼が原』に決定だと。」

はぁ、とイルカはため息をついた。

「気ぃ使うばっかで、もうオレ、ドラマ見たくもねぇわ。」

だが、疲れ果てた顔をするイルカの横で周囲は大盛り上がりだ。

「オレ、あの話、好きなんだよぉ。」
「オレもオレも。あの本の中で一番好きかも。」
「かっこいいだけじゃねぇもんな、写輪眼のカカシがさ。」
「泣けるよ、あの話。」

鬼が原の戦いが有名なのは、数多の敵を一人で倒した写輪眼の強さもさることながら、戦いの終わった後のカカシの行動にあった。

戦いの終わった鬼が原はまさに血の海、凄惨な現場だったという。隊長であるはたけカカシは新米暗部達に処理をさせず先に行かせ、一人残って全てを焼き払った。まだ若い部下達にはあまりに過酷な現場だと判断し、その心を慮った行動だったのだという。
その辺りがやはり木の葉の忍、仲間を大事にすると評判になった。しかもそれらはすべて部下だった暗部達の口から語られ、当の本人は報告書を出しただけで淡々としている。
名が知れてくると己を誇示する忍も多い中、その心意気や見事とますますはたけカカシの評判はあがり、まだ二十代の忍であるにもかかわらず「戦いの木の葉史」に載せられた。アカデミーの授業でも、敵を葬る冷徹さとともに人の心の温かさも持ちうる忍の姿としてよく取り上げられる事例だ。

「そうそう、最後のあのシーン、泣かせるよなぁ。」
「素敵ですよね〜、ラストシーン読むと私、いっつも涙出てきちゃう。」
「あれだろ、『はたけカカシは心を痛めた。この凄惨な殺し合いの現場を、まだ若い部下達に処理させるわけにはいかない。』って、オレ、全部暗記してるもんね。」
「私もですよぉ。『隊長として、一人の人間として、カカシは厳しい顔で部下達に命じた。お前達は先に行け。』」

一人が暗唱をはじめると、周りにいた忍び達もあわせて唱和する。

『部下達の背を見送ったはたけカカシは、おもむろに火遁の印を組んだ。写輪眼のカカシの放つ炎はすさまじく、血塗れた鬼が原を焼き清めて行く。』

さながら『鬼が原の戦い』暗唱会だ。イルカは生温くそれを眺めた。だが、皆盛り上がって声をあわせる。

『この敵にも家族や愛しい人がいただろう、奪った命にはたけカカシは瞑目した。だが、己は忍、これからも必要とあらばためらいなくクナイをふるう。カカシは鬼が原を焼く炎を見つめた。それは弔いの火であり、また、忍として木の葉の意思を継ぐ固い決意の炎でもあった。』

そこまで暗唱すると、皆、感極まったように天を仰ぐ。一瞬の沈黙の後、爆発した。

「かっけ〜〜〜〜っ。」
「写輪眼のカカシ、サイコーっ。」
「もうっ、涙でちゃう〜〜〜っ。」

盛り上がりは最高潮だ。

「まだ十八だったんでしょ、はたけ上忍っ。」
「男だよなーー、真の男だよーーーっ。」
「辛さも悲しみもすべて一人で背負ってるのよねーーーっ。
「……おい、その文章、別にカカシ先生が書いたわけじゃないぞ。ホムラ様だろ、執筆はさ。」

冷静にイルカが事実を告げても誰も聞いてなどいない。

「血塗れてなお里を守る決意したのよねっ。」
「優しすぎる人なんだよ、はたけ上忍はっ。」
「だからそれ、ホムラ様が書いたんだって…って、聞いてねぇし。」

興奮状態の連中に何を言っても通じない。ドラマ騒ぎで疲れ果てているイルカはげんなりと椅子にもたれかかった。

「なぁ、イルカ〜、はたけ上忍役、誰がやんだよ。」
「あの人本人がイケメンらしいもんなぁ。」
「ヘタな役者が演ったらオレ、スタッフ暗殺しにいくかも。」
「なぁ、教えろよイルカ〜。」
「ダ〜メ、企業秘密。オレがバラすわけいかねぇの。」
「「「ケチーーーーッ」」」

耳元で叫ばれ、イルカは顔を顰めた。

「でもイルカ、お前いいよなぁ。教え子の上忍師なんだろ、はたけ上忍。」
「生の写輪眼とお話しできんだもんな、すげーなイルカ。」
「や〜ん、羨ましい〜、うみの中忍〜。」

火影にカツ丼奢らせても誰も羨ましがらないが、カカシと話すだけでこの騒ぎだ。ちょっと里長が気の毒になる。

「羨ましいって、オレなんか中忍試験で叱られるし、今夜は接待に駆り出されるしで散々なんだぞ。彼女作る暇もねぇっての。」

ムッとするが、周囲は他の所に反応した。

「えっ、接待?はたけ上忍を?」
「ちげーよ、大名の接待だよ。相手方がカカシ先生ご指名でさ、オレが段取りとかやってんの。」
「いいなぁ、果報者だなイルカ〜。」
「だいたい、はたけ上忍じゃなくて呼び方もカカシ先生、だもんな〜。」
「料亭ではたけ上忍と一緒だなんてっ。」
「だーかーらっ。」

いい加減イルカはキレそうになった。こいつら雑用係にこき使われるのがどれだけ大変かわかってんのか。

「オレが酒飲むわけじゃねぇんだよっ、段取りだ段取りっ。てめぇら、あのくそじじいどもの我が儘聞くの、どんだけ大変かっ…」

ドン、とイルカが机を叩いた。

「ホムラのジジイは値段吊り上げろ情報は温存しろっつって無理ばっか言うし、三代目は三代目で配役でゴネるアイドルに会わせろって我が儘言うっ、んでもってオレァっ。」

ごぉぉ、とイルカのチャクラが青白く燃え上がった。

「残業手当もでねぇ、ただ働きだぞっ、写輪眼のカカシがナンボのもんじゃーーーっ。」
「わっわかったからイルカ。」
「奢る、今度お前の慰労会やってやる。」
「だからはたけ上忍に八つ当たりすんな。」
「とっ友達紹介しますよ、うみの中忍。」

カウンターの中で吠えながら、イルカは早くこの『戦いの木の葉史」騒動が治まる事を切望していた。




 

はたけカカシは静かな男だった。はじめて挨拶した時も、受付所で任務の受け渡しや報告をする時も、口数は少ないが穏やかに微笑む人だ。
中忍試験では厳しい言葉を言われたが、イルカが己の見識不足を謝罪すると、やはり穏やかに微笑んでくれた。だからイルカも、忍としてはもちろん、人としても尊敬している。
受付所ではあまりの雑用の多さに、ついはたけカカシのことを罵ってしまったが、戦いの木の葉史騒ぎは別にカカシが悪いわけではない。どっちかというと、カカシも迷惑している側だろう。接待の段取りを終え、部屋のすみに控えながら、イルカは少々反省していた。

今夜の接待の相手は、中忍試験本選に先立って木の葉を訪れた大名の一人だった。話題は中忍試験のことからすぐに木の葉の歴史ドラマにうつり、若かりし頃の話に触れられて三代目は上機嫌だ。傍らにカカシが静かに控えている。要はカカシも、ドラマのあおりをうけてお飾り要員に駆り出されたわけだ。

「まぁまぁ、ここは一つ、はたけ殿もおおいに飲まれよ。」
「は、恐れ入ります。」

畏まって返事はするが、はたけカカシは目の前の食事にいっさい手をつけない。その姿がまた現役最強の忍らしさを強調したようで、大名はご満悦だ。

「どうですかな、火影殿。そろそろはたけ殿も身を固めてもよい頃とお見受けする。」
「いかにも。これは今まで任務に明け暮れとんと浮いた話もない男でしてな。儂もそろそろと思うておったところです。」

それから火影はさも今思い出したというように、ポン、と膝を叩いた。

「カカシよ、今日はおぬしの誕生日ではなかったか。」
「ほう、それはめでたい。はたけ殿はいくつになられましたかな。」

カカシはわずかに頭を下げる。

「27にございます。」
「それはそれは。一家をかまえるに十分。」
「良縁を求めておるところですよ。」
「火影殿、かく言う当家にも実は今年二十歳になる娘がおりましてな。」
「なんと、まことでございますか。」
「ここではたけ殿とお会いできたのも何かの縁。」

うっわ、白々しい〜

火影やカカシの後ろに控えて大名とのやり取りを聞いていたイルカは内心呆れた。これは体のいい見合いの勧めではないか。相手は大名、その娘と一度会ってしまえば、断ることなどできはしない。接待にかこつけて見合いの段取りをするつもりなのだ。イルカはカカシが気の毒になってきた。

そっか、カカシ先生、誕生日だったんだ…

誕生日なのに、料理や酒に手をつけることもできず、見合いの話までされている。せっかく里にいるのだから、親しい人達とお祝いしたいだろうに。今日だって任務を終えてから接待会場に来たはずだ。腹が減っているのではないだろうか。せめて食事くらい別室で出してやればいいのに。

「のぅ、カカシ。会うだけ会ってみぬか。良い話じゃと思うぞ。」

火影の声にイルカはそっとカカシの様子を伺い見た。視線に気付いたのか、そのときカカシが後ろのイルカに目をやる。そして困ったようにへなり、と眉を下げた。まるで助けを求めているような表情、すっかりカカシに同情していたイルカは、助け舟を出す事に決めた。
接待なれしたイルカだ。この大名の好みは調査ずみで、用意万端、ぬかりはない。少し早めだがカカシと綺麗どころを入れ替えてしまおう。そっと障子の外に出て、仲居に耳打ちした後、庭に向かって合図をした。庭のあちこちに配置した楽師が弦を静かにかき鳴らす。

イルカは膝をつくとすすっと障子を開け、大名に一礼した。外の音曲に大名は興味を引かれている。頃合いをみはからい、さぁっと障子をすべて開け放させた。
庭は満開の白萩、部屋から見るに丁度の高さの満月がぽかりと浮かんでいる。音曲の音が大きくなり、天女の衣装を着た踊り手が白萩の間から滑るように現れた。

「ほうほう。」

大名が相好を崩す。イルカがまた小さく合図をした。かぐや姫の衣装の女が月を背に現れ、静かに舞いながら部屋へと近づく。

「これはこれは。」

火影まで鼻の下が伸びている。まったく、男はいくつになってもしょーがないな、と思いながらイルカは小さく印を切った。白く輝く鳥が中天よりさぁっと舞い降りた。

「はたけ上忍。」

小さく呼ぶと、カカシは何か察したらしく、立ち上がって縁側に出る。すい、と伸ばした手に輝く鳥が止まった。

「おぉ。」

大名が感極まったように声をあげた。音曲の流れる中、美しい女達の舞う白萩の庭と満月を背に立つ銀髪の忍、その手に月からの使者のような輝く鳥が止まったのだ。それこそ英雄物語のワンシーンに見えるだろう。ドラマ好きの大名にうってつけの演出だ。ちらり、と火影を見ると、イルカに向かって親指を立てガッツポーズをしていた。イルカもそっと親指を立てて合図を返し、それから恭しくカカシに声をかけた。

「はたけ上忍、任務でございます。」

カカシが重々しく頷くと同時にイルカもこっそり印を切る。白い鳥が光の粒子となってぱぁっと散った。同時にはたけカカシの姿も掻き消える。音曲が更に大きく華やかになり、天女やかぐや姫の衣装の女達が入れ替わるように部屋へ舞いながら入ってきた。大名は大喜びだ。

「後はよろしく。」

かぐや姫に目配せして、イルカも退散した。これからの時間は、ぶっちゃけかぐや姫コスプレパーティで盛り上がってくれるだろう。イルカは急いで廊下の奥の離れに向かった。






「カカシ先生。」

襖をあけると、カカシはすでに部屋の中にいた。イルカを見てニコリ、と目を細める。

「や、助かりました、イルカ先生。」
「いえ、なんだか差し出がましいことをしてしまって。」

敷居の外に膝をつき、イルカは一礼する。カカシは手を横に振った。

「いやぁ、どうやって抜け出そうかと思案してましたから、ホント助かりましたよ。」

カカシは心底ホッとした顔で笑った。

「廊下に出たら仲居さんがね、ここへ案内してくれるし。良い部屋ですねぇ、ここ。」

小さいが趣味の良い離れの庭からも月がよく見える。

「今日はカカシ先生の誕生日だと三代目がおっしゃっていたんで、勝手ながらちょっとしたお膳用意しました。」

イルカの後ろからはいってきた仲居が、カカシの前に膳をしつらえた。

「任務の後、食べてらっしゃらないんじゃないですか。ゆっくりやってください。ここからなら大名とかち合わずに直に帰れますし。」

出て行く仲居に、酒を頼む。

「綺麗どころまでは用意できませんでしたけどね、ここの費用は全部火影様持ちです。接待で気を使った分、じゃんじゃん飲んで食ってください。」

悪戯っぽくイルカが言えば、カカシは楽しそうに声をあげて笑った。

「じゃあ、仲居さん、お膳もう一つお願いします。ね、イルカ先生も付き合ってよ。」
「え、オレですか?」

退出しようとしていたイルカは、驚いたように顔をあげた。カカシとは挨拶をするくらいで、酒を飲むような間柄にはほど遠い。だが、カカシはにこやかに手招きした。

「ん、一度イルカ先生とは話したいって思ってたし、なにより、一人で誕生日は流石に寂しいじゃない。」

そう言われればその通りだ。この時間では友人を誘うというわけにもいかないだろうし、イルカでもいないよりはましかもしれない。

「じゃあ、お言葉に甘えます。」

イルカはにっこり笑って承諾した。イルカの膳が運ばれたところで、徳利を持ってカカシの杯を満たす。

「では改めまして、カカシ先生、誕生日おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」

するり、とカカシが口布をおろした。思わずイルカの手が止まる。

「ん?」
「いっいや、カカシ先生、そのっ、素顔っ。」

イルカは慌てた。写輪眼のカカシの素顔を自分などが見てもいいのだろうか。

「あぁ、これ。」

だがカカシは可笑しそうに口布を引っ張った。

「だってオレ、ラ−メン屋とかでも取って食べてますよ。」
「でっでもナルト達が…」
「ん〜、あれわざと。騒ぐのがなんか可愛くてねぇ。」

くすくすと楽しげに肩を揺らす。こんなによく笑う人だとは思わなかった。イルカは意外な思いでカカシを見る。それにしてもイイ男だ。皆が騒ぐだけの事はあるなぁ、と密かに納得していると、カカシがイルカの杯に酒を注いだ。

「しっかし、意外とやり手ですねぇ、先生は。ドラマの演出できますよ。」
「あ?あはは〜、そっそうですか?」

イルカは照れくさそうに鼻の傷をかいた。

「アカデミー教師は子供に学芸会やらせなきゃいかんですからね。」
「はは、学芸会ですか。」

にこにことカカシは杯を空ける。それから目を庭にやって首を傾げた。

「あの満開の白萩、どうしたんですか?まだ咲かないでしょう、この時期。ここの庭の萩もまだまだだし。」

朝夕、涼しくなったとはいえ、まだまだ残暑厳しい季節だ。当然萩が咲くわけがない。

「あ、気付かれましたか。流石ですねぇ。実は医療班に手伝ってもらいまして。」
「医療班?」

訝しげな顔をするカカシに鼻の傷を擦りながら笑った。

「便利ですよねぇ、医療班の人達って。チャクラコントロールの達人揃いですから、ちょっと花の育成速度とかね、疲れるって嫌がられるんですけど。」
「や、なんかイルカ先生って、柔軟な方だったんですねぇ。」

何が楽しいのか、カカシはまた笑い声をあげる。イルカもすっかり楽しくなって杯を重ねた。これまでもの静かで近寄りがたいと思っていたが、案外と気さくな人なのかもしれない。膳の料理も美味かった。

「そういえば今日、鬼が原の戦いがドラマ化されるっていうんで、皆が騒いでたんですよ。」

酔いが回ると口も滑らかになる。イルカは何本目かの徳利を空けながら言った。

「カカシ先生役が下手だったら暗殺しにいくってそりゃもう、盛り上がって。」
「あ〜、アレですか。ほんとに、ホムラのじい様もやり手というか何と言うか。」

カカシがヤレヤレ、といった風に肩をすくめた。

「まぁ、オレもねぇ、あんな戦いはもう金輪際御免っていうか、こりごりですね。」
「へぇ。」

思わずイルカは膝を乗り出した。こき使われて腹を立ててはいたが、ドラマが嫌いなわけではないし、ましてや鬼が原は有名だ。本人から直接話が聞けるのは興味深い。

「やはり厳しい戦いだったんですね。」
「ん〜、キツかったねぇ。あんなキツイ戦いはなかったなぁ。」

カカシは当時のことを思い出したのか、眉を寄せている。

「まぁ、戦いの詳細なんて、報告書に書いたから本になったとおりのことなんですけどね。とにかくオレ、死ぬかと思いましたよ、あの時は。」
「やはりそうなんですか。」

今、鬼が原の戦いのことが、当の鬼神の口から語られている。ごくり、とイルカは喉を鳴らした。カカシは顔をしかめたまま、くい、と杯を空けた。即座にイルカはそれを満たす。

「そういえば、誰にも話してなかったなぁ、あんまり有名になっちゃったから、キツかったなんて言えない雰囲気だったし。」
「火影様にも…?」
「そりゃそうですよ。報告書は事実と敵味方の情勢への所見でしょ。オレの辛さなんて言う必要ないですからねぇ。」

とん、とカカシは杯を膳の上に置いた。イルカは感心した。己の辛さなど言う必要がないとは、流石としかいいようのない態度だ。そういえばこの人の報告書は簡潔で無駄がない。

「あの日はね、先生も知っての通り、新米暗部ばっかだったのよ、オレのチーム。」
「はい。」

カカシはどこか遠くを見る目をした。

「なんていうか、暗部にはいるくらいだから皆優秀なんだけど、まだ実戦経験が浅いからね。先輩達と組むようにはいかないわけ。臨機応変な対応っていうのはまだ無理だしね。」

こくこくと黙って首を振り同意する。そうだ、新米中忍を率いる任務でイルカも何度か経験したことがある。とにかく、マニュアル通りに動きがちな新人を指導するのは大変なのだ。

「任務期間が一ヶ月くらいだったから、オレ、任務に出る前、冷蔵庫空にしようと思ってね。残ってた牛乳飲んでから出かけたのよ。」

そうだ、任務期間が長いと食べ物腐ってしまうから、オレもいっつも空に…って、はい?

感心してこくこく頷いていたイルカは顔を上げた。カカシは腕組みして難しい顔をしている。

「そしたらさぁ、途中で腹いたくなってきちゃって、ヤベェって、これはもう出すしかないって思うんだけど、周り新人ばっかでしょ。先輩達とだったら、オレうんこ〜、とか言って離脱してもちゃんとチームの移動ペース落とさずに合流できるんだけど、新人はそうはいかないからねぇ。だからオレ、ここでトップスピードにあげて原っぱ抜けたとこで休憩とらせて、その間にうんこしようと思ったわけ。」

鬼が原の戦いの話…だよな…

イルカは真っ白になりかけた己の意識を叱咤し、はたけカカシを凝視した。カカシはすっかり思い出に浸っている。

「なのにねぇ、あの霧のやつらっ…」

カカシは厳しい顔で拳を固めた。

「こっちは早く原っぱぬけてうんこしたいってのに、よりによってそんな時に襲ってきやがって。」

ふるふると拳が震えている。

「あの牛乳で腹痛い時って独特じゃない。ぎゅ〜ってさしこみきてそれ我慢すると冷や汗出てくるし、漏れそうになるし、もうオレ、必死よ。新人暗部達にかまってる余裕なんて全くなし。とにかく早くうんこしたくて、何やったかなんてホントは覚えてないのよね、目の前チカチカ星が飛んだよ、あの時は。」

くぅ、とカカシは感極まったように唸った。

「最後の敵倒したのも、新米達が呑気に隊長、なんつって駆け寄ってくるからわかったようなもんで、でもオレ、その時、マジで限界だったのね。我慢できなくてさ、先に行けっ、て怒鳴っちゃった。必死だったからそうとう怖い顔したんだと思う。部下達、あっという間にいなくなって、でもあの時はほっとしたねぇ。これでゆっくりうんこ出来るって。もう、どっかやりやすい所なんて探してる余裕ないでしょ。その場でしちゃったよ。地獄の後に天国みたねぇ、あんなに安らかな気分になったのは初めてでしたよ。」

鬼が原に間違いない…よな…

目眩をこらえるイルカの前で、写輪眼のカカシはしみじみと回想している。

「あ、もちろん、後から来る人の迷惑になんないよう火遁で焼きましたよ。でもオレ、やっとうんこだせて相当ホッとしちゃってたみたいで…」

あはは、とカカシは銀髪をかいた。

「火遁の勢い強すぎて原っぱ丸焼けにしちゃったのよ。雨降ってなかったから乾燥しててあっと言う間に燃え広がって、慌てたねぇあの時は。森に火が移らないよう水遁使ってさ、や〜大変だった。まぁ、ちょっと早い野焼きだって思う事にしてねぇ。」

………霧の暗部が全滅したのって…

認めたくない、この期に及ぼうが認めたくないけど、イルカが直面している事実は本人しか知り得ないもの。

『はたけカカシは心を痛めた。この凄惨な殺し合いの現場を、まだ若い部下達に処理させるわけにはいかない。』

戦いの木の葉史の一節がイルカの頭の中に蘇る。夕方、同僚達が受付で唱和していた部分だ。

『隊長として、一人の人間として、カカシは厳しい顔で部下達に命じた。お前達は先に行け。』

部下達を先に行かせたのって…

マジで限界だったのね。我慢できなくてさ、先に行けっ、て怒鳴っちゃった。

『部下達の背を見送ったはたけカカシは、おもむろに火遁の印を組んだ。写輪眼のカカシの放つ炎はすさまじく、血塗れた鬼が原を焼き清めて行く。』

あ、もちろん、後から来る人の迷惑になんないよう火遁で焼きましたよ。





全部ンコが原因だったのかーーーーーっ




火遁で焼きたかったものも、なにもかも根源はンコだった。がくり、とイルカは両手を畳についた。さらさらと、砂のように己の体が崩れていくような感覚に襲われる。頭の中では戦いの木の葉史、鬼が原のクライマックスシーンがぐるぐると回った。

『この敵の忍び達にも家族や愛しい人がいただろう、奪った命にはたけカカシは瞑目した。だが、己は忍、これからも必要とあらばためらいなくクナイをふるう。カカシは鬼が原を焼く炎を見つめた。それは弔いの火であり、また、忍として木の葉の意思を継ぐ固い決意の炎でもあった。』

どんだけロマンチストだよホムラ様…

なんだか衝撃で涙も出て来ない。だが、目の前のカカシは呑気そのものだ。

「いやぁ、それ以来、オレ、任務前には絶対牛乳飲みませんね。あれはほんっとに辛かった。もうあんな辛い戦いは真っ平ですよ。」
「そっそうですか…」

真っ白な灰となって崩れ落ちそうになったその時、稲妻のようにイルカの体を貫くものがあった。

「カッカッカカシ先生っ。」

体を起こすとガッとカカシの手を握る。

「そっその話、誰にもしていないっておっしゃいましたよねっ。」

イルカの勢いにカカシは目をぱちくりさせ、こくこくと頷いた。

「火影様にも言ってませんねっ。」

「は…はい、出すもん出せば腹痛なんて直りますから、報告するまでもないと思って。」
「っしゃーーっ。」

イルカは天に向かって拳を突き上げた。

「間に合ったーーーっ。」

そう、間に合ったのだ。鬼が原の戦いの真相が牛乳にあたったカカシの腹下しだったということは誰もまだ知らない。いや、知られてはならない、それがたとえ火影といえども。

写輪眼のカカシはすでに木の葉の顔だ。里人や木の葉の忍達にあたえる影響は大きい。まして他里にとってカカシの存在は脅威であり、それが様々な意味で牽制になっている。なのに、最も人々の間に流布している『鬼が原の戦い」の原因がンコだったと知られたら、木の葉の里が受けるダメージは計り知れない。
人として崩れ落ちる寸前、忍びとしての本能がイルカを復活させた。伊達に火影の私設秘書などやっていない。瞬時にしてイルカの頭は、里の受ける軍事面での影響と、それに伴う経済的損失をはじきだしていた。そしてその損害額に内心慄然とする。イルカは再びぎゅむぅ、とカカシの両手を握った。

「カカシ先生っ。」
「はっはいっ。」

何か萎れたと思った途端、凄まじい迫力で迫ってきたイルカにカカシはたじたじだ。

「カカシ先生っ、今の話、オレだけのものにしてくれませんかっ。」
「は?」

カカシはきょとんとイルカを見つめる。だがイルカは真剣そのものだ。

「火影様だろうとあなたの親友だろうと、話さないでほしい。鬼が原だけじゃない、あなたがこれまでこなしてきた任務の様々な真実をオレは誰にも知られたくないんですっ。」

直感だった。この男、仕事ができるうえ見た目がいいから露見していないだけで、絶対何かやらかしている。そしてこれからも何かやらかすに違いない。木の葉の中忍として、そして受付担当として、写輪眼のカカシのイメージを守るとイルカは決意した。ことは木の葉の根幹を揺るがしかねない。

「オレはいつだって受付にいます。もしいなければアカデミー、いや、オレのアパートに来てもらってもいいんです。とにかく、あなたの話を独り占めしたいんですっ。」
「イッイルカ先生…」

ぎゅむぅ、と握った手に力を込めて訴えれば、何故かカカシは耳まで赤くなった。

「中忍ごときが僭越ですが、お願いします、カカシ先生。」
「そっそれは…急すぎてオレも…」
「今すぐ返事を、とは言いません。ですが、オレはあなたの話を誰かに知られるのは我慢がならない。」
「せ…先生…」
「お願いします、カカシ先生。」

膝をつめてイルカは懇願した。もう頭の中はイメージダウンによる依頼料の引き下げや経済的損失、それにともなう減給やらボーナス減額やらで一杯だ。
カカシは真っ赤になったまま、一晩考えさせてください、と小さく言い、離れでの宴はお開きとなった。







翌朝、イルカは重い気分を引きずって出勤した。今日は朝から受付業務がはいっている。昨日の接待は見事じゃったと火影に褒められたがイルカは上の空だった。
夕べカカシに任務に関する話を誰にもしないでくれと懇願したが、返事は保留となった。だが、とにかくンコの話だけでも封印しなければ。木の葉の平穏は己の肩にかかっているのだ。

「おぉ、カカシよ。夕べはご苦労じゃったな。」

機嫌のいい火影の声でイルカは我に帰った。受付所のドアの所に写輪眼のカカシが立っている。

「大名もいたくおぬしを気に入っての。で、早速じゃが、見合いの日取りを…」
「イルカ先生、夕べの返事をしにきました。」

火影の言葉など耳にはいらぬ風で、ツカツカとカカシは受付机の前に歩み寄った。

「イルカ先生。」
「はっはいっ。」

イルカは礼儀正しく立ち上がって居住まいをただす。カカシはイルカの願いを聞き入れてくれるだろうか。受付机の前に立ったカカシは、真っ直ぐにイルカを見つめてきた。

「先生の申し出をオレは受けようと思います。」
「ほっ本当ですかっ。」

ぱぁ、とイルカは顔を輝かせた。

「ありがとうございます、カカシ先生っ。」

これで木の葉は救われる、そう胸を撫で下ろした時、きゅっと手を握られた。顔を上げるとカカシの露出している部分が真っ赤だ。

「オレ達は男同士ですし、今まで同性と付き合ったことがないので、正直、あれから随分悩みました。」
「は?」

イルカは首を傾げた。男同士って何の話だろう。受付所がシン、となる。

「でも、あなたのことは前々から気になっていて、可愛いなと思っていましたし、何より、あんな熱烈な告白をしてもらえるなんて。」
「……はい?」

可愛い?告白?

イルカはきょとん、とした。話が見えない。だが、カカシは見えている耳まで真っ赤になってイルカの手を自分の胸のところに抱き込んだ。

「オレのこと独占したいなんて言われたの、初めてです。でも嬉しかった。イルカ先生って見かけによらず情熱家だったんですね。月明かりの中で告白されるなんて、とてもロマンティックでした。」

受付所中がどよめいた。ここにきてイルカは初めて、夕べのことをカカシが勘違いしているのに気付く。

「あっ、いやっ、あれはっ」
「まるで天国にいる両親や先生から誕生日プレゼントを贈られた気分です。いえ、本当にあなたと出会ったことがオレの人生へのプレゼントだったんですね。」
「だからっ、ちっちが…」
「大事にします。」

うっとりとカカシはイルカの手の甲に口づけた。

「あなたを大事にします。誕生日にこんな可愛い恋人が出来るなんて、オレは本当に幸せです。」

イルカは口をぱくぱくさせるばかりで言葉がでない。火影が横で目を剥いている。腕を引かれ、カウンターごしにぎゅむ、と抱きしめられた。

「あぁ、幸せだ…」

腕の中から上目遣いにカカシを見ると、蕩けそうな笑みにぶつかる。純粋に嬉しい、と言っている顔だ。

いっ言えねぇ…

この幸せに蕩けきった顔を見て、今更、それは勘違いです、などと人非人なことは言えない。ましてや、ンコの話を封印したかったなど、どうして口にできよう。

「先生の終わる時間にオレ、迎えにきますね。」

口布のままカカシはイルカの頬にキスをおくった。そして照れくさそうに微笑む。

「ホントのキスは二人っきりになってから。」

こつん、と額をあわせたあと、はたけカカシは上機嫌で受付所を出て行った。パタン、とドアが閉まる。イルカの横で、う〜ん、とうめき声があがり、どさりと重い音がした。火影が泡を吹いて倒れている。シン、としていた受付所は騒然となった。医療班がかけつけ、周囲が大騒ぎする中でイルカはただ、突っ立ったままだ。受付所の喧噪も何もかもがどこか遠い。

オレ、何か間違えた…?

自分はただ、木の葉の里を守ろうとしただけだったのに、いったいどこで何を間違えたのだろう。

その日の夕方、黒髪の中忍は赤い薔薇の花束を持って迎えにきた上忍に手を引かれていった。中忍が身を挺して里の危機を救ったことは、当然だが誰も知らない。

 
     
 

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、や、あのね、金角ね、ある日の午後、一杯用事があったのよ。スーパーが5%オフの日だから定価品チェックしながら買い物しなきゃとかね、その足で娘さん迎えにいけばいいかな、とかね、色々計画たてながら動いてたわけ。そしたら肝心のスーパーで突然腹がピーゴロゴロって恐ろしい腹痛が襲ってきて、やべぇ、こりゃさっき飲んだ牛乳のせいだよ、でも買い足さなきゃいけない定価ものがあるし、うぉぉっ、負けるな自分ーーーっとまぁ、気合いで買い物すませたの、でも時計みたらもうお迎えの時間、うげげ、トイレ行ってる時間がねぇっ、って直行したんだけど、もうね、冷や汗脂汗、苦しかったのなんのって、やっとこ自分ちのトイレに駆けこんだ時には、至福ってこういうことだって思ったね。その時トイレでふっとこの話を思いついた。戦闘中に突然ピーゴロゴロがきたらどーすんだろう、案外無敵になんじゃねーの、とか…んでなんでこれがカカ誕話になったかって、えっと、そのぉ、書き終わったオフ本『空蝉』、結構苦労して書いたもんで、しかも案外とシリアスだったりして(当サークル比)ストレス溜まってたんだねきっと…って、ぎゃ〜〜、ごめんなさいってば、オレが悪かったっす〜〜〜