拷問棟の最深部には地下牢がある。捕虜を拷問にかけるためのその牢には当然だが陽は射さない。灯りのための松明は拷問部の者が出入りするときだけともされる。
ただそこは真っ暗ではなかった。そこかしこに生えた苔が青白く発光し牢内をぼんやりと照らしている。腐臭漂うこの地下牢をまだらに照らすその光は弱く点滅していた。それは人の感覚を狂わせる。並の忍びならば二、三日で発狂するといわれる苔の光は漆黒の闇より質が悪い。
その牢に一人の男が床に転がされていた。
年の頃は四十そこそこ、細面で整った顔立ちをしている。肩まである焦げ茶の髪が湿った床に散っていた。しなやかな筋肉に覆われた細身の体はボロボロだ。
男は横たわったままぼんやりとその光を眺めていた。木の葉のはたけカカシに捕縛され、拷問部に引き渡されてから何日が過ぎただろう。時間の感覚はすでにない。だが、切れ長のその瞳は理性を失ってはいなかった。新興の里である『水隠れの里』次期里長と目されてきた男だ。捕縛される前に心に鍵をかけ、感覚を切り離す術を己に施していた。どんなに拷問されても、それを体への刺激と認識はするが、意識は心の奥深くにたゆたい苦痛を感じない。
一度、拷問が中断され、長い金髪を一つくくりにした年かさの忍びに術をかけられた。その忍びは意識だけの存在となり己の頭の中に入ってきたが、里の情報は己ですら知覚できない奥底に仕舞い込んでいたので問題はなかった。再び始められた責め苦も男にはどうでもよかった。体は確実に衰弱している。遠からず死に至るだろう。だが男は満足していた。里の秘密を守り抜き自分は死ぬ。残してきた妻子は悲しむだろうがそれもひとときのこと、面倒は里がみてくれるし、また新しい人生をはじめられるだろう。
男は目を閉じた。愛しい家族の顔を思い浮かべ男は微かに笑みを浮かべた。こうやって温かい思い出の中に浸りながら死を迎えられる己はなんと幸せなことか。死は男にとってすでに救いだ。
ふと、人の気配がした。男は目を開ける。穏やかな顔付きの若い男が立っていた。確か拷問部隊長、森野イビキ付き副官だ。中肉中背、一重まぶたでこれといった特徴のない丸顔、通りですれ違っても人の記憶に残らないようなこの男が、実は恐ろしい忍びだということはこれまで受けた数々の責めでわかっている。しかし、ここまで気配を露にするとは。衰弱した体は動かない。目だけあげて見上げれば、若い副官は表情を変えず周囲の部下に指示を下した。
「外へ出せ」
動かない体を抱えられ温かい湯で清められた。清潔な木の葉のアンダーとズボンを着せられ、兵糧丸を口に含まされる。
体が動くようになると支えられ拷問棟の上階に連れて行かれた。
尋問に使われる階とは打って変わって、拷問棟の三階は明るかった。廊下の床材は柔らかな白茶、上質のメープルだろう、そこに大きな窓から陽の光が射している。暗闇の中にいた男は眩しさに目を眇めた。
廊下の突き当たりのドアを若い副官が開けた。入るよう促される。そこは十畳ほどの部屋だった。床材は廊下と同じメープル、壁紙には淡いピンクの花が散らしてある。部屋の中央に白いレースのテーブル掛けのかかった丸いテーブルが設えられていた。傍らに布張りの肘掛け椅子が二脚とソファ、そこには白地にとりどりの花を散らしたクッションが置かれている。正面の出窓では白いレースのカーテンが初夏の風に揺れていた。優しい風景、今まで押し込められていた地下牢とは別世界だ。
あぁ、そういうことか…
男は得心した。拷問のスペシャリスト達が考えそうなことだ。
こうやって明るい部屋でくつろがせ、心が緩んだところで再び拷問部屋へ戻すのだろう。明るい光を見て一度緩んでしまえば同じ責め苦でも屈しやすい。
無駄なことを
男は密かに嘲笑した。術を固定し情報を心の奥深くに沈めた己に何をしても無駄なのに。
「ここへ座れ」
若い副官の平坦な声がした。部下たちの手で男は布張りの肘掛け椅子に座らされる。適度に体を包む柔らかさが心地よい。男は素直にその感覚を楽しんだ。死ぬ前にこうやってくつろげるとは、案外自分は運がいい。少女趣味は好みじゃないが、今までこんな部屋でくつろいだことはないからいい経験かもしれない。テーブルの上に飾られた色とりどりの花を眺めそんなことを考えていると、いきなりドアが開いた。
「あ、もう来てたんだ。お久しぶり〜」
脳天気な声。
「どう?元気してた?あ、拷問受けてたんだから元気もなにもないか」
銀髪猫背の男がひょこひょこ入ってきた。男は目を見開く。
「はたけ…カカシ…」
思わずもれた声に銀髪の男はにこ、と目を細めた。
「や、こないだは腕なんか折っちゃってごめーんね?まぁ、あの時は敵同士だったんで勘弁してよ」
「謝ることはないぞ、カカシ。拳を交えた相手とこそ心も通じ合うものだ。なぁ君、そう思うだろう?」
はたけカカシの後から来たおかっぱ頭の忍びがビッと親指をたてた。はたけカカシがひらひらと手をふる。
「濃い奴でびっくりしたでしょ?気にしないで。コイツはガイってオレの同期なの」
「同期などと水臭い言い方をするな、素直に親友と呼べ」
「お前がいつオレの親友になったのよ」
「照れるな照れるな」
はっはっは、と白い歯をみせたおかっぱ頭はソファの流線型をした肘掛け部分に足をのせポーズを取った。
「オレはこのカカシの永遠のライバルにして心の友、マイト・ガイだ。よろしくな、新しき友よ」
「ガイ上忍、お行儀悪いですよ」
若い副官がお茶とシフォンケーキを載せた銀のお盆をテーブルに置きながら言った。同じ男かと思うほど声音が優しい。
「イビキ隊長ご自慢の家具セットなんですから」
「おぉ、すまんすまん」
ガイは素直に足を下ろすとどかりとソファに腰をかけた。すでにソファでくつろいでいたカカシがそれぞれのケーキ皿にシフォンケーキを取り分ける。
「これ美味いよ。オレ、甘いのって苦手だったんだけど安眠さんの作るシフォンケーキは別格なのよ」
「オレも安眠の作るケーキは大好きだ」
ビッとガイがまた親指をたてた。男は唖然と目の前の光景を眺めた。花がらのソファに座り瀟洒なティーカップとケーキ皿を前にした写輪眼のカカシにおかっぱ頭、そぐわないことこの上ない。
「…って、安眠さん?」
人間、衝撃が大きいと全くどうでもいいことを口走るらしい。だがぐいっとカカシが身を乗り出し丸顔の副官を指さした。
「そーなのよ、この人、安眠さんっていうの。コードネームじゃないよ?本名安眠タカオさん、イビキの副官が安眠ってウケると思わない?すごい偶然だよね。鼾に安眠、だって」
「その名の通り、この男の尋問を受けた人間は安らかに木の葉へ下ると聞いていたが、こうやって実際に会うのは初めてだな」
「そだねー、アンタも色々大変だったろうけど、これからまぁ、よろしくね?肋骨も何本か折っちゃってたって聞いたけど、ほんとごめーんね?」
シフォンケーキの横に生クリームとジャムを添えて写輪眼のカカシがケーキを差し出してくる。男は内心、大笑いした。
そうか、そういうことか。どんな拷問にも屈しなかった自分を持て余し、こんな茶番を用意したっていうのか。
男は目に侮蔑の色を浮かべた。明るい部屋でホッとしたところへちぐはぐなお茶会を演出して混乱させる気なのだ。意図が丸わかりなうえやり口も甘い。他の捕虜はどうか知らないが、次期里長と目された自分に対してあまりに稚拙ではないか。
オレも舐められたもんだな…
男は心のなかで呟いた。だが、ここは相手の意図するところにのってやった方がいいだろう。どうせ助からないのならば、今更何を食べ何を飲もうが一緒だ。先ほど飲まされた兵糧丸が効いてきたのか体も動く。男はフォークを無視し手でケーキを掴むと一口かじった。
……美味い!
思わず動きを止める。以前、似たようなケーキを食べたことがあったが、それはパサパサして実に味気なかった。だがこのケーキはどうだ。ふんわりとしていて素朴ながら味わい深い。
「ね、美味しいでしょー」
「生クリームも試してみろ、実に美味だぞ」
促されるまま生クリームや赤いジャム、なんでもラズベリーとかいうそうだが、そのジャムをつけて食べてみた。野趣あふれた香りとともに絶妙なバランスで甘みと酸味が口の中に広がる。素朴なケーキが一挙に華やかになった。実に美味い。気がつけば二切れ目を食べ終わっていた。
ぐぬぅ…
男は密かに唸った。まさかこの自分が食べ物につられてしまうとは。さすがは木の葉の拷問部、やはり侮れない。術は完璧だが油断は禁物、気を引き締めようとした矢先、今度は芳しい紅茶の香りが鼻孔をくすぐった。
「ーーーー!」
丸顔の副官が紅茶カップに熱いお茶を注いでいる。差し出された紅茶を一口飲んだ。
「うーん、絶品」
「さすが、安眠殿のいれる紅茶は実に美味いな」
目の前の木の葉の上忍達が男の心を代弁した。香りだけでなく茶葉のしっかりとした味を引き出すこの手腕、凡庸な風体でありながら高度な技を持つ若い副官を男は改めて凝視する。
こやつ、できる…
男は先ほどの己の浅慮を恥じた。同時に、やはり気が緩んでいるのだと認めざるをえない。いつもならば警戒こそすれ相手を侮るなど決してやらないというのに、やはり拷問室から明るい部屋で息をついたことが影響しているのだろうか。
それにしてもソファに座る上忍二人、ちぐはぐお茶会の演出にしてはなんともナチュラルにキャピキャピしているのは気のせいだろうか。
「でさぁ、5月に入ってからイルカせんせってば、ぜーんぜん相手してくんないの。毎日忙しい忙しいって」
「しかたあるまい。アカデミーの行事が目白押しだからな」
「でも週末、カフェで一緒にキャラメルフラペチーノ飲むって約束まで反故にされたんだぁよぉ〜」
「なんだなんだ、そのきゃらめりぺちぺりなんとかとは」
「キャラメルフラペチーノ。オレねぇ、甘いものはあんま好きじゃないけど、イルカせんせと飲むキャラメルフラペチーノは好きなーのね」
「ふむ、青春の味というやつだなっ」
雰囲気はきゃぴきゃぴなくせ、妙にオヤジ臭のする会話である。男はただ唖然とした。これは本当に自分たちが屈した写輪眼のカカシなのだろうか。氷のような殺気を帯びた銀の忍びと目の前のくにゃくにゃした男は同一人物なのか。演出だとしたら大したものだが、なんだか自然すぎるような気がしてならない。
いや、忍びは裏の裏を読め、だ。
男は頭を振った。惑わされてはいけない。自分は捕虜であり向こうは里の情報を欲しがっている敵だ。この明るい部屋は、美味いケーキやお茶は所詮、自分を落とすための毒なのだ。
それにしても先程から写輪眼のカカシが名前を連呼している「イルカせんせ」とは何者なのだろう。「イルカせんせ」と言う度、写輪眼のカカシの目元がほんのり赤く染まってみえるのは錯覚だろうか、いや、錯覚に違いない。表情一つ変えずに我々の里の精鋭を潰した男だ。こっちを混乱させるための手管にそうそう乗ってやるものか。
「この幸せ者めぇ、イルカイルカと、まったくこっちまでピンク色に染まりそうではないかっ」
「えへへへへ〜」
混乱させるための手管に…
っつかなにそのツンツンって、今どき人差し指でツンツンっておかっぱ頭、アンタいくつだ、いや写輪眼のカカシ、やめろよぉって身ぃくねらせてんじゃねーよアンタほんとに写輪眼のカカシなのか偽物じゃないのかっ
思わず男が上忍達から目を逸らしたテーブルの上にひらりと一枚の写真が置かれた。不思議に思って見上げると丸顔の若い副官が懐からさらに数枚、写真を取り出しテーブルに並べる。男はその写真を眺めた。四つ切りサイズの大きな写真で、祭りの情景なのだろう、青いはっぴに赤い褌を締めた男たちが神輿を担ぐ姿が写っている。男は訝しんだ。この状況でなぜ祭りの写真など出すのだろうか。
「はたけ上忍、ご依頼の写真、出来ましたよ」
「え、ホント?」
ソファできゃぴきゃぴ「イルカせんせ」を連呼していた銀髪が身を乗り出した。写真を手にとり絶叫する。
「せんせ、かぁわいい〜〜」
目元と右耳、つまりは露出した部分が赤く染まっているのは見間違いではない。
「こちらはうみの中忍の部分だけ引き伸ばしたものです」
写輪眼のカカシは両手で頬を包みキャア、と黄色い声をあげた。
「なにコレ、ちょー可愛いんですけど」
女子かっ
ついツッコミを入れた男に気の緩み云々を責めるのは酷だろう。それほど銀髪の上忍の周りにはピンクオーラがはじけている。おかっぱがどれどれ、と非常にオヤジ臭い格好で写真を覗きこんだ。
「ほぅ、木の葉神社の奉納祭か」
「そうっ、今年はセンセが担ぎ手だったから写真撮ろうとしたら嫌がってさぁ、だからね、安眠さんにお願いしてたの」
「ふむ、さすがは安眠、写真の腕もなかなかだなっ」
ぐっと親指をたてるおかっぱに丸顔の副官が会釈を返した。男は唖然としたままだ。そこへひらりと写真がかざされた。
「特別にね、みせたげる」
写輪眼のカカシが嬉しそうにかざしてきたのは黒髪を頭のてっぺんで一つ括りにした若い男の全身写真だ。引き伸ばしたとかいう写真の方か。はっぴに褌を締めただけの体は筋肉質でたくましく、鼻の上を一文字に横切る傷跡のある顔は実に男臭い。
「ね、どうどう?」
どうと言われても…
目の前の銀髪はなんだか期待に満ちた顔をしている。この男の感想を言えというのだろうか。
「たったくましい男だな」
「そう?アンタもそう思う?」
「あぁ…」
戸惑う男にデレ、と写輪眼が相好を崩した。
「でっしょー?見事な前胸筋だぁよねっ。この形、たくましさ、しなやかさ、そう、センセの筋肉はしなやかなのよ。ガッチガチじゃないからこう、手に馴染んでくるっていうか張りがある柔らかさっていうか、揉みがいのある体なぁのね」
…揉みがい?
男はただ目を瞬かせる。
「でもね、センセの筋肉の中で最も美しいのはこの殿筋なの」
写輪眼が別な写真をかざした。それは同じ男の後ろからのショットだ。
「見てよこのバランスの妙!普通の男はさ、大殿筋ばっか鍛えるからピーマン尻になっちゃうのね。なのにセンセのこの尻の形のいいこと、これってさ、小殿筋、中殿筋、大殿筋それぞれがきちんと鍛えられてるからこその桃尻なわけよ」
「……はぁ」
だからなんだ
男は心の底からそう思った。美しい女性の尻ならいざ知らず、自分には野郎の尻を鑑賞する趣味はない。だが二つ名を持つ稀代の忍び、写輪眼のカカシはほぅ、と悩ましげなため息をついた。
「あぁ、センセってなんて素敵なんだろ。ほんっと罪な人だぁよ」
その時、男はようやく、写輪眼が件の男を「センセ」と呼んでいることに気がついた。
「……せんせ?」
うっかりそう呟いてしまう。しまったと思った時は遅かった。写輪眼のカカシがパーン、と胸を張った。
「そうっですっ」
両手を広げ高らかに宣言する。
「この素敵な人こそが里のアイドル、イルカ先生、このオレの可愛い恋人なのでぇっす」
ピシャーン、と雷が頭上に落ちたような衝撃が来た。
前胸筋、揉みがい、桃尻、殿筋、可愛い恋人
様々な単語が脳内をかき回す。はたけカカシは両拳を胸に当ていかに「イルカせんせ」が可愛い恋人かを力説している、ようだ。というのも写輪眼のカカシの言葉はただの音として男の耳をうわ滑ってよく認識できない。
しっかりしろ
男は丹田に呼吸を入れ気を整えた。
これは罠だ。明るい部屋、ゆったりとした空気の中で美味いケーキと香り高いお茶で心をほぐす。そこへ写輪眼のカカシのホモ発言、しかも相手は美形とは程遠い、どちらかというと男臭さプンプンな野郎だ。様々な角度から自分を混乱させ術を解かせるつもりなのは明白、男はわずかに口角を上げた。木の葉め、思い通りにさせてたまるか。
「はたけカカシがホモだったとは意外だったな」
極めて冷静に言い放つ。
「どうりでくノ一の誘惑が通用しないはずだ。まだビンゴブックには載っていない情報だしな」
「え〜〜、もしかしてオレの恋人情報載ってないの?そんなぁ、イルカせんせに知られたらせんせが傷ついちゃう〜〜」
「……は?」
写輪眼のカカシはブンブンと首を振った。
「オレはセンセ一筋なのにどうしよ〜〜、誤解されちゃうよ〜」
なんか食いつきどころがズレてないか?
ぽかんとする男に写輪眼のカカシはまくしたてた。
「そりゃあね、オレだってイルカせんせに会う前は荒れてた時期もあったよ?でもね、今はイルカせんせだけ、あ、言っとくけどオレ、センセ限定のホモだから、基本美青年もマッチョも受け付けない、ってか瞬殺だから。変に勘違いして言い寄ってくるバカがいるのよ。あ、でね、でね、話戻るけどオレ、ほんっとーにイルカせんせだけなの。困ったなぁ、任務のたびにもっと言いふらしたほうがいいのかなぁ」
ズレてる、完全に問題視する部分がズレまくっている…
きゃあきゃあ騒ぐ写輪眼をただ呆然と見つめていると、おかっぱががしりと銀髪上忍の肩をつかんだ。
「うろたえるなカカシよ。イルカがその程度のことで揺らぐわけあるまい」
「そうですよ、はたけ上忍」
丸顔の副官も力強くうなずく。
「うみの中忍もはたけ上忍一筋ですからね。こんなベストカップル、今更外野がどうこうできませんよ」
「そっそうかなぁ」
はたけカカシがてれっとなる。
「イルカせんせもオレ一筋かぁ、そうだよね、オレ達、木の葉のベストカップルだぁよね?」
さっきのうろたえぶりはどこへやら、てれてれと写輪眼は身をくねらせた。
「アンタにも今度、紹介するね?オレの可愛い人、なんたってオレ達、ベストカップルだから」
どうやら「ベストカップル」という単語を気に入ったらしい。何度も口ずさむように繰り返している。
「イルカせんせってねぇ、ほんっとに男らしくって可愛くって、あ、オレね、最近センセのことで大発見しちゃったんだぁよ?」
聞きたい?聞きたい?と目で訴えてくる。う、と男は怯んだ。片目だけだというのになんという目力だろうか。
「だっ…」
はたけカカシの目のきらめきが増す。
「大発見とは?」
負けた…
何に負けたのかちょっとよくわからないがとにかくなんか負けた。がくりと肩を落とす男とは対照的に写輪眼のカカシはいっそう目を輝かせた。
「特別に教えたげる。あのねぇ、イルカせんせって」
すっと声を潜める。
「金や銀の粉を纏ってたんだ」
…………は?
男はマジマジと稀代の忍びを見つめた。
なに言ってんだコイツ?
当の銀髪は大真面目だ。男はくら、とめまいを感じる。天才となんとかは紙一重というが、もしかしたらこういうことなんだろうか。
「ね、びっくりしたでしょー」
男が絶句しているのを驚きからだと思ったらしい。写輪眼のカカシはうんうんと頷いた。
いや、実際驚いたがな、アンタの頭の構造っつか実は写輪眼のカカシはバカだったのかみたいな?
心の奥底で再び一人ツッコミだ。眼前の銀髪はニコニコ上機嫌、そこへおかっぱがビシリと親指をたてた。
「カカシよ、いくらイルカでも金銀の粉はまとっておらんぞ」
「でもオレ、見ちゃったんだよ。神輿の担ぎ手着替え室って神社の横のお堂だったでしょ。オレね、センセの着替え、こっそり覗きに行ったのよ」
のぞきにいったのか野郎の着替えを!わざわざ、しかもこっそり!!
「そしたらね、センセのまわりがキラキラ輝いてるじゃない。もーびっくりしちゃって、オレね、センセのこと天使だって思ってたけどソレ間違い」
天使ぃ?そら間違いだろ、っつか今更じゃないのか写輪眼のカカシ
「あのねぇ、天使じゃなくてセンセはね」
ずずい、と更に身をのりだしてくる。
「神だったんだぁよ」
………はい?
目を白黒させる男の前で写輪眼は両手を胸の前で組みうっとりとなった。
「金銀の粉をまとったセンセのそりゃあ神々しいことといったら」
「カカシぃ、それは金銀ではなく埃だぞ」
おかっぱがおかっぱには珍しくまともな意見を言った。
「他の担ぎ手のまわりもキラキラしていただろうっ」
男も激しく同意だ。だが写輪眼のカカシは一向に動じなかった。それどころかふん、と鼻で笑う。
「他の野郎どものはそりゃ埃だよ。チンダル現象でしょ。でもね、センセのはちがーうの。連中と一緒にしないで」
「むっ、違うのか」
「そう、センセは埃すら金銀に変えちゃうんだぁよ」
「そうか、さすがはイルカだな」
「でっしょー」
えええ?それで納得したのかおかっぱ?
「愛は埃すら金に変えるのよ」
「素晴らしいぞカカシィ」
納得したのかっ!!!
「愛の奇跡なんだぁよ」
「カカシィーー」
もうわっけわからん、っつか本気なのか?コレは本気の会話なのか?
木の葉の上忍達は大いに盛り上がり、飛び交う単語にはなにやらピンク色のオーラがまとわりついている。カルチャーショックどころの話ではない、あまりの理解不能な木の葉の状況に男の思考は次第に白くなっていった。そこへバターン、と音をたて扉が開く。
「邪魔するぜ」
ヒゲの大男がどすどすと入ってきた。
「あ、アスマだー」
「おぉ、アスマではないか」
「お前ぇら、なに油売ってんだ」
アスマと呼ばれた大男はきゃぴきゃぴはしゃいでいるおかっぱと銀髪を上からじろりと睨めつけた。
まっまともだ!
意識が白くなりかけていた男は自分を取り戻した。
まともな人間がいた!!
この部屋の中で自分の方が異常なのではないかとすら思いはじめていた男はようやく出会えたまともな忍びにほっと安堵の息をついた。
そうだ、おかしなのはこの銀髪とおかっぱ頭であってオレは…
「イルカの誕生日パレードの衣装合わせ、今日するって言っただろうがよっ」
どさり、とヒゲの大男は忍びベストを脱ぎ捨てた。ぼふん、と煙をあげ忍服がレースたっぷりの裾広がりドレスに変わる。頭は髪飾りをふんだんにあしらった金髪のカツラだ。
「今年のオレは悲劇の王妃、マリーアントワネットだ」
「あ、アスマだけずるーい」
「そうだ、このオレもドレスを着るぞ」
木の葉の里っていったい…
今度こそ男は心の底から呆然となった。
なんだろう、同じ忍びでありながらこの脳天気さ。敵に相対する時はあれほど冷たい殺気をまとえる忍びが里ではなぜこんなに呑気になれるのだ。なぜバカみたいな恋人自慢が許されるのだ。
里を第一に考え、それこそ心の上に刃を置く覚悟で日々を過ごしてきた己の人生を男は顧みた。厳しい階級社会の中に個人の意志などないも同然だった。里長候補の自分ですらそう感じていたのだ、下の階級の者達はどうだったのだろう。里のための一言で押しつぶされた忍び達がどれほどいただろう。
同じ忍びの里なのに、同じ忍びなのになぜこんなにも違うのだ…
己の信じた忍道が根底からぐらついているのを男は感じた。だがそれが嫌でないのが不思議だ。
「おぅ、新入り。お前ぇもパレード参加するか?」
ヒゲの上忍が男に声をかけてきた。
「参加するなら衣装用意してやんぜ?」
「やっぱアンタもドレスでしょ?紅やアンコ、女連中はね、王子様やるらしいから」
「今年は商店街も出店をやるらしいからちょっとした祭りになるぞ」
「それは…楽しいですか?」
ぽつ、と男の口からこぼれ落ちた。
「楽しい…ですか?」
心の奥底から泣きたいような切ないような気持ちが溢れてくる。銀髪の忍びがわずかに首をかしげ、それからにっこりと笑った。
「もっちろん、すごーく楽しいよ」
「里の人間も新たに里に入った人間も一緒になって騒ぐのだ」
おかっぱ頭が親指をたてる。
「飲んで食って、ガキどもも大勢集まってくるぜ。なんせイルカはアカデミー教師だからな」
ヒゲがフリフリドレスの胸を張った。写輪眼のカカシがにこにこした。
「子供達の分はね、オレ達のカンパで無料なんだぁよ。オレなんてさぁ、片目先生なんて呼ばれちゃって」
本当に嬉しそうだ。
「楽しい…」
久しく縁のない感情、妻や子の顔が浮かぶ。修行と任務に明け暮れる日々、楽しいと笑ったことがあっただろうか。
「そうか…楽しい…」
男の目からはいつの間にか涙があふれでていた。木の葉の上忍達があわあわと自分の周りに集まる。忍びのくせに、敵のくせに、木の葉の上忍達は一生懸命男を慰めようとするではないか。
なんなんだよ、コイツらは…
胸が詰まって涙が止まらない。ふと、肩に手を置かれた。丸顔の副官が微笑んでいる。
「ご家族と一緒にパレードに参加なさってはいかがですか?」
「……え?」
「ご家族を木の葉へ呼び寄せればすむ話です。忍びとしては暮らせませんが商売をするなり農業に従事するなり、生活基盤が整うまではこちらでお世話しますよ?」
「しっしかし…」
戸惑う男に副官は優しく頷いた。
「この上忍方にまかせれば大丈夫、もちろんあなたに協力していただかないとなしえませんが」
「オレの家族…」
男は呟いた。家族とまた暮らせる、いや、今度はもっとゆったり気楽に生活出来る。しかし、次期里長たる自分だけ幸せになるのは…
「あぁ、そういえばあなたは次期里長でしたね。だったらどうです?里ごとあなたが率いて木の葉になればいい。殺伐とした里ではなく、あなたがそうありたいと願う里の形にすればいいではないですか」
「オレが里を…」
「そうです。我々木の葉はあなたへの助力を惜しみません。そりゃあ反対する武闘派も多いでしょうが、そういう血を好む方々の性根はどうにもなりませんから」
すっと副官は木の葉最強の三人の上忍を指さした。
「あの方達にお願いすればあっさりとカタをつけてくれますよ。もちろん」
男の目を覗きこんでくる。
「あなたの協力が必要不可欠ですけどね」
優しく微笑む若い副官、上忍達はドレス姿でありながら頼もしい忍びの顔で頷いている。
「頼む、オレの家族を、里を救ってくれ」
男は今、人生ではじめて「希望」という光を知った。
☆☆☆☆☆
「あ、うみのせんぱーい」
受付に向かう途中、オレは尊敬するうみの先輩をみかけて駆け寄った。
「おぅ、今から受付か?」
「いえ、書類を届けて今日はあがりなんです。ところで先輩、昨日は賑やかな誕生日祭りでしたね」
去年は仕事だったけれど、今年はオレもはたけ上忍主催の誕生日パレードに参加した。ヒラヒラ帽子に黒い仮面をつけた映画の「貴族様」みたいな仮装で練り歩いてとても楽しかった。先輩のアパートまで練り歩き、誕生日プレゼントを渡して挨拶した後は近くの公園でどんちゃん騒ぎだ。公園には商店街の店見せが出店をだしていて、木の葉祭り並に盛況だった。
「あぁ、ありがとうな」
うみの先輩といえばもう諦めきった顔で笑っている。
「そういえば先輩、今年の祭りは新しく木の葉の傘下に入った里の人達も来てましたね。オレ、色々話をしたんですけど、こんなに楽しい祭りははじめてだって言ってましたよ」
「……あぁ、そうらしいな」
「先輩?」
ずしん、と先輩の方が下がった気がするがどうしたんだろう。
「いや、穏便に解決するってないいことだ、血が流れねぇってのはホントーにいいことだ、いやいや、流れたっちゃ流れたんだが、カカシさん達、容赦ねぇからな、パレードに間に合わせるためなら少々の無茶しちまう人達だから、にしても敵ながらオレぁ同情するよ、武闘派?強硬派?いや、アンタらが普通の感覚だよって、普通の忍びだよって言ってやりてぇわ、まったくなんで丸め込まれちまうんだか、木の葉も忍びの里だっつの、裏の裏読めよ、いやいやいやいや、平和的解決だし木の葉はいよいよ豊かになるし万々歳なんだがな、ホントこれでいいのか?っつかなんでオレがいっつもダシにされんだ?オレなんかしたか?普通に仕事してるだけだよな、あなたがイルカ先生ですかって毎度毎度、オレの殿筋、感動されるいわれはねぇわ、ってなんでオレの尻の形が話題になんだよ、おかしいだろ、拷問部なに考えてんだよ、っつか木の葉の上層部、わっけわかんねぇわ、よくやったうみのってオレぁ知らねぇっての、ったくなんなんだよいったい」
先輩はぶつぶつと繰り返している。
「あのぅ…」
「あ?」
先輩は顔をあげ、力なく笑った。
「わりぃ、気にすんな」
オレ授業だから、とオレの肩をたたいた先輩はどこかヨロヨロした足取りで渡り廊下の先に消えた。うーん、先輩、昨日飲み過ぎたのかなぁ。
あ、そういえば先輩に伝えそこねちまった。
誕生日パレードの経済効果が案外すごいらしくって、商店街が色々企画キャンペーンやりはじめたんだよな。
「愛する人にサプライズを」って銘打って、はたけ上忍ほどじゃないけど商店街とコラボした誕生日企画、これがけっこう受けてる。こないだはヒラマサ先輩がアカデミーの同僚先生に「愛の歌合戦大会」ぶちかまして大受けに受けてたなぁ。
お金も回るしみんなも楽しいし、うみの先輩の誕生日がいいきっかけになってると思う。やっぱりうみの先輩って木の葉に必要な人材だよ。
うん、やっぱりこれってうみの先輩に伝えなきゃ。先輩は妙に謙虚だからな。
書類とどけてすぐアカデミーに行けば授業までには間に合う。うみの先輩、この話聞いたら照れながらもきっと喜ぶだろうな。
善は急げだ、オレは用を済ませるべく大急ぎで受付へ走った。欠くべからざる人材、うみの先輩の一の子分であるオレも案外欠くべからざる後輩だったりするんだ。
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