ひたむきな恋
     
     
 

「アッアスマ、口布ゆがんでない?」
「あ〜、大丈夫だ。」
「髪型、きき決まってる?」
「おぅおぅ、かっこいいぞ。」
「ひっ額あて、変じゃない?」
「ばっちり斜めだ。」
「じゃっじゃあ、いいいってくるわ。」
「おぅ、がんばってこい。」


ぎぐしゃぐとした足取りで受付所に向かうのは、写輪眼のカカシと二つ名を持ち、その名前だけで他国の忍達を震え上がらせる男だ。そしてアスマの幼なじみでもある。

恋ってぇのはここまで人を変えるもんかね…

子供の頃から今の今まで、カカシの背筋が伸びたところなぞ見たことがない。その猫背をピンとのばし、カカシが廊下を歩いていく。後ろ姿を見送り、アスマは盛大なため息をついた。

この時間帯なら、十分後ってとこか。



はたして十分後、上忍待機所のドアが盛大に開かれた。

「アスマッ。」

カカシはアスマの座っているソファに突進してきた。思わず体を引く。

「おっおぅ。」
「オレ…ついについにっ。」

握りしめたカカシの拳が震えている。わずかに曝された顔の部分が赤くなっているのは気のせいではない。アスマは努めて穏やかに先を促した。

「なんだ。」
「オレ、ついにイルカ先生のっ。」

カカシのこの興奮のしよう、もしかして告白でもかましやがったか。そして告白にOKもらったのか。

カカシはうっとりと叫んだ。

「イルカ先生の指に触っちゃった〜〜っ。」


………あ?


「聞いてる?指に触ったんだよ〜〜〜。」

指に触った……?

「もうオレ、今日は手、洗えない〜〜。」


目の前の男は、頬を染めて少女のように手を胸の前で組んでいる男は、確かに写輪眼のカカシだよな…


アスマは白くなりかける意識を必死で引き戻した。

「アスマっ、これって一歩,前進だとオレは思うっ。」
「……あ…あぁ…」
「手応えありって感じ?」
「……あぁ…」
「ってことで、アスマ、任務行くよ。」
「あぁっ?」

アスマは銜えていたタバコをポロリと落とした。

「任務って、おいっ。」
「今日、急なシフト変更あってね、イルカ先生、夜中の二時まで受付やることになったのよ。」

イルカの受付シフトのことなんざ聞いてねぇ、っつか、なんでお前がそこまで知ってやがんだ。

言いたいことが多すぎて口をあんぐり開けているアスマに、カカシは上機嫌で続けた。

「も一個任務やって報告書出しにいったらイルカ先生にも一回会えるってことでしょ。今日は運がいいなぁ。」

カカシは手甲をした手で自分の頬を包み、ほぅっとため息をつく。

「昼は上忍師として部下を導き、夜は里のためにAランク任務をこなすって、ポイント高くなると思うんだよねぇ、こう、出来る忍って感じで。」
「Aランクだとぉっ。」

思わずアスマが怒鳴るがカカシは聞いていない。

「上忍ツーマンセルって条件のとこでやっぱり難易度アピールする?暗殺任務後の殺伐とした雰囲気ってのも捨てがたいしな。」

絶対イルカ先生に報告書提出しなきゃ、とブツブツ呟きながらカカシは拳を固めている。

「おいっ、上忍ツーマンセルの暗殺任務って」
「ね、アスマ。」

詰め寄ろうとしたアスマにカカシはがばっと向いた。

「上手くいったらまた指、触れるかな、もちょっと進んで、手をさ、こう重ねてみたいんだけど、アスマ、どう思う?」

どう思う、どう思うって…

想い人に触って洗えないほど大事な手で暗殺される人物は果たして幸せなのか不幸せなのか、まぁ、死ぬのにはかわりないのだが。

「っつーか、なんでオレを巻き込むんだっ。」
「いい友人に恵まれて幸せです。」
「勝手に恵まれるなっ。」
「やだなぁ、アスマちゃん、照れ屋?」

さぁ行くよ、竹馬の友、と引きずられるように任務につきながら、アスマはカカシの恋愛成就と己の解放を祈らずにはいられなかった。





好きな人ができた、とアスマがカカシから打ち明けられたのは、上忍師になってすぐのことだった。聞けば、相手は担当下忍達の元担任だという。

挨拶に来たアカデミー教師は若い男じゃなかったか…?

首を捻りながらも、幼馴染の初恋を、アスマは素直に祝福した。なにせ今まで任務任務で色恋に興味を示さず、もっぱら花街の姐さん達の世話になっていた男だ。

人を好きになるってぇのは大進歩だ。

忍として優秀すぎるだけに人並みな幸せに縁が薄かったカカシも、これがきっかけで里に落ち着けるかもしれない、とアスマは安堵する。思わずどん、と胸を叩いて励ましてしまった。

『おぅ、がんばれや。いつでも相談にのってやるぞ。』

これがいけなかった。




「ほっほらっ、あれがイルカ先生。」

ある日、受付所に引っ張っていかれた。まず、好きな人を見てもらいたい、と。それはいい。どんな美女にも靡かなかったカカシの心を射止めた女というのに興味もある。

「ねっ、可愛いでしょッ。」

……?

受付所のソファに座り、報告書を書く素振りでこっそり伺い見た方向には受付カウンターがあり、三代目火影を含め男が三人並んでいる。アスマはぐりん、と首をめぐらし周囲を見た。混む時間ではないので報告書を出す忍の数は少ない。そして『可愛いくの一』に該当するような忍は見当たらない。

まさかあのおばさんじゃねぇだろうしな…

女性といえば、事務方の太った中年女性が行き来しているだけだ。

いや、蓼食う虫も好き好きっていうしな…

常人と少しずれたところのあるカカシだ。幼い頃に母親を亡くしたカカシが年上の女性に温もりを求めたとしたら、いや、でも、あのおばさんはあんまりだ、アスマがマジマジとその中年女性を見ていると、ぐきっと顔を戻された。

「どーこ見てんのよ。オレの可愛い人はあっち。」

何、アスマのタイプなわけ、あの女の人、と非常に不本意な発言もくっついてきたが、今は好奇心の方が勝った。もう一度示されたほうを今度は凝視する。やはり受付カウンターだ。真ん中に座っていた三代目が、アスマの視線に怪訝な顔を向けた。慌ててアスマはタバコに火をつけ、灰皿を探すふりをする。三代目の隣に座っている中忍がにこっ、と笑って会釈した。黒髪を頭のてっぺんで一つくくりにした、二十代半ばの男、下忍達の元担任だ。鼻の上を真一文字に横切る傷に見覚えがある。

「ね、あれがオレのイルカ先生。」

オレの、なんて言っちゃった、カカシは一人、きゃっと照れた。アスマはぽろりと口からタバコを落とした。

あれが?

男だ。どこからどう見ても立派な成年男子だ。里には男同士のカップルも確かにいるが、カカシがこれまで衆道に興味を示したことなど一度もない。

「か〜わいいでしょ〜。」

アスマはどう答えていいかわからなかった。顔立ちもまぁ整っているし、感じもいい好青年だが、どちらかというとごつくてもっさりした感じで、とても男に秋波を送られるタイプには見えない。ぽかん、としたまま受付カウンターに座るアカデミー教師とカカシを交互に眺めた。

可愛いってあれが…?

写輪眼の副作用が脳みそにきたんじゃないか、と思っていると、ふいに横の気配が動いた。カカシが立ち上がったのだ。次の瞬間、アスマの全身に悪寒が走った。

なんだこの爽やかオーラはーーーっ。

発生源は間違いなくカカシだ。カカシは隙のない身のこなしで受付カウンターの前に、正確には黒髪のアカデミー教師の前に立った。

「こんにちは、イルカ先生。報告書、お願いします。」

カカシが丁寧語使ってやがるーーっ。

お願いね、ではなく、お願いします。しかも笑顔の挨拶つきである。アスマはあんぐりと口をあけたまま、いつもとかけ離れた友の姿を眺めた。

「お疲れ様です、カカシ先生。あっ…」

にこやかに報告書を受け取ったアカデミー教師が、わずかに顔を曇らせた。

「すみません、イルカ先生、本当ならば任務終了した今朝、提出しなければならないのに、こんな時間になってしまって。」

すかさずカカシが言葉を発した。わずかに苦悩を滲ませた声音だ。

「ほんの少し、と思って休んだのが間違いでした。里に帰ったからといって気が弛むなど、忍失格です。」

たしか今朝、カカシは上忍待機所でだらけていた。だが、それは単に火影に用事を言いつけられないようさぼっていただけで、カカシに報告書ださねぇのか、とアスマが聞いたら、いーのいーの、めんどくさ〜い、とヒラヒラ手を振った。

忍失格って、オレは幻聴聞いてんのかっ、アスマが目を白黒させているところに、幻聴はさらに続いた。イルカと呼ばれたその教師がハッと顔を上げる。

「違います、そうじゃないんです、カカシ先生、日中はナルト達の面倒を見てお疲れなのに、深夜に上忍任務まで…中忍の俺ごときが口を出すことではありませんが、やはり心配です。」
「イルカ先生…ありがとうございます。」

カカシが目を細める。それは優しげに。

「大丈夫ですよ、これでも少しは強いつもりですから。でも嬉しいです、心配して下さって。」

ぬぅおぉぉっ、

アスマの背筋に寒気が走った。

嬉しいです、心配してくださって、だとぉっ。

礼を言うような野郎か、コイツがっ。いやその前に、コイツが謙遜したとこなんざ見たことねぇぞっ。

だいたい、さっきから放出されている爽やかオーラが気色悪い。

「イルカよ、深夜の任務はこやつが自分から…」

横で二人の会話を聞いていた三代目が訝しそうにそう言おうとした途端、カカシが三代目の向う脛を蹴っ飛ばすのがみえた。もちろん、上忍の動体視力をもってしてもギリギリ判別出来るか否かの早業で。

「じゃ、イルカ先生、失礼しますね。お仕事、がんばってください。」
「はい、ありがとうございます。カカシ先生も無理なさらないでくださいね。」

もう一度カカシはにこっと目を細めると、踵を返してアスマの方へやってきた。

「行こうか、アスマ君。」

はいーーーっ?

二十数年生きてきて、カカシに君づけでよばれたことなぞ一度もない。真っ白になったままアスマは廊下に引きずっていかれた。

「ね〜アスマ、可愛い人だったでしょ〜。」

廊下に出た途端、カカシはへにゃりと相好を崩した。当然、ピンと張っていた背筋も猫背に戻っている。カカシは手を胸の前に組むとうっとりと言った。

「今のって好感度アップだよね、里のために無私無欲で働く上忍ってイメージ、狙ってみたんだけど、どうだったっ?」

そんなキラキラした目でオレを見るなっ。

アスマは倒れそうだった。背後でアカデミー教師が火影に文句を言っているのが聞こえる。カカシ先生を働かせすぎだとか、里の誇る上忍を大事にしろ、だとか。火影がいくら、カカシが任務を買ってでているのだと説明しても、あの方は上忍としての責任感が強いのです、と聞いてもらえないようだ。

「…上手くいったんじゃねぇか…?」
「そう?ホントにそう思う?」

ほぅ〜っと心底安心したような息をつき、カカシはにっこりした。

「これからも頼むね、アスマ。」

以来、アスマはカカシの恋路にむりやりつき合わされている。







「アッアスマ、どうかな、これ。」

どうかなと聞かれても答えに窮する。任務を終えた二人は受付所へ向かっているところだ。
夜中の十二時、カカシが張り切っていたので、暗殺任務は滞りなく遂行された。里の大門をくぐってから、カカシはそわそわと口布をなおしたり髪を整えたりしている。アスマはタバコに火を点けながら気のない返事をした。

「口布も額あても大丈夫だ。とっとと報告行ってこいや。」
「じゃなくって。」

カカシがぐりん、とアスマに首をまわした。気合いの入った目が恐ろしい。

「今回のオレはね、『凄腕なのにいつもは気さくで優しくて紳士な上忍が凄惨な任務の後にふと心の闇をかいま見せる』ってとこにポイントおきたいわけ、って何、タバコ吹いてんの。」
「こっ心の闇だぁ?」

げほげほとむせながらアスマは涙目でカカシを眺めた。闇、心の闇、この、目の前で脳みそに花咲かせている男のどこに闇があるというのだ。だが、カカシは真剣だ。

「そ、なんかさ、『こんなに強い人だから独りで耐えてるんだ』って感じで、こう、手を差し伸べたいって気になるでしょ。」
「ならねぇっ。」

アスマは即答した。だが、恋の花咲く目の前の男には通じない。

「この返り血みてさ、もしかして心配してくれるわけよ、
『カカシ先生っ、血がっ。』
『ふっ、大丈夫です、返り血ですよ。』
『え、でも…』
『オレはとっくに血で汚れた人間です、闇の中でうごめくしかないオレですが、それでも報告書だけはちゃんとあなたに受け取ってほしい。薄汚れたオレができる、たった一つのまっとうな行為ですから。』
『何を言うんです、カカシ先生っ、あなたは汚れてなんかいないっ。』
『イルカ先生、あなたは優しい人だ。』
なんつってなーーーっ。」


だからわざと返り血浴びやがったか、こいつ…


くふくふと一人、想像の翼を広げている男にアスマはがっくりと肩を落とす。

「んじゃ、アスマ、ここで待っててね。」

いそいそと受付所のドアをくぐっていく友人の背中を見送り、一瞬、このまま帰ってしまおうと思ったが、以前それをやったら自宅まで押しかけられたので待つことにした。イルカとのやりとりの詳細な報告を家に帰ってまで聞きたくない。中からイルカの「カカシさんっ」という切羽詰まった声が聞こえる。返り血作戦は上手くいっているようだ。
五分後、「手、握ってもらっちゃった〜〜。」と浮かれるカカシに大吟醸一本奢らせようとアスマは決意を固めていた。どうせ朝までイルカの話を聞かされることになるのだ。己の面倒見のいい性格を心底呪った夜だった。





転機は四日後にやってきた。

「おい、いいのか?」

上忍ツーマンセルの任務を終え、アスマとカカシは受付所へ向かっている。ただ、今夜のカカシは猫背を伸ばそうともせず、だらんと弛んだまま、つまり「いつものカカシ」だ。

「心の闇ってやつを演出すんじゃねぇのか?」
「あ?いーの、今夜は。」

イルカ先生の当番じゃないんだよねぇ、とカカシはぶつくさ文句をたれた。

「イルカ先生がいないんじゃ、夜のAランク任務なんて働き損じゃない。」

確か昨日、里のために役立つことこそが喜びです、とかなんとか抜かしてなかったか?

だが、突っ込むのは心の中だけにアスマは留めた。ヘタに話をふって、イルカへのアピール方法を延々と講じられてはたまらない。

「あ〜あ、今日は下忍任務の報告書出すときも会えなかったし、ついてないよねぇ。」

猫背を更に丸めてカカシは受付所のドアを開けた。アスマも後に続く。夜の十一時、小腹も減った。

「おい、なんか食ってくか?」
「そだね〜、まだ屋台とか開いてるだろうし〜。」
「今日は返り血つけてねぇしな。」
「あったりまえでしょ、暗殺くらいで返り血なんか浴びないよ〜。」

気の抜けた声でカカシが答え、報告書を出しながらふぁ〜っと大あくびをしたときだった。受付机の後のドアが開いた。

「すまん、代わるの遅くなった。」

そのまま気配が固まる。カカシもあくびの口を開けたまま固まった。

「…な…んで…」

入ってきたのはイルカだった。目を見開いたままカカシを見つめている。

「いっ今の…カ…カカシ…せんせい…?」
「う…」

うわぁぁぁぁっ、と悲鳴に近い叫びがあがった。カカシが受付所を飛び出していく。

「おっおい、カカシっ。」

アスマは慌てて後を追った。写輪眼のカカシが暴走したらろくなことにならない。尻ぬぐいはごめんだ。暴走する前に止めるべく、アスマは泣き声の響く方へ走った。

「うわぁぁぁん、わぁぁん」

案の定、火影岩の、それも四代目の顔の下でカカシが泣いている。

「せんせ〜い、オレ、もうダメです〜、お側へ行かせてくださあいぃぃっ。」

あちゃ〜、とアスマは額を押さえた。子供の頃、カカシを連れてよく遊びに来ていた四代目に言われた言葉がよみがえる。

『カカシはちょっと繊細なとこがあるから、アスマ君、よろしく頼むね。』

よろしく頼まれたくなかった。繊細なとこがずれまくっていて手に余る。だが、アスマは義理堅い男だった。子供の頃のこととはいえ、引き受けたことは放り出さない。

「おい、カカシよ。」
「うわぁぁぁん、アスマ〜〜っ。」
「カカシ…」
「もうだめだ、イルカ先生に嫌われた〜っ。」

振り向いたカカシの顔は涙でぐちゃぐちゃだ。口布の色が変わっているのは鼻水だろう。

「せっかく今まで、気さくで優しくてでも格好良くて、ちょっと心に闇を抱える上忍やってきたのにぃぃぃっ。」
「あ〜わかった、わかったからっ、人のズボンで鼻水拭くなっ。」

対カカシ用ハンカチをポーチから出してやると、口布を下げたカカシがチーン、と鼻をかんだ。

「アスマぁ〜、頼りがいがあって男の色気もたっぷりだけど手を差し伸べたくなる脆さもあわせもった魅力的な上忍像がだいなしだ〜。」

いや、誰もそんなこたぁ思ってねぇ、そう突っ込みそうになったが、話がややこしくなりそうなので何も言わない。おいおいと泣き伏すカカシの前にアスマはしゃがんだ。ぽんっと銀髪を撫でてやる。

「なぁ、カカシ。」

ぽんぽん、と撫でるとカカシが顔を上げた。アスマは安心させるように笑ってやる。

「どんなお前を演じてきたか知らんがな、お前が里の誇る写輪眼のカカシってことには変わりねぇだろ。」
「そっそうだけど…」

カカシはぐしぐしと鼻を啜っている。

「なにより、上忍だの写輪眼だの関係ねぇ、そのまんまのお前を好きになってもらえばいいじゃねぇか。」
「でもっでもっ…」

またボロボロ涙を零し始めた。

「オレ、忍ってことでしか取り得ないから。」

アスマの胸が少し痛んだ。忍であることにしか存在意義を見出せない、そんなところに、幼い頃から一線級の忍として里を支えなければならなかったこの男の悲しみを垣間見る。人々は写輪眼のカカシを見ても、はたけカカシを見ようとはしなかった。だからこそ、この男は今まで色恋から遠ざかっていたのだろう。

「忍のお前を好きになってもらってもしょうがねぇだろうに。」

それでも、人を好きになった。あのアカデミー教師が、ちゃんとはたけカカシを見てくれる人物だったらいい。

まぁ、だからと言ってイルカがカカシを好きになってくれるとはかぎらんが…

なんだかんだと言っても、カカシは可愛い弟分だ。あまり泣いてほしくない。

「お前の可愛いイルカ先生ってのは、色眼鏡なしでナルトをそだてた先生なんだろ。口説くんなら素のお前でいきやがれ。」
「アスマ〜。」

まだめそめそと泣く男を元気付けるようにアスマはその肩を叩いた。

「じゃあ、ちょいとオレが様子見てきてやる。たいしてイルカは気にしてねぇかもしれねぇしな。」
「まま待って、オレもっ。」

こっそり影から見る、とついてくるのをそのままに、アスマは受付所に戻った。そして、ドアを開けた途端響き渡る豪快な泣き声に一瞬固まる。

「…おっおい、どうした…?」
「あっ、猿飛上忍っ。」

受付にいた中忍が救いを求めるようにアスマを呼んだ。おんおんと声を上げて泣いていたのはカカシの片恋の相手、うみのイルカだった。イルカが泣き伏している机の脇にはクナイが落ちている。

「頼む、もう死なせてくれ〜っ。」

泣きながらクナイに手を伸ばそうとするのを同僚が必死に止めていた。

「何があった、おい。」

アスマが近づくと、イルカはがばっと顔を上げる。

「アスマ先生っ。」
「うぉわっ。」

縋り付かれてアスマは思わずのけぞった。

「俺の顔、無精髭はえてますよねっ。」

イルカがずいっと詰め寄ってきた。みるとイルカの顎にぽちぽち黒い髭が目立つ。

「あ…あぁ、はえてるな…」
「やっぱり〜〜っ。」

もうだめだ〜、とまたイルカは泣き伏す。

「ひっ髭くらい生えるだろ、男なんだしよ。」

途方に暮れたアスマがそう言うと、イルカは顔を上げキッと睨んできた。

「俺はですねっ、今まで、『万年中忍でちょっとゴツイけど笑顔の爽やかな好青年』を印象づけるため、日々努力してきたんですっ。そっそれなのにっ…」

ぶわっとまた涙が盛り上がる。

「無精髭見られたんですよっ。もう、絶対もっさい中忍って思われた〜〜っ。」
「いや、大丈夫だって、イルカ。お前、普段もきっともっさい中忍って思われてるから、無精髭くらいぜんっぜん気にならないぞ。」

同僚が必死に慰めているが、フォローになっていない。話が見えないアスマが無言で同僚を促すと、困ったように眉を下げた。

「イルカのやつ、はたけ上忍が報告書出しにくる時間にあわせてシフト組むようにしてたんですけど、そりゃあもう、身だしなみチェック厳しくやって。」

髪はほつれていないか、髭はそっているか、口臭はしないか、とうるさかったらしい。

「今日はたまたま、急病のヤツと受付かわったんですが、コイツ、アカデミーの仕事こんでて昨日からここに詰めてまして…」

まさか今夜はたけ上忍がいらっしゃるとは、と同僚が顔を曇らせる。

「だって、カカシ先生は任務で外だって言うから、俺、髭を剃るの忘れていたんだぁ〜っ。」

さめざめとイルカは泣く。アスマはぽかんと口を開けた。

「笑顔の練習までしてたのにぃ〜〜っ。」
「あ〜、イルカ、もしかしてお前…」
「どうせ俺は冴えない中忍で、カカシ先生に振り向いてもらえるわけないんだぁぁぁっ。」

父ちゃん、母ちゃん、不肖の息子、ただいまそちらへ参りますっ、とクナイを取ろうとするイルカを同僚が押さえる。

「落ち着け、イルカッ。」
「離せっ、一世一代の恋に破れたうみのイルカ、もう生きている甲斐はないんだっ。」

カカシ先生が好きでしたー、とイルカが叫んだその時、受付所に風が吹いた。

「待って、イルカ先生っ。」
「…カッカカシ先生…」

鼻水がついたせいで、カカシは口布を下げ素顔を出している。端正な顔立ちにイルカがぽっと赤くなった。そのイルカの手をカカシはひしと握りしめる。

「イッイルカ先生っ、今の言葉、本当ですかっ。」

サッとイルカが辛そうに目をそらした。

「ねぇ、答えて。オレのこと、好きって本当?」
「…すみません、身の程知らずにも俺は…カカシ先生を…」

あぁ、夢みたい、という呟きがカカシの口から漏れ、イルカは思わず顔を上げた。カカシは握り締めたイルカの手に頬を寄せる。そして、真剣な眼差しで言った。

「あなたの無精髭、オレ、可愛いと思います。」

イルカが黒い目を潤ませた。

「カカシさん、俺、俺…ホントはものぐさで、アカデミーが休みの時なんか、二日くらい髭そらなかったりするし、風呂すきだけど洗濯さぼって着替えが危なくなることしょっちゅうだし、全然爽やかじゃなくて…」
「それが何だというんです。オレだってホントは猫背で面倒くさがりで、任務に文句はつけるし、この間は火影の爺さんけっとばしたしっ。」
「でもこの間の梅雨の時なんか溜め込んだパンツにキノコ生えてたんですぅ。」
「あなたのパンツに生えたキノコなら生でも食ってみせますよっ。」

それって毒キノコじゃねぇのか、と思わず引いたアスマと同僚の目の前で、恋する二人の男はがしぃっ手を握り見つめ合った。

「好きです、イルカ先生っ。」
「俺もカカシ先生が好きです。俺みたいな冴えない中忍が、カカシさんを好きになってしまって…」
「なにを言うんです。あなたは十分に可愛らしいっ。オレのほうこそ、こんなだらけた上忍なのにっ。」
「いいえ、カカシさんはカッコイイですっ。」
「あぁ、イルカ先生っ。」
「カカシ先生っ。」

ひしっ、と抱き合う二人に、無駄だと知りつつ一応アスマは声をかけた。

「オレはもう帰るからな、あとは好きにしろや。」
「…イルカぁ、オレも帰って良いかな…」

もう離れない、とかなんとか叫ぶ声を背中に聞きながら、アスマと受付中忍の同僚は帰路についた。ちょっと、いや、かなり振り回されて疲れたが、これからの日常に平安がもたらされると思うと、足取りは軽かった。





甘かった…

アスマは銜えたタバコをかみつぶす。

オレもまだまだ詰めが甘ぇ…

片恋に悩んでいた頃の方がまだマシだったかもしれない、そうアスマは天を仰ぐ。平穏な日常が戻るかと思いきや、恋の成就した次の日からはノロケと恋のステップアップの相談がアスマを待ち受けていた。

「んでね〜、昨日、手繋いで一緒に帰ったわけよ。もっちろん、ご飯を一緒に作って食べてさ、くつろぎながらちょぉっといい雰囲気でちゅってね、ただ、オレとしてはもう一段階レベルアップしたキスがしたいっていうか、ね、聞いてる?アスマ。」
「あぁ、聞いてる聞いてる。」
「でもさぁ、こう、少しずつ距離が近くなるっていうの、いいねぇ。真剣な恋って感じで、またあの人、可愛いじゃない。ウブなあの人をオレ色に染めていくってのも恋人冥利につきるかな、な〜んてね。」

任務表を受け取りに受付所へ向かう道すがら、アスマは昨日の出来事を延々と聞かされていた。

オレ色でも何色でもいいから、とっとと染め上げてくれ…

げんなりと受付所のドアを開けると、カカシは受付に座るイルカの側へ突進していった。

「カカシ先生っ。」
「イルカ先生っ。」

ひし、と手を握り合っている。お前等、今朝も一緒に出勤してきたんじゃねぇのか、という言葉を飲み込み、隣に座る受付同僚を見ると、やはり疲れた顔をしていた。

「おぅ、どうだ、調子は。」
「あ、猿飛上忍。」

あの夜、イルカを宥めていた中忍だ。お疲れさまです、とやつれた顔でアスマに笑った。

「お前ぇもか…」
「じゃあ、猿飛上忍も…」

どうやらノロケ攻撃を受けているのは自分だけではなかったらしい。

「昼まであなたの顔が見られないと思うと、胸が引きちぎられそうですよ。」
「カカシ先生、その、昼には裏庭のベンチで待ってますから。」
「あぁ、羽があったら飛んで貴方の側へ舞い降りるのに。」
「俺の心は愛の翼でいつだって貴方の側にありますっ。」
「可愛い人だ、あなたは。」

大の男が「のの字」を書くなっ、受付所にいた全員がそう思ったが声には出さない。

「オレ色、とやらに染めるんだとよ。」
「奪って欲しいんだそうです…」

はぁ〜っと疲れたため息が二人の口から出る。頭に花を咲かせている二人を横目に、アスマが言った。

「おい、今度つきあえや。」
「はい、お供します。」

とりあえず、今は同病相憐れみたい。


「おい、いつまでやってやがる。任務行くぞっ。」

浮かれポンチのカカシを引っ張り、アスマは受付所をあとにした。

「あいてて、じゃあ、いってきます〜、イルカ先生〜〜っ。」

未練がましく投げキッスを送っている男を引きずりながら、まぁ、泣き言きくよりゃマシか、とアスマは口の端をあげる。

晴れた空の元、四代目の顔岩が恋する愛弟子とその友人を見下ろしていた。

 
     
     
 
アスマ先生、苦労人です。今までも、そしてこれからも…