鬼神ふたたび
     
     
 




 


鬼神再び

「なかなか消えないもんだぁね…」

はたけカカシは小さく呟いた。じっと己の右手を見つめる。足下には夏草を朱に染め数多の骸が転がっていた。
遅い午後の陽光が死闘の跡を照らし出す。草原に一人立つ銀髪の上忍の姿だけがくっきりと鮮やかだ。
晩夏の草原に一陣の風が吹き渡った。銀髪の忍びはその風に炎をのせた。何もかもを焼き尽くす紅蓮の向こう、木々の緑はますます深く広がる空は光に満ちている。刹那、銀の上忍は瞑目した。手がぐっと握りしめられる。

「はっはたけ上忍っ」
たまらず中忍達はその名を呼んだ。銀髪の上忍がフッと顔をあげる。

「無事でよかった。」

柔らかい微笑み、銀の上忍は中忍達を見渡し、力強く頷いた。

「さぁ、里に帰ろう。」

決然と踵を返す。
騙し、奪う忍びの業を背負ってなお、銀の上忍はきっぱりとして揺るぎない。行く末が血塗られた修羅の道であろうとも、果てを見据える色違いの双眸は冴え冴えと澄みきっている。
再び強く風が渡った。すでに忍び達の姿はない。
焼き払われた夏野の片隅で、小さな白い花が揺れていた。








「っつーわけでオレ達全員、無事任務終了と相成ったのだ。」
「あのとき、はたけ上忍が救援に来て下さらなかったら今のオレ達はない。」
「そう、ゼッテーない。」
「「「流石は鬼神と呼ばれる木の葉の誉れ」」」
「待て待て待て待て」

受付所で盛り上がる任務帰りの同僚達を思わすイルカは制止していた。

「焼き払ってないだろソレなんたってビンゴブッククラスの忍びが二人もいたんだ処理班が回収してっただろ、いや回収したよな手配したのオレだし、第一お前ら忍び稼業は殺してナンボな感覚のくせ何を今更修羅の道発言揺れる白い花って何だよ撤収したんだろうがお前らなんで自分らがいなくなったあとまで描写できるんだっつーかもう突っ込みどころ多すぎるわっ。」

「わぁ、イルカってリアリスト。」
「時には夢もみたいじゃないか。」

「そう、まさに夢みたいな強さだったんだよ、はたけ上忍はっ。」

ほわ〜、と同僚三人は手を胸の前で組みうっとりとした。

「「「オレ達は歴史の証言者だ。」」」

「……とりあえずお前ら、ホムラ様の後継いで本書けるわ。」

言いながらバタバタと帰り支度を急ぐ。
今の話、どうも腑に落ちない。死線をくぐり生き抜いてきた男が、しかも雷切りなどという物騒な必殺技引っさげて戦う男が今更屠った手の感覚うんぬん言いだすはずがないのだ。報告書をこの盛り上がりまくっている中忍達に押し付けて家に帰ったあたりも妙に引っかかる。まさかあの男、つまらないことを誰かにしゃべっちゃいないだろうか。

「すまん、ちょっと心配だからこのまま帰るわ。」

クールな見た目に反して能天気なあの上忍が事の真相をペラペラしゃべる前になんとしてでも封じ込めねばならない。写輪眼のカカシのイメージを保つのは恋人としての重要な責務だ。

「そうだな、帰ってやれイルカ。」
「上忍の心を癒してやれるのはお前だけだイルカ。」
「イルカ、ガンバ」

相変わらずな周囲の誤解を解く気はすでにない。温かな言葉を背にイルカは大急ぎで受付所を飛び出した。


 

古い中忍アパートのドアを開けるとザァザァと水音がした。洗面所だ。

「カカシさん」

返事がない。

「カカシさん?」

ふと、不安になった。どうしたのだろう。様子がおかしい。急いでサンダルを脱ぎ洗面所に入るとカカシが手を洗っていた。風呂には入ったのだろう、上半身は裸のままで、バスタオルは肩にかけたまま、濡れた銀髪からポタポタと雫が落ちている。

「カ…カカシさんっ…」

風呂上がりだというのに必死で手を洗っている。イルカはドキリとした。
そうだ、普段あまりに能天気なものだから今回も気楽に考えていたが、この人は上忍なのだ。里のトップクラスが請け負う任務の過酷さは自分達中忍には計り知れない。何かあったのかもしれない。本当に何か、心を痛めることがあったのだ。

「カカシさん」

何があったのだろう。でもカカシさん、辛い時はそれを吐き出してほしい。傷の舐め合いと言われてもいい。ともに辛さを乗り越えてこその伴侶なのだから。一歩踏み出したイルカにカカシが振り返った。

「イルカせんせぇ…」
くしゃり、とカカシの顔が歪む。

「せんせ、消えないんだよ…」

消え入りそうな声、たまらずイルカはカカシの手を取り胸に抱き込んだ。

「いいんです、もういいから」
「せんせ…」
「大丈夫だから…」

抱き込んだカカシの手に口づけた。ひねりっぱなしの蛇口から流れる水音がざぁざぁと響く。

「もう大丈夫だから、手なんか洗わなくていい。」
「だって…」
「あなたの手はこんなに綺麗でしょう?」

カカシの手を開き、その手の平を頬に当てた。

「カカシさん、だからもう」

カカシが泣きそうな顔をする。

「だってぶにょってしたんです。」
「そうですか、ぶにょ…」
「ぷにょっていうかぬみょっていうか」

「………はい?」

思わず顔をあげる。

「なんかやけに糸くず多いな〜って思ったら」

目を瞬かせるイルカの前でカカシが悶えはじめた。

「ぎゃ〜、また思い出しちゃった、気持ち悪ーーっ」
「えっと…」
「だからね、洗濯終わったら糸くずフィルターの糸くず、取るでしょ?」
「取り…ますね…」
「でしょでしょ?カビきちゃうし。」

いつしか離れてしまった右手をカカシはブンブンと振る。

「そんでね、糸くずフィルターが妙にふくらんでて、今日は糸くず多いなーって手ぇ突っ込んだらぶにゅって」
「はぁ…」
「アレ?って取り出したらソレ、糸くずじゃなくてデッカいカマキリだったんですっ、オレ、カマキリと一緒に下着や忍服回してたんだって」
「………」
「もう、足とかアレで、なによりカマキリって腹、凄いじゃないですか、アレが洗濯機でさらにふやけてぶにゅってかぬみゅってかっ」

ビビビ、と小刻みに手を振りカカシは身震いする。

「ぎゃーって思ってたら緊急の呼び出しかかっちゃって、もうそのまま救援任務行かなきゃなんなくって、でもカマキリの感触が抜けないから気持ち悪ーって敵忍に雷切りぶちかましたんだけど全然消えなくて、じゃあ数人分雷切りかましたら何とかなるかなって思ったんだけど全然ダメでっ」

消えないってそっち……?

「あ〜もうヤダ、パンツもタオルもカマキリと回ってたんですよ、もう、洗い直しだし、感触消えないし」

そういえば脱衣所の方でゴンゴン洗濯機が回っている。がくり、と膝が折れそうになるのを必死に堪えるイルカの忍服にカカシはぺっぺっと指を擦り付けた。

「思い出すだけでどうにかなる〜〜っ」

そうだった、この人、こういう天然だった…

一瞬でも心配した己が口惜しい。キーキー騒ぐカカシを生温く見つめ、イルカはゆっくりと踵を返した。お茶でも飲んで落ちつこう。

「消えない〜〜っ、あ、洗濯終わった。」

ドタドタ上忍とは思えぬ足音を聞きながらイルカは薬缶を火にかける。
こうしてまた一つ、木の葉の歴史に新たな英雄伝説が加わった。だが、その影に一人の中忍の並々ならぬ献身があることは誰も知らない。

 

 
  ………実話です、夏の終わりの頃でした。ちょっとトラウマです。消えなかったんです感触が…